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第二話 胸を張る変態 その2

 翌日。林間学校最終日の朝。

「扇子だけにセンスが試されるね、志摩君」

 ゐるはニコニコと笑って扇子用の骨組みを手に取ると、使い古されたダジャレを口にした。

「わー、おもしろいなー」

 からかうように棒読み。

「でしょでしょー? あたし超天才!」

 志摩は調子にのって胸を張る彼女の頭に、軽くチョップを入れた。

「無い胸を張って威張るんじゃない」

「ちょ、志摩君、デリカシーなさすぎ!」

 顔を赤らめ、慌てて胸を手で隠す。志摩は「悪い悪いジョークだよ」と笑って謝った。

「俺にとっては下着以外はそれがどの部位であろうと等しく興味ないから、つい」

「それはそれでどうかと思うよ……」

 平然としている志摩の様子に、ゐるは苦笑いするしかなかった。

「それはそうと、なんでまた扇子作りなんだろうな。よりによって」

 志摩の素朴な疑問。

 二泊三日の間様々なイベントをこなし、最終日である今日は扇子を作るイベントが待っていた。

 これまでの料理だとか肝試しだとかといったいかにも高校生向け、なイベントとは対照的な扇子作り。志摩が疑問に思うのも無理はない。

「だからあれだよ。あたしたちのセンスを試しているのさ!」

「はいはい面白い面白い」

 扇子用の骨組みをぐにぐにと曲げながら気のない返事をする。ゐるは不満げに「雑すぎるよ」と文句を言うが、志摩は気にした風もなく「ところでゐる、今何色のパンツ履いてるんだ?」と尋ねた。

「話題の飛び方がおかしい!」

 ゐるの隣からツッコミが入る。

 志摩はその声の方に視線を向けることすらせず、鬱陶しそうに口を開いた。

「うるせえな詩哉……この世の詩哉なんてみんな死んでしまえばいいのに」

「全国の詩哉さんが巻き込まれた!?」

 扱いの雑さに不平を唱える。しかし志摩はそれを適当にあしらうと、「さて、いい加減扇子作りはじめるかー」と周囲を見回して提案した。

 それに伴って二人も周囲を見回すと、すでに大半が作業を始めていることに気付いた。

「で、これどうすればいいの?」

 ゐるは骨組みをぐにぐにと曲げながら尋ねる。志摩は近くに作り方の説明書を発見し、それを手に取った。

「えっと、まずは扇の方を作るらしいぞ」

 説明書を片手に作業を開始。手持無沙汰な二人の横で黙々と進める。

「よし、こんなもんか」

 ふぅ、と額をぬぐう。特に汗は出ていないが、気分の問題である。

「どれどれ? どんな風にやるの?」

 満足げな表情の志摩にずいっと身体を近づけて尋ねるゐる。彼女の後ろから詩哉も志摩の作ったものを覗き込んでいる。

 志摩はそんな無邪気な様子の彼女に少し鼓動が早くなるのを感じながら、平静を装って「まずここをこうして――」と解説を始めた。

 そうしてそれからも志摩が作って、覗き込んでくるゐると詩哉に解説して、という形で扇子作りを進めていった。

 と、そうしていると、不測の事態が起こった。

 ゐるが志摩に身を寄せ、詩哉がゐるの後ろから覗きこんでいた。しかし詩哉が調子に乗って身を乗り出したところ、バランスを崩してしまったのである。結果として、ゐるの背中にモロ体重が乗り、志摩を巻き込んで押し倒す形となった。

「いてて。ごめんごめん。なんか踏んじゃって」

 ゐるの背から床に転げ落ちた詩哉は、明るい調子で二人に向かって謝る。しかし倒れたままの二人からは、一切の反応がない。

 どうしたのだろう。疑問に思った詩哉は、横まで近付いて二人の様子を覗いてみた。

 そこには仰向けに倒れ呆然としている志摩と、彼を覆う形で四つんばいになり、無表情にその顔を見つめるゐるの姿があった。

「ゐ、ゐる?」

 志摩の問いかけ。ゐるは彼の言葉が耳に届いていないのか、身じろぎひとつせず彼をじっと見つめ続ける。

 どれほどの時間が経っただろうか。周囲がこの状況に気付いてざわめきだしてくると、次第にゐるにも変化が訪れていった。

 まず、息が荒くなっていった。はあはあと、動いているわけでもないのにたくさんの酸素を要求する。

 それに伴って身体全体が熱を持ち、頬は紅潮してゆく。

 目の焦点は定まらないようでいて一点。志摩の瞳を完璧にとらえている。

 身体がぶるぶると震えだし、驚きに目を見開く志摩の鼻へ、鼻血が数滴垂れた。

 それから数瞬。ゐるは緩慢な動きで、右手を彼の目元へ伸ばす。

 そしてトントン、と眉尻を人差し指で叩くと、口の端を釣り上げ、恍惚の表情で声を発した。

「志摩君、目、綺麗だよね」

 うっとりとした瞳で彼の目を見つめる。

 志摩は彼女の言っている意味がよくわからず、怪訝そうな表情を浮かべる。

「志摩君、もっと見せて。じっくり。中まで。その瞳、どうなってるの? ちょっとかりていい? あとで返すから。もう、我慢できないの」

 ゐるは、はあはあと呼吸を荒くしながら、ポーチの中をまさぐった。そして器用にスプーンを一つ握りしめ、志摩の瞳へ近づける。

 なんだこれは何が起こっているんだ。彼女はいったいどうしてしまったんだ。頭の中で錯綜する様々な疑問が、志摩の思考回路をぐちゃぐちゃにする。

 瞳をスプーンで触られそうになり、反射的に目をぎゅっと閉じた。怖い怖い怖い。

 と。

「痛ッ」

 ゐるの右手の指が、志摩の怪我した指に触れた。その身を切るような痛みに、志摩の脳内で駆け巡る混乱が動きを止めた。

「ゐる! 駄目だ! それ以上は駄目だ!」

 彼女に聞こえるよう、力いっぱい叫ぶ。

 志摩のその叫び声に、はっと瞳に光を取り戻す。顔の筋肉はもとに戻り、反射的に周囲をきょろきょろと見回した。

 驚き、恐怖、不快、蔑み。様々な目が彼女に向けられていた。

 数秒間の沈黙。

「……ごめん」

 俯きながら小さな声で志摩に言うと、彼女はその場から走り出した。

「ゐる!」

 呼びかけに応じることなく、部屋を出てゆく。

 志摩は周囲をぱっと見回した。

 ちらちらと視線をよこしながら、ひそひそ話をする者。

 気持ち悪いものを目の前にしたような、嫌悪の目を向ける者。

 そして水野の顔に浮かぶ、心配と戸惑いと――恐怖。

「――ッ」

 志摩は歯を食いしばり、拳を握りしめ、出かかった声をのどの奥に押しとどめた。

 心配そうに彼を見る詩哉に「ちょっと連れ戻してくる。悪いがこっちは頼んだ」と耳打ちした。

 詩哉が表情を引き締めてうなずくのを確認すると、脇目もふらず走り出した。



「クソッ、どこ行っちまったんだ!」

 廊下に出たところで、キョロキョロとゐるの姿を探す。しかしすでに彼女は見当たらず、どの方向へ向かったのかすらわからない。

「ここの全容図も把握してねぇしな……何としてでも先生たちより先に見つけねぇと……」

 思わず途方に暮れつつ、拳を握る。

 幸い先ほどの部屋では、タイミングよく教師が席を外していた。そのため教師全体へ連絡が行くまでは少しだけ猶予があるだろう。しかし、この施設は広い。そして構造もわからない。それゆえ、彼女のたどり着きそうな場所もわからない。心情から察するに人と話したくはないだろうから、物陰か人気のない部屋か、あるいは施設外へ出て行ってしまっている可能性も考えられる。

 なんにせよ、教師たちが動き出してしまえば、あちらの方が数の上で明らかに見つけやすくなる。

 ――自分の変態性を理解しようともしない教師共に、ゐるの心の傷に触れさせるわけにはいかない。

 改めて決心し、一歩踏み出す。

 と、駈け出そうとした瞬間、背後からバンッと扉が勢いよく開く音がした。

「ちょぉっとまったあ!」

 驚き振り向く志摩の目に、戦隊もののヒーローのように立ちはだかる、三人の男がいた。

 急がなければ、という思いも忘れて呆然と見つめる志摩へ、三人はにやりと笑って口々に言った。

「オレらも混ぜろや!」

「水臭いですね。我らはいつでも力になると言ったじゃないですか」

「志摩信者ーズ、ついに出陣だね」

 戸惑い、嫌悪、恐怖。そういった感情ばかりのクラスメイトたちにあって、そういった気持ちとは無縁の三人。

 志摩は目を見開いて数瞬息をのみ、そして口端を吊り上げた。

「よし、そんじゃ今から、作戦コードネーム『紺波ゐるを探せ』を開始する。作戦内容は各自バラバラになってゐるを探し、見つけること。本当は携帯があれば連絡が取れたんだが、ないもんは仕方ない。ゐるは今かなり精神的に不安定な状況のはずだから、見つけ次第各自、優しく柔らかく話してやってくれ。無理に元気づける必要はない。傍にいてやるだけでいい。ちなみにないとは思うが、万が一ゐるが暴走した場合に備えて、自衛の手段をとれるようにな。とりあえず、三十分になったら一旦ここに集合で」

『アイアイサー!』

 口早に指示する志摩へ、三人は声をそろえて了解する。

「俺たち守らなければならないことは一つ。絶対に、何があっても先生共より先に探し出せ。死んでも奴らには渡すな。――今はまだ、ゐるの心に寄り添えるのは俺たちだけだ」

『アイアイサー!!』

 今、という言葉に力を込めて、彼らを見回した。

「うし。そんじゃ行くぞ。パンツー・フォー!」



「ゐる、元気だしなよ。みんな気にしてないからさ」

 志摩は端から端まで駆けずり回り、荒い呼吸を整えているところで、その声を聞いた。

 廊下の隅、物陰から届いたそれに顔をひょこっと出してみる。

 ゐるが顔を伏せて体育座している横で、あぐらをかくイケメンが困った顔を浮かべている。

 その光景に、志摩は彼らに届かないよう、小さく舌打ちした。

 自分が一番最初に見つけられなかったことと、一番最初に見つけたのがよりによってイケメンであったことにだ。

 決してこれは嫉妬などではない。そもそも小学生のころから下着一筋の志摩にとって、イケメンだブサメンだという話は興味の対象ですらない。

 単純に、ゐる(変態)の心を癒すにはもっとも向かない人間だというだけの話である。

「大丈夫だって。さっきはみんな、ちょっと戸惑っただけなんだよ。あの後すぐにみんな普通になったから」

「…………」

 イケメンは、志摩信者ーズの一員となる程度にはズレた人間であるが、それが発覚したのはつい先日のこと。それまでのクラスの立ち位置は、最上位層、いわゆるリア充集団にあった。

 おそらくそれは、中学時代からもそうであったのだろう。事実彼自身に何か特殊な性癖があるわけではなく、信者ーズの一員となったのはたまたま志摩の行動が彼の何かと強く合致したためであるのだから。コミュニケーション能力が高く爽やかな顔つきで言動も一般的であった彼が、そこに立たない道理はない。

 つまり、本質がどうであれ、彼は現在もっとも変態からは遠い存在なのである。

 そんな彼の言葉が、果たしてゐるの心へ届くのか。先からどう呼びかけても身動き一つ取らない彼女の姿が、何よりの答えだった。

 別に、彼が悪いわけではない。ただ、住む世界が違っただけなのだ。

「ゐる」

 二人の間に落ちた沈黙に、志摩はゆっくりと声を挟んだ。

 志摩の声に反応して震える、ゐるの身体。イケメンはそんな彼女に、ここは自分の場所ではないのだと悟った。腰を上げ、歩み寄ってくる。

「悪いね。任せた」

 すれ違いざま、耳元に小さくささやき、背中を叩く。

 くっそ、このイケメンが。志摩は思わず浮かぶ浮かんだ笑みで、去ってゆく彼の背中に毒づいた。

 任せろ。

 口の中でつぶやき、未だ沈黙を貫くゐるへ顔を向ける。

 再び彼女の名を呼ぼうとしたところで、止める。

 志摩は彼女のもとへ歩み寄り、隣に腰を下ろした。

 特に嫌がるそぶりのない彼女に少しだけ安心すると、志摩は天井に視線を移す。

 どれほどそうしていただろうか。時折響く、鼻水をすする音。優しく彼女の背中をさすると、小さな嗚咽が漏れる。

 志摩は少しだけ哀しそうな微笑みを向け、静かに口を開いた。

「俺、明確に下着を愛するようになった時期って覚えてないんだけど、小学生のころにはすでに人の下着を見ることで興奮するようになっていたんだ」

 当時の映像を頭の中に浮かべながら、明るくしゃべりだす。

「はっきり自覚しだしたのは小四から子五のあたりかな。今の俺からは考えられないだろうけど、あのころはまだ純粋でね。エロいことは人間として恥ずかしいことだって思ってたんだ」

 志摩の口から語られ始める過去。ゐるは固まったまま動こうとしないが、志摩は気にせず話を続ける。

「今でこそそこに下着があれば何も気にせずじーっと見つめるけど、当時はチラチラと周囲にばれないよう気を配りながら見るだけだったんだ。表情は平静を装って。今考えると、思いっきりムッツリスケベだよな」

 笑いながら、当時の記憶を懐かしむ。

「で、体育の着替えの時とかに女子の下着をチラチラと見て満足していたんだけど、そんなある日。クラスのお調子者たちに、にやにやしながらそのことを指摘されたんだ」

 無意識の声のトーンを下げて言う志摩。ゐるはピクっと小さく反応した。

「言い当てられた俺は恥ずかしくて慌てて否定したんだけど、思ってた以上に分かりやすいチラ見だったらしくてさ。取りつく島もないのな」

 志摩は天井の黒く濁ったシミを眺めながら、一度口を閉じた。

 頭の中に流れる当時の映像の停止ボタンを押し、明るい調子で口を開いた。

「それでつい言っちゃったんだ。『そんなんじゃない! 俺はただ下着を見ていただけなんだ!』って」

 頬をぽりぽりとかき、明るく言う志摩。

「それから流れで俺はどんどん自分の性癖を口にしていってなー。ふと気づいたときには、俺に向けられる視線のほとんどが不快感をあらわにしたものでさ」

 視線を天井から窓へ移した。窓の外は厚く暗い雲が覆っていたが、その切れ目に青い空を見つけた。

「でもそれからも変わらず接してきてくれる奴がいてな。――それが詩哉だったんだ」

 声音に喜色を混ぜる。

「どんなに変だろうと、おかしかろうと、それを受け止めてくれる奴は絶対にいる。そう気づいたから、俺は今こうして、自分の性癖を堂々と晒しているんだ」

 志摩は胸を張って、誇らしげに言った。

「志摩君……やっぱりすごいよ」

 ポツリと放たれた、ゐるの言葉。志摩が驚いて彼女の方を向くと、泣きはらした顔で、志摩へ微笑みかけている彼女の姿があった。

「い、いや。詩哉に助けられたってだけの話だから」

 ゐるはそんな彼の反応に首をふる。すごいよ。彼女の優しい声音。

「あたしの話も聞いてくれる?」

 ああ。うなずく志摩を確認すると、ゐるは天井を仰いで話し出した。

「あたしね、目が好きなんだ。オキュロフィリアって言うんだってさ。世界中のどの目も好きなの。人間、動物、虫問わずね。見てると興奮する。触ってみたいし、くり取ってみたいし、中まで覗いてみたいし、切って裂いてすりつぶしてみたい」

 チラっと志摩に視線を向けると、彼は蔑むことも引くこともなく、真剣にゐるの話に耳を傾けていた。ほっと一息ついて、視線を窓の外へ向けた。厚く、暗い雲が空を覆っていた。

「そのなかでも好みはあって、人間の目が一番好きなの。まぁさらにその中でも好みはあるんだけど、これは言ってもしょうがないよね」

 苦笑い。つられて志摩が苦笑すると、ゐるは天井を仰ぎ、「いつごろからだったかな。多分あたしも志摩君と変わらないくらい。小学四年生の時にはすでに自覚していたと思う」と、過去に思いを馳せながら続けた。

「最初のうちは特に気にすることもなく、いろんな人の目をひたすらじっと見てたんだ。でも何もしないでただじっと見つめてるのって見られてる側からすればやっぱり気持ち悪いみたいでさ。……だからあたしはできるだけたくさん人と話すようにしたの。話しながらなら別に目をじっと見つめていても、不自然じゃないでしょ」

 何も言うことができずに彼女の話に耳を傾け続ける志摩。ゐるはそれからふっと表情を和らげて続けた。

「片っ端からいろんな人と話をするようになると自然と性格も明るくなってきて、クラスの中心的存在になるようになったんだ。あたしも根っこの部分ではそういう性格だったらしくて、楽しかったな」

 懐かしげに過去の記憶を話すゐる。

「でも」

 一転、声の調子を落とす。

「中学二年生の時に爆発しちゃってね。友達の一人がすごく私好みの目を持っていて、ふと気を抜いた瞬間に暴走しちゃったんだ。……今日みたいに」

 悲しげに目を伏せる。

「それまでが嘘だったかのように、みんなのあたしへの視線は変わっちゃった。当たり前だよね、こんな気持ち悪いの……」

 ぽろりと一つ、涙がこぼれた。それを境に二つ、三つと次々涙は溢れ出す。

 身体を震わせ、嗚咽交じりに気持ちを言葉にする。

「もう、嫌だよ。あたし、こんな性癖いらない。大嫌い。こんなの」

 静かに感情を爆発させ、涙をぼろぼろと落とす。

 いやだよ、いらないよ。神様へ願うように、呟いた。

 頭の中によみがえる、怖い記憶。

 蔑み。恐怖。困惑。嫌悪。負の感情に染められた、目が大好きな自分の、大嫌いな瞳たち。

 膝へ足へ床へ、流れ出す涙をぬぐうこともせず、彼女はただ怯えた。自身の性癖を見た人たちの目を。これから先の学園生活を。そして、こんな特殊な性癖を持つ自分自身を。

 嗚咽交じりに泣きじゃくる。

 ――そんな彼女のぐしゃぐしゃになった顔を、志摩はわなわなと拳を震わせて見つめていた。

「ゐる」

 静かに名前を呼ぶ。

「本当にそう思ってるのか?」

 志摩の問いかけに、ゐるは不思議そうな目を向ける。

「本当にその、目が好きっていう性癖がなかったらよかったって思ってるのか?」

 睨むような目つきで問いただす。ゐるは「あ、あたりまえじゃん! いらないよこんなの!」と再び溢れ出す涙に構わず、怒ったように言う。

 志摩は強く握りしめた拳で、力いっぱい壁を殴った。

 ゐるはビクッと身を振るわせる。数秒の沈黙ののち、志摩は怒りに満ちた表情で大声を張り上げた。

「そんな簡単にいらないなんて言うな! それが今のお前を形作ってるんだろ!? なら誇れよ! その性癖は、ゐるという魅力的な、立派な一人の人間の一部なんだよ!」

 剣幕。ゐるは思わず目を見開いて志摩を見つめるも、すぐにその目をそらす。俯き、足元に投げ出された拳を握りしめた。

「そんなの、無理だよ。あたしは志摩君みたいに強くないもん。嫌われるのは怖いし、気持ち悪いって思われるのはやっぱり嫌だよ。あのころには戻りたくない」

 両腕で足を強く抱え、ぎゅっと目を閉じた。カタカタと震える身体に俯き、再び自分の殻にこもってしまう。

 彼女の頭の中には中学のころの映像が流れているのだろう。あるいは、先のクラスメイト達の姿か。

 むき出しの感情の暴風雨の中、彼女はずっと傷ついてきたのだ。傘もなく、手を引く人もおらず、たった一人で支えもなく立ち尽くしていたのだ。そうして、いつの間にか立つこともできなくなっていた。

 分厚い雲の下、土砂降りに打たれて彼女は、項垂れているのだ。

「だったら!」

 天から射す、一筋の光。

 ゐるの、力いっぱい握りしめられた拳をそっと包み込む、志摩の掌。

「俺が支えてやるよ」

 そっとささやく優しい声音に、はっと顔を上げる。

「嫌われないようにしてやることも気持ち悪いと思われないようにしてやることもできないけど。俺は。俺だけは。絶対にお前のことを嫌ったり、気持ち悪がったりしない。中学のころとは違う」

 志摩のやわらかい、しかしはっきりとしたその声。ゐるの瞳に、再び涙が灯りはじめた。

「志摩君。本当に? 信じていーい?」

 弱弱しい、懇願するような声。志摩はそんな彼女の頭をぽんとなでると、力強くうなずいた。

「俺は、その性癖を持ったゐるが大好きなんだ」

 ゐるは花が咲いたような満面の笑顔で、志摩に抱きついた。



 それから、こっそりと隠れていた志摩信者ーズ達に冷やかされつつ、志摩たちはゆっくりと歩いて戻った。

 と、扉を開けようと手をかけたところで、詩哉の大きな、怒ったような声が扉を揺らした。

『だから、なんでわからないのさ!』

 ざわざわというざわめきを、詩哉の必死な声が叩く。

『みんなゐるちゃんのこと好きだったでしょ!? ゐるちゃんの、誰とでも分け隔てなく笑顔になれる所に魅力を感じてたんでしょ!? それが、目が好きなんていうちっちゃなところで変わっちゃうの!?』

 詩哉の、必死の説得。

 しかし彼の言葉が作る波紋はおおよそマイナスなものだった。ざわめきの中からはゐるだけでなく志摩や詩哉への嫌悪感も言葉となって漏れ出してくる。

 志摩の頭の中に、昔の記憶がフラッシュバックした。足元が揺らぐ感覚。つい先ほど笑いながら語った出来事が、のどの奥からせりあがってくる。

 目を見開いて扉を、その奥の瞳に入らない光景を見つめる。

 すると、その視界の端に、何か震えるものが映った。ゐるの身体である。

 彼女は顔を俯け、歯をかみしめ、拳をぎゅっと握りしめて耐えている。

 ドクン。心臓が一つ哭いた。それと同時に、志摩の心の中で何かが燃え出す。

 彼女の泣きそうな表情を、どうにかしたいと強く感じた。もういちどあの笑顔を見たいと、強く願った。

 右足を持ち上げ、地面に強く下ろす。

 ガッ。

 鈍い痛みとともに、揺らぐことなく自身を支える大地の存在を感じた。

 揺らぐとしたら、それは、自分の心だ。

 恐怖を押し殺し、力なくたたずむ彼女の拳へ掌を伸ばす。そしてそっと、力強く包み込んだ。

 はっと顔を上げる彼女。志摩はにやりと笑ってみせた。

「大丈夫だ。この程度のアウェーは、とっくに経験した。何年も修羅場をくぐってきた俺からすれば、こんなのは、『ぱんつはいてない』みたいなもんだ。任せておけ」

 その堂々たる物言い。ゐるは吹き出し、「なにそれ」と小さく笑った。

「さて、行くぞ。……と、その前にっと。お前らもこれつけろ」

 いそいそとポケットの中を探り、怪訝そうな目を向ける彼女の横で準備をする。信者ーズたちにも一つずつ渡し、装着するよう指示した。

 それから彼らを集めてこしょこしょと小さく作戦を伝える。

「おおっなるほどそれは格好いいね!」

「さすが志摩さん、考えることが違うぜ!」

「我も興奮してきましたぞ」

 大絶賛の三人に、話の見えてこないゐるはきょとんとした目を向ける

 四人はにやりと笑ってみせ、扉を力いっぱい開けた。

 バンッ。扉が勢い良く開く。その大きな音に反応したクラスメイトたちの視線を、ゐるの前で横一列に並んだ志摩たち四人は、堂々たる仁王立ちで一身に受けた。

 ――頭に色とりどりのパンツをかぶって。

 嫌悪を通り越した「何してんだこいつ」という呆気にとられた視線の中、志摩たちは次々に口を開いた。

「パンツマンレッド!」

「パンツマンブルー!」

「パンツマングリーン!」

「パンツマンイエロー!」

 志摩を中心に、それぞれが思い思いのポーズを決め、名乗る。

『四人合わせてパンツ戦隊・パンティレンジャー!』

 ドーン。いつの間に用意したのか、背後で色とりどりの爆発が起こる。

 唐突なヒーローショーの始まりに、クラスメイト達は一様に口をぽかんと開けたまま、黙って見つめる。

 それらを一身に浴び、志摩はにやりと口端を上げた。

「……とまぁ冗談はさておいて」

『冗談!?』

 信者ーズが一斉に驚愕の表情を向ける。

「おう、こんなのが効果あるわけないだろ。今のはただの俺の趣味だ。お前らもういいぞ」

「志摩さんヒドイっす!」

「我、ずっと憧れてたヒーローになれるということでとても嬉しかったのに……」

「そうやってあたしを捨てるのね!」

 真顔でしっしと手を振る志摩へ、リーゼントメガネイケメンが口々に文句を叫ぶ。ちなみにイケメンがおよおよと泣きまねをしだしたところで、一部の女子たちがにへらとほおを緩ませて「このカップリングは考えた事なかったわぁ……捗るぅへへ」と呟いていたが、志摩は見えなかったふりをした。

「あーわかったわかった。続きなら今度公園でガキ共相手にやってやるから、それでいいだろ」

 彼らをなだめ、志摩は改めてクラスメイト達に向き直った。

 蔑み。不快。恐怖。

 一瞬飲まれそうになり、胸を拳で叩く。よし、大丈夫だ。

 志摩は詩哉とアイコンタクトを取る。すぐさま視線をクラスメイト達に戻すと、そのすべてへ届くよう、大きく口を開いた。

「俺は、下着が大好きだ。この世のすべての下着を愛している!」

 あんぐりと口を開けて志摩を見るクラスメイト達。

「見れば興奮し、見られても興奮し、触っても興奮する!」

 意図がわからない、と怪訝そうに見つめる者、不快感をあらわにする者、いまだ呆然とする者など、反応は多種多様である。

 志摩はそんな彼らを見回して満足した風に一つうなずくと、胸を張り、より一層声を張り上げた。

「どうだ気持ち悪いだろう! これ以上ない変態だろう!」

 堂々と、誇らしげな様子の志摩。どこからも声が上がらない中、詩哉が大げさに身体をのけぞって「変態だあああああああああ!」と叫んだ。志摩はそんな彼ににやりと笑って見せ、ぽかんと呆けるゐるをビシッと指差した。

「それに対してこっちはどうだ! ゐるはただ、目が好きなだけだ。たったそれだけだ! 俺がパンツを頭にかぶったり下着姿を晒して悦んでいる間、こいつはただお前らの目を眺めているだけだ! 男がおっぱいを眺めるのとなんら変わりない! あまりにも真人間過ぎるだろう! 自他ともに認める超ド変態の俺からすれば、こんなのただの一般人だ!」

 志摩のその自信満々な言葉に、詩哉がまたも大げさに「一般人だあああああああああ!」と叫んだ。

 するとそんな彼らの様子に、ところどころから笑い声が漏れ、それを皮切りに室内に漂っていた黒いものが霧散していった。「あいつらバカだな」「バカだけど面白いわ」「たしかに四季と比べたらゐるとか全然普通だよな」と、楽しげな声が沸き起こってゆく。

 志摩はその光景に一つ息をつき、いまだにぼーっとそれを眺めているゐるの肩をたたいた。そしてわっ、と驚いて志摩を見る彼女に、濁りのない笑顔で言った。

「扇子、続き作ろうぜ。だいぶ時間ロスしちまったけど、まだなんとか間に合うだろ。それと――今何色のパンツ履いてんの?」

 志摩のその質問に、ゐるはふふっと笑って明るく答えた。

「代わりに目を観察させてくれるなら、いいよ」



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