第3話「かぐや姫はクソゲーが嫌い」
午後11時30分。
「こんばんはー」
月永かぐやが配信を開始すると、待っていた視聴者たちのコメントが一斉に流れ始めた。
薄暗い部屋の中、モニターの光がかぐやの顔を青白く照らしている。
腰近くまで伸びた黒髪は椅子の背もたれへ流れ、一直線に切り揃えられた前髪の下で、青い瞳が次々と流れていくコメントを追っていた。
机の上にはマイクとゲーム用のコントローラー。
飲みかけのペットボトル。
配信者としては、いつもの光景だった。
『きた』
『こんばんはー』
『待ってた』
『今日も可愛い』
『結婚してくれ』
「嫌です」
『即答で草』
『今日何やるの?』
『1000年以上生きててこれ』
「最後の人どういう意味?」
『そのままの意味』
「年齢関係ないでしょ」
コメント欄の流れは速い。
けれど、かぐやは慣れた様子でその中から気になるものだけを拾っていく。
月永かぐや。
動画配信者。
そして、月の民。
『月の都の姫君』などという大層な呼び名を持つ彼女も、配信中は視聴者から好き勝手にいじられている。
本人も、それを嫌ってはいない。
少なくとも――ゲームに邪魔されないうちは。
かぐやは配信画面を確認する。
今日やるのは、最近発売されたアクションゲーム。
タイトルは『イブリスハント』。
独特の操作感と、何度も挑戦したくなるクセになる面白さが人気を集めている作品だ。
難易度はやや高めだが、苦労して敵を倒したときの達成感が大きく、気づけば何時間も遊んでしまう――そんな評判をよく耳にする。
視聴者からも何度か名前を聞いていたが、遊ぶのは今日が初めてだった。
評判は悪くない。
むしろ、かなり良い方だ。
だからこそ、かぐやも少し期待していた。
「今日は『イブリスハント』をやります。完全初見」
『お』
『これやるのか』
『初見楽しみ』
『クリアまで?』
「今日は3時間くらいかな。面白かったら続きもやる」
『フラグ』
「何の?」
『なんでもない』
「じゃあ始めよ」
ゲームを起動する。
画面いっぱいに『イブリスハント』のタイトルロゴが現れた。
ニューゲームを選択。
短いムービーが流れ、主人公が草原のような場所に降り立った。
青い空。
風に揺れる草。
遠くには巨大な山が見える。
光の表現も細かく、草原を駆け抜ける風まで感じられそうな映像だった。
「結構綺麗じゃん」
『グラはいい』
『グラは』
「なんで含みがあるの?」
『気のせい』
「怪しいなぁ」
妙に意味深なコメントが流れていく。
何人かはすでにプレイ済みなのだろう。
かぐやは少し気になったが、それ以上は聞かなかった。
初見で遊ぶなら、知らない方がいい。
先に評価を聞いてしまえば、それだけでゲームを見る目に余計な色がつく。
良いゲームなのか。
悪いゲームなのか。
それは自分で遊んで決めればいい。
チュートリアルが始まる。
移動。
攻撃。
回避。
ジャンプ。
ひと通り操作して、かぐやは首を傾げた。
「……ジャンプ、ちょっと変じゃない?」
『そう?』
『始まった』
「まだ何も言ってないでしょ」
もう一度ジャンプする。
ボタンを押す。
一瞬。
ほんの一瞬だけ間があってから、キャラクターが妙にふわりと浮き、少し遅れて着地した。
致命的というほどではない。
だが、普段から様々なゲームを遊んでいるかぐやには、そのわずかな違和感が引っかかった。
「なんか……押してから飛ぶまで遅くない?」
『気のせい』
『初見だから』
「まあ、慣れたら大丈夫かな」
『珍しく冷静』
「わたしいつも冷静だけど」
『?』
『?』
『?』
「何そのコメント」
疑問符が画面を埋めていく。
失礼な視聴者たちである。
かぐやはそれを無視して先へ進んだ。
最初の敵を倒す。
宝箱を見つける。
少し分かりにくい場所に隠されたアイテムも発見した。
「あ、ここ行けるんだ」
画面上では、一見するとただの背景に見えた岩場の奥に細い道が続いている。
その先に宝箱があった。
「こういう探索は好き」
『うまい』
『さすが1000年選手』
「ゲーム歴は1000年ないから」
『何年?』
「覚えてない」
『長寿特有の回答』
「ゲームなんて最近できたものでしょ」
『最近(数十年)』
「最近じゃん」
『時間感覚がおかしい』
そうだろうか。
かぐやにとっては、本当に最近である。
もっとも、それを説明したところで理解されないことは分かっている。
かぐやはコメントを無視して先へ進んだ。
開始から15分ほど。
最初のステージは特に問題なく進んでいた。
敵の配置も素直だ。
探索要素もある。
先ほど感じたジャンプの違和感は残っているものの、慣れれば許容範囲だろう。
「普通に面白いけどね」
『今のところは』
「さっきから何なの?」
『^^』
「その顔やめて」
嫌な予感しかしない。
やがて、細い足場が連続する場所に到着した。
崩れかけた石柱のような足場が、谷の上に点々と続いている。
下には深い谷。
底は暗く、どこまで続いているのかも分からない。
落ちれば最初からやり直しらしい。
「なるほど」
かぐやは最初の足場へ飛び移る。
「ここから、あそこね」
ジャンプ。
着地。
「余裕じゃん」
『うまい』
『これはいける』
次。
さらに次。
テンポよく飛び移っていく。
そして少し離れた足場。
「ここちょっと遠いな」
かぐやは画面上で距離を測る。
届かないほどではない。
助走をつければ問題ないだろう。
「はい」
ジャンプ。
キャラクターが宙へ飛び出した。
しかし、わずかに距離が足りない。
「あ」
足場の縁にぶつかり、そのまま谷底へ落ちていった。
画面が暗転する。
ゲームオーバー。
「…………」
『草』
『落ちた』
『綺麗に落ちたな』
かぐやは数秒、ゲームオーバーの文字を眺めた。
頭の中で、今の操作を振り返る。
助走が短かった。
それに、ジャンプを押した位置も少し早い。
「今のはわたしが悪い」
『えらい』
『認めた』
「ちょっとジャンプ早かった」
リトライ。
再び同じ場所まで進む。
「さっきより奥から走ればいいんでしょ」
助走。
ジャンプ。
今度は先ほどより飛距離が伸びる。
「いける」
足場へ――
届かない。
「あれ?」
再び谷底へ。
暗転。
『草』
『2回目』
『さっきより惜しい』
「いや、今の届いてない?」
『届いてない』
『映像判定:届いてません』
「絶対届いてたって」
今度は少し納得がいかない。
キャラクターの足は、足場の縁にかかっていたように見えた。
少なくとも、かぐやにはそう見えた。
リトライ。
「もう分かった」
『本当?』
「分かったって」
3回目。
同じ場所。
先ほどまで綺麗に見えていた谷の景色にも、少しずつ腹が立ってきた。
「ジャンプの入力がちょっと遅いんだよ、このゲーム」
『ゲームのせいにし始めた』
「違う。最初から言ってたでしょ」
助走。
「ここ」
ジャンプ。
キャラクターが飛ぶ。
足場の手前へ。
落下。
「…………」
『wwwww』
『3回目』
『開始20分で同じところ3回落ちた女』
『1000年以上生きててこれ』
「長生き関係ないから」
『ゲームのせい?』
「今のはゲームが悪い」
『出た』
『始まった』
『1回目は自分が悪いって言ってたのに』
「あれはわたしが悪かった。でも今のは違う」
『何が違うの?』
「ボタン押してからジャンプするまでが遅い」
『それ込みで操作するんじゃないの?』
「…………」
かぐやの口が止まる。
コメント欄だけが流れていく。
『正論パンチ』
「うるさい」
反論できないのが、余計に腹立たしい。
4回目。
今度は入力の遅延まで計算に入れて踏み切る。
キャラクターの足が、ぎりぎりで足場を捉えた。
「ほら!」
『おお』
『やっと』
『4回かかりました』
「このゲーム、ジャンプが変なんだって」
『まだ言ってる』
「難しいのは別にいいの。難しいのと操作しにくいのは違うから」
かぐやは少し真面目な声になる。
「難しくても、ちゃんと自分のミスだって分かるゲームならいいんだよ。次どうすればいいか考えられるから」
『なるほど』
『急にまとも』
「ずっとまともだけど」
『?』
「その『?』やめて」
ゲームを続ける。
30分。
1時間。
モニターの中の景色が次々と変わっていく。
草原から遺跡へ。
遺跡から薄暗い洞窟へ。
最初は操作性だけだった不満が、少しずつ増えていった。
「なんで今ロックオン外れたの?」
『仕様です』
「敵が画面外に行ったら外れるの?」
『仕様です』
「なんで?」
『仕様です』
「説明になってない」
さらに進む。
床に落ちていたアイテムを拾う。
「このアイテム何?」
『回復』
「説明ないけど」
『使えば分かる』
「使ったらなくなるじゃん」
『そういうゲームです』
「不親切すぎない?」
不満が1つ増えるたび、コメント欄が楽しそうになる。
かぐやにはそれも少し腹立たしい。
どうやら視聴者の何人かは、ゲームそのものより、かぐやがいつ怒り始めるのかを待っているらしい。
1時間半。
ボス戦。
巨大な敵が咆哮する。
画面が揺れた。
「待って待って待って」
画面いっぱいに巨大な敵が暴れ回る。
巨体が主人公へ迫り、かぐやは回避する。
敵が横へ抜ける。
カメラが遅れて追いかける。
「カメラ! カメラ!」
『敵じゃなくてカメラと戦ってる』
「見えないって!」
壁際に追い込まれる。
カメラが主人公へ極端に寄る。
画面の半分以上が壁で埋まった。
「どこ!? 敵どこ!?」
次の瞬間。
画面外から攻撃。
主人公の体力が一気に消える。
死亡。
「…………」
静寂。
コントローラーを握ったまま、かぐやは画面を見つめる。
『草』
『これはひどい』
『今のはゲームが悪い』
「でしょ!?」
反応は一瞬だった。
『嬉しそう』
「ほら! 今の見た!?」
『見た』
『これは擁護できない』
「こういうことなんだよ!」
『何が?』
「クソゲーってこういうこと!」
『ついに言った』
『クソゲー認定入りました』
かぐやは椅子へ座り直す。
さっきまでの苛立ちが、ようやく言葉になった。
「難しいとかじゃないんだよ。敵が強いのはいいの。負けるのもいい。でも見えないところから殴られるのは違うでしょ」
『熱弁』
『クソゲー評論家』
「大事なことだから」
負けること自体が嫌なのではない。
自分が判断を間違えた。
回避が遅れた。
攻撃するタイミングを欲張った。
そういう理由なら、何度負けてもいい。
次はどうするかを考えられるからだ。
けれど。
見えない敵の攻撃を避けろと言われても困る。
自分のミスではないことで失敗させられるのは、好きではない。
それからさらに30分。
『まだやるの?』
「やるよ」
『クソゲーなんでしょ?』
「クソゲーだからって途中でやめたら、本当にクソゲーか分からないでしょ」
『もう認定してたじゃん』
「暫定」
『後付けで草』
「最後まで評価する姿勢が大事なの」
『プロ意識』
『ただの負けず嫌いでは?』
「違う」
『じゃあやめてもいいじゃん』
「嫌」
『なんで?』
「ここでやめたらゲームに負けたみたいじゃん」
『もう何回も負けてるよ』
「うるさい」
図星だった。
少なくとも、半分くらいは。
2時間。
2時間半。
日付はとっくに変わっていた。
けれど、かぐやは文句を言いながらも、ゲームをやめなかった。
理不尽な敵に怒り。
分かりにくいマップに迷い。
妙に長いロード時間に無言になり。
ジャンプのたびに少し身構えるようになり。
それでも少しずつ先へ進んでいく。
腹が立つ。
操作しにくい。
不親切だ。
カメラは最悪。
それでも。
あと少し進めば何かあるかもしれない。
次のボスは面白いかもしれない。
そのわずかな期待があるから、コントローラーを置けない。
そして――
「よし!」
最後の一撃が決まった。
巨大なボスの体力ゲージがゼロになる。
敵が崩れ落ちる。
画面に勝利を示す演出が広がった。
『おおおお』
『勝った』
『やるじゃん』
「見た?」
『見た』
『普通に上手かった』
『今日も可愛い』
「今それ関係ある?」
『結婚してくれ』
「嫌です」
『本日2回目』
「何回言われても嫌なものは嫌だから」
かぐやは満足そうに息を吐いた。
散々文句を言った。
それでも、強敵を倒した瞬間だけは素直に嬉しい。
だから余計に腹が立つ。
全部が駄目なら、迷わずやめられるのに。
かぐやは時計を見る。
「……え?」
『どうした』
「もう3時間?」
『そうだよ』
『もう2時半だよ』
配信を始めたのが午後11時30分。
確かに、それくらい経っている。
けれど、体感ではもっと短かった。
「早くない?」
『3時間です』
『1000年以上生きてる人の3時間』
「3時間くらい誤差でしょ」
『出た』
『長寿の時間感覚』
かぐやにとって、3時間という時間は決して長くない。
1000年以上を生きてきた彼女にとっては、ほんのわずかな時間だ。
けれど、ゲームをしているときの3時間は、どうしてこうも短いのだろう。
ついさっき配信を始めたばかりのような気がする。
『明日も配信あるんじゃないの?』
「あるよ」
『寝ろ』
「まだ眠くない」
『かぐやの大丈夫は信用できない』
「友達にも同じこと言われた」
『草』
『誰?』
「他人の個人情報は言えない」
『急にまとも』
『配信者の鑑』
『彼氏?』
「違う」
『彼女?』
「違う」
『じゃあ俺と』
「嫌です」
『鉄壁』
かぐやはゲーム画面へ視線を戻す。
まだ先へ続く道が映っている。
少しだけ気になる。
けれど、今日はここまでと決めていた。
「今日はここまでにする」
『おつ』
『結局どうだった?』
「何が?」
『ゲーム』
『評価』
『クソゲー?』
「ああ」
かぐやは少し考えた。
3時間遊んだ。
良いところもあった。
探索はそれなりに楽しい。
隠された道を見つけるのも好きだった。
ボス戦も、カメラさえまともなら悪くない。
景色も綺麗だ。
操作に慣れてくれば、最初ほどジャンプも気にならなくなった。
だが。
「クソゲー」
『即答』
『3時間やってたじゃん』
「3時間やったから言ってるの」
『何点?』
「…………」
かぐやは少し考える。
悪いところだけなら、もっと低い。
でも面白いところも確実にある。
悔しいが、それは認めなければならない。
「65点」
『高くない?』
『クソゲーとは』
『普通じゃん』
「クソゲーとつまらないゲームは別だから」
『???』
『哲学始まった』
「面白いところはあるんだよ。でもダメなところが明確にダメなの」
面白くなければ、最初から期待しなかった。
面白いからこそ、もっと良くできたはずだと思ってしまう。
それが、かぐやには何より腹立たしかった。
もう少し操作が良ければ。
もう少し説明が親切なら。
カメラがまともなら。
もっと面白かったはずなのに。
その「はずなのに」が、かぐやにとっては大きかった。
『じゃあ明日もやる?』
「やらない」
『絶対やる』
「やらないって」
『続き気になってるでしょ』
「別に」
ほんの少しだけ気になっている。
もちろん、言わない。
『明日もやるに1000円』
「賭けないで」
かぐやは配信終了の操作に手を伸ばす。
「じゃあ今日は終わり。おつかれさまでした」
『おつー』
『おやすみ』
『楽しかった』
『クソゲー回好き』
『明日も待ってる』
「だから明日はやらないって」
『今日も可愛かった』
「ありがと」
『結婚してくれ』
「嫌です」
『最後まで草』
「じゃあね」
配信を終了した。
画面からコメント欄が消える。
「…………」
急に部屋が静かになった。
つい数秒前まで、何百人もの言葉が流れ続けていた場所には、ゲームのメニュー画面だけが残っている。
スピーカーから流れる小さなBGM。
パソコンのファンの音。
部屋の外から聞こえる、月光荘のかすかな生活音。
かぐやは椅子の背もたれに身体を預ける。
「疲れた……」
身体から力が抜けた。
3時間。
初見のゲームに振り回され続けた。
ジャンプに文句を言い。
ロックオンに文句を言い。
説明不足に文句を言い。
カメラには本気で怒った。
それでも3時間やった。
かぐやはまだ表示されたままのゲーム画面を見る。
「ほんとクソゲー……」
ぽつりと呟く。
ゲームを終了しようとして、手が止まった。
画面には、まだ先へ続く道が映っている。
「…………」
数秒眺めてから、ようやくゲームを終了した。
その直後。
ぐぅ。
「…………」
かぐやは自分のお腹を見る。
ゲームへの評価など、一瞬でどうでもよくなった。
「お腹空いた」
何かあっただろうか。
冷蔵庫の中身を思い出す。
すぐに食べたいものは浮かばない。
少し考える。
「……ポテチ食べたい」
その瞬間、口の中が完全にポテトチップスを求め始めた。
塩気。
油。
ぱりぱりした食感。
深夜に食べるには、あまり身体に良さそうではない。
だからこそいい。
かぐやは立ち上がる。
こんな時間でも、コンビニなら開いている。
それに――
「アカリ、今日いるよね」
同じ月光荘に住む友人の勤務日を思い出す。
上着を羽織り、部屋を出る。
目的地は『カマル三日月中央店』。
もちろん、この時点ではまだ――
コンソメにするか塩にするかなんて、考えてもいなかった。




