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第27話 口にした言葉

 ニナと別れてソムニウムへ戻る頃には、すっかり夜も深くなっていた。

 宿の扉を開けると、厨房の方から温かな匂いが漂ってくる。

 昼間からほとんど食べ続けていたはずなのに、それを嗅ぐと不思議と腹が減ってきた。

「おかえりなさい、リヴェルさん」

「ただいま」

「むぅ」

 ルーエの足元からムムもこちらを見上げる。

「お食事はどうされますか?」

「ルーエたちは?」

「今日は、いただいた果実を使った煮込み料理と、焼き菓子を作りましたので、それを食べようかと思っています」

「じゃあ、俺も同じもので」

「分かりました」


 夕食は肉と果実の煮込みに、昨日もらった果実の焼き菓子だった。

「……これもうまいな」

「よかったです。まだ果実はたくさんありますので、しばらくはいろいろ作れそうですね」

「それは楽しみだな」

 

 食事を終えると、いつもならそのまま自分の部屋へ戻るところだった。

 けれど今日は、なんとなく立ち上がる気になれなかった。

 食堂には俺とルーエだけが残り、満腹になったムムはテーブルの下で丸くなって眠っている。

 ルーエも少し離れた席で静かに茶を飲んでいる。

 言葉はなかった。

 それでも居心地が悪いとは思わなかったし、不思議と一人になりたいとも思わなかった。

 

「……あれで、よかったのかな」

 心の奥でずっと考えていたことが、思わず口から零れてしまい、自分でも少し驚く。

 誰かに答えを求めていたわけでも、ニナに言ったことを後悔しているわけでもない。

 それでも、泣いた顔だけがどうしても頭から離れなかった。

 ルーエは俺の方を見たものの、すぐには何も言わなかった。

 

 俺もそれ以上続けず、手元のカップを持ち上げる。

 少し冷めた茶を一口飲み、そのまま窓の外へ視線を向けていると、足元にいたムムが俺の膝へ前脚をかけてきた。

「なんだ?」

「むぅ」

 持ち上げてやると、当然のように膝の上で丸くなり、二度ほど身体の向きを変えてから目を閉じる。

「……お前、ニナにずいぶん気にいられていたよな。果物もいっぱいもらってたし、明日も貰えるって思ってる?」

「むぅ!」

「現金な奴だな」

 少しだけ笑った

 

 柔らかな毛を撫でているうちに、さっきの湖畔でのやり取りがまた頭に浮かぶ。

「……俺は泣かせちゃったけどな。言わなきゃ、あんな顔させることもなかったのかな」

「……それでも、言葉にした方がよかったのだと思います」

 珍しく、ルーエは迷わずそう言った。

「……私も昔、その人の言葉より、自分が感じ取ったものを信じて、間違えたことがありますから」

「ルーエが?」

「はい」

 ルーエは小さく頷いた。

「怖がっているから本当は逃げたい。苦しんでいるから本当はやめたい。そうやって、その人の言葉を私の方で別の意味へ変えてしまったことがあります」

「……ニナみたいに?」

「……少し、似ていると思いました」

 だから、とルーエは続ける。

「今は、私が感じたものより、その人が自分で口にした言葉を大切にしたいと思っています」

「どうして?」

「……それが、その人が自分で選んだ答えだからです」

「答え……」

「怖くても、迷っていても、恥ずかしくても。その全部を抱えた上で、その人が選んで口にした言葉ですから」

 ルーエはそこで一度言葉を切り、俺を見る。

「リヴェルさんも、そうだったのではありませんか?」

「……ああ」

「でしたら、言わなければ伝わらなかったことも、本当なのだと思いますよ」

「……そっか」

 それで何かが解決したわけではなかった。

 ニナが泣いたことも、あの顔が頭から離れないことも変わらない。

 もっと上手い言い方があったのかもしれない。

 それでも——言ったことまで間違いだったと思わなくていいのだと、少しだけ思えた。

 

「……ありがとな」

「私は、私が思ったことを言っただけです」

「それでもだよ」

「そうですか」

 ルーエはそれ以上何も言わなかった。

 俺も、もう続きを話すつもりはなかった。

 

 膝の上では、ムムが俺の腹へ顔を埋めて眠っていた。

「……こいつ、明日の祭りのこと覚えてると思うか?」

「果物がたくさんあることは、覚えていると思います」

「そこだけ?」

「ムムにとっては、一番大切なところでしょうから」

「むぅ……」

 寝言のような声が返ってきた。

「……夢の中でも食ってそうだな」

「明日の予行練習かもしれませんね」

「そうかもな」

 そう言って、二人で眠るムムを見ながら笑った。

 

 明日は祭りだ。

 今は、それを楽しみにして眠ればいい。

 そう思えるくらいには、今夜のソムニウムは穏やかだった。


 ◆


 翌朝。

 町から聞こえる笛と鐘で、少し早く目が覚めた。

 昨日とは違い、よく眠れたらしく身体も頭も軽い。

 着替えて食堂へ向かうと、すでにルーエとムムがいて、朝食の準備をしていた。

「おはようございます」

「おはよう。ルーエは朝食食べるのか?」

「はい。リヴェルさんはいかがされますか?」

「俺は祭りで食べるつもりだけど……ルーエも行かないのか?」

「私は、お昼頃にムムと少し見て回ろうかと思っています」

 そう答えてから、ルーエは少しだけ間を置いた。

「リヴェルさんは、ニナさんと回られるのですよね?」

「そのつもりだけど」

 昨日のこともあるし、そう思うのは当然なのだろう。

 それでも、俺としては最初から二人だけで回るつもりはなかった。

「俺はルーエとも一緒に回りたいんだけど」

「……」

 眠たげな瞳が、僅かに見開かれた。

「せっかく祭りのためにあの魔物まで片づけたんだぞ。ルーエも果実酒、楽しみにしてただろ?」

「それは……はい」

「じゃあ一緒に行こう。ムムもな」

「むぅ!」

 ムムは最初から行く気だったらしい。

 勢いよく鳴いて、短い尻尾まで嬉しそうに揺らしている。

 ルーエはそんなムムと俺を交互に見てから、少しだけ口元を緩めた。

「……では、ご一緒します」

「ああ」


 ◆


 収果祭は、昨日までの町が嘘だったかのような賑わいを見せていた。

 大通りには果実と屋台が並び、広場では陽気な音楽が鳴り、果実を抱えた子供たちが駆け回り、湖沿いでは朝から果実酒を片手に笑い合う大人たちの姿があった。

 ニナと合流すると、四人で屋台の料理を少しずつ分けながら、甘いものから肉料理、焼き菓子までできる限り味わっていった。

 そして日が傾き、祭りの灯りが再び湖面を彩り始めた頃には、ルーエも楽しみにしていた果実酒を手にしていた。

「……美味しいです」

「それはよかったな」

「はい」

 小さな杯を両手で持ちながら、いつもより僅かに嬉しそうなルーエを見ていると、あの魔物を片づけた甲斐もあったと思えた。

 

 そうして祭りも終わりに差しかかる頃、俺たちは町の入り口までニナを見送りに来ていた。

 ニナは今夜の馬車で町を出て、そのまま王都へ戻るらしい。

「ニナ」

「ん?」

 俺は懐から一通の封筒を取り出し、差し出した。

「これ、持っていってくれないか」

「……手紙?」

「ああ」

 昨夜、部屋へ戻ってから書いたものだ。

 仲間たちや王女、今も俺を探している人たちへ。

 逃げたことへの謝罪と、これまでの感謝。

 そして、あの時逃げたこと自体が俺の答えだったこと。

 勇者として王都へ戻るつもりはなく、今は自分の意思で旅をしているから探さないでほしい。

 いつか会いたいと思えたなら、その時はこちらから行く。

 それだけを書いた。


「ちゃんと渡すね」

「ああ。頼む」

「今度は、私が勝手に意味を足したりしない。リヴェルが書いた通り、そのまま伝えるから」

「……ありがとう」

 ニナは少しだけ寂しそうに、それでも笑ってくれた。

 それから、俺の隣に立つルーエへ向き直る。

「ルーエさん」

「はい」

「リヴェルのこと、よろしく——」

 そこまで言って、ニナはふと口を止めた。

「……やっぱり、なし」

「?」

「だって私、まだリヴェルのこと好きだし。できるなら今だって結婚したいもん。そこまで変わったわけじゃないから」

 そう言ってから、ニナは改めてルーエを見る。

「だから、ルーエさんも私にそんなに気を遣わなくていいですからね」

「……私は、気を遣っているでしょうか」

「遣ってます。たぶん、すごく」

 ニナは少しだけ笑った。

「昨日だってそう。二人で歩いてたところに勝手に割り込んだのは私の方なんだから、私がどう思うかまで先に考えなくていいです」

「……」

「言いたいことがあったら、そのまま言ってください。嫌なら嫌って、困るなら困るって」

 そこでニナは少しだけ視線を落とした。

「私も、もう勝手に分かったつもりにはなりたくないから」

 ルーエはその言葉に、ほんの少し目を伏せた。

 何も答えないまま、しばらくニナを見つめていたが、やがて静かに頷いた。

「……分かりました」

「うん。それでお願いします」

 ニナはそれ以上何も言わず、最後にムムをぎゅっと抱きしめた。

「ムムちゃんも元気でね」

「むぅ」

 すっかり慣れたのか、今日は嫌がることもなく腕の中に収まっている。

「……持って帰りたいな」

「むぅ?」

「駄目だぞ」

「分かってるよ」

 名残惜しそうにもう一度だけ頬を毛へ埋めてから、ニナはムムを地面へ降ろした。

「じゃあね、リヴェル」

「ああ」


 一度馬車へ向かいかけて、ニナが振り返る。

「じゃあ、勝手に待ってるから」

「ああ。勝手に待っててくれ」

「うん」

 交わした言葉は、それだけだった。

 やがて馬車がゆっくりと動き出し、窓から身を乗り出したニナが大きく手を振る。

「またね、リヴェル!」

「ああ。またな」

 俺も手を上げる。

 

 馬車は祭りの明かりを離れ、夜の街道をゆっくりと遠ざかっていった。

 その姿が見えなくなるまで見送ってから、俺たちも町外れに停めたソムニウムへ向かって歩き出す。

 背後からはまだ祭りの笛と笑い声、甘い果物の香りが追いかけてきた。

 

「良い町だったな」

「はい」

「むぅ!」

 昔、ニナと来た思い出の町だからではなく。

 今日、ルーエとムムと、そしてニナと一緒に歩いて、食べて、笑った町として。

 

《湖果の町アリエル》

 食事     八点

 睡眠     未評価

 暮らしやすさ 七点

 人との距離  七点

 匿名性    三点

 思い出    十点


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