表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
7/32

第7話 火脈を餌場にする魔物

 食事処を出た俺は、満たされた腹をさすりながら温泉へ向かった。

 店主に町で一番の湯を尋ねたところ、町の最奥にある大浴場を勧められた。

 火脈から引いた湯をそのまま使っており、フォルネアへ来たなら一度は入っておくべきらしい。

 露店で冷たい果実水を買い、気になる店があれば足を止める。

 温泉で蒸した卵や菓子、火脈の熱を利用した工房。

 勇者として訪れた時には目にも留めなかったものを眺めながら、急ぐことなく町の奥へ進んだ。

 中心部は観光客で賑わっていたが、奥へ向かうほど人通りは少なくなっていく。

 大通りから一本外れれば、湯煙に包まれた静かな住宅地もあった。

 空き家があるかは分からない。

 だが、人の多い観光地でありながら、場所を選べば静かに暮らすこともできそうだった。

 食事はうまい。

 温泉もある。

 町の外れなら人付き合いも少なく済みそうだ。

 安住の地として悪くないかもしれない。

 

 そんなことを考えながら歩いていた時だった。

「勇者リヴェル様とお見受けします」

 勇者という言葉に、肩が跳ねた。

 もう追手がここまで来たのか。

 果実水の入った杯を握ったまま、声のした方へ振り返る。

 そこには、身なりの整った初老の男が立っていた。

「突然お声がけして申し訳ありません。私は、この町の観光業を取りまとめておりますバランと申します」

「ああ……。それで、俺に何か?」

 男は一度周囲を確かめると、声を少し落とした。

「実は町の近くの山で、強力な魔物が確認されまして。すでに冒険者ギルドから討伐隊が向かっておりますが、いまだ仕留められておりません。大変厚かましいお願いとは承知しておりますが、お力をお貸しいただけないでしょうか」

 やはり、そうなるのか。

 胸の奥に、慣れた重さが戻ってくる。

 困っている人がいる。

 俺なら、恐らく簡単に倒せる。

 ここで断って被害が出れば、きっと後悔する。

 そんな考えが、いつものように浮かんだ。

 だが、俺はその罪悪感も、これまでの期待も置き去りにして王都から逃げてきた。

 もう、目に入ったものすべてを背負わなくてもいいはずだ。

「すまない。断る」

 短く、はっきりと告げた。

 バランは僅かに目を見開いた。

 そのまま食い下がられるか、疲れているだけだと決めつけられるのだろうと身構える。

 しかし、男は静かに視線を伏せた。

「……そうですか。失礼いたしました」

「え?」

「魔王を倒していただいたばかりだというのに、せっかくこの町を楽しんでくださっている方へ、さらにお願いをするなど厚かましいにもほどがありました」

 あまりに素直に引き下がられ、今度は俺が言葉を失った。

「本当に、それでいいのか?」

「もちろんです。お断りになった方へ、重ねてお願いするわけにはまいりません」

 バランはそう言って、申し訳なさそうに頭を下げた。

「この町には、まだまだ美味しい店も、よい湯もございます。どうぞごゆっくり、フォルネアをお楽しみください」

「あ、ああ……。ありがとう」

「お礼を申し上げるのはこちらです」

 男は背筋を伸ばすと、先ほどよりも深く頭を下げた。

「こうして多くの観光客が町を訪れ、皆が安心して笑っていられるのは、リヴェル様が魔王を倒してくださったからです。町を代表して、心より感謝いたします」

 それだけ告げると、バランは俺へ背を向けて去っていった。

 

 湯煙の中へ遠ざかっていく背中を、しばらく見送る。

 断った。

 それなのに、怒られなかった。

 失望されることも、考え直すよう説得されることもなかった。

 ただ、俺の答えを受け取って、去っていった。

「……これで、いいんだよな」

 誰へ尋ねるでもなく呟く。

 困っている町を置いていくような罪悪感が、胸の奥にわずかに残っていた。

 それでも俺は男を追いかけず、果実水を一口飲んだ。

 ぬるくなり始めた甘酸っぱい味が、喉をゆっくりと通り過ぎていく。

 俺はもう一度、町の奥にある温泉へ向かって歩き始めた。


 ◆


 町の最奥には、石造りの大きな浴場が建っていた。

 だが入口へ向かう者は一人もおらず、閉ざされた扉の前には一枚の看板が立てられている。

『魔物による被害のため、一時休業いたします。ご不便をおかけし、誠に申し訳ございません』

 

「……休みかよ」

 ここまで歩いてきた足から、急に力が抜けるようだった。

 勇者として訪れた時には入れず、ようやく好きに過ごせるようになった今度も入れない。

 縁がないと言われればそれまでだが、簡単に諦めるには、町へ着いてから膨らませた期待が大きすぎた。

 入口の脇では、施設の従業員らしい女性が、申し訳なさそうに訪れた客へ頭を下げていた。

「すまない。少し聞いてもいいか?」

「はい。どうされました?」

「魔物の被害って、何があったんだ?」

 女性は閉ざされた施設を一度見上げ、困ったように頬へ手を当てた。

「この大浴場には、町の地下を流れる火脈から直接お湯を引いているんです。ですが数日前、その火脈を餌場にする魔物が現れまして」

「火脈を食う魔物か」

「はい。熱を吸われてしまい、こちらまで十分な温度のお湯が届かなくなったんです」

 火脈は温泉だけでなく、石焼料理や蒸し料理にも使われている。

 熱を奪われ続ければ、町全体へ影響が広がるだろう。

「冒険者は向かっていないのか?」

「冒険者ギルドから、すでに討伐隊が派遣されています。ただ、当初考えられていたよりも大きな個体だったようで、まだ解決には至っていません」

 女性は声を潜める。

「依頼のランクも、引き上げられるかもしれないと聞いています」

 先ほどバランが話していた強力な魔物とは、これのことだったのだろう。

「というわけで、お兄さんには申し訳ないんですけど、今日は別の温泉を利用してくださいな」

 女性は町の中心部を指した。

「火脈から離れた場所なら、まだお湯が出ています。ただ、こちらほど広くありませんし、今はお客様が集中しているので、少し混んでいると思いますけど」

「他の温泉には入れるんだな」

「今のところは。ただ、このまま火脈の熱を奪われ続ければ、そちらもどうなるか……」

 そこまで聞いて、俺は一度大浴場を振り返った。

 入れないものは仕方がない。

 別の温泉があるのなら、そちらへ行けばいい。

「教えてくれてありがとう。別のところへ行ってみる」

「ええ。せっかく来てくださったのに、ごめんなさいね」

 女性へ礼を告げ、大浴場を後にした。


 教えられた温泉へ向かうと、入口には長い列ができていた。

 最後尾へ並んでいた男へ尋ねると、湯へ入るまで一時間以上はかかるらしい。

 中から出てきた客は、温泉で休んだというより、人の多さに疲れたような顔をしていた。

 さらに二軒回ったが、一つは同じように混み、もう一つは湯がぬるくなって営業を終えていた。

 誰にも邪魔されず、広い湯へ手足を伸ばしたかった。

 せっかく得た自由な一日を行列で潰したくもない。

 それに火脈が弱れば、さっき食べた石焼料理にも影響が出る。

「……それは嫌だな」

 別の町へ行くこともできるが、また宿や店を探すより、目の前の原因を片づける方が早い。

 

 俺は来た道を引き返した。

 大浴場の前へ戻ると、先ほどの女性が看板の位置を直していた。

 俺の姿に気づき、不思議そうに顔を上げる。

「あら。ほかの温泉も混んでいましたか?」

「ああ。どこも落ち着いて入れそうになかった」

「観光のお客様が、そちらへ集中していますからね。本当に申し訳ありません」

「一つ確認したい」

 俺は閉ざされた大浴場へ目を向けた。

「魔物を倒して火脈が戻れば、ここは今日中に開けられるのか?」

 女性は目を瞬かせた。

「ええ。設備は何も壊れていませんので、お湯が十分に温まるのを待っていただけたらすぐにでも。でも、どうして——」

「その魔物がいる場所を教えてくれないか?」

「まさか、お兄さんが?」

「俺は、この町の温泉へ入りに来たんだ」

 そのために勇者時代から食べ損ねていた料理を食べ、町の一番奥まで歩いてきた。

 ここで混雑した小さな湯へ入り、仕方がなかったと諦める気にはなれなかった。

「温泉に入るついでに、邪魔なものを片づけてくる」

 女性は戸惑ったまま、俺の腰にある剣へ視線を落とした。

「ですが、冒険者ギルドから派遣された方々でも——」

「それを待っていたら、いつ入れるか分からないんだろ? 無理なら戻ってくる。討伐隊がいる場所だけ教えてくれ」

 女性はしばらく迷った末、町の北を指した。

「……北の山です。火脈が地表へ出ている辺りに、冒険者の方々が向かわれています」

「ありがとう」

「本当に、危ないと思ったらすぐ戻ってきてくださいね?」

「分かった」

 剣の位置を確かめ、山の方角へ目を向けた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ