↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/11

第2話「吸血姫は現代社会が好き②」

 午前2時47分。


「ありがとうございましたー」


 自動ドアが閉まる。


 夜の冷たい空気がわずかに入り込み、それもすぐに店内の空調へ溶けていった。


 紅月アカリはレジの前で小さく息を吐く。


 深夜の『カマル三日月中央店』。


 夕方から続いていた客足もすっかり落ち着き、店内には静かなBGMと、飲料ケースの低い駆動音だけが流れている。


 窓の向こうに見える有明交差点も、この時間になると静かなものだった。


 信号だけが律儀に色を変え、ときおり通り過ぎる車のヘッドライトが、ガラス越しに店内を横切っていく。


「暇だなぁ……」


 レジ横の時計を見る。


 午前2時48分。


 1分しか経っていない。


「…………」


 もう1度見ても、当然2時48分だった。


 次の休憩までは、まだ少しある。


 アカリは軽く伸びをして、乱れていた商品の向きを直した。


 こういう時間は嫌いではない。


 忙しいのは面倒だ。


 レジに列ができれば疲れるし、揚げ物を頼まれた直後に宅配便を持ち込まれ、その最中に別の客から煙草の番号を告げられたりすると、さすがに515歳の吸血姫でも少し嫌になる。


 かといって、暇すぎるのも困る。


 時計を見る回数が増えるからだ。


 長く生きているからといって、待ち時間に強いわけではない。


 何事もほどほどが一番である。


 そんなことを考えていると、


 ピロリン。


 自動ドアが開いた。


「いらっしゃいませー」


 身体に染みついた反射で声を出す。


 そして、入ってきた客を見て瞬きをした。


「あ」


「おつかれ、アカリ」


「かぐやじゃん」


 月永かぐやだった。


 腰近くまで伸びた艶のある黒髪。


 一直線に切り揃えられた前髪の下には、整いすぎているほど整った顔立ちがある。


 すらりとしたモデルのような体型。


 長い手足。


 黙って立っているだけなら、誰もが思わず振り返るような絶世の美女だった。


 月永かぐや。


 同じ月光荘に住む、アカリの友人。


 動画配信者。


 そして――地球人ではない。


 月の民である。


 かつてより、彼女を指して使われる呼び名がある。


 『月の都の姫君』。


 その名に違わぬ美貌を持つ、月の民の姫。


 ――服装を除けば。


 ジャージ。


 Tシャツ。


 以上。


 化粧っ気もほとんどなく、どう見ても「家からそのまま出てきました」という格好だった。


 月の都の姫君が、午前2時48分にジャージ姿でコンビニへ入ってくる。


 美人というものは、服装が適当でも美人らしい。


 少し不公平だとアカリは思う。


「こんな時間にどうしたの?」


「配信終わった」


「ああ、おつかれ」


「お腹空いた」


「なるほど」


 理由としては十分だった。


 月の民だとか。


 月の都の姫君だとか。


 絶世の美女だとか。


 そんな大層な肩書きよりも、今の彼女を説明するのに一番正確なのは、


 配信終わりにジャージ姿でポテチを買いに来た女。


 たぶん、それだった。


「ポテチ食べたい」


「そこ」


「知ってるよ」


「じゃあ聞かないでよ」


「聞いてないけど」


「…………」


 アカリは黙った。


 確かに聞かれていなかった。


 かぐやは何事もなかったように菓子売り場へ向かう。


 アカリはその背中を見送りながら、小さく首を傾げた。


 疲れているのだろうか。


 いや。


 たぶん、いつも通りだ。


 そういうことにして、レジ横の商品を整える。


 しばらくして。


「アカリ」


「なに?」


「コンソメと塩、どっちがいいと思う?」


 売り場を見る。


 かぐやは両手にそれぞれポテトチップスの袋を持っていた。


 真剣な顔をしている。


 515年生きてきたアカリにも分からない。


 なぜ人は――あるいは月の民は――ポテトチップスの味を選ぶとき、あれほど真剣な顔になるのだろう。


「コンソメ」


「じゃあ塩にする」


「なんで聞いたの?」


「参考にした」


「何の?」


 かぐやは塩味のポテトチップスをカゴへ入れた。


「コンソメは?」


「今日はいいかな」


「じゃあ最初から塩でよかったじゃん」


「悩むことに意味があるんだよ」


「そうなんだ」


 よく分からない。


 だが、かぐやが満足しているならそれでいい。


 アカリは商品の向きを揃える作業へ戻った。


 これで買い物は終わっただろう。


 そう思っていた。


「アカリ」


「今度は何?」


「このカップ麺、美味しい?」


「ポテチ買いに来たんじゃなかったの?」


「見てたら食べたくなった」


 かぐやはカップ麺を1つ持っている。


 やたらと大きい。


 黒と赤を基調にした容器には、黄色い太文字で商品名が躍っていた。


 『アメリカン肉味噌二郎ヌードル』。


 名前からして強い。


 パッケージには、山盛りの太麺。


 大量の肉。


 これでもかと盛られた野菜。


 その上からかけられた濃厚な肉味噌。


 さらに背後には、なぜか星条旗を思わせる派手な模様まで描かれている。


 アメリカなのか。


 肉味噌なのか。


 二郎なのか。


 ヌードルなのか。


 情報量が多い。


 だが、それこそがこの商品の魅力でもあった。


 蓋を開けた瞬間から漂う、にんにくと脂の匂い。


 濃い肉味噌。


 食べ応えのある太麺。


 申し訳程度ではない大量の肉。


 健康という言葉を真正面から殴り飛ばすような味。


 ジャンクフード好きには堪らない。


 そして――。


 深夜に食べると、とんでもなく背徳感がある。


 現在、午前2時台。


 まさに最適な時間だった。


「それは美味しいよ」


「やっぱり?」


「ジャンクフード好きならかなり好きだと思う」


 かぐやは改めてパッケージを見る。


「美味しそう」


「美味しいよ。めちゃくちゃ味濃いけど」


「いいじゃん」


「しかも今から食べるんでしょ?」


「そのつもりだけど」


「深夜に?」


「うん」


「ポテチと?」


「うん」


 アカリは、かぐやの手にある『アメリカン肉味噌二郎ヌードル』を見る。


 それから、カゴの中の塩味のポテトチップスを見る。


「背徳感すごそう」


「それがいいんじゃん」


「ああ、そっちなんだ」


 悪びれる様子が一切ない。


 むしろ、かぐやは少し楽しそうだった。


 ジャンクフードに関しては、かぐやの判断基準は分かりやすい。


 味が濃い。


 脂っこい。


 身体に良さそうには見えない。


 深夜に食べたら少し後悔しそう。


 だいたいその辺りが揃うほど、評価が上がる。


「じゃあこれにする」


「両方食べるの?」


「配信頑張ったから」


「便利な言葉だね、それ」


「今日は3時間やった」


「それはおつかれ」


「でしょ?」


 かぐやは満足そうに『アメリカン肉味噌二郎ヌードル』もカゴへ入れた。


 塩味のポテトチップスの隣に、巨大なカップ麺が収まる。


 夜食として見ると、かなり強い。


 だが本人が幸せなら、それでいいのだろう。


 そのままレジへ来るのかと思えば、今度は飲み物の棚へ向かう。


「まだ買うの?」


「喉乾いた」


「そりゃ乾くよ」


「まだ食べてないよ」


「そうだった」


 アカリは苦笑した。


 かぐやは冷蔵ケースを開け、ペットボトルのお茶を1本取った。


 そのとき。


「あ」


 指先から、ペットボトルが滑った。


 ――はずだった。


 次の瞬間には、かぐやの手の中に戻っていた。


 床に落ちる音はしなかった。


 アカリはレジの向こうから、じっとかぐやを見る。


「今、しょうもないことで時間止めたでしょ」


「見えてないでしょ」


「見えなくても分かるよ」


「落としたら迷惑だから」


「能力の使い道が小さいんだよ」


「便利なんだからいいでしょ」


「まあ、そうだけど」


 かぐやは何事もなかったように冷蔵ケースを閉めた。


 その手には、当然のようにペットボトルが収まっている。


 月の都の姫君。


 その力の使い道が、ペットボトルの救出である。


 アカリは苦笑した。


 しかし、こうして店内をうろうろしているかぐやを見ていると、さっきまで感じていた暇はいつの間にか消えていた。


 時計を見ることも忘れている。


 暇つぶしとしては、かなり優秀なのかもしれない。


 本人には言わないけれど。


 数分後。


 ようやく、かぐやがレジへやってきた。


 カゴの中には塩味のポテトチップス。


 『アメリカン肉味噌二郎ヌードル』。


 ペットボトルのお茶。


 午前3時前に食べるものとしては、なかなかの布陣である。


「以上?」


「たぶん」


「たぶんって何」


 アカリは商品をスキャンしていく。


 ピッ。


 ピッ。


 ピッ。


 聞き慣れた電子音が響く。


「そういえば」


「ん?」


「ここ来る途中、変なの見た」


「何?」


 ピッ、と『アメリカン肉味噌二郎ヌードル』を読み取る。


「頭が鶏の牛」


 アカリの手が一瞬止まった。


 頭の中で想像する。


 牛の身体。


 鶏の頭。


「え、キモ」


「キモかった」


「何してたの?」


「道の端で草食べてた」


「牛じゃん」


「頭は鶏だったよ」


「じゃあキモいね」


「でしょ」


 想像の中の生き物が、さらに気持ち悪くなった。


「それでどうしたの?」


「しばらく見てた」


「よく見るね」


「気になるでしょ」


「まあ、ちょっとね」


「そしたら、ふっと消えた」


「へえ」


「それだけ」


「そっか」


 それで話は終わった。


 頭が鶏の牛。


 普通なら、もう少し気にするべきなのかもしれない。


 写真を撮るとか。


 誰かに相談するとか。


 逃げるとか。


 少なくとも「そっか」で終わらせる話ではない。


 しかし、ここは三日月町である。


 変なものなら、たまにいる。


 人に危害を加えているならともかく、道端で草を食べていただけなら、今のところ問題はない。


 牛なのか。


 鶏なのか。


 怪異なのか。


 その辺りはよく分からないが。


 草を食べているなら、好きに食べさせておけばいい。


「それでさ」


「うん」


「これ何分?」


「書いてるでしょ」


 怪異よりカップ麺の方が重要らしい。


 アカリは『アメリカン肉味噌二郎ヌードル』の容器を見る。


「3分」


「3分か」


「待てる?」


「それくらい待てるよ」


「ゲームのマッチングは10秒で文句言うのに」


「あれは長い」


「3分の方が長いよ」


「体感時間が違うんだよ」


「そういうもん?」


「そういうもん」


 よく分からない。


 だが、ゲームのマッチング画面を前にしたかぐやが10秒ほどで「遅い」と言い始めるのは事実だった。


 アカリは袋を取り出す。


「袋いる?」


「いる」


「珍しいね」


「カップ麺もあるから」


「なるほど」


 商品を袋へ入れていく。


 巨大な『アメリカン肉味噌二郎ヌードル』が、袋の大半を占領した。


「お箸1膳入れとくね」


「ありがと」


「お湯は?」


「家で入れる」


「了解」


 会計を終える。


 アカリはいつもの調子で頭を下げた。


「ありがとうございましたー」


「まだ帰らないよ」


「帰ってよ」


「ひどくない?」


「アタシ、仕事中なんだけど」


「知ってる」


「じゃあ帰って」


 かぐやは袋を持ったまま、レジの横に立っている。


 帰る気配がない。


「暇なんだよ」


「アタシは暇じゃないよ」


「さっき暇って言ってたじゃん」


「聞いてたの?」


「外から」


「怖」


「怪異に言って」


「頭が鶏の牛は関係ないでしょ」


 アカリは思わず笑いそうになった。


 こういうところが、かぐやらしい。


 月の民だとか。


 『月の都の姫君』だとか。


 時間を止められるだとか。


 そういう普通ではない部分はいくらでもある。


 けれど実際に一緒に暮らしてみれば、深夜にポテチを買いに来て、買う味を悩み、カップ麺まで追加して、落としかけたペットボトルのために時間を止め、友人の仕事場で暇を潰そうとする。


 少なくともアカリにとっては、そちらの方がずっと「かぐや」だった。


 ピロリン。


 自動ドアが開いた。


「いらっしゃいませー」


 アカリの声が、一瞬で店員のものに戻る。


 入ってきた客は飲み物を1本手に取り、そのままレジへやってきた。


「こちらですね」


 ピッ。


「袋は大丈夫ですか?」


「はい」


「ありがとうございます」


 会計を済ませる。


「ありがとうございましたー」


 自動ドアが閉まった。


 店内が再び静かになる。


 アカリは息を吐いた。


 そして横を見る。


 かぐやがまだいる。


「帰ってなかったの?」


「いたら駄目なの?」


「駄目じゃないけど」


「じゃあいる」


「めんどくさ」


「聞こえてるよ」


「聞こえるように言ったからね」


 かぐやは気にした様子もない。


 むしろ少し楽しそうだった。


「そういえば今日の配信どうだったの?」


 アカリが聞く。


 すると。


 ついさっきまで普通だったかぐやの表情が、露骨に曇った。


「最悪」


「なんで?」


「クソゲー引いた」


「ああ……」


 それだけで、だいたい察した。


 かぐやはゲームが好きだ。


 上手い。


 負けず嫌いでもある。


 だからこそ、理不尽なゲームに当たったときの機嫌は、とても分かりやすい。


「開始20分で同じところ3回落ちた」


「それはゲームが悪いの?」


「ゲームが悪い」


「ほんとに?」


「ゲームが悪い」


 2回言った。


 どうやら相当腹が立っているらしい。


「コメントは?」


「笑ってた」


「楽しそうじゃん」


「わたしは楽しくない」


「配信としては成功じゃない?」


「わたしが楽しくない」


「大事なことだから2回言った?」


「うん」


 アカリは吹き出した。


 視聴者からすれば、かぐやが本気で腹を立てている姿も含めて面白いのだろう。


 本人にとってはたまったものではないようだが。


「じゃあポテチとカップ麺で忘れなよ」


「そうする」


「食べたら寝なよ」


「ゲームする」


「寝なよ」


「まだ眠くない」


「明日も配信するんでしょ?」


「するよ」


「じゃあ寝た方がいいって」


「大丈夫」


 アカリはじっとかぐやを見る。


 その言葉には覚えがある。


「かぐやの大丈夫は信用できないよ」


「またそれ言ってる」


「実績があるから」


「失礼だなぁ」


 かぐやは不満そうに言いながら、ようやく出口へ向かった。


「じゃあ帰る」


「うん」


「仕事頑張って」


「ありがと」


「帰ったらゲームしよ」


「話聞いてた?」


「一応」


「今日は寝るよ」


「起きてたら?」


「……起きてたらね」


 言った瞬間、アカリは少し後悔した。


 この返事をすると、たぶん本当に待っている。


「じゃあ待ってる」


 ほら。


「待たなくていいから」


 ピロリン。


 自動ドアが開く。


 外の冷たい空気が、かぐやの長い黒髪をわずかに揺らした。


「じゃあね、アカリ」


「おやすみ、かぐや」


「まだ寝ないよ」


「寝なよ」


 自動ドアが閉まった。


「…………」


 静かになった。


 さっきまでかぐやが立っていた場所には、当然もう誰もいない。


 BGM。


 冷却機の駆動音。


 窓の向こうで色を変える信号。


 いつもの深夜のコンビニに戻った。


 アカリはレジに肘をつきそうになって、仕事中なのを思い出してやめる。


「自由だなぁ……」


 小さく呟いた。


 515歳の吸血姫から見ても、かぐやはかなり自由だった。


 もっとも。


 退屈だった数十分が思ったより早く過ぎたことについては、黙っておくことにした。


 アカリは乱れた商品の向きを直した。


     ◇


 それからしばらくして。


 休憩に入ったアカリはバックヤードの椅子へ腰を下ろした。


「つかれた……」


 大して忙しかったわけではない。


 それでも仕事中の休憩というものは、座った瞬間に身体から力が抜ける。


 ポケットからスマートフォンを取り出す。


 画面を点灯。


 通知が1件。


 かぐやからだった。


「…………」


 嫌な予感がする。


 メッセージを開く。


『コンソメも買えばよかった』


「…………」


 アカリはしばらく画面を眺めた。


 さっき。


 自分は。


 コンソメと言った。


『知らないよ』


 送信。


 数秒後。


 既読。


『買ってきて』


「仕事中だよ」


 思わず声に出た。


『自分で来て』


『もう家』


『じゃあ諦めて』


 少し間が空いた。


『明日買う』


『そうしな』


 スマートフォンを伏せる。


 静かになった。


 時計を見る。


 午前3時を少し回ったところだった。


 外はまだ暗い。


 夜明けまでは、もう少しある。


 アカリは椅子の背もたれへ身体を預けた。


 頭が鶏の牛が、どこへ消えたのかは知らない。


 あれが何だったのかも知らない。


 かぐやが本当に寝るのかも知らない。


 たぶん、寝ない。


 そして明日になれば、きっとコンソメ味のポテトチップスを買うのだろう。


「……最初から両方買えばよかったじゃん」


 誰もいないバックヤードで呟く。


 返事はない。


 当然である。


「さて」


 アカリは立ち上がった。


 休憩終了。


 制服の裾を軽く整え、売り場へ戻る。


 朝までもうひと仕事。


 吸血姫の夜は、まだ少しだけ続く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。