第三話 救う変態 その6
『お前の妹の藤通はあずかった。この街で一番大きな廃ビルにいる。手ぶらで来い』
犯人の言葉である。
空亜の一瞬の放心の間にそれを訊き出した志摩は、今彼女の後ろを追いかけている。
「って足はえーよ!」
心の底からのツッコミ。同じ場所から同時にスタートしたはずなのに、既に彼女の姿を見失いそうなのだ。彼女の立てる砂埃で視界が利かないというのも理由の一つではあるが。
ゐると詩哉も息を荒げつつ、歯を食いしばって並走する。
やがて、砂埃がやんだ。彼女が到着したのだろう。志摩たちも間もなく到着し、彼女の横に立って廃ビルを見上げた。
「あー、くっそ。高いな」
太陽を背に高々とそびえる廃ビル。ざっと数えてみたところ、十階まであった。一般的には決して高い部類ではないが、田んぼと住宅街とジャスコ程度しかない田舎にとって、十階というのは想像を絶する高さなのだ。そして何より、高所恐怖症の志摩にとって、十階という高さは言葉の響きだけで足に力が入らなくなる程度には恐怖の対象となる。
「まあ、空亜先輩がいるから大丈夫か」
本当は自分で助けたかったのだが、そもそも、志摩を五段階くらいパワーアップしたのが空亜なのだ。どんな条件下であっても、自分が助ける前に空亜が助けてしまうことは明白だった。
つまらない結末だったな。心の中でつぶやき、ため息をついた。と、そこで志摩は目の端に映るそれに気づいた。
空亜の身体が、震えているのだ。
「武者震いか?」
あるいは怒りに震えているのか誘拐犯共を殺す妄想に耽溺しているのか。
そんな風に思考に浸かっていると、廃ビルから大きな男の声が届いた。
「藤空亜!!!!」
どこからだ。首をめぐらせていると、隣から「あ、あそこだよ!」というゐるの声が響いた。
彼女の指差す方を向くと、それは十階の窓際から見える人影だった。
「あいつあんなに身を乗り出して、ちょっと後ろから押されたら死ぬぞ。どういう神経してんだ?」
十階から落ちる姿を想像してぶるっと身震いする。尻の穴がきゅっと締まった。
と、志摩が恐怖の映像を頭から必死に振り払っていると、再び男の大きな声が届いた。
「率直に言おう! 俺は! 通ちゃんが好きだ!!! 結婚させてくれ!!!」
「……………………………は?」
そのあまりに想定外な言葉に、一同の思考が停止する。
何を言っているんだこいつは。そんな思いを視線にこめて見上げると、男は情熱的に手を振り乱して言葉を続けた。
「あの日! 遊園地で見た通ちゃんの姿!! 実に愛らしかった。細い四肢をなまめかしく露出させながら元気にはしゃぐ姿も、涙目で見上げる表情も、ジェットコースターで上げる歓声も、クレープをたくさん頬張る幸せそうな様子も、クリームをつけたほっぺも、帰りの電車で寄りかかってすやすやと眠りこける寝顔も寝息も、ばんじゃーいも! そのすべてが俺の心をつかんで離さない!!」
両手を広げ、それを胸元で抱きしめる。そんな大仰なそぶりとともに語る彼の声と表情は、実に真剣だった。あとうっとりとしていた。
そして志摩は、彼の言葉を聞いてようやく気付いた。
遠くてはっきりとは見えないが、あの男は遊園地で空亜をナンパしていた男たちの片割れ――通を連れ出していた男だ。
「そういうわけで、お義母さん! 娘さんを僕にください!!!!」
最後の方は声がこもって、よく聞こえなかった。おそらく土下座しているのだろう。相手よりはるか高みに頭のある土下座にいかほどの意味があるのかは知らないが。
と、あまりに想像を超えた出来事に呆然と見上げ続けるだけの彼らの視線の向こうから、複数の男たちの怒った声が届いた。予定と違うだのお前ばっかりずるいだのと、とぎれとぎれに聞こえてくる。
やがて男たちがわらわらと窓際から身を乗り出してきた。
「お義母さん! 今のは俺も同じです!! むしろ俺の方がこいつよりよっぽど通ちゃんを好きです!!」
「バカヤロウ俺の方が愛してる! 結婚はまだ早いと思われるかもしれないので、交際から許してください!! 絶対に幸せにしてみせます!」
「お義父さんもいらっしゃるじゃないですか! どうか僕に娘さんをください!!」
「俺は通ちゃんが大好きだああああああ!!」
志摩たちに構うことなく、次々に愛を叫ぶ。
遊園地で空亜をナンパしていた男たちが、今は通との結婚を乞うている。とっくに止まっていた思考回路が、細切れにされてゆくのを志摩は感じた。
「ああ、つまり、あいつらはみんなロリコンだったってことか」
みじん切りにされた思考回路をくっつけつつ、頭の中で理論が繋がるのを感じた。
彼らは遊園地で、通を空亜から引き離したのではない。空亜を通から引き離したのだ。おそらく空亜と適当に遊んだら、はぐれたふりをして通を連れた男と合流する算段だったのだろう。また、彼ら全員をロリコンだとすると、男四人組だったことにも納得がいく。休日の遊園地など、幼女を見ない方が難しいくらいだ。
「お義父さん、お義母さん、通ちゃんをください! 多夫一妻で構いません! 元気な女の子を産んでみせます!」
どうやら志摩と空亜の夫婦設定を頭から信じているらしい。今二人とも制服なのに。
と、そんな彼らのバカさ加減に逆に感心してしまいそうになったところで、志摩はふと気づいた。
一見バカなことを真剣にやる『良いバカ』に見える彼らだが、そもそもやっていることは誘拐という、重度の犯罪である。
そしてなにより、目を凝らしてみると、彼らのほとんどは上半身裸のようであった。下がどうなのかまでは見えないが。なぜそのような姿であるのか。最悪の事態を想像し、志摩は胃から昼食が逆流してくるのを感じた。
呆然と見上げ続ける彼らの横で、空亜がついに怒鳴った。
「誰がお義母さんか! そんなことより通はどうした!! そこにいるのか!? 今すぐ返せ!」
怒り心頭。地域一帯に響き渡るようなドスの利いた声に、男たちだけでなく志摩たちも思わず頭を抱えた。
しかし、男たちはビクビクしながらも、屈しない。
「こちらで手厚くもてなしています! しかしまだお返しすることはできません! 先に、お返事をください!」
「返事ならノーだ! ほら早く連れてこい!」
「それではだめです! 許してくれるまで返しません!」
頑として首を縦に振らない両者。誰の目にも明らかに空亜が正しいのだが、感情で動く人間ほど説得し辛いものはない。
「空亜先輩、話し合いじゃあ埒があきません。入って来るなとは言われてないですし、実力行使したほうが早いでしょう」
「あ、ああ。しかし、通は実質人質のようなものだ。下手に力をかけるのは危険だ」
「それなら、脅しに使いましょう。いつでも奴らの息の根を止められるんだぞとみせしめてやれば、諦めるかもしれません」
「なるほど。それでは君の頭を粉々に――」
「このコンクリートブロックを使いましょう!」
切羽詰まった状況でも夫婦漫才を忘れない二人。
二人は上を確認。男たちが自分たちを見下ろしていることを確認すると、志摩はブロックを空亜に向けて放り投げた。そして空亜の拳が、それを粉々に打ち砕く。
「おいお前たち! 今すぐに通を返せ! さもなくば、次はお前たちがこうなる番だ!」
小便をちびりそうになるほど恐怖に震える志摩だったが、男たちは遠目に見ていたこともあるのか、それほど焦った様子がない。
なぜだ。眉をひそめる志摩たちへ、男が勝ち誇るように叫んだ。
「そんなに返してほしくば、自分たちが来たらどうです? 安心してください! 俺たちは通ちゃんを人質にする気はありません。ただ結婚を許して頂きたいだけなんです。YESロリNOタッチの言葉に誓って、危害は加えていません」
彼の言葉に、志摩はさらに疑念を深める。
彼らに、あえて空亜を誘いこむメリットがあるのか。よっぽど腕に自信のある仲間がいるのか、そういうトラップでも仕掛けてあるのか。……あるいは、空亜が中に入れないことを知っているのか。
「来れないでしょう、藤空亜。分かっているんですよ! あなたが極度の高所恐怖症であることなど! 観察していればすぐに分かりましたよ!」
悪役のように高々と言う男。その言葉に目を見開き、反射的に空亜の方を向くと、苦々しげに歯噛みする彼女の姿があった。
訊くまでもなかったが、それでも訊かずにはいられなかった。
「空亜先輩、高所恐怖症なんですか?」
「……ああ。あの男の言う通り、私は極端に高いところが苦手なんだ」
「もしかして遊園地で言ってた『乗り物が苦手』っていうのは」
「嘘だよ。言っただろう? 弱みを見せるな、と。」
にやりと笑う彼女の口端が、自嘲気味に吊り上る。
「くそ」
空亜はしっかりしているようで、どこか抜けているタイプの人間だ。電車の中では志摩を騙すために演技をしていたのだろうが、志摩と別れてからはそれほど気を張っていなかったのだろう。『観察していれば』という男の言葉から、彼女がつけられていた可能性は高い。気を緩めたときにバレたら、あとは全て相手の思惑通りだ。
「空亜先輩、何階くらいまでなら行けます?」
「……六階で足に力が入らなくなる」
「途中で力尽きそうですけど、どうせ止めても行くんでしょう? ……俺も行きます」
「君は何階くらいまでなら行ける?」
「……四階より高いところへは上ったことがないです」
「……十階だぞ。君は、本当に行く気かい?」
「這ってでも」
空亜の、信じられないものを見る目。なぜそうまでして。自然と口からもれる。
彼女の見開かれた目に、志摩は明るく笑いながら言った。
「いや、だって通ちゃんって無防備で、じゃれあっていればパンツとか見放題なんですよ。手放すには惜しすぎます。それに、ここで恩を売っておけば空亜先輩の下着姿とか見せてもらえるかもしれないですし。あなた無駄にガード堅いから、最近の俺は秘密の花園よりもあなたの下着を見たいレベルになってしまいましたよ」
茶化すような声音で語る志摩へ、空亜は鋭利な氷のような目で尋ねなおした。
「それで、本音は?」
「通ちゃんを救ってあげられるのは、俺とあなただけだからです」
一分の笑みも残さない、まっすぐな瞳。
志摩のその答えに、空亜は言葉を紡ぐことをやめた。ただうなずく。
固い決意を交わした二人の間に、ゐるの明るい声が割って入る。
「あたしも行くよ」
「僕も行く。ノーマルは一蓮托生でしょ?」
詩哉が彼女の後ろから追従する。
その二人の申し入れに、しかし志摩は顔をしかめた。
「いや。だめだ。最悪の事態を想定すると、女子のゐるは一番危険だ。ここで待機するか、遠くに避難したほうがいい」
空亜が何か言いたげな視線を送るが、志摩はそれを完全に無視する。
「それに詩哉も、肉弾戦向きじゃないだろ? 相手は不良風の男が四人だ。人数の上で利がなく、さらに戦闘力でも劣っていれば人質に取られる可能性は十分に考えられる。はっきり言って、足手まといだ」
ぐっ。自身の力の無さを自覚している詩哉は、言葉が続かない。
「でもそれなら、志摩君はできるの? たしかに志摩君は運動神経いいけど、十階だよ? 素直に警察呼んだ方がいいんじゃないの?」
「いや、警察は駄目だ。たてこもられるのが一番通ちゃんにとって危険だし、ひどい目にあっていた場合を考えると、あまり外の人に見せたくはない」
それだけに早く助けに行かなければならないのだが、作戦がまとまらない。下手に策なしで突っ込んで行っても、そもそも彼らの元へたどり着けるのかすら怪しい。もどかしさが志摩の胸を打つ。
「たしかに俺も空亜先輩も高いところに行けば力が出なくなるが、それでも詩哉達よりはよっぽど喧嘩慣れしている。ある程度は身体が勝手に動いてくれるし、戦い方だって心得てる。だから、まだ闘える」
闘える。もう一度小さく呟き、胸を叩く。
「それに、通ちゃんは俺が助けてやりたいんだ」
怪訝そうな目を向ける一同へ向けて、口の端をにやりと釣り上げる。
「通ちゃんはきっと今、怖くて辛い思いをしているだろうからな。正義のヒーロー、パンツマンが颯爽と助けに来れば、嬉しくて楽しい思い出になるだろ?」




