第三話 救う変態 その4
「志摩君、元気だしなよ」
月曜日の朝。教室。
机に肘をついて項垂れる志摩へ、ゐるが明るい声をかけて背中をバシバシ叩く。
空亜にクビ宣告をされてから、志摩は一人で家に帰り、ずっと部屋に閉じこもった。
なぜ暴走してしまったのか。駄目だとわかっていたはずなのに、何故抑えきれないのか。いっそこんなもの無かった方がよかったのではないか。自己へ問いかけ、そしてすぐにそれを投げ捨てた。自己の強い性欲を恨み、それへ責任を転嫁しようとする自己を憎んだ。
「はぁ……」
ゐるの叩くままに身体を揺らす志摩は、今日何度目になるか分からないため息を吐いた。
志摩は普段好き放題やっているように見えているが、その実自分の言動にはきちんとラインを引いていた。
そしてそれを超えないよう、自己の莫大な性欲を適度に放出することでコントロールしてきた。
しかしそれは、放出する機会のない場に放り込まれたとき、溜まり続けてしまうことを示している。その時の対処法の練り方が、甘かった。
「さんきゅう、ゐる」
努めて明るい笑顔を浮かべる彼女へ、志摩は力なく微笑んだ。
「でも、駄目なんだよなぁ……」
再び項垂れる。
そんな彼の元へ、三人組がなんだなんだと元気に寄ってくる。
「志摩さん、どうしたんすか」
「やけに元気がないようだけど、なにかあったのかい?」
「悩み事なら我ら志摩信者ーズに是非」
どかどかとやってきて志摩を囲み、口々に尋ねる。
いつものように元気な口調ではあるが、彼らの表情は志摩を心配した、不安げな色に染まっている。
志摩はそれが少しだけ嬉しくて、頬を少しだけ緩めた。
「いや、な。実は」
これまでのいきさつを話す。ふんふんと真剣な顔で相槌を打ちながら聞く三人も、最後には渋い顔を浮かべた。
「状況はかなり厳しいっすね」
「この失われた信頼を取り戻すのはなかなか骨が折れそうだ」
「空亜先輩、という方の情報が今一つ欲しいところですね」
三人は各々、うーむと唸って思案する。
そんな、前を向いて先のことを考える三人に、しかし志摩は再び下を向く。
違う。自分が今悩んでいるのはそこではないのだ。
空亜の信頼を取り戻したい。それはたしかにそうだ。せっかく信頼してくれていた彼女を、あのような形で裏切ってしまったことは、強く胸を締め付ける。空亜がたしかに自分に向けてくれた幼い笑顔を、自らの手で奪ってしまったことは、いまだ心の奥底に重くのしかかる。
しかし、ではただ空亜の笑顔をもう一度観られれば良いのか、と問われれば、ノーである。
志摩にとって今回の件は、空亜がどうという話ではない。
ただただ、自分のしてしまったことが、自分自身が許せないのだ。
「はぁ……」
先を見据えて話し合う彼らの中心で、志摩は再びため息を吐く。
そしてそれを合図に、三人も気まずそうに黙り込んでしまう。
沈黙。見かねたゐるが、しゃがみこんで志摩の顔を真正面から見据えた。
「志摩君、ずーんと落ち込みたくなるのはわかるけど、落ち込むことが贖罪になるわけじゃないんだよ。十分に後悔と反省をしたなら、無理にでも明るくふるまったほうが志摩君のためにも、志摩君を心配してくれてる周りの人たちのためにもいいよ」
信者ーズを見回して、笑顔で「ねっ」と元気づける。
おう、とガッツポーズをしてニシシと笑顔を作る信者ーズ。
志摩はそんな彼らを見回して、少しだけ表情筋に力を込めた。
「ああ、そうだな。さんきゅう、お前ら」
しかし彼の作る笑顔はどう見ても無理しており、少しつつけば消えてしまいそうな儚さである。
そしてつつかなくても、すぐに頭を垂れてしまった。
重症。ゐるの笑顔が苦いものへ変わる。
と、そうして一同が途方に暮れていると、ガタンと近くの席から大きな音がした。
詩哉である。
いつの間にそこにいたのか。目を丸くする一同に構わず、詩哉は無表情に歩いてくる。
普段穏やかな顔つきをする彼の無表情は、威圧感があった。そして何より、肌にピリピリと感じるほどの怒気が、彼から発せられていた。
思わず道を空ける四人の中に割って入り、志摩の目の前に回り込む。
俯く彼の頭へ、ゆっくりと話しかけた。
「話は大体聞かせてもらったよ。悪いね。盗み聞きする気はなかったんだけど、耳をそばだててたら勝手に聞こえてきちゃって」
冗談めかして笑う。周囲も、釣られて少しだけ笑った。
しかし志摩は、何の反応も示さない。
詩哉は面白くなさそうに表情を消して、言葉を続けた。
「それで、志摩は、何を落ち込んでるの?」
問いかけ。しかし志摩の中に、返す言葉はない。
詩哉の、深いため息。
「さっき、ちょうど登校中の空亜先輩と会ったんだ。……平静を装っていたけど、ずいぶんと足取りは重かったし、取り繕った表情は今にも決壊しそうだったよ」
詩哉の言葉にハッと顔を上げる。
志摩の目に映った詩哉の顔は、ひどく冷たかった。
思わず呼吸を止める志摩へ、親友はなおも温度のない言葉を続ける。
「空亜先輩は、信じてくれていたんじゃないの? だって、誰の目から見ても軽薄で、下着馬鹿で、いつ一線を越えてもおかしくない志摩を、見習いとはいえ風紀警察に入れたんだよ? 志摩なら全て、ギリギリのラインで踏みとどまってくれるって信じてくれていたんじゃないの?」
今にも壊れてしまいそうに、ぎりぎりと締め上げられる志摩の心。それを理解しながらも、詩哉はなお言葉を紡ぐ。
「だからどれだけ悪口言っても通ちゃんのパンツに興奮しても、これまで何人も社会的に殺してきた空亜先輩は、後に引きずらない罰で済ませてくれたんじゃないの?」
実際、空亜がどう思っているのかは知らない。ただ、それでも詩哉には彼女の心の内がわかった。
同じ、志摩の魅力に取りつかれた人間だから。
それならば、伝えねばなるまい。空亜の思いを。想いを。
だからこそ、
「志摩は、空亜先輩を裏切ったんだ」
バッサリと切り捨てる。
親友の一言に、身動きの取れなくなる志摩。ただその表情は泣きそうに歪むが、うなだれた彼の顔をのぞむ者はいない。
「――裏切って、勝手に落ち込んで、満足?」
嘲笑。
志摩の心を確かにえぐりにいった言葉は、志摩だけでなく彼を囲む四人の心をも削った。
「おい詩哉」
リーゼントが、憤然と詩哉の胸倉をつかみにかかる。
詩哉は右手で、それを力いっぱいはねのける。勢いのまま机をドンッと叩いた。
思わず顔を上げた志摩の失墜した表情に、驚きが混ざる。
「違うだろ。志摩。志摩のするべきは、空亜先輩の信頼を全力で取り戻す事だろ?」
鋭い目つきは、睨むように志摩の顔をとらえる。
「まさか自分が許せないだなんて甘えるなよ? 志摩が志摩を許せないかどうかなんて、どうでもいいんだよ。そんなものは一番最後だろ。志摩の犯した最大の罪は、空亜先輩を悲しませたことだ。――志摩は人を一人傷つけといて、それでもまだ『人々の変態に対する目を変えてやる』だなんてのたまうのか?」
本心を捉えられ、目を見開く。
詩哉はそんな彼を、全力で否定する。
志摩の拳を、再び握らせるために。
「世界を変えるんだろ? それならまず、ゴミを拾えよ。落書きを消せよ。校則違反を検挙しろよ。全力で走り回って、マイナスを払しょくするくらいのプラスを作れよ。それが、今、志摩のするべきことだろ?」
拳を作り、志摩の胸を軽く突く。その衝撃が、志摩の瞳の奥に、光を灯す。
「さあ、動き出せよ。その足で。志摩はどうしようもない変態だけれど、行動力はどうしようもないほどに有り余っているだろ? 僕も手伝うから、やろう」
そう言って、いつもの柔らかい笑みを浮かべる。
「……ああ。悪いな、いつも」
優しく微笑む詩哉へ、志摩は明るく輝きだした瞳をまっすぐに向けて、拳を突きだした。同時に突き出された詩哉の拳にゴンとぶつけて、にやりと笑う。
もう大丈夫だ。迷ったりしない。自分には、道を間違えたときに正してくれる、親友がいるのだから。
心の中で、自分に強く言い聞かせる。
「楽しそうだしあたしもやるよー」
「志摩さんのためなら俺たちだって、なんでもするっすよ!」
「うんうん」
「我らは志摩殿と一蓮托生です」
詩哉の横で、ゐると信者ーズたちも元気に参加表明する。
「お前ら……」
志摩は一同を見回し、思わずこみあげそうになる涙をこらえ、笑顔を作った。
「お前らも物好きだな。よし、いっちょやるぞ!」
『おー!』
元気よく拳を突き上げて声を合わせる三人。
その陰から発せられた志摩の「ありがとう」は、すぐに霧散したが、みんなの心にはたしかに届いた。
一限後の休み時間。
「あーゴミが多いなー。マジふざけんなよこりゃ拾うしかねえな」
「これはごみ袋にガシガシ入れていくしかないねー」
「……」
渡り廊下を歩く空亜の前で、これ見よがしにゴミ拾いをしてみた。結果、完全に無視された。
二限後の休み時間。
「全く誰だよこんなとこに落書きしてんのは。消す方の気持ちにもなってみろ」
「いやー、これ消すのはなかなか骨が折れそうだねえ」
「……」
空亜の教室の窓から見える位置で、これ見よがしに落書きけしをしてみた。結果、彼女は興味なさ気にトイレに行ってしまった。
三限後の休み時間(四限は全校集会のため、全校生徒が体育館へ移動する)
「はいそこの君。スカート短すぎ。校則違反だよ」
「あ、すみません、そこの方、シャツが外に出ていますのでちゃんとしまってください」
「……」
空亜も別の位置で服装チェックをしていたらしく、志摩たちの活躍は見られなかった。
昼休み。
「こらあそこ! 買うならヤマザキじゃなくてシキシマのパンにしなさい!」
「それは関係ない!」
「……」
志摩のシキシマパンごり押しによって、反シキシマ派が生まれた。
五限後の休み時間。
「こらそこ! ケンカはしてもいいけど、殴り合いなんかするんじゃねえ!」
「あ? やんのかおら」
「……」
志摩が殴られそうになったところ、偶然居合わせた空亜が志摩もろとも屠り去った。
「くそう……全然効果がないじゃないか……」
あれから一週間、ゴミ拾いを中心に志摩たちは走り回った。登下校時には服装チェックを校門前で行い、休み時間は常にゴミ袋を手に校内や周辺を徘徊した。空亜がいないときも手は抜かず、行内の風紀を守ることに全力を尽くした。
しかし、空亜はいまだに志摩を見かけても、シラーっと冷たい目を一瞬向けるだけである。
そういうことで、放課後。校門前で下校中の生徒たちの服装チェックをしつつ、志摩は悔しげにつぶやいたのである。
「あたしは楽しいからいいけどねー」
「僕はまだちょっと恥ずかしいかな。慣れてはきたけど」
ちょうど生徒たちの波も収まり、手持無沙汰となった二人が志摩の声を聞きつけて反応する。
「そういえば、なんか最近、あたしたちが『第三の風紀を守る組織』として噂になってるみたいだよ」
「ま、風紀警察見習いだったころに見てきたものをやってるだけだからな。喧嘩の仲裁や風紀を乱した人の裁き方はともかくとして」
あまり肉体派でない志摩に、空亜のような力ずくの芸当はできない。それに、そもそも志摩は空亜のそれを正当なものだとは思っていない。空亜の信頼を取り戻すための行動と言えど、あくまで彼は彼の正義にのっとって風紀を守る活動を行っているのである。
それが、結果的に第三者の目からは風紀委員とも風紀警察とも違う組織として映ったのだろう。
「風紀警察に恨みを持ってる人なんかは僕たちの方を応援してるみたいだけど、この状況っていいのかな?」
怪訝そうに尋ねる詩哉へ、志摩は「なにがだよ」と尋ね返す。
「いや、だって空亜先輩の信頼を取り戻すために風紀を守ってたのに、その結果空亜先輩の組織と対立した組織だっていう風潮が出来上がっちゃったんだから。信頼関係を取り戻すどころか、喧嘩を売った風にみられちゃうかもしれないよ?」
「ああ、そういうことか。まぁ、空亜先輩はそろそろわからせてやるべき頃合いだったし、ちょうどいいんじゃねえか?」
クククと邪悪な笑みを浮かべ、彼女に届けとばかりに恨み節を呟く。
そんな彼のどす黒い笑い声に、ちょうど近くを下校してきた生徒たちがビクッと怯え距離を取って去って行った。
「んで、その肝心の空亜先輩は、今日もまた部室に缶詰か?」
きょろきょろと周囲を眺め、彼女の姿が見たらないことに肩を落とす。
「みたいだね。信者ーズからの連絡もないし」
遠くに見える部室棟を睨み付ける志摩へ、詩哉の苦笑が反応のない携帯電話を手に取ってみせた。
これまで志摩と詩哉とゐるは三人一組で風紀を守る活動をしてきたが、信者ーズは別行動をしていた。
なぜか。それは、彼らには一つの使命を与えられていたからだ。
空亜の監視。
志摩が空亜の信頼を取り戻すためには、とにかく風紀を守る活動をし、贖罪をする必要がある。
自分がいかに反省しているかを見せ、誠意を行動で示す。
しかし、世の中きれいごとでは回っていない。どれだけ陰でよいことも、見ていない人には伝わらない。世間で評価されている人というのは往々にして、アピールの上手な人であったりするものだ。裏でこっそりとよいことをしている人が人望に厚いのは、創作の世界の話である。
そこで、より効率よく空亜の評価を上げるため、彼らには空亜の動向を監視し、逐一報告する仕事を与えたのである。
幸い信者ーズの面々は誰も部活に入っていなかったため、放課後の現在、ゴミ拾いをしながら空亜のこもっている部室を各々観察している。
「ま、そうはいっても、ゴミ拾いだとか風紀だとかってのは割と明確に結果が見えるモンだから、見えてないつもりの怠惰は案外見えるモンなんだけどな」
呟き、近くを通りかかった生徒の服装をチェックする。よし、大丈夫。
「一週間も服装チェックすると、だいぶ整ってくるもんだな。良い変化だ」
「そもそも志摩君以上に服装の乱れた人ってあんまりいないから、この服装チェックに意味があるのかもわかんないけどねー」
「なんでそれを言っちまうんだよずっと目そらしてたのに」
ブレザーの前をはだけ、常に腰パン状態で、さらには頭にパンツを被った状態の志摩は、そっぽを向いてふてくされた。
と、そうして三人で雑談を挟みながら服装チェックをしていると、不意に志摩の携帯電話が春のパン祭のテーマを歌い出した。
ぐりんと顔を向ける二人の視線に囲まれて、志摩は手際よく電話に出る。
俺だ。と短く言った志摩の耳には、はぁはぁという息継ぎと雑音が多く聞こえてきた。おそらく、走っているのだろう。空亜を追いかけているのか追いかけられているのか。志摩が背筋をピンと張ったところで、電話口からメガネの荒い声が届いた。
『志摩殿。只今、空亜殿に動きが見られました。部室の扉を荒々しく開け放ったかと思いきや、携帯電話だけ握りしめて駈け出してゆきました』
「マジか。しかし見当たらないぞ」
きょろきょろとあたりを見回し、空亜の姿を探す。
『走り去って行った方向が校門とは反対側です。今校舎裏にいるんですが、どこへ向かっているのか。それにしてもこの人足はや……あ、フェンス! フェンスを一瞬で駆けあがって華麗に着地! なんですかあの人! 二段ジャンプとかできちゃうんじゃないですか!?』
いつにない興奮した声で実況する。
「見たことはないが多分出来る。それより、結局今どこだ? 空亜先輩はどの方向に向かっている?」
『あ、はい。えーっと、駅の反対側の方です。奥に住宅街が見える田んぼ道で、まっすぐにそっちへ向かっていってます』
片手でフェンスをよじ登ることはさすがに無理と判断したのか、そもそもよじ登っている間に見失うことがわかるほど空亜の足が速いのか。メガネは落ち着いてきた息で冷静に、小さくなってゆく空亜を見守った。
「わかった。サンキュー。他に何かないか? 空亜先輩の表情とか、何か言ってなかったかとか」
『ええと、表情は一瞬しか見えていないのですが、普段のあの人からは考えられぬほど狼狽されているように見えました。あと、フェンスを越えて走ってゆくとき、何か叫んでいらっしゃいました。ただ、何を叫んでいたかまではちょっと。短かったのもあって、聞き取る前に終わってしまいました』
「よくやった。よし、信者ーズ全員に伝えろ。今から空亜先輩の向かった方向へ、全員で出撃だ。詳しいことは後でまた電話する」
『了解しました。それはそうと、志摩殿。手柄を上げたので、どうかご褒美を……』
「ああなんでもやる」
『なんでも!? じゃあ志摩殿の貞操を』
「俺にまつわるもの以外! 詳しい話は全部後だ!!」
ぞわっと立った鳥肌を抑え、即座に電話を切る。そして期待に目を輝かせる詩哉とゐるへ、ニヤリと笑って見せた。
「さあ、ノーマルの初陣だ。――空亜先輩より先に、通ちゃんを見つけ出すぞ」




