第9話「吸血姫は現代社会が好き④」
深夜のコンビニは、昼間とは少し違う顔を見せる。
白い照明に照らされた商品棚。静かな店内に流れる有線放送。時折聞こえる冷蔵ケースの低い駆動音。
大きな窓の向こうには駐車場が広がり、その先の有明交差点を、たまに車が通り過ぎていく。
カマル三日月中央店。
紅月アカリは、カップ麺の品出しをしていた。
「よいしょっと」
段ボールから取り出した商品を、棚の奥へ並べていく。
前にある商品を少しずらし、新しいものを後ろへ入れる。賞味期限を確認して、また次の商品を取り出す。
単純な作業だが、アカリは嫌いではなかった。
棚がきれいに埋まっていくのは、なんとなく気持ちがいい。それに、こうして手を動かしていれば時間も早く過ぎる。
500年以上生きている吸血鬼が、深夜のコンビニでカップ麺を並べている。
冷静に考えれば妙な光景だが、本人は特に気にしていない。
現代社会では、吸血姫だろうと働かなければ生活できないのだ。
「んー、あと3つ」
最後の商品を並べ終え、アカリは立ち上がった。
ふと、壁の時計が目に入る。
午前0時39分。
「あ、そろそろかな」
店内を見渡す。
客の姿はない。
つい先ほどまで雑誌を眺めていた男性も、すでに帰っていた。
アカリは空になった段ボールを畳み、通路の端へ寄せる。
その時だった。
ピロリロリン。
自動ドアのチャイムが鳴った。
「いらっしゃいませー」
いつもの調子で声をかけ、入口へ目を向ける。
黒いオーバーサイズのパーカー。
だぼだぼのカーゴパンツに、大きなスニーカー。
首元には銀色のチェーンが揺れている。
いかにもヒップホップが好きそうな格好だった。
ただし、頭がテレビだった。
それも、今ではほとんど見かけなくなったブラウン管テレビである。
四角い画面には、ざらざらと白黒の砂嵐が映っていた。
「あ、やっぱり来た」
アカリが言うと、画面の砂嵐が消えた。
『こんばんは』
白い文字が浮かび上がる。
「こんばんは。今日も時間ぴったりだね」
『YES』
「毎日よく来るねえ」
テレビ頭の客は軽く会釈した。
そのまま店の奥へ歩いていく。
アカリはその後ろ姿を眺めながら、畳んだ段ボールを持ち上げた。
この妙な客が現れるようになって、もう何日か経つ。
最初に見た時は、さすがのアカリも目を疑った。
人間の身体にテレビの頭。
しかも、服装は妙に今どきのストリートファッションだ。
500年以上も生きていれば、人間ではないものと出くわすことも珍しくない。
アカリ自身、吸血鬼なのだからなおさらだ。
それでも、頭がテレビになっている怪異は初めて見た。
もっとも、驚いたのは見た目だけである。
この客は毎回、普通に商品を選び、普通に会計を済ませる。
店内で騒ぐこともなければ、商品を壊すこともない。
画面に文字を表示して、挨拶までしてくれる。
深夜には酔っ払いの相手をすることもあるアカリにとって、むしろありがたい客だった。
ただし、1つだけ問題がある。
「……今日はちゃんと持って帰ってくれるといいんだけど」
アカリは小さくため息をついた。
◇
数分後。
テレビ頭の客がレジへやってきた。
手にしているのは、カップ麺と鮭のおにぎり、ペットボトルのお茶。それからチョコレート菓子が1箱。
「あ、今日はカップ麺なんだ」
『YES』
「昨日はサンドイッチだったよね」
『YES』
「毎回ちょっとずつ違うの買うよね」
画面に砂嵐が走る。
少し間を置いて、文字が表示された。
『YES』
「……まあ、そうだよね」
アカリは苦笑しながらバーコードを読み取った。
どうやら、この客は聞かれたことには答えてくれるらしい。
ただし、答えられることに限る。
「おにぎり温める?」
『NO』
「袋は?」
『YES』
「はいはい」
アカリは手際よく商品を袋に詰めた。
テレビ頭の客は、パーカーのポケットから財布を取り出す。
そこから出てきたのは、ごく普通の1,000円札だった。
アカリは紙幣を受け取り、釣り銭を渡す。
「はい、お釣りとレシートね」
『ありがとう』
「どういたしまして」
画面の文字が消え、再び砂嵐が流れ始める。
客は袋を提げ、出口へ向かった。
「あ、ちょっと待って」
アカリが呼び止める。
テレビ頭が振り返った。
「今日こそ、ちゃんと持って帰ってよ?」
画面に文字が浮かぶ。
『……』
「いや、黙らないでよ」
『YES』
「ほんと?」
『……』
「絶対嘘じゃん」
アカリは呆れたように笑った。
テレビ頭は何も言わず、軽く頭を下げる。
そして自動ドアを抜け、夜の駐車場へと出ていった。
◇
アカリはレジの内側から、窓の向こうを眺めた。
テレビ頭の客が、街灯の下をゆっくり歩いていく。
駐車場のアスファルトには、昼間に降った雨の名残がまだ少し残っていた。
濡れた地面に街灯の光が反射し、テレビ頭の影が長く伸びる。
客は駐車場の端まで歩くと、いつもの場所で立ち止まった。
「あー……」
アカリは嫌な予感がした。
というより、もう結果は分かっていた。
次の瞬間。
テレビ頭の身体に、ざらりとノイズが走った。
輪郭がぼやけ、白黒の粒が全身を覆っていく。
まるで古い映像の受信状態が悪くなったように、その姿が細かく揺らいだ。
そして。
ふっ、と消えた。
そこには誰もいない。
ただ、買い物袋だけがアスファルトの上に残されていた。
「……ほらね!」
アカリは思わず声を上げた。
誰もいない店内に、その声が妙によく響く。
「だから持って帰ってって言ったじゃん!」
当然ながら、返事はない。
アカリは窓越しに袋を睨んだ。
これで何度目だろう。
あの客は、必ず同じ場所で消える。
そして、購入した商品だけを残していく。
最初は何かの悪戯かと思った。
だが、何日も同じことが続けば、さすがにそうではないと分かる。
そもそも、姿が消える時点で普通の悪戯ではない。
「……ほんと、何がしたいんだろ」
アカリはため息をつき、レジへ戻った。
今すぐ拾いに行きたいところだが、勤務中に勝手に店を空けるわけにもいかない。
吸血姫にも、守らなければならない勤務上の決まりがある。
それが現代社会というものだった。
◇
午前1時を少し過ぎた頃。
ほかの従業員に一声かけ、アカリは駐車場へ出た。
外の空気はひんやりとしていた。
昼間の暑さはすっかり引き、夜風が赤い髪を揺らしていく。
有明交差点の信号が、青から赤へと変わる。
車の通らない道路は静かだった。
「さて、と」
アカリは街灯の下へ歩いていく。
そこには、先ほどの買い物袋が置かれていた。
袋の口を開き、中身を確認する。
カップ麺。
おにぎり。
お茶。
チョコレート。
どれも先ほどレジを通した商品だ。
特に変わったところはない。
アカリはおにぎりを1つ取り出し、包装を眺めた。
「……普通のおにぎりなんだよねえ」
怪異が買ったものだからといって、何か特別な力が宿っているわけでもなさそうだ。
少なくとも、アカリにはそう感じられた。
食べ物を買って、食べずに置いていく。
しかも毎日。
何か目的があるのだろうか。
それとも、あの怪異にとっては、買い物をすること自体に意味があるのだろうか。
「……分かんないなあ」
アカリはおにぎりを袋へ戻した。
500年以上生きていても、世の中には知らないことが山ほどある。
昔から存在する怪異もいれば、いつの間にか現れるようになった怪異もいる。
中には、何を考えているのかまったく分からないものだっている。
だからといって、全てを理解する必要があるとも思わない。
人間だって、全員が全員、理解し合えるわけではないのだから。
「でもさあ……」
アカリは袋を持ち上げた。
「せめて片付ける人のことくらい考えてほしいんだけど」
怪異相手に愚痴を言っても仕方がない。
それでも言いたくなる時はある。
店長には以前から、頭がブラウン管テレビの客が、買った商品を駐車場に置いて消えてしまうと報告してある。
三日月町では、怪異が現れること自体はそれほど珍しい話ではない。
だから店長も、テレビ頭の客が来ることには驚いたものの、怪異だからという理由だけで大騒ぎすることはなかった。
ただ、毎回商品を置いていかれるのは困る。
結局、残された商品は忘れ物として一時的に保管することになった。
「……これで何袋目だっけ」
アカリはため息をつき、店へと戻った。
◇
翌日。
午前0時39分。
アカリはレジ横で商品の補充をしていた。
店内には、立ち読みをしている男性が1人いる。
壁の時計をちらりと見る。
「……そろそろかな」
そういえば、あの客が来る時は、いつも店内に誰もいない。
偶然だろうか。
それとも、誰もいなくなるのを待っているのだろうか。
アカリがそんなことを考えていると、男性が雑誌を棚に戻した。
そのまま何も買わず、店を出ていく。
「ありがとうございましたー」
自動ドアが閉まる。
売り場には、アカリだけが残された。
午前0時40分。
ピロリロリン。
「いらっしゃいませー」
現れたのは、いつものテレビ頭だった。
黒いパーカーに太いズボン。
首元のチェーンが、歩くたびに小さく揺れる。
画面には砂嵐。
「あ、こんばんは」
『こんばんは』
「今日も来たね」
『YES』
アカリは腕を組み、テレビ頭を見つめた。
「ねえ、ちょっと聞いていい?」
『YES』
「何で毎回、買ったもの置いて消えちゃうの?」
画面に砂嵐が走った。
しばらく待っても、文字は出てこない。
「持って帰れないの?」
『……』
「それとも、持って帰る気がないとか?」
『……』
「……答えたくない?」
数秒後。
『NO』
「え、じゃあ答えられないの?」
『YES』
「ふうん……」
アカリは少し考えた。
どうやら、わざと無視しているわけではないらしい。
それなら、これ以上聞いても仕方がない。
「そっか。何か事情があるのかな」
画面には砂嵐が流れている。
「まあ、無理に聞かないけどさ。毎回片付けるの、アタシなんだからね?」
画面が暗くなった。
少しして、白い文字が浮かぶ。
『ごめんなさい』
「……まあ、謝ってくれるだけマシかな」
『ありがとう』
「いや、まだ許したとは言ってないよ」
テレビ頭は静かに頭を下げた。
その姿が妙に律儀で、アカリは思わず笑ってしまった。
「ほんと変なやつ」
相手が怪異であることは分かっている。
正体も、目的も、何一つ知らない。
それでも、こうしてやり取りをしていると、ただの変わった常連客のように思えてくる。
「ほら、買い物するんでしょ?」
『YES』
「じゃあ、ごゆっくりー」
テレビ頭は軽く会釈し、商品棚へ向かった。
◇
その日の買い物は、昨日より少なかった。
サンドイッチが1つ。
缶コーヒーが1本。
それから、小さなチョコレート菓子が1箱。
「今日は控えめだね」
『YES』
「袋は?」
『YES』
「はいはい」
アカリは商品を袋に詰めた。
会計を終え、テレビ頭が出口へ向かう。
「ありがとうございましたー」
そこで、アカリはふと思いついた。
「あ、そうだ」
テレビ頭が振り返る。
「明日も来る?」
画面に砂嵐が流れた。
やがて、白い文字が浮かぶ。
『YES』
「そっか」
アカリは小さく笑った。
「じゃあ、また明日ね」
画面が切り替わる。
『ありがとう』
自動ドアが開いた。
テレビ頭は夜の駐車場へと歩いていく。
アカリはその後ろ姿を、窓越しに眺めていた。
街灯の下。
いつもの場所。
テレビ頭の身体にノイズが走る。
そして、ふっと消えた。
買い物袋だけが、ぽとりと地面に落ちる。
アカリはしばらく無言でそれを見つめていた。
「……いや、だからさあ」
深いため息。
「謝るくらいなら、ちゃんと持って帰ってよ!」
深夜のコンビニに、吸血姫の声が響いた。
◇
三日月町には、色々な怪異がいる。
人を襲うもの。
人を惑わすもの。
そして、人知れず、ひっそりと暮らしているもの。
中には、深夜のコンビニで買い物をしては、購入品だけを残して消えてしまうものもいる。
その怪異が何者なのか。
なぜ買い物をするのか。
どうして商品を置いていくのか。
今のところ、誰にも分からない。
ただ一つ、確かなことがある。
明日の午前0時40分頃。
店内にほかの客がいなければ、きっとまた自動ドアが開く。
そして、ブラウン管テレビの画面に白い文字が浮かぶのだ。
『こんばんは』
それが、三日月町に現れる怪異――深夜テレビである。




