第一話 逃げ惑う変態
第一話逃げ惑う変態
私立黒路学園の、一年三組の教室。休み時間になると、生徒たちはにわかに騒ぎ出した。数学の宿題がどうだとか昨日のテレビ番組がどうだとか、青春の一ページを刻む楽しげな声がいたるところで生まれている。それは彼――四季志摩もまた例外ではなく、小学生のころからの親友である男子生徒、ポプラ詩哉との間で会話を弾ませていた。
「そういえば志摩、また警察に捕まったんだって? 結構噂になってるけど」
志摩は、右手を後頭部に当てて苦笑しながら、まるで他人事のように軽い調子で口を開く。
「いやー、失敗失敗。つい自分の欲望に素直になりすぎた。ほら、俺正直者だからさ」
そんな彼に、詩哉は呆れたような視線を投げかけつつ、「志摩が正直者かどうかは議論が必要だけど、やるにしてもせめて人に迷惑をかけない範囲にしようよ」と諭した。
「そうだな。その通りだった。反省してる。俺が間違ってた。ところで詩哉、今日は何色のパンツ穿いてるんだ?」
「何にも反省してないよね!?」
「あとブレザーとブラジャーってなんか似てるよな」
「発想が中学生!! ていうか志摩ブレなさすぎだよ!」
淡々とボケる志摩に、激しいツッコミを入れる。
「まったく……性癖晒すのはいいけど、もう少しTPOを考えてよ」
詩哉のその言葉に志摩は、憤慨したように「いやちょっと待て」と口をはさむ。
「俺はTPOをわきまえるという点においては、世界中のだれよりも完璧だと自負しているぞ。だからこそ実際、本当は昼間に徘徊したいとこつまろを深夜で我慢しているわけで。お前にこの苦しみがわかるか?」
「うん、面倒くさいから突っ込まないよ」
詩哉はもうどうでもいいよ、とでも言わんばかりに適当な言葉で志摩の力説を流す。
「それにしても志摩、入学して一か月で露出で警察に捕まったなんて噂が広まっちゃったわけだけど、これから三年間どうするのさ」
詩哉はその言葉とともに、周囲を見回す。噂話に関してひそひそと話す者、志摩たちに対して冷たい目を向ける者など、高校デビューとしては最悪である。
はあ、と一つため息を吐く詩哉とは対照的に、志摩は不機嫌そうに彼らへ睨みを利かせつつ口を開いた。
「どうするも何も、このままいくに決まってんだろ? そもそも、自分の性癖を隠すっていう選択肢が意味わかんねーよ。なんも悪いことじゃねぇんだから、堂々としてりゃいいだろ?」
「下着好きが悪いことかどうかはともかく、補導されるのは悪いことだと思うよ」
「ぐっ。痛いところを。まぁそこはあれだ。反省してるし。実際説教だけで帰してもらえたし。まだイエローカードだ。ギリセーフ。」
「中学時代から通算で何枚積み上げたと思ってるのイエローカード。とっくに退場だよ」
「社会から退場っつったら刑務所か」
「人生から退場っていうと死だね」
「転生してお前のパンツになってやるよ」
「さすがに気持ち悪いからやめて」
きーんこーんかーんこーん。休み時間終了、と同時に授業開始でもある合図。その音を耳にしてようやく我に返った二人は、周囲ががらんと静かであることに気付いた。
志摩が心底悔しげに叫ぶ。
「あー!! しまったせっかく体育の前の時間だからってずっとパンツ一丁でいたのに、詩哉と話してたせいでみんなの視線を全く感じることができなかったじゃねえか!! 詩哉、この落とし前どうつけてくれんだよ!!」
「ってそんなこと言ってる場合じゃないでしょ! もう授業始まっちゃったじゃん早く行かないと! あーもう僕まだ全く着替えてないよー!」
ずっとパンツ一丁とブレザー姿で雑談に興じていた二人は、それから誰もいない教室で慌てて着替え、運動場へ走るのだった。
昼休み。体育を終え、ブレザーを崩して着用する志摩は、詩哉と一緒に学食へ来ていた。
この学校の制服は、暗い青色をしたブレザーである。あまり規則に厳しくないため着崩す生徒も多いのだが、志摩はその中でも上位層に入る着崩しかたをしていると言えよう。
具体的には、上着の前ボタンはあけっぴろげで、下に着用しているシャツが見える状態である。また極端な腰パンをしているため、彼の履くトランクスパンツ(ミッキーが描かれている)が誰の目にも見受けられる。
一見すると、彼の生まれつきの鋭い目つきと相まっていわゆるヤンキーであるようにしか見えない。その中身は極度の下着好きという、ある意味ヤンキーより恐ろしい存在ではあるが。
彼は今現在たまたまこの不良のような恰好をしているのではない。中学時代からずっとこの格好を貫き通しており、そのため中学時代はよく生徒指導の教師とバトルを繰り広げていた。
察しはついているだろうが、彼のこの格好はオシャレとしてなされているものでは決してない。
とにかく自分の下着をみんなに見てもらいたい。その一心で、非常に歩きづらい腰パンも我慢し、生徒指導の教師の小言にも耐え、近所のBBA共の冷たい目に快感を覚えてきたのである。彼に言わせてみれば、『おしゃれは我慢』もとい『変態は我慢』なのだ。
バリバリ不良の見た目の志摩と、きちんと正しく制服を着こなす詩哉。そんなミスマッチな二人が、現在順番待ちの列に並びながら駄弁っているのだ。
「んー今日何食おう」
「僕はカツ丼にしようかな。今日はなんとなくそんな気分」
「お前はいいよな、何を決めるにしても何も考えない単細胞野郎で」
「え、昼ごはんを気分で決めただけでそこまで言う?」
列に並んでいる間、ふたりでいつもと同じようにくだらないやり取りをして時間をつぶす。
すぐに順番が回ってきた。詩哉はカツ丼を、志摩はシキシマの粒あんパンを頼む。
会計を済ませて空いている席に着く。と、その瞬間、志摩は言いようのない悪寒に身を震わせた。
それとほぼ同時。志摩の肩を一つの手が優しく叩く。
反射的に後ろを振り向くと、志摩の顔から五センチの位置に満面の笑みがあった。
思わず後ずさり。しかし志摩の身体は、すぐにテーブルにぶつかる。
突然の出来事に混乱した頭を整理するべく、その満面の笑みを観察してみた。
視野を広くして見るとそれは、当然のことながら霊の類ではなく人の姿をしている。しかし艶のある長い黒髪やきめの細かい白い肌、目鼻立ちの整った美しい顔は彼女からリアリティを奪い去っており、一瞬この世に存在しているものではないのではないかと錯覚を受けるほどであった。
なにか空恐ろしいものを感じさせる彼女であるが、志摩にもっとも恐怖を与えたのは、彼女のその笑顔である。
満面の笑みであり、誰が見ても鏡のように笑顔になってしまいそうな、彼女自身の持つ大人びた雰囲気とは正反対の無邪気な表情。であるはずなのだが、志摩の目には彼女が全く笑っていないように映った。
「四季志摩君だね?」
自分の名を呼んだ。なぜ知っている。この人は一体何者なのだ。昔の知り合いか。しかしこれほどまで特徴的な人物であれば、記憶していないはずがない。
彼女の言葉に、驚き、恐怖、その他もろもろの感情が怒涛の勢いで脳みそを掻き回す。
いや落ち着け視野を広くして観察するのだ。彼女はセーラー服を着用している。つまりこの学園の生徒であると言える。胸のリボンの色から察するに、二年生であろう。食堂内のほかの生徒たちはほとんど彼女を意識していないが、一部ガラの悪そうな生徒たちがチラチラとこちらをうかがっている。となると、彼女は不良とつながりのある人物である可能性がある。しかしそうであるならば、何故自分に声をかけてきたのか。
そうして志摩が観察と思考の海に浸かっていると、その間に女子生徒が口を開いた。
「君、野外で露出をして警察に捕まったと聞いたけれど、本当かい?」
まるで生まれつきそうであったかのように笑顔を全く崩さずに質問を続ける。
「私、風紀警察長官の藤空亜っていうんだけど、ちょっと詳しい話を聞かせてもらっていいかな」
女子生徒が自身の立場を名乗った瞬間、志摩は椅子を蹴って横に跳び退った。
ひとまず距離を取ると、こめかみに冷や汗を一筋流し、警戒心をむき出しに睨み付ける。
「あなたがあの有名な風紀警察の長官ですか」
「私の事を知っているのかい? それは光栄だね」
女子生徒――空亜は満面の笑みをしまうと、艶やかな髪を一梳き。涼しげな顔で見下した。
その余裕たっぷりな声音に、志摩の背中を嫌な汗がにじむ。
「そりゃあもう、入学して数日で耳に入るほど有名ですから。痛い目見たくなければ風紀警察にだけは逆らうな。特に長官は群を抜いて危険だって」
鋭い視線を外さずに言う。対する空亜は心外だね、と少しだけ不満そうに漏らした。
「別に風紀を乱すことさえしなければ私だって何もしないさ。私は私の正義にのっとって行動している」
じりじりと立ち位置を変化させつつ言い合いを続ける二人。
「風紀を乱したものは全裸にひん剥いて写真を撮って脅しをかけるって聞きましたけど。あなたの正義は少々過激なんじゃないですか?」
「もちろん相手はキチンと選んでいるよ。口で注意してそれ以降風紀を乱さないようになる人であればそのような措置は取らないさ。ただ口で言っても反省しない人が多いからね」
空亜はやれやれ、という風に首をふって応える。
「口で言っても聞かないから実力行使とは、少々大人気ないように思えますね。無理やり押さえつけたところで根本的解決にはならないでしょう。あなたは彼らが社会に出てからどうやって社会の風紀を守るつもりなんですか?」
「君はそれを、本物の警察の前で言えるかい? 国の秩序を守る彼らは、法律という実力で犯罪者たちを無理やり押さえつけているんだよ」
「しかしあなたは、収容所を持っていない」
志摩は口先だけで空亜との議論をして時間稼ぎをしている間、脳をフル稼働させて必死に現状を打破する手段――空亜から逃げる方法を考えていた。
噂によると彼女は身体能力が相当に高いらしく、逃走を試みたところですぐに追いつかれ連行されるようである。かといって暴力に訴えても、喧嘩慣れしているヤンキーや熟練の武道家ですら彼女に勝てる者はほとんどいないらしい。また彼女は頭も非常によく、様々な屁理屈をこねてもそれ以上の屁理屈で返されて結局は実力行使されるという話である。
まさに、完璧超人で弱点のない最強の人物といえよう。
絶体絶命。意識して目をそらしていたその四文字に、一瞬身を震わす。
と、そこで、彼女には一点だけ、弱点とも言えないような特徴があったことを思い出した。
数日前、風のうわさで聞いた話。確証はないが、勝負するならここしかない。
「詩哉……ちょっといいか」
志摩は目線を空亜から外さずに、おろおろとする詩哉に小さく話しかけた。
「ど、どうしたの志摩。大丈夫?」
「それがあんまり大丈夫じゃない。だからお前の力を貸してくれ。たのむ。お前にしかできないことなんだ」
空亜の方を向いたまま真剣な声音で頼む。詩哉は彼のその雰囲気から緊急性を感じとり、また自分にしかできないという言葉に顔をにやけさせて「ふ、仕方ないな。僕が助けてやるよ」と硬派を気取って言った。
「さんきゅ。後でコーラおごってやるよ」「ペプシね」「了解。それじゃこれから俺が言った通りに行動してくれ。多少はアドリブで頼む」「分かった」
小さな声で話し合いをすませ、二人は早速行動を開始した。
志摩は詩哉の腕をつかむと強引に立たせ、後ろから羽交い絞めにした。そして大声で空亜に向けて言う。
「動くな! 動いたらこいつをぼこぼこにするぞ!(情けなさそうに「助けてください」って言え)」
脅し文句とともに、志摩は小さな声で詩哉に耳打ちする。
「助けてくださ~い」
素直に従う詩哉。
「む、人質を取るとは卑怯な。というか彼は君の友達じゃないのかい? 一緒の席で食事をしていたじゃないか」
空亜のきょとんとした声。志摩の頬が少しだけ頬が緩んだ。どうやら彼女は、自分が詩哉と仲良く会話していたところを見ていないらしい。
「いや、全然全く。こんな気持ち悪い男と友達だなんて心外です」
「なんだと志むぐぅ」
あわてて詩哉の口をふさぐ。ここで自分の名前を出されたら、二人が友達であることがばれてしまう。
「(詩哉、俺とお前は赤の他人っていう設定なんだから俺の名前出すなって!)」
小さな声で怒る志摩に、詩哉は不満げな瞳を向けて何か言いたげにもごもごと口を動かす。
「(ああもうわかった。アイスも一緒におごってやるから静かにしろ)」
「(じゃあピノね)」
「(ピノとかにわかかよ。アイスといったら、九州限定で売られているブラックモンブラン一択だろ)」
ここで百円程度のアイスを出すあたりが二人とも庶民である。
「なんだかやけにもめているようだが、本当に君たちは知り合いじゃないのかい?」
不審げな目を向ける空亜に、志摩は内心焦りつつも冷静を装う。
「いや、気持ち悪い男と言ったのが癇に障ったらしくて。まったく、事実を言っただけなのに失礼な話ですよ」
詩哉の口をふさいだまま好き放題言う。一方の詩哉は相変わらず不満げにもごもごと口を動かすも、言葉にならないため何を言っているのかは誰にもわからなかった。
「ふぅむ、そうか。彼は友達でも知り合いでもないと」
納得したように呟く。そんな彼女の姿に、詩哉はほっと息を吐いた。いまいち何が起こっているのか把握できていないが、とりあえず切り抜けられたようである。
しかし――
「まぁそんなことは些細な問題だね。彼を傷つけずに四季志摩君のみを拘束すればよいのだから」
彼女にとって、人質がいるかいないかなど些細な問題であるらしい。
そう告げると同時、空亜は地面を蹴って一瞬で加速。正面から胸倉を掴みにかかった。
急に動き出した彼女に、周囲で見守っていた生徒たちの間から悲鳴にも似た驚きの声が上がる。
だが、志摩はその展開も頭の中でシミュレーションしていた。彼女の言葉と同時に動く。
「詩哉、行け!」
大声で叫ぶと詩哉を突き飛ばし、空亜と正面衝突させにいった。
いくら身体能力が高くとも、アクセルを踏みきった状態で正面から向かってくる障害物をよけるのは不可能に近い。
「ふっ、甘いね」
ところが空亜は、その程度の行動は予測済みだ、とでも言わんばかりに余裕の笑みを浮かべた。そしてその言葉通り、彼女はまるで瞬間移動かのような華麗なステップで詩哉をよける。
しかし、志摩はこの展開もすでにシミュレート済みである。
ずべしゃあ! と床にヘッドスライディングした詩哉を指さして、空亜に向けて大声で言った。
「こいつ、この間三塚先生にラブレター書いて渡してました!」
三塚先生とは校内でも有名な美人先生である。この学校に英語教師として就任したのが昨年で、今年が二年目。その若さと美貌、そして明るく優しい性格により多くの生徒から好かれている。昨年結婚をして人妻となったわけだが、いまだに彼女に憧れとも恋心ともつかない思いを抱いている男子生徒は多い。
とはいえ生徒と先生という関係上色恋沙汰は立派な風紀を乱す原因となり得るし、何より先にも書いた通り彼女は人妻である。そんな立場の人間に愛の告白をすることを風紀警察長官が許すだろうか。否許すはずがない。
「……ほう、なるほどそうか。真偽のほどはわからないが、実際去年から何件かこういった事案は発生している。これは確かめてみる必要がありそうだな」
顎に手をやり考えるそぶりをしたかと思うとくるっと身を反転し、床の上で痛みに悶絶している詩哉のもとへつかつかと歩み寄り、「君、ちょっと一緒に来てもらえるかな?」と声をかけた。
「へ? なんですか?」
話を全く聞いていなかった詩哉は何がどうなっているのか理解しておらず、ただただ空亜の空恐ろしい雰囲気に圧倒される。
「え、ちょっと、待って! なにこれどういうこと!? たーすーけーてー!!」
詩哉は空亜に無理やり立たされると、俵を担ぐ要領で肩に乗せられた。
周囲の学生たちは、空亜に恐れおののいたり先の話にドン引きしたりで、誰一人として彼を助けようとはしない。
「ちょ、志摩これどうなってるの!? 助けてよ!」
肩に担がれた状態のまま詩哉は志摩に助けを求めた。
しかし志摩は彼に爽やかな笑顔を向けると親指を立てる。「GOOD LUCK!!」とさながらネイティブのような発音で言うと、そのまま反転。ダッシュで空亜から逃げ出した。
「あ、ちょ待てって志摩! しーまー!!」
後ろから詩哉の声が盛んに聞こえたが、彼はふりむことなく一目散に逃げた。
五限の授業が終わった後。
「志摩、なんで僕が三塚先生に告白したことになってるのさ!」
志摩が机の中に教科書をしまっていると、いつの間にか彼の傍に来ていた詩哉が怒った様子で志摩の机をたたいた。
おそらく空亜にこってりしぼられたのだろう。事実無根の容疑であったため昼休みが終わるころには解放されたが、昼食を摂り損ねたことと空亜の威圧感によるプレッシャーのため、彼の姿は数時間前と比べると若干やつれた風に見えた。
「まったく、本当に怖かったんだからね。あやうく素っ裸にされて写真を撮られて脅されるところだったよ!」
「そうか、それはそれは大変だったな。下着姿でとどめてくれるなら興奮できただろうに、全裸はさすがに厳しいものがあるよな」
「僕を志摩と一緒にしないでくれる!? 下着も十分嫌だから!」
申し訳なさそうに言う志摩に、詩哉は全力でツッコむ。
「んだよせっかく申し訳なく思ってやったのに。なんなんだよその態度は」
「なんで逆ギレしてるの!? この場合キレるのは僕の役目だよね!?」
ふてくされてつまらなそうな視線を向ける志摩。詩哉は思わず発狂しそうになるところをぐっと我慢した。
「これは大問題だよ! 校内の人たちの僕を見る目が冷たくなったこととか昼休みに風紀警察の人から受けた精神的ダメージの損害賠償が必要だよ! 慰謝料!」
昨晩行列のできる法律相談所でも観たのだろうか。彼の知識には到底なさそうな単語が飛び出してきた。
志摩は面倒くさいなぁとは思いつつも、実際自分が悪いことは自覚しているため、もともと予定していたコーラとスーパーカップに加えてきのこの山もおごるから許してくれと誠意をこめて提案した。
「よし許す」たった150円程度の損害賠償で和解が成立した。
「しかしたけのこじゃなくてきのこを選ぶあたり志摩もよくわかってるね」
「(俺はたけのこ派だけどな)」
ぼそっとつぶやく志摩。詩哉は頭だけでなく耳や目や顔も悪いため、志摩の呟きは耳に入らない。
「ん? なんか今すごく失礼なことを言われたような気が」
「なに言ってんだよ。イケメン(笑)で秀才(笑笑)で欠点がない(爆笑)詩哉に失礼なことを言うやつがこの世にいると思うか?」
志摩が心の中で嘲笑しつつほめたたえると、詩哉は「いやいやーそんなことないって。そんなに褒められるとなんかむずがゆいなー」と照れ臭そうに笑った。
放課後。
「……僕は隠れる必要ないんだけどなぁ」
詩哉は志摩と一緒に男子トイレの個室の中にいた。
「バッカお前、親友である俺のピンチに付き合う気ないのかよ。ここで下手こくと風紀警察に連れて行かれてしょっぴかれるんだぞ」
HRが終わり帰るかと志摩と詩哉が教室を出ると、ちょうど空亜が彼らの正面にいた。昼休みの時に志摩を捕まえ損ねた空亜はここぞとばかりに捕まえにきた。
志摩は当然捕まりたくないためすぐさま走って逃げ、彼女の入れない空間――男子トイレに逃げ込んだ。
現在はトイレの入り口のあたりで空亜が電話をかけている。おそらく風紀警察の仲間に連絡しているのだろう。
「だから付き合ってあげてるじゃん。ていうか志摩、数時間前僕を冤罪で風紀警察にしょっ引かせようとしてたよね」
「あれは正直スマンかった」
素直に謝る。
「だが、俺が助かるためにはああするしかなかったんだ」
「僕が犠牲になるのが構わないほど自分が可愛いですか!?」
「まぁ、あれだ。詩哉だし」
「僕泣きそう」
「紙ならたくさんあるから安心だな」
いつも通りのくだらないやり取りをしつつ、志摩は作戦を考える。
先日偶然耳に入った、空亜の噂。
『風紀警察長官は何か風紀を乱すものを見つけると、その時に何をしていてもその風紀を乱す主を捕まえに行く』
半信半疑であったこれの確証が、昼休みに取れた。
「……よし、詩哉、パンツ一丁になって空亜さんの前に行け」
「断る」
「や、ほらお前の肉体美を見せてやれって。お前の筋肉に空亜先輩もメロメロだぞ」
「いやだ」
「……まぁ冗談だけどよ」
小さく舌打ちして残念そうに言う。思いっきり本気の目をしていた。
「しっかし、あんまり時間がなさそうだなこれ」
トイレの外から聞こえていた空亜の話声がなくなった。電話が終わったのだろう。これはつまり、風紀警察の警察官が来るまでそう時間がないということを表す。
「窓から逃げようにもここ三階なんだよな。さすがに俺も死と隣り合わせの暴挙に出たくはないわけで。あー、詰んだかも」
平然と言う志摩に、むしろ詩哉の方がおろおろとする。
「ど、どうするのさこの状況で」
「時間があればメールなりなんなり使って空亜先輩を動かすこともできそうなんだが、今回はこの長くても数分の間で決着をつけないといけないからな。ガチで大便という口実で個室にこもればできないこともないんだけど、最低でも一時間くらいはここにこもってないといけないからさすがにしんどいだろ」
「それはたしかに。ていうかその場合僕関係ないから帰るよ」
「お前親友を置いて先に帰るのかよ。信じられねぇ奴だな」
「志摩にだけは言われたくないけどね」
お互いに憎まれ口を叩きあう。
「はー、仕方ねぇ」
志摩はガシガシと頭を掻き、舌打ちを一つ。うしっと一つ気合を入れ、扉を開けた。
「志摩、何か策があるの?」
個室を出る彼に、詩哉が不安げな顔を向ける。
「ま、なんとかしてみるさ」
振り返ることなく言い残し、歩き出した。
詩哉の視線を背後に、志摩は男子トイレの入り口付近に立つ。
彼のその落ち着いた様子から、空亜は無理に拘束する必要なしと感じ取った。
仁王立ちのまま腕を組み、楽しげに口を開く。
「本当ならば今すぐぺきょっと潰すところなのだが、言い訳をさせてあげよう。私は寛大だからね」
志摩は彼女のどこまでも深い瞳を見つめ返したまま、最高速度で思考を巡らす。
現在把握している情報を頼りに、将棋のように一手一手広がりを検証し、最善手を探った。
数秒の沈黙。
やがて、口先から言葉が漏れる。
「いや、先輩、勘違いしています。話が長くなるので昼休みの時点ではごまかしましたが、この件は先輩の思いこんでいるようなものでは決してないのです。いえ、俺はたしかに下着姿で深夜徘徊をしていたということで捕まりましたが、それは決して露出狂であるとか、そういった類の理由ではないのです。むしろ故意ですらなく、あれはただの過失なのです。一体どういうことなのだと思われるでしょうから具体的に述べますと、俺は普段、家では下着姿で過ごしているんですね。暑いのが苦手なもので、まだ春先のこの時期でも風呂上りは基本的に下着姿でいるのです。先日もまさにそういう状況でして、風呂上りあちーって言いながらいつも通り冷蔵庫を開けました。風呂の中でたくさん汗をかき、同時に体温も上昇させるわけですから、冷たい飲み物が欲しくなるのは当然ですよね。俺は風呂上りは炭酸ジュース、特にコーラが一番合うと考えているのですが、空亜先輩はどうでしょう。……まあ、それはともかく、普段通り冷蔵庫を開けたんですよ。と、しかし、風呂に入る前に確認していたはずのコーラがない。当然、愕然としますよね。何故だ。いったい何が起こっているのだ。俺は信じてもいない神を恨みましたし、感じたこともない運命ってやつをぶん殴ってやりたくなりました。風呂上りのコーラを何年も続けてきた俺にとって、それは太陽にとっての月のような、空にとっての海のような存在だったんですね。『アース&スカイ。俺&風呂上りコーラ』みたいな。当然、発狂しますよ。いきなり海がなくなっていたら、空だって発狂するでしょう。天変地異です。俺の心はもはや台風一家です。祖父台風祖母台風親父台風お袋台風長男台風次男台風長女台風次女台風愛人台風×三と、少子化社会かつ核家族社会の現代において珍しい大家族ですよ。日本沈没しそうな勢いですね。そういうあれで、慌ててその原因を究明するのですが、ま、ありがちな結果でして。長女台風が勝手に飲んでいたんですね。無駄にでかいおっぱいをさらけ出したまま『わりぃわりぃ』ってカロリーメイトを差し出すものですから、のどの渇きは限界を迎えるわけですよ。ちなみにチーズ味でした。俺チョコの方が好きなんですけどね。ついでに言うとカロリーメイトよりソイジョイの方が好みです。それで、ちょうどコーラの在庫も切らしていたものですから、錯乱し、正しい判断もできなくなります。百円玉を手に外の自動販売機にまで走って行ってしまったのです。自分が今下着姿であることなど、脳内を占めるコーラへの欲求が忘却の彼方へ追いやってしまっていたのですね。それで、コーラを購入し摂取、我に返ったところで警察の方のご厄介となってしまったのです。いやはや反省するべきところではありますが、いかんせん右も左もわからなくなるほど事態が差し迫っていたものでして。過失というべきか不運と言うべきか。強いて非を上げるとするならば在庫を切らせていたことか、あるいは俺の姉の行いが原因であったと言えるでしょう。いやはや申し訳ない。この度の件につきましては学ぶ点が様々ありましたので、俺もこれから二度と同じことがないよう善処する所存であります。そういうわけで、今の俺の話から分かって頂けたと思いますが、風紀警察の長官様のお手を煩わせるような話では決して全くないのです」
志摩は大げさな身振り手振りを交えつつ、その時如何にせっぱつまっていて、仕方のない行動であったかということを説明する。
彼のその言葉一つ一つにうんうんとうなずいていた空亜は、右拳を口元へやり、じっと考え込むように志摩を見詰めた。
「なるほど、それは大変だったようだね」
「いやあ、本当に辛かったです」
しみじみと言う。
「それで、本音は?」
「もちろん下着姿を見てもらいたかっただけに決まって――」
満面の、子供のように無邪気な笑み。
「粛清っ☆」
ぺきょっ。
アーッ。
「はー、散々な一日だった」
帰宅路をとぼとぼと歩く志摩の、苦々しげな呟き。隣の詩哉は苦笑いを浮かべながら、疲労感たっぷりの声を返した。
「全体的に散々具合で言えば僕は上位互換だと思うよ。ていうか志摩が大変だったのは最後だけでしょ。しかもあれだって自業自得なわけで。なんであそこで本音を言っちゃうんだよ」
基本的に志摩の面倒事に巻き込まれてきた詩哉としてはもうお腹いっぱいだった。
「ほら、俺正直者だから」
「……………………っは~~~~~~~~~~~~~」
長く、深いため息。
「もうやだ。疲れた。僕これ以上動きたくない。ふんだ。志摩もこれ以上変なことしないでね。僕の人生はこれ以降、何も起きないって決めたもん」
つーんとそっぽを向いて、拗ねた風に言う詩哉。
と、それを受けて志摩は、驚いた風に目を丸くした。
「お、詩哉、わざわざ自分からフラグを立てに行くとはさすがだな」
「へ?」
志摩の言葉を受けて、口をぽかんと開ける。
「チキチキチー。第一回『ノーマル』作戦会議を始めるぞー」
「は? のーまる?」
怪訝そうにオウム返しをする。
「~変態が一般人になるために必要なこと~」
「なんかサブタイトルついたけど、僕が知りたいのそこじゃないからね」
冷たい目でツッコむ。
「詩哉、変態が一般人になるためにはどうしたらよいと思う?」
「え、なに急に。うーん、そりゃあ、頑張って変態な部分をなくして、一般人の感覚を身につけて行くしかないんじゃない? どうしても変態が消えないんだったら、ひた隠しにして生きれば、一応一般人には見えるよね」
「ああ、それも一つの正解だ」
腕を組んで、うなずく志摩。
「だが、それは俺にとって正解じゃねえ。なぜなら、わざわざ変態が頑張って変わってやる義理なんてねえからだ。――変態が一般人になるためには、一般人を変えてやればいいんだよ」
そんな彼の答えに、詩哉は怪訝そうな目で解説を催促した。
「ほら、さっき空亜先輩に粛清されただろ? たしかにパンツ一丁で深夜徘徊して補導されたのは問題だったけどよ、しかし変態であること自体を否定されるいわれはねぇ」
志摩の言わんとすることがわからず、首をかしげる。
「そこで、『ノーマル』だ。俺のような変態が偏見、差別にさらされない、ノーマルな人として扱われる社会を作る集団。今日から発足。リーダーは俺、副リーダーはお前だ」
「……いやいや、いきなりすぎるでしょそれは。あと僕は志摩みたいな変な性癖持ってないんだから、副リーダーどころかメンバーであることがおかしいでしょ」
詩哉のもっともな反論。しかし志摩は「フッ、これだから素人は」と上から目線全開で対応する。
「いいか詩哉。俺は明日から学校中の変態を仲間にしていく。で、そいつらとともにこの学校を変える。そしてそれから社会を変えていく。ゆくゆくは世界を変えてみせる」
志摩は西日を背に、仁王立ちして語りだす。
「だが、もしも俺たち変態が暴走してわけのわからない方向へ迷走したらどうだ。途端にただの危険な集団に成り下がるだろう」
まるで太陽を従えているかのように、堂々と胸を張り、言葉を続ける。
「なまじおかしな性癖を持った奴らばかり集めるから余計に性質が悪い。――そもそも俺のような奴には一般人の感覚がわからないから、そういった点でもお前にサポートを頼みたいんだ」
詩哉の瞳を真正面から捕える彼のまなざしは、まさに真剣そのもの。その目の奥にたたえた光はまるで未来の彼の姿を映しているようだった。
数秒間の逡巡。詩哉は一つため息をついて口を開いた。
「あーもう、いいよ。どうせ嫌って言っても無理やり振り回されるんだろうしね。付き合うよ」
その言葉が発せられた瞬間、志摩は満面の笑みを見せた。
「おお、心の友よー」
「やっぱり断る」
「ジョークだって」
照れ隠しのジョークでいつもの調子を取り戻すと、「おーし、それじゃ早速作戦会議をするためにマック行くぞー」と腕を振り上げて言った。
「あ、じゃあペプシもスーパーカップもきのこもいいからこっちおごってよ」
「えー、セット頼むとこっちの方が高いんだが。……まぁいいか。なんでも食え」
「えー、じゃあビッグマックとー、メガマックとー、クウォーターパウンダーとー、ダブチとー、フィレオフィッシュとー、……」
「ちょっと待て今月俺に昼飯を食わせない気か」
指折り数える詩哉に、志摩は慌ててツッコミを入れた。
「冗談だよ。僕、ビッグマックセットね」
楽しそうに言う詩哉にほっと胸をなでおろすと、志摩はにやりと笑って見せ、「それじゃあ行くか」と腕を突き上げた。
「おー」
詩哉も腕を突き上げ、走り出した。




