第4話「吸血姫は現代社会が好き③」
午前3時26分。
「暇だなぁ……」
紅月アカリはレジカウンターに肘をつきそうになり、思い直して背筋を伸ばした。
深夜の『カマル三日月中央店』。
有明交差点に面した店の外では、信号機が赤から青へ、青から赤へと規則正しく色を変えている。
けれど、それに従って交差点を渡る人の姿はほとんどない。
時折、遠くから車の走行音が聞こえてくる程度だった。
この時間になると、客足はかなり少なくなる。
つい先ほどまで店内にいた客も帰り、今はアカリ1人。
明るい蛍光灯に照らされた店内には、整然と商品が並んでいる。
聞こえるのは店内BGMと、冷蔵ケースの低い唸り声くらいだった。
「平和だねぇ」
平和なのはいい。
とてもいい。
夜中に妙な客が押しかけてくるより、よほどいい。
ただ、暇である。
アカリはレジ横の商品を整える。
少し曲がっていた菓子の箱を真っ直ぐにし、棚の奥へ引っ込んでいた商品を前へ出す。
それから一歩下がって眺めた。
「…………」
綺麗だ。
というより、最初からほとんど綺麗だった。
昨日も同じことをした気がする。
いや、昨日だけではない。
毎日やっている。
それが仕事だと言われれば、その通りなのだが。
「何か起きないかなぁ」
そう呟いてから、アカリは少し考えた。
「……いや、やっぱ起きなくていいや」
深夜のコンビニで起こる『何か』は、大抵ろくでもない。
暇を持て余すくらいが、ちょうどいいのかもしれない。
そんなことを考えていると、
ピロリン。
自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませー」
反射的に顔を上げる。
「あ」
「おはよ」
「千歳じゃん」
入ってきたのは白石千歳だった。
黒いボブヘアを揺らしながら、眠そうな顔で片手を上げる。
月光荘の住人であり、喫茶店『玉兎』で働いている不死者。
外見だけなら二十歳ほどの女性だが、実際にはアカリと同じく、何百年もの時間を生きている。
もっとも、本人はそんなことを少しも感じさせない。
今も近所のコンビニへ買い物に来ただけという、ごく自然な様子だった。
「こんな時間にどうしたの?」
「寝れなくて」
「へえ」
「酒なくなった」
「寝る気ないじゃん」
「一応あるよ」
「ほんとに?」
「ほんとほんと」
まったく信用できない。
千歳は気にした様子もなく、酒の並ぶ棚へ向かった。
アカリはその後ろ姿を見送る。
寝られないから酒を買いに来る。
それ自体は、まあ分からなくもない。
けれど千歳の場合、酒を飲んだからといって素直に眠るとは思えなかった。
少しして、千歳が瓶を1本持って戻ってきた。
そのまま今度は飲料コーナーへ向かう。
冷蔵ケースの扉を開け、ペットボトルのコーヒーを取り出した。
「…………」
アカリはその様子を眺める。
千歳がレジへやってきた。
カウンターに酒とコーヒーを置く。
「酒飲むの? コーヒー飲むの?」
「酒をコーヒーで割る」
「ああ、そういうこと」
「結構うまいよ」
「へえ」
アカリは酒をスキャンする。
ピッ。
続いてコーヒー。
ピッ。
そこで、ふと思う。
「寝れないって言ってなかった?」
「うん」
「寝る気ある?」
「一応」
「ないでしょ」
「あるって」
アカリは千歳の顔を見る。
千歳は平然としていた。
どうやら本人は本気でそう思っているらしい。
だが、酒とコーヒーを買いに来た人間の言葉としては、あまり説得力がない。
「あと煙草」
「いつもの?」
「うん」
アカリが煙草の棚へ手を伸ばす。
「何個?」
「カートンで」
手が止まった。
「カートン?」
「うん」
「寝れない人が買う量じゃないよ」
「寝るために買うわけじゃないからね」
「それはそうだけど」
アカリは棚から煙草を取り出す。
千歳が煙草を吸うのは、今に始まったことではない。
むしろ、本人にとっては何百年も続けてきた習慣だ。
今さら少し注意したところで、やめるとは思えなかった。
「吸いすぎじゃない?」
「大丈夫大丈夫」
「何が?」
「色々」
「雑だなぁ」
千歳は小さく笑う。
アカリは呆れながらも、商品をまとめて袋へ入れた。
「袋いるよね?」
「いる」
「ストローは?」
「いらない」
「禁煙はしない」
「聞いてないけど」
「一応言っとこうと思って」
「何の宣言なの、それ」
千歳は悪びれもせず、財布を取り出した。
会計を済ませる。
アカリが袋を差し出すと、千歳は軽く手を伸ばして受け取った。
「ありがと」
「どういたしまして」
「じゃあ帰って飲むわ」
「寝なよ」
「眠くなったらね」
「たぶん眠くならないよ」
「その時はその時」
千歳は袋を片手に、入口へ向かう。
ピロリン。
自動ドアが開いた。
夜明け前の少し冷たい空気が、店内へ流れ込んでくる。
「じゃあね」
「おやすみー」
「まだ寝ないよ」
「昨日も似たようなこと聞いたな……」
「何?」
「なんでもない」
千歳は首を傾げながら店を出ていった。
自動ドアが閉まる。
店内BGMだけが、何事もなかったように流れ続けている。
「…………」
アカリは静かになった店内で、ぽつりと呟いた。
「月光荘、夜更かしする人多すぎない?」
かぐやは深夜までゲーム配信。
千歳は眠れないからと酒と煙草を買いに来る。
なかなか規則正しい生活とは縁遠い住人たちだ。
もっとも。
今まさに深夜のコンビニで働いている自分が言えたことではない。
アカリはその事実に気づかないふりをした。
自分のことは棚に上げた。
◇
朝。
「おつかれさまでしたー」
勤務を終えたアカリは、店を出た。
夜の間は黒く沈んでいた空が、すっかり明るくなり始めている。
建物の隙間から差し込む朝日が、道路の端を白く照らしていた。
「眩し……」
思わず目を細める。
やっぱり朝日は苦手だ。
アカリは吸血鬼だが、日光を浴びた瞬間に灰になるわけではない。
そんな弱点は、とうの昔に克服している。
ただ、それでも強い日差しが好きになったわけではなかった。
長時間浴びていると、どうにも気分が悪くなる。
何百年経っても、こればかりは変わらない。
「早く帰ろ」
アカリは少し早足で月光荘へ向かった。
朝の三日月町を歩く。
有明交差点には、昨夜よりも多くの車が行き交っていた。
駅へ向かう人。
犬の散歩をする人。
店先を掃除し、開店の準備をしている人。
遠くから、自転車のベルが聞こえる。
町が少しずつ目を覚ましていく。
アカリにとっては仕事終わりだが、町にとってはこれから1日が始まる時間だった。
そんな光景を眺めながら歩くのも、嫌いではない。
昔は夜が明けることそのものを、もっと厄介に感じていた。
今は違う。
朝日が少し鬱陶しいだけで、こうして普通に町を歩ける。
それだけでも、随分と便利な時代になったものだ。
しばらく歩いて、月光荘へ到着する。
「あ」
建物の前に見慣れた姿があった。
「澪」
名前を呼ぶと、澪が振り返った。
黒い髪を下ろした小柄な女性。
月光荘の大家である澪だった。
「あ、アカリちゃん。おかえり」
「ただいまー」
「今日も夜勤?」
「うん。今終わったところ」
「おつかれさま」
「ありがと」
澪は朝の空気を吸いながら、建物の周囲を軽く見回していた。
大家として何か確認していたのかもしれない。
アカリがそのまま中へ入ろうとすると、澪が思い出したように言った。
「あ、そうだ。アカリちゃん」
「ん?」
「荷物届いてるよ」
「荷物?」
「昨日。玄関に置いてある」
アカリは数秒考えた。
何か注文しただろうか。
いや、注文はした。
たしかにしたはずだ。
問題は、その中身だった。
「ああ、あれか」
「覚えてなかったの?」
「ちょっと忘れてた」
「自分で買ったんでしょ」
「昨日のアタシに聞いて」
「同じ人でしょ」
「昨日と今日は違うから」
「そういう話?」
澪が少し呆れたように笑う。
2人で月光荘へ入る。
外の朝日から解放され、アカリは小さく息を吐いた。
玄関には、アカリ宛ての段ボール箱が置かれていた。
見慣れた通販の箱だ。
宛名を確認して持ち上げると、中で何かが小さく動いた。
「また通販?」
「うん」
「アカリちゃん、結構使うよね」
「便利だからね」
アカリは段ボールを抱え直す。
その顔には、どこか嬉しそうな表情が浮かんでいた。
「通販ってすごいよ」
「急にどうしたの?」
「だって、家から出なくても物が買えるんだよ?」
「それが通販だからね」
「すごくない?」
「今さら?」
澪にはいまいち伝わっていないらしい。
アカリは少しだけ不満そうに眉を寄せる。
たしかに、澪にとっては当たり前なのだろう。
生まれた頃から、電話もインターネットも通販もある。
欲しいものがあれば、画面を開いて注文する。
そんな生活が普通なのだ。
けれど、アカリにとっては違う。
「昔なんて、欲しいものがあったら売ってる場所まで行かなきゃいけなかったんだよ」
「まあ、それはそうだけど」
「しかも、そこに欲しいものがあるとは限らない」
「うん」
「せっかく行ったのに売り切れてることもある」
「あるね」
「なのに今は」
アカリはポケットからスマートフォンを取り出した。
「これで押したら届く」
「ものすごく簡単に説明したね」
「布団の中でも買える」
「それは便利だね」
「でしょ?」
ようやく同意を得られた。
アカリは満足そうに頷く。
「しかも次の日に届いたりする」
「早いよね」
「すごいよ」
「アカリちゃん、本当に通販好きだね」
「好きというか、現代人はもっと通販に感謝した方がいいよ」
「そこまで?」
「そこまで」
515年も生きていれば、買い物ひとつ取っても随分変わったことが分かる。
昔は、欲しいものがあれば自分で店まで足を運ぶのが当たり前だった。
そこになければ、別の店を探す。
そもそも、欲しいものが近くの町に売っているとは限らない。
遠くへ出向く必要があることもあった。
それでも手に入らないものだって、珍しくなかった。
それが今はどうだ。
布団の中でスマートフォンを操作するだけで、遠くの町にある商品まで注文できる。
数日どころか、翌日に届くことさえある。
昔の自分に教えたところで、簡単には信じないだろう。
ほとんど魔法のような話だ。
けれど、その魔法を使っているのは、特別な力を持つ者ではない。
ごく普通の人間たちだった。
アカリはそういうところが好きだった。
人間は、特別な能力がなくても、少しずつ世界を便利にしていく。
長く生きていると、その変化を何度も見られる。
それが面白い。
「ところで、何買ったの?」
澪が段ボールを見る。
「服」
「服?」
「うん」
「見せて」
「いいよ」
アカリは自分の部屋へ向かった。
◇
部屋に戻ると、アカリは段ボールを床に置いた。
カッターでテープを切り、箱を開ける。
中には日用品がいくつか。
洗剤。
シャンプー。
ゲーム用のケーブル。
それから――
「あった」
アカリが服を取り出す。
黒いTシャツだった。
柔らかそうな生地に、胸元には大きな白文字。
アカリは嬉しそうに広げる。
澪が読む。
「…………」
そこには、
『人類、だいたい水』
と書かれていた。
「…………」
澪はもう一度読む。
『人類、だいたい水』
間違いない。
そう書いてある。
「アカリちゃん」
「なに?」
「これ欲しくて通販したの?」
「うん」
「なんで?」
「いいじゃん」
「どこが?」
「なんか」
「なんか?」
「人類って、だいたい水じゃん」
「まあ……そうだけど」
「じゃあ合ってる」
「合ってればいいの?」
「嘘は書いてないよ」
「そういう問題かなぁ」
澪はTシャツを眺める。
黒地に白文字。
デザイン自体はシンプルだ。
けれど、書いてある内容がまったくシンプルではない。
なぜ、わざわざ服に印刷したのだろう。
そもそも、これを作った人は何を伝えたかったのだろう。
疑問はいくつも浮かんだが、隣にいるアカリは満足そうだった。
どうやら本人にとっては、かなり良い買い物だったらしい。
アカリはTシャツを自分の身体に合わせる。
「どう?」
「似合ってるとは思う」
「でしょ?」
「褒めてないよ」
「似合ってるならいいじゃん」
満足したらしい。
アカリはもう一度、胸元の文字を眺めた。
何度見ても悪くない。
むしろ、見れば見るほど良い。
「着よ」
「今?」
「部屋着にする」
「『圧倒的こんにゃく』は?」
「あれも着るよ」
「増やしていくんだ……」
「いいでしょ、別に」
「アカリちゃんがいいならいいけど」
澪は苦笑する。
アカリの服装の好みについては、以前から少し不思議に思っていた。
普段の私服は、普通におしゃれなのだ。
赤い髪にもよく似合う服を選ぶし、組み合わせも悪くない。
それなのに、部屋着になると途端に方向性が変わる。
本人は、その違いをまったく気にしていない。
むしろ、妙な文字の入ったTシャツほど嬉しそうに着ている。
澪には、いまだによく分からなかった。
「じゃあ私、戻るね」
「うん」
「ちゃんと寝るんだよ」
「寝る寝る」
「おやすみ」
「おやすみー」
澪が部屋を出ていく。
扉が閉まると、アカリは早速Tシャツに着替えた。
仕事用の服を脱ぎ、買ったばかりの黒いTシャツに袖を通す。
サイズはぴったりだった。
生地の肌触りも悪くない。
アカリは鏡の前に立つ。
『人類、だいたい水』
「…………」
悪くない。
むしろ、かなりいい。
黒い生地は赤い髪にもよく映える。
大きな白文字も、遠くから見れば妙に存在感がある。
アカリは満足してベッドへ腰を下ろした。
ふかふかの寝具が身体を受け止める。
夜勤を終えた疲れが、ようやく少しずつ押し寄せてきた。
それでも、気分は悪くなかった。
つい昨日、スマートフォンで注文したものが、もう手元にある。
何百年生きても、こういう便利さには感心してしまう。
もっとも、昔の自分にこのTシャツを見せたら、別の意味で驚かれるかもしれない。
「やっぱ通販ってすごいなぁ」
胸に、
『人類、だいたい水』
と書かれたTシャツを着ながら、アカリは満足そうに頷いた。
通販は便利だ。
たとえ、届くものがこんなTシャツでも。




