第25話 昔のあなた
ソムニウムへ戻ると、まずは果樹園でもらった大量の果実を厨房へ運び込むことになった。
「これ、全部もらったの?」
「ああ。断ったんだけど、どうしてもって」
「そんなところも昔と変わってないね」
ニナはすっかりムムを気に入ったらしく、果実を置き終えるまでの間も、隙を見つけては頭を撫でていた。
その一方で、ルーエは大量の果実を一つずつ確認し、傷みやすいものと日持ちするものを手際よく分けていく。
「こちらは今日中に使った方がよさそうですね。夕食のデザートにでもしましょうか?」
「いいな」
「残りはジャムや焼き菓子にして、また食べたくなった時に食べれるようにしますね」
「……本当に宿屋さんなんだ。しかも、こんなところに」
ニナは物珍しそうに、ソムニウムの中をぐるりと見回した。
「はい。移動式の宿ですので、ずっと同じ場所で営業しているわけではありませんが」
「移動式……?」
「必要に応じて、町の外れや街道沿いへ移動しながら営業しています」
「へえ……」
ニナは感心したように辺りを見渡したあと、今度は俺へ視線を向けた。
「それで、リヴェルはここに泊まってるのよね? なんで?」
「なんでって……」
そう聞かれて、改めてルーエとムムを見る。
「寝具は今までで一番ってくらい寝心地がいいし、ルーエの料理もうまい。それに、ベッドでのんびりしてる間に次の町まで連れていってくれるのも気に入ってる」
「それなら、言ってくれれば私だって料理くらい作れるし……一緒に寝るくらいだって、できるのに」
最後の方だけ少し声を小さくしながら、ニナの頬が僅かに赤くなる。
「いや、ニナって料理できなかっただろ」
「それは昔の話よ。リヴェルが勇者として旅してる間に、私だって頑張ったんだから」
ニナは少し得意げに胸を張った。
「お義母様から料理を教わって、今じゃ一通り作れるようになったし、リヴェルが昔から好きだった味付けだってちゃんと覚えてるわよ」
「母さんに?」
「うん。いつリヴェルが帰ってきてもいいようにって、いっぱい教えてもらったの」
そう言って笑うニナの顔に、冗談を言っている様子はなかった。
俺が帰ってきた時のために、ずっと準備してくれていたのだろう。
そのこと自体は、素直にありがたいと思った。
そうしてひとまず果実を片づけ終えると、ルーエが三人分の飲み物を用意してくれた。
今日もらった果実を薄く切って浮かべた冷たい茶らしく、ほのかな甘い香りが漂っている。
俺とニナが向かい合って座り、ルーエは少し離れた席へ腰を下ろした。
「それで」
俺はグラスを一口飲んでから、改めてニナを見る。
「なんでニナがアリエルにいるんだ?」
「だから、リヴェルを探しに来たの」
「ここにいるって分かってたのか?」
「分かってたわけじゃないわ。ただ、もしかしたらって思っただけ」
ニナはグラスの中で揺れる果実を眺めながら、少し懐かしそうに目を細めた。
「覚えてない? 小さい頃、家族みんなでここへ来たこと」
「今日、果樹園で少し思い出した。収果祭の時だったよな?」
「うん。リヴェル、ここのお祭りがすごく好きだったの。果物を食べすぎてお腹痛いって言ってた」
「……それは覚えてないな」
「私は覚えてるわよ。しかも次の日には、懲りずにまた食べてたし」
「子供の頃の話だからな」
「今も、あんまり変わってないんじゃない?」
ここ最近、町へ着くたびに名物を食べ歩いていた自分を振り返る。
「……否定はしづらいな」
「でしょ?」
ニナはどこか嬉しそうに笑った。
「リヴェルがいなくなってから、色々考えたの」
ニナの声から、少しだけ軽さが消える。
「王都にも仲間のところにもいない。それなら、昔好きだった場所へ行くかもしれないって思ったの」
「それでアリエル?」
「ここだけじゃないわ。昔一緒に行った場所をいくつか回ったのよ」
「……そこまでしてたのか」
「するわよ。どこにいるかも、無事なのかも分からなかったんだから」
「手紙は残しただろ」
「『探さないでください。俺は休みます』って、あれのこと?」
「ああ」
「あれを読んで『分かった、じゃあゆっくり休んでね』ってなると思う?」
「……ならなかったか」
「ならないわよ」
ニナは呆れたように息を吐いた。
「でも、今回は運がよかったの。ちょうど収果祭の時期だったから、もしかしたらここに来るんじゃないかなって思って数日前から滞在してたの」
「俺が祭り好きだったから?」
「それもあるし……リヴェル、昔から食べ歩いたり、知らないものを見るのが好きだったでしょう?」
勇者になってから忘れていたが、子供の頃は確かにそうだった。
「それでも半分くらいは賭けだったけどね。収果祭が終わるまでは待ってみようと思ってたら、今日——ようやく見つけられた」
そう言って、ニナは少し嬉しそうに笑った。
そのまま何か続けようとしたところで、ふと窓の外へ目を向ける。
「あ……そうだ」
「どうした?」
「ごめん。私が泊まってる宿の人に、祭りの準備を少し手伝ってほしいって頼まれてたの。もう戻らないと」
「今から?」
「うん。思ったより長居しちゃった」
ニナは立ち上がると、俺を見る。
「続きはまた明日ね。せっかく会えたんだし、一緒にお祭りを見て回りましょ」
「あ、ああ……」
「じゃあ、ルーエさんもムムちゃんも、またね!」
「はい」
「むぅ!」
俺が何か言い返す間もなく、ニナは慌ただしく宿を出ていった。
閉じた扉をしばらく見つめる。
「……相変わらずだな」
昔から、ああいうところは変わっていないらしい。
そうしてニナが去ると、ソムニウムの中に静けさが戻った。
最近は自分で行き先も食べるものも決めていた。
そんなふうに気ままに過ごしていたからか、誰かに明日の予定を決められること自体が、ひどく久しぶりに感じられた。
胸の奥には、小さな重さが残っていた。
本当は、さっき言うべきだったのだ。
俺は王都へ戻るつもりはないこと。
ニナと結婚するつもりもなく、そもそも婚約者だと思っていないこと。
けれど、昔から家族ぐるみで付き合ってきた幼馴染に、それをはっきり伝えて傷つく顔を見るのが怖かった。
だからこそ俺は、あの時も最低限の言葉だけを手紙に残して、王都から逃げ出した。
「……ちょっと、一人にしてくれ」
「分かりました」
ルーエは理由を聞くこともなく、いつも通り素直に頷いた。
「お食事の時間になりましたら、お声がけしますね」
「いや……今日はちょっといいや。せっかく果物ももらったのに、ごめんな」
ルーエは静かに首を横へ振る。
「いいえ。大丈夫ですよ」
「……ありがと」
それ以上何も聞かれないことに少しだけ救われながら、俺はルーエと別れて自室へ戻った。
ベッドへ身体を投げ出し、そのまま布団を頭まで深く被る。
柔らかな寝具に包まれても、今日はすぐに眠れそうにはなかった。




