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ドッペルゲンガー  作者: ドM伯爵
第一章 事の発端
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焼け石

 激しくなった胸の鼓動は、それが自分の物とは思えない程に煩く感じられた。雄介には、その音が体外にまで漏れているのではないかとさえ思えた。部屋の中央に佇む人影はゆっくりとこちらを向き、何も言わずにこちらを睨んでいる。正確には、おぼろげな月明かりだけでは、その人影の表情までは読み取る事が出来ない。だが、頭がこちら側に僅かに傾けられている事から、雄介には何者かが自分を睨みつけているように感じられた。

 雄介は身動きが取れなくなってしまっている。雄介は自分の浅はかな考えを悔やんだ。テレビドラマの探偵の真似事をして、手紙の差出人の素性を探る思惑だったが、現実はそんなに甘くなかった。

 それなりの時が経過している筈だが、部屋の中央に佇む何者かが言葉を発する事はない。何かが滴り落ちる音が微かに響く。雄介は視線を落として、音の出所を眼球の動きだけで探る。部屋の中央には桶のような物が置かれていて、その上に何者かが浮いている。雄介には目の前の状況が掴めない。宙に浮かんでいる人間が目の前にいるとでも言うのか。それとも、人の形をした風船のような物が目の前にあるのか。しかし、風船にしては目の前の物体は重量があるように思える。寧ろ、何かが浮かんでいるというよりは、何かが吊るされている感じだ。そして、滴り落ちる音の正体は何なのか。雄介は、落とした視線を上方に持っていく。雄介の目に太いロープのような物が映る。そのロープが天井と中央の何かを繋いでいるようだ。目を凝らすと、部屋の中央の何かの首もとにロープが繋がれている事が分かった。雄介の高鳴った鼓動は落ち着きを取り戻し始める。


「こんばんは、タウングレードの中山です」


 雄介は小さな声で問いかける。返事がない、ただの屍のようだ。雄介は身を乗り上げると、部屋の中に侵入する。土足で部屋に入る事に一瞬の躊躇いを感じる雄介だが、特に問題はないだろうと思い、気にしない事にした。

 部屋の中央の物体を避け、雄介は奥に進んだ。途中、床に置いてある物を何度か踏み潰してしまったが、それが気になったのは最初だけだった。雄介は壁に手を当てて、部屋の照明のスイッチを探し始める。

 スイッチはすぐに見つかった。部屋の照明を点けると、部屋の中央に若い男が首を吊っている姿が浮かび上がる。やはり、部屋の中央に吊るされていた物体は死体だった。死体の足元から何かが滴り落ちる。首吊り死体の下には大きめのゴミ箱が置かれていた。雄介がそのゴミ箱の中を遠目に見ると、そこには首吊り死体の裾から垂れ流された汚物が溜まっていた。それまでは張り詰めた緊張感で気が付かなかったが、部屋には異臭が充満している。不自然に部屋の隅に追いやられたテーブルに目をやると、そこには封筒がある。封筒の近くには木の棒と果物ナイフが置かれている。木の棒を手に取ると、先端が鋭利に削られている事が分かった。横にある果物ナイフで削ったのだろうか。そして、鋭利に削られた木の棒の先端は黒ずんでいる。雄介の頭の中のイメージとは違うが、その木の棒は確かに鉛筆だった。雄介が覚えている鉛筆の先端は、もっと綺麗な円錐に削られていた気がするが、一般的な鉛筆とはこういう物なのだろう。

 かつて、雑誌や新聞までもが紙に印刷されている時代があったらしいが、環境保護の観点から、雄介がまだ幼い頃に、紙で書かれている物のほとんどがデジタルに移行した。それまでは、下らないゴシップ記事を印刷するためにまで森林を伐採していたなんて、昔の人は何を考えていたのだろうか。当時、印刷業界の連中による、紙媒体の完全デジタル化移行の反対デモがあったと聞いた事があるが、不必要に地球環境を破壊する業界は廃れて当然だろう。この鉛筆という文房具も、木から作られている事は間違いない。雄介が物心付く前までは一般的に使われていた物らしいが、雄介には信じ難い事だった。

 雄介は、試しにそこにある封筒に、手に持った鉛筆で文字を書いてみる。そして、自身のスーツの内ポケットから真実宛に届いた手紙を取り出すと、それらを比較する。二つの封筒はどちらも同じ物で、そこに書かれた文字の質感も同じ物だった。真実宛の手紙を書いたのはこの男で間違いない。では、この男は何者なのだろうか。何か手がかりとなる物を探さなければ。

 雄介は部屋の中を物色し始める。床に転がっていたバッグを漁ると、首吊り死体の物と思われる財布が入っている。その中には、男の物と思われるマイナンバーカードがあった。雄介は、マイナンバーカードに写っている男の顔と首吊り死体の顔を比較する。証明写真という物は、ほとんどの人の写真写りが悪く、本人が持っている雰囲気とは違った物がそこから感じられるが、マイナンバーカードの男の顔と首吊り死体の顔は、雰囲気がほとんど同じだった。自分の死に顔も、証明写真に写った陰気な表情になるのかもしれない。

 このマイナンバーカードの情報を照合すれば男の素性は分かるだろう。雄介は首吊り死体のマイナンバーカードをスラックスのポケットにしまうと、他にも何か手がかりがないか探し始める。部屋に置かれているゴミ箱にはビデオカメラに用いられるデータカードが捨てられているが、火で(あぶ)られたのか変形してしまっている。これでは何が録画されているのかは分からない。部屋の隅に追いやられたテーブルを見ると、その下にも何かあるようだった。身をかがめると、そこには引き千切られたネックレスと何かのカードが落ちていた。それを手に取り確認すると、引き千切られたネックレスには見覚えがあった。そして、カードは真実のマイナンバーカードである事が分かった。なぜ、この男の部屋にあるのだろうか。それはまだ分からない。雄介は、引き千切られたネックレスをどこで見たのかを考える。自宅で見ている印象がある。

 雄介は、自宅マンションの室内の映像をおもいだす。玄関ではない。リビングでもない。自分の部屋でなら、すぐに分かるはずだ。

 雄介は、部屋の隅々まで、もっとおもいだす。脱衣所を思い浮かべた時に何かを感じる。このネックレスは脱衣所で見た事があるのだ。しかし、いつも見ていたわけではない。どういう状況の時に、このネックレスは雄介の自宅マンションの脱衣所にあったのだろうか。

 雄介は、脱衣所にこのネックレスがある場面をふかくおもいだす。誰かが浴室でシャワーを浴びている。シャワーを浴びているのは真実だ。そして、脱衣所の真実の衣服の上に置かれたこのネックレスには、沙良の形見である指輪が繋がられている。そうだ、このネックレスは、沙良の形見の指輪を真実が身につけるために使っていた物だ。なぜ、この男の部屋にあるのだろうか。答えは一つしかない。この男が真実を殺したからだ。

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