第4話 レベル二十三
「えええええぇー!」
快斗の声が、広い石室に響き渡る。
「《《最初の》》ダンジョンって、今から……?」
「はい」
天井の高い、広大な石造りの部屋。
立ち込める埃っぽさと湿気。奥からはかすかに腐敗臭すら漂ってくる。
割れた窓の向こうでは、黒い雲を切り裂くように稲妻が走った。
遅れて、低い雷鳴が古城全体を震わせる。
どう考えても、安全な場所ではない。
「俺、本当にこの世界へ来れるか、確かめたかっただけなんだけど」
「無事に確認できましたね」
ガイドは満足そうに頷いた。
快斗は口を開けたまま固まる。
「……できたけど!」
一拍遅れて、声を張り上げる。
「いや、そういう問題じゃない!」
快斗は慌てて背後を振り返った。
しかし、そこに入口も、出口も、扉がなかった。
「……出口は?」
「現在はございません」
「はぁ?」
快斗はゆっくりとガイドへ向き直る。
「現在は、って何?」
「このダンジョンを攻略すれば、出現いたします」
ガイドは天気の話でもするように答えた。
快斗の頬が引きつる。
「これって、監禁?」
「いいえ」
ガイドは穏やかに微笑む。
「快斗さんの大好きな『ビヨプレ』の世界です」
「いやいやビヨプレは、ちゃんと出口があるぞ!」
快斗は石壁を指差した。
「やっぱ監禁だろ。これ」
文句を言いながらも、快斗は改めて古城を見渡した。
割れた窓から、冷たい風が吹き込んでくる。
湿った石の匂い。
遠くで鳴り続ける雷。
腰に下げた剣の重み。
どれも、昨夜と変わらない。
本当に昨日の続きなのだ。
快斗は剣の柄へ手を置いた。
夢のはずなのに。
目に映るものも、肌に触れるものも、すべてが現実と変わらない。
いや。
むしろ、現実よりも鮮明に感じる。
暗い通路の先を見つめるその表情は。
先ほどまで浮かんでいた不安から、少しずつ別の感情へ変わって言った。
心臓が強く脈打っている。
頭の中は、不思議なほど澄み切っていた。
ここでは。
自分が、ちゃんと息をしている気がした。
「それで」
快斗は剣の柄を握り、ガイドを見る。
「何をすればクリアなんだ?」
「ボスを倒すだけです」
「“だけ”って……」
快斗は呆れた顔をする。
「あのさあ、最初のダンジョンなんだろ? 説明とか、装備の確認とか、普通は色々あるんじゃないの?」
「快斗さんなら、問題ございません」
「その自信、どこから来るんだよ」
ガイドは答えず、ただ穏やかに微笑んでいる。
「確認するけど」
快斗は嫌な予感を覚えながら尋ねた。
「ボスを倒すまで、ここから帰れないんだよな?」
「そのとおりです」
「でも、朝になったら目が覚めるだろ?」
「ダンジョンの攻略中は、お目覚めになれません」
快斗はゆっくりとガイドを見た。
「……それ、先に言うことじゃねえ?」
「じゃあ、ボスを倒せなかったら?」
「HPがゼロになれば、現実世界へ戻ることができます」
「なんだ」
快斗は少しだけ肩の力を抜いた。
「だったら、最悪わざと負ければ――」
「あまりお勧めはいたしません」
「何で?」
ガイドは微笑みを浮かべている。
快斗の頭に、最悪の想像がよぎった。
「まさか……」
声がわずかに低くなる。
「こっちで死んだら、現実でも死ぬとか?」
「死ぬことはありません」
「よかった……」
快斗は胸をなで下ろした。
「ただし」
ガイドが続ける。
「目覚めたとき、身体は高熱にうなされ、しばらく激しい苦痛に襲われるでしょう」
「最悪だなぁ……。何だって、俺が――」
そのときだった。
古城の奥から、重い音が響いた。
ズン。
ズン。
何かが、石の床を踏みしめている。
しかも、一つではない。
無数の足音が重なり、次第にこちらへ近づいてくる。
快斗は口を閉じ、暗い通路の先を見つめた。
闇の中に、一つ。
また一つ。
赤い光が灯っていく。
目だった。
剣を握った骸骨兵。
腐った肉を身体に残し、大盾を構えた兵士。
その後ろには、朽ちた杖を手にした魔導士。
百体近いアンデッドの軍勢が、通路を埋め尽くしながら石室へとなだれ込んでくる。
「多っ!」
快斗は思わず叫んだ。
すぐにガイドへ目を向ける。
ガイドは、いつの間にか快斗の後ろへ数歩下がっていた。
「え?ガイドさんは戦わないの?」
「応援しております」
「おいおい、戦う気ゼロ!」
快斗は剣を抜きながら振り返る。
「助ける気もゼロかよ!」
「頑張ってください」
「応援だけはするんだなっ!」
アンデッドたちが迫ってくる。
だが、快斗の表情からは、先ほどまでの焦りが消えていた。
剣を握りながら、敵の配置を素早く確認する。
右側には、盾を構えた重装兵。
中央には、機動力の高い剣士。
その後ろには、魔法による遠距離攻撃を行う魔導士。
見覚えがある。
何度も見た配置だった。
「……古城ステージの定石だな」
「ご存じなのですか?」
ガイドの問いに、快斗は口元を上げる。
「何千時間やったと思ってんだ」
ゲームでは、この程度の集団を何度も相手にしてきた。
アンデッドは、普通に倒しても時間が経てば蘇る。
一体ずつ相手にすれば、すぐに囲まれる。
だから。
「蘇る前に、全部まとめて焼き尽くす」
快斗は剣を胸元へ引き寄せた。
ゲームで最も好きだった技。
威力が高いのはもちろんだが、何より発動時の演出が派手で格好いい。
快斗は剣を握り締める。
自然と、詠唱の言葉が口から流れ出した。
「《《我が魔力を糧に、飢えたる牙を赤く染めよ》》」
足元に、赤い魔法陣が広がった。
刻まれた文字と幾何学模様が回転し、強い光を放つ。
炎が燭台から離れ、快斗の剣へと吸い寄せられていく。
炎が渦を巻く。
快斗の全身を包み込み、握った剣へと収束していく。
(……熱い)
だが、不思議と火傷をするような痛みはない。
むしろ、身体の奥から力が湧き上がってくる。
アンデッドの軍勢が目前へ迫る。
骸骨兵が剣を振り上げる。
腐敗兵が盾を構え、突進してくる。
「《《世界を焼き尽くす業火よ》》――」
快斗は、炎をまとった剣を頭上へ振り上げた。
「《《この刃に宿れ》》!」
剣を中心に集まっていた炎が、巨大な刃の形へ膨れ上がる。
古城の天井に届きそうなほどの、真紅の炎。
快斗は大きく息を吸い込み叫ぶ。
「――【爆炎刃】!」
剣を横一線に振り抜く。
轟音とともに、巨大な炎の斬撃が広間を駆け抜けた。
すべてが一瞬で炎に飲み込まれる。
先頭にいた骸骨兵。
続いて盾兵。
剣士。
後方の魔導士。
骨も。
鎧も。
盾も。
武器も。
すべてが爆炎の中で砕け、一瞬で跡形もなく消し飛んでいく。
真紅の光が、古城全体を埋め尽くした。
爆風が石柱の間を駆け抜け、割れた窓から外へと吹き出していく。
やがて炎が収まった。
先ほどまで広間を埋め尽くしていたアンデッドは、一体も残っていない。
石の床には、巨大な焼け跡だけが刻まれていた。
快斗は剣を振り抜いた姿勢のまま固まっている。
静寂。
その次の瞬間。
「おおおおおっ!」
快斗は両目を輝かせた。
「すげえ! 本当に出た!」
剣に残る炎を見つめ、興奮した様子で声を上げる。
「これだよ、これ!」
快斗はガイドを振り返った。
「この火柱が一気に広がるところが最高なんだよ!」
ガイドが小さく手を叩く。
「お見事です」
「だろ?」
快斗は得意げに笑う。
ゲームでは何度も使った技だ。
だが、自分の手で発動させたときの迫力は、画面越しに見ていたものとはまるで違っていた。
炎の熱。
剣へ力が集まる感覚。
百体近い敵を一撃で消し飛ばした爽快感。
これこそ、快斗が求めていたものだった。
しかし。
突然、視界が大きく揺れた。
「……あれ?」
身体から力が抜ける。
快斗はその場へ膝をついた。
咄嗟に剣を床へ突き立て、倒れそうになる身体を支える。
激しく息が切れる。
まるで全力疾走を何本も続けたように、身体が重い。
目の前に、半透明の表示が浮かび上がった。
《MP 0/2300》
「MPをすべて消費されたようですね」
ガイドが快斗の横から表示を覗き込む。
「えっ?……全部?」
「そのようですね」
快斗は助けを求めるようにガイドを見上げた。
「まだ、ボス戦が残ってるんですよね?」
「はい」
「“はい”じゃないんだよぉ……」
快斗は剣に寄りかかりながら、その場に項垂れた。
魔法を使うためのMPが、完全に空になっている。
これでは、先ほどのような大技どころか、初級魔法すら使えない。
快斗は左手を開いた。
意識を集中すると、掌の上へ半透明の画面が現れる。
《プレイヤー名:鏑木快斗》
《職業:魔道剣士》
《レベル:23/99》
《HP:1100/1150》
《MP:0/2300》
「……レベル二十三?」
快斗は表示を二度見した。
「待て待て待て!」
顔を近づけ、何度確認しても数字は変わらない。
「俺のゲームデータは、レベル九十九だったはずだぞ?」
快斗はガイドを睨んだ。
「はい」
ガイドは明るく答える。
「装備、技能、戦闘知識については、快斗さんのゲームデータを参考にしております」
「だったら、レベルも参考にしろよ!」
「ですが、レベルや基礎能力には、現実世界の快斗さんを採用しております」
「現実の俺?」
「はい」
ガイドは、ほんの少しだけ笑みを深くした。
「健康な成人男性の平均的な身体能力を、レベル五十とお考えください」
快斗は、もう一度ステータスを見る。
《レベル:23/99》
「じゃあ、二十三って……」
「身体能力だけで申しますと、女子中学生ほどでしょうか」
「女子中学生……」
快斗は夢世界で少しだけ逞しくなった自分の腕を見る。
その姿へ、現実の細い腕が重なった。
学校から帰れば、パソコンの前へ座る。
休日もほとんど外へ出ず、長時間ゲームを続ける。
運動らしい運動など、学校の体育くらいしかしていない。
短距離を走っただけで息を切らし、クラスメイトから体力がないと笑われた。
「つまり……」
快斗は乾いた声を絞り出す。
「技は使えても、それを撃つ俺が弱すぎて耐えられなかった?」
「おおむね、その理解で問題ございません」
「先に言え!」
叫んだ瞬間。
広間全体を揺らすような地響きが起こった。
快斗は反射的に剣を構える。
暗い通路の奥から、巨大な黒い脚が現れた。
先端は槍のように鋭く、石の床へ突き刺さるたびに深い亀裂を刻んでいく。
続いて現れたのは、黒い甲殻に覆われた巨大な蜘蛛だった。
八本の脚。
人間を丸ごと飲み込めそうなほど大きな口。
無数の牙が擦れ合い、不快な音を立てている。
快斗の目の前に、名前が表示された。
《ナイトメア・スパイダー》
「MPゼロでボス戦かよ……」
蜘蛛が咆哮する。
「ギシャアアアアッ!」
空気が震える。




