幕間1 おーぷにんぐ
おーぷにんぐ
下着と水着の違いについて
四季志摩
昨今、しばしば下着と水着の違いについて論じられるようになった。特に女性ものについて、日夜老若男女が議論を交わしている。
一般に、下着と水着の違いを議論する際、『水着姿は恥ずかしくないが、下着姿は恥ずかしい。これはなぜか』という議題で話を進められる。
しばしば言われるのが、『水着は本来見せるものであり、下着は本来隠すもの』だという理論である。ここに、水着を着るときは大抵周囲も水着姿であるがみんな下着姿であるということは少ない、という主張が加わることも多い。これはたしかに一理ある。水着を着るときは見られるものだという心構えがあるし、集団心理で恥辱感が薄まるのもよくわかる。しかしプールであろうと海であろうと、水着姿を晒すことを恥ずかしがる人は一定数いる。見られることを前提にしている格好を見られて恥ずかしいというのは、いささか理にかなっていないのではないか。
ここで一つ、別の角度からこの『水着は見せるもの、下着は隠すもの』という説を補完することができる。それは、デザイン性の問題である。水着は不特定多数の一般人に見られることを前提としている。字面だけ見れば上着との差異はなく、それ故にデザイン性に凝ったものが多い。一方、下着は自己満足のためか、あるいはごく少数の近しい人にのみ見られることを前提としており、デザイン性に乏しいものも多い。つまり、下着姿でいるということは、ダサい服装でいることと同じ状態であると言えるのだ。
しかし、私はこの点についてデザイン性とは別の視点を支持する。それは、水着が下着を必要としない、いわば『上着』であるという点である。下着は、それ単体で公の場に出ることを、社会的にも心理的にも認められておらず、常に上着とともにつける一部としての役割をはたしているのだ。つまり、水着は上着であるから恥ずかしくないのだ。




