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ビヨンド・プレイヤー 〜夢でつながる剣と魔法〜  作者: kooy
プロローグ ―― 願い

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5/13

第5話 銀色のペン

 「ギシャアアアアッ!」

 蜘蛛の叫び声に、周囲の空気が震える。


 快斗は思わず顔をしかめた。

 そこで、蜘蛛の頭部に目が留まる。

 他の部分に比べて、異様なほど膨れ上がっている。

 頭には、血管のような黒い糸が無数に張り巡らされていた。

 ナイトメア・スパイダーは苦しむように頭を脚で押さえ、苛立った声を上げている。


 眉間には、深い亀裂。

 昨夜、食卓で眉間を押さえていた父親の姿が脳裏に浮かんだ。


「……なんか、父さんに似てないか?」

 快斗は思わず呟いた。


 ガイドを見る。

 しかし、ガイドは穏やかに微笑んだまま、何も答えない。


「……これ、色々ときついな」


 蜘蛛が快斗へ向き直った。

 巨大な右前脚が、高く振り上げられる。


(来る!)


 快斗は半歩だけ横へ移動した。


 次の瞬間。

 鋭い脚が、快斗のいた場所へ振り下ろされる。

 石の床が大きく砕けた。

 飛び散る破片を避けながら、快斗は脚の付け根へ踏み込む。


 剣を横一線に振る。


 黒い血が飛び散った。


 だが。


 剣は甲殻へ深く食い込んだだけで、脚を切断することはできなかった。


「硬っ!」

 快斗はすぐに後方へ下がった。


 傷ついた脚を見る。

 ゲームの『ビヨプレ』なら、今ので切り落とせたはずだった。

 狙った位置も。

 踏み込むタイミングも。

 剣を振る角度も間違っていない。

 それでも、切れなかった。


 頭の中に、《レベル23》の表示が浮かぶ。

 知識も技術もある。

 何をすればいいのかも分かっている。

 だが、それを実行するための体力が足りない。


 今の自分では、正しい場所へ正しく剣を当てても、敵の脚一本すら切り落とせない。

 快斗は剣を握る自分の手を見た。


 その一瞬の戸惑いを、蜘蛛は見逃さなかった。

 傷ついた右前脚が、再び振り上げられる。


「しまっ――」

 反応が遅れた。


 巨大な脚が、快斗の身体を横から捉える。

 視界が激しく回転した。

 身体が宙を舞う。

 次の瞬間、背中が石壁へ叩きつけられた。


「ぐっ!」

 肺から空気がすべて押し出される。

 快斗はそのまま床へ崩れ落ちた。

 目の前にステータスが表示される。

《HP 600/1150》


「っ……!」

 息ができない。

 背中に、焼けるような激痛が走る。

 夢のはずなのに。


(痛いっ!)


 それも、現実で感じたことがないほど強烈な痛みだった。

 快斗は歯を食いしばり、壁へ手をつく。

 片膝を立てる。

 脚に力を入れようとしても、身体が震えた。

 それでも、剣を杖代わりにして立ち上がる。


「……立てる」

 背中へ手を回す。

「背骨、折れたかと思った……」


 蜘蛛が再び快斗へ向かってくる。

 巨大な脚が石床を叩き、広間全体を揺らしている。

 快斗は荒い息を吐きながら剣を構えた。


 力でも負けている。

 魔法も使えない。

 次にまともな攻撃を受ければ、HPがゼロになるかもしれない。

 それなのに。


 快斗の口元が、わずかに上がった。

「おもしれえじゃん」


 快斗は蜘蛛の脚を見る。

 頭を見る。

 身体の傾き。

 口の動き。

 ゲームで何度も戦ったボスだ。

 攻撃パターンは、すべて頭に入っている。


 蜘蛛が口を大きく開いた。

 糸を吐く前の予備動作。


 快斗は、攻撃が放たれるよりも先に右へ走り出した。

「最初は、正面へ三連射」

 一射目。

 白い糸が、先ほどまで快斗が立っていた場所へ突き刺さる。

 二射目。

 快斗は速度を落とさず、そのまま右へ走る。

 三射目。

 攻撃を受けずに捻るだけで回避する。

 無駄な動きはない。

「次は左脚」

 蜘蛛の左前脚が横薙ぎに振るわれる。


 快斗は身を低くし、鋭い脚の下を潜り抜けた。

「その次が、右脚」

 傷ついた右前脚が振り上げられる。


 快斗は、あえて右脚側へ回り込んだ。

 先ほどつけた傷の影響で、右脚の動きがわずかに遅れている。


 快斗は傷ついた右脚側へ身体を滑らせた。

 振り下ろされた脚を紙一重でかわす。

 巨大な身体が傾いた。

 頭部が低く下がる。

 一瞬だけ、動きが止まった。


「ここだぁーー!」


 快斗は蜘蛛の脚を足場にして、背中へ飛び乗った。

 剣を逆手に持つ。

 巨大な頭部へ駆け上がりながら、無数に張り巡らされた黒い糸を見る。

 そして、一点へ、狙いを定める。

「身体は硬くても――」

 剣を両手で振り上げる。

「頭だけは、判定が別なんだよ!」

 全体重を乗せ、剣を振り下ろした。

 刃が、蜘蛛の頭部へ深く突き刺さる。

 黒い血と光が一斉に噴き上がった。

「ギィイイイイイイイイッ!」

 蜘蛛の絶叫が古城を震わせた。


「うおおおおおっ!」

 快斗は叫びながら、さらに深く剣を押し込む。

 八本の脚が激しく暴れる。


 やがて。

 巨大な脚から力が抜けた。

 蜘蛛の身体が、石床へ崩れ落ちる。


 頭部へ絡みついていた黒い糸が、一本ずつ切れていく。

 ブツッ。

 ブツッ。

 糸が切れるたびに、苦しそうに歪んでいた蜘蛛の表情が静かになっていく。

 やがて、巨大な身体が光の粒へ変わっていく。


 快斗の目の前に、半透明の文字が浮かぶ。


《BOSS CLEAR》


「……勝った」

 快斗は蜘蛛の頭から剣を抜き、床へ降りた。

 全身で息をしながら、その場に座り込みそうになるのを堪える。

 激しい背中の痛みは残っている。

 それでも、倒した。


 快斗はステータス画面を開く。

 その表情が固まった。

《レベル:23/99》


「……上がってない」


 見間違いかと思い、画面へ顔を近づける。

 数字は二十三のままだ。


「ボスを倒したのに、経験値は?」

「ございません」

「経験値がない?」


 快斗はガイドを見る。


「この世界で魔物を倒しても、快斗さんのレベルは上昇いたしません」

「じゃあ、どうやってレベルを上げるんだよ」

「快斗さんご自身が成長したときです」

「はぁ、俺自身?」

「はい」


 ガイドは快斗の前へ歩み寄る。

「先ほども申し上げましたが、快斗さんの基礎能力には、現実世界での身体や精神が反映されています」


 ガイドは指を一本立てた。

「現実世界で体力や筋力がつけば、こちらでのHPや身体能力も上昇します」


 二本目。

「知識や集中力が高まれば、MPや魔法の扱いにも反映されます」


 三本目。

「そして、困難へ立ち向かう意志や精神力もまた、この世界での強さとなります」


 快斗は顔を引きつらせた。


「つまり」

 嫌な答えを確認するように尋ねる。

「現実で運動して、勉強しろってこと?」


「はい」

「ゲームの中でまで現実を突きつけるなよ……」


 快斗は深く項垂れた。

 魔物を倒し続ければ、勝手にレベルが上がる。

 強い装備さえ手に入れれば、誰でも強くなれる。

 そんな都合のいい世界ではなかった。

 むしろ、現実で逃げているものを、夢の中でまで突きつけられている。


「ここは夢の世界(ビヨプレ)なんだろ、何で現実とリンクしてんだよ」


「ふふ」

 ガイドは小さく笑った。


 そのとき。

 蜘蛛が消えた場所に、淡い光が残っていることに気づいた。

 光の中心から、ゆっくりと何かが浮かび上がる。

 銀色の羽ペンだった。

 鳥の羽のような形をしているが、表面には細かな文字と魔法陣が刻まれている。


 快斗の目の前に、アイテム取得の表示が現れた。

《知恵の羽ペン》

《レア度:★★★★☆》

《書き記した知識を、力へ変える魔導具》


「知恵の羽ペン?」

 快斗は銀色の羽ペンを手に取った。

「魔法使い向けの装備か?」


「それは、いずれお役に立つでしょう」

「また、いずれかよ」

「今は必要ありませんので」

「説明する気がないだけじゃないの?」


 ガイドが答えるより先に、古城全体が白い光に包まれ始めた。

 壁も。

 石柱も。

 焼け焦げた床も。

 すべてが光の中へ溶けていく。


「お疲れ様でした」

「え?」


 快斗の身体からも、光の粒が浮かび上がった。


「お目覚めのお時間です」


 視界が霞む。

 快斗は銀色の羽ペンを握った手を見る。


「ちょっと待て。これ、現実にも持って帰れるのか?」


 ガイドは微笑むだけだった。


「それくらい教えろよ!」


 白い光が、快斗の視界を覆った。


          ◇


 快斗はベッドの上で目を開けた。

 見慣れた天井。

 カーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいる。


「……戻れた」

 身体を起こそうとする。


 その瞬間。


 背中に激痛が走った。

「痛っ!」


 快斗は再びベッドへ倒れ込んだ。

 夢の中で蜘蛛に吹き飛ばされ、石壁へ叩きつけられた場所。

 そこが、焼けるように痛む。

 快斗はゆっくりと起き上がり、パジャマの上着をめくった。

 鏡へ背中を映す。


「嘘だろ……」


 夢の中で壁へ打ちつけられた場所に、赤黒い痣が残っていた。

 指先で触れる。


「っ……」


 間違いなく痛い。

 夢の中で受けた傷が、現実の身体へ残っている。

 快斗は鏡の前で固まった。


 頭の中に、ガイドの言葉が蘇る。

『現実の身体は高熱にうなされ、しばらく激しい苦痛に襲われるでしょう』


 HPがゼロになったら。

 この程度では済まなかったということだ。


「何なんだよ。これ……」

 快斗は痣を見ながら呟く。


          ◇


 朝食の席。


 快斗は背中の痛みに気づかれないよう、ゆっくりと椅子へ座った。

 少しでも背もたれに触れると痛い。

 不自然にならない程度に身体を前へ傾け、味噌汁へ手を伸ばす。

 向かいでは、父親が新聞を読んでいた。


 母親が味噌汁を置きながら、父親の顔を見る。

「今日は、頭はどう?」

 父親は新聞から目を離さず、こめかみへ指を当てた。


「……そういえば、今日は痛くないな」

「珍しいわね」

「ああ」

 父親はそれだけ答えると、新聞をめくった。


 快斗の箸が止まる。

 黒い糸に覆われた、蜘蛛の膨れた頭が脳裏をよぎった。

 異様に膨れ上がった頭部。

 血管のように張り巡らされた黒い糸。

 頭を押さえ、苦しそうに鳴いていた姿。

 そして、最後の糸が切れたあと、穏やかになった表情。


「まさか……」

 快斗が小さく呟く。


「どうした?」

 父親が新聞越しに尋ねた。


「いや、何でもない」


(偶然だ)


 蜘蛛を倒したことと、父親の頭痛が軽くなったことに関係などあるはずがない。

 そう思いながらも、胸の奥には小さな違和感が残った。


「ああ、そうだ」

 父親が思い出したように新聞を畳む。

 足元に置いてあった鞄から、細長い箱を取り出した。

 その箱を、快斗へ差し出す。


「昨日、渡し忘れていた」

「何、これ」

「開けてみろ」


 快斗は箱を受け取った。

 蓋を開ける。

 中に入っていたのは、高級そうな銀色のボールペンだった。

 細身で、無駄のない形。

 光を受けた表面が、淡く輝いている。


 一瞬。

 夢世界で手に入れた《知恵の羽ペン》の姿と重なった。

 快斗は息を止める。


「進路で必要になるだろ」

 父親は少しだけ視線をそらした。

「使ってくれ」


 進路希望調査票――。名前以外、何も書かれていない白い紙を思い出した。

 快斗は銀色のボールペンを手に取った。

 適度な重みがある。

 夢の中で羽ペンを握ったときと、どこか似た感触だった。


「……ありがとう」


 父親は何も答えず、再び新聞を開いた。

 快斗は手の中のボールペンを見つめる。


 現実と夢。

 二つの世界は、無関係ではない。


 背中に残った痛みが。


 父親の消えた頭痛が。


 そして、銀色のペンが。


 そう告げているような気がした。


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