第13話 前世の記憶
作ると決まれば、まずは材料を揃えなければならない。
とはいえ、俺が覚えているのは完成したカレーの味と見た目くらいで、どんな香辛料をどれだけ使っていたのかなんて知るはずもない。
前世で作る時も、箱から取り出した固形のものを鍋へ放り込んでいただけだった。
「とりあえず、さっきの匂いに近い香辛料をいくつか買ってみるか」
「そうですね。ですが、それだけではどれを使えばよいのか分かりませんので、まずはこの町のお料理を食べてみるのもよいかもしれません」
「料理を?」
「はい。実際に香辛料を使った料理を食べれば、リヴェルさんの記憶に近い味が見つかるかもしれません」
確かに、粉の匂いだけを嗅ぎ比べるよりは、料理になった状態で口へ入れた方が分かりやすい。
何より、せっかく香辛料の町へ来たのだから、名物を食べない理由もなかった。
「つまり、記憶を呼び起こすために食べ歩く必要があるってことだな」
「はい。必要なのです」
「なら仕方ないな」
「仕方ありませんね」
互いに真面目な顔で頷く。
「むぅ!」
食べ歩きという部分だけは理解したらしく、ムムもルーエの腕の中で勢いよく鳴いた。
こうして俺たちは、カレーを再現するための調査という名目で、大通りの露店を順番に回ることになった。
最初に足を止めたのは、鉄串へ刺した魚を炭火で焼いている店だった。
一口齧ると、香ばしさのあとから舌へ辛味が広がっていく。
「辛いけど……これは違うな」
「どの辺りが違いますか?」
「カレーにも辛さはあるけど、もっといろんな香りが一緒に来る感じだった。これは辛さが一番前に出てる気がする」
「なるほど」
ルーエは自分の串を一口食べると、舌の上に残る味を確かめるようにゆっくりと咀嚼し、それから店先に並べられた赤い香辛料へ目を向けた。
「こちらは辛味を加えるだけではなく、お魚の臭みを抑えるためにも使われているようですね。香りの強さで癖を隠しているので、その分、お魚そのものの旨味を感じやすくなっています」
「そこまで分かるのか」
「食べることも、料理を作るためには大切ですので」
ルーエはもう一度だけ串を口へ運び、今度は僅かに頷いた。
「カレーにも辛味が必要なのでしたら、この香辛料も少し使えそうですね。ただ、入れすぎるとリヴェルさんの仰る通り、この味ばかりが前に出てしまいそうです」
「たぶん、そんな感じだと思う」
「たぶん、ですか」
「……たぶんだ」
早くも頼りなさが露呈していた。
次は、黄色く炊いた米へ香辛料で煮込んだ鶏肉を載せた料理だった。
「おぉ……米だ」
思わず声が漏れる。
「そんなに珍しいものでもないと思いますが……お好きなんですか?」
ルーエは少し不思議そうに首を傾げる。
「カレーも、お米にかけて食べると仰っていましたよね」
「ああ、好きなんだ。勇者の頃は仲間に合わせて、米がある土地でもパンや肉料理を選ぶことが多かったからな」
「では、これからは好きなだけ食べられますね」
「ああ、そうだな」
米と鶏肉を一緒に口へ運ぶ。
脂と香辛料の香りが広がり、懐かしさとは少し違うものの、どこか記憶を刺激する味がした。
「どうですか?」
「匂いは、近い気がする。でも味はもっと……なんというか、カレーは汁がかかってるんだけど、もっととろみがあるんだ」
「かなり液体の多い料理なのですね」
「液体……いや、液体っていうほどさらさらでもなくて」
言葉にしようとするほど、自分でも何を説明したいのか分からなくなってくる。
「とろっとしてるんだよ。でも煮込み料理みたいに具ばっかりでもなくて、米に絡んで、少し染み込むくらいの……」
ルーエの眠たげな瞳が、また僅かに細くなり、じとっとした視線がこちらへ向けられた。
「……難しいですね」
「俺もそう思う」
隣では、ムムが自分用にもらった鶏肉へ夢中で齧りついていた。
「むぅ」
「お前は気楽でいいな」
「むぅ?」
こちらの苦労など知ったことではないとばかりに、ムムは肉を咥えたまま首を傾げた。
その後も腸詰めや豆と羊肉の煮込みなどを少しずつ食べていくうち、カレーの輪郭が少しずつ戻ってきた。
「そうだ。玉ねぎはかなり入ってた気がする」
「たまねぎ?」
「こっちだと丸葱って呼んでるやつ。煮込むと甘くなるだろ」
「では、甘味はそこから出ていた可能性がありますね」
「あとは肉。俺がよく食べてたのは豚か牛だったけど……それは何でもいいか」
「お肉によって味は変わりますので、最初はリヴェルさんが一番覚えているものに近づけた方がよいと思います」
「なら豚かな」
「分かりました」
ルーエは俺が思い出したことを、小さな紙へ一つずつ書き留めていく。
丸葱。
豚肉。
人参。
芋。
辛味。
甘味。
複数の香辛料。
とろみのある茶色い汁。
こうして並べてみても、まだ料理の設計図と呼ぶには穴だらけだった。
「今の内容ですと、香辛料の香りと辛味が強い、少し刺激のあるスープになりそうですね」
「そういえば、何か油っぽさもあったな」
「お肉の脂でしょうか?」
「それもあると思うけど……もっとこう、全体が滑らかになる感じの」
「でしたら、乳脂肪や油を使っている可能性もありそうですね」
「そう言われると、バターっぽい感じもしたような……」
「思い出してきましたか?」
「ちょっとずつな」
実際、最初に「茶色くて辛くて少し甘い」としか言えなかった時よりは、遥かに具体的になっている。
代わりに、俺の腹はそろそろ限界だった。
「次はこちらを食べてみませんか?」
それでもルーエは、通りの向こうにある別の露店を指した。
大鍋の中では、赤茶色の煮込み料理がぐつぐつと音を立てている。
「……まだ食べられるのか?」
「ぺろりです」
眠たげな顔のまま、何でもないことのように言い切った。
「頼もしいな……」
ルーエの視線が煮込み料理へ向いたままなのを見る限り、調査のためというのもあるのだろうが、本人も普通に食べたいらしい。
「とはいえ、お腹がいっぱいになってきたのも本当なので、リヴェルさんさえよければ分けませんか?」
「じゃあ、一皿だけ頼んで三人で分けるか」
「はい」
「むぅ!」
自分も数に入っていると分かったのか、ムムが嬉しそうに鳴く。
煮込まれていたのは羊肉と豆、それに数種類の香辛料を合わせた料理だった。
匙ですくって口へ運んだ瞬間、舌へ広がった香りに思わず動きが止まる。
「これだ」
自然と声が漏れた。
「近いのですか?」
「ああ。この匂いの奥にあるやつ」
辛さではない。
少し土っぽく苦いのに、肉の脂や豆の甘さと合わさると妙に食欲を引く。
記憶のカレーにも、確かにこの香りがあった。
「辛さじゃなくて、この土っぽいというか、少し苦くて香ばしい感じ。これがカレーにもあった」
ルーエも同じものを食べ、しばらく味わうように口を閉じた。
「店主さんに、何を使っているのか聞いてみましょう」
尋ねてみると、使っているのは数種類の種と根を乾燥させたものらしく、店主は慣れた様子で近くの香辛料屋まで教えてくれた。
教えられた店へ向かい、黄色い粉や土の香りの種、乾燥葉、赤い辛味などを少量ずつ買っていく。
ルーエは用途まで店主へ細かく確認していた。
「これくらいあれば、試せそうか?」
「はい。少なくとも、先ほどよりはかなり近づけられると思います」
「よかった」
「ただ、問題があります」
「何だ?」
「リヴェルさんが、本物の味をほとんど説明できないことです」
「でも、食べれば分かると思う。これは違うとか、もう少し甘いとか」
「では、作って食べて、直して、また作るしかありませんね」
「何回くらい?」
「分かりません」
「……しばらくカレー生活になるかもしれないな」
「私は構いませんよ」
「むぅ!」
ムムも構わないらしい。
香辛料の袋と町で買った食材を抱えながら、俺たちは市場を抜けていく。
安住の地を見るより先に半日も食べ歩いたが、不思議と無駄にした気はしなかった。
勇者として旅をしていた頃には、こんなふうに一つの料理のためだけに時間を使うことなんてありえなかった。
「帰ったら、さっそく作るか」
「はい。まずは一度、今ある情報だけで作ってみましょう」
「うまくいくといいな」
「最初から成功すると思わない方がよいかと」
「もう少し期待してくれてもいいだろ」
「リヴェルさんの説明を聞いた上での判断です」
「……はい」
「むぅ」
ムムにまで同情するような目で見られながら、俺たちはソムニウムへ戻っていった。




