第2話 夢の中の現実
「今の、俺がやったのか?」
自分の声が、どこか遠くから聞こえた。
驚きで見開かれていた目に、別の光が宿っていく。
口元が、知らず知らずのうちに緩んだ。
ガイドが静かに手を叩く。
「お見事です」
快斗は勢いよく振り返った。
「いやいやいや!」
剣を持ったまま、ガイドへ詰め寄る。
「なんなんですか、これ!」
ガイドは穏やかな微笑みを崩さなかった。
「夢です」
「夢?」
「はい」
あまりにも当たり前のことを答えるような口調だった。
快斗は手にした剣へ視線を落とす。
銀色の刀身。
革が巻かれた柄。
手のひらには、確かな重さが残っている。
先ほど地面を蹴ったときの感触も、剣がスライムの身体を斬り裂いた感覚も、まだ鮮明だった。
「夢って……」
快斗は剣の腹を指で軽く叩いた。
硬い金属音が響く。
「こんなにはっきりしてるのに?」
「はい」
ガイドは小さく頷いた。
「夢であることと、そこで感じたものが本物であることは、矛盾いたしません」
「いや、するだろ」
何を当然のように言っているのか。
快斗は額を押さえた。
しかし、目の前に広がる草原も、肌を撫でていく風も、土や草の匂いも、どう考えても普通の夢とは思えなかった。
「まあ、いいや」
快斗は剣を鞘へ戻す。
小気味よい金属音とともに、刃が収まった。
「夢だっていうなら、もう起きたいんですけど」
「朝になれば、お目覚めになります」
「今すぐ起きる方法は?」
「ございません」
「……、さらっと言うな!」
「申し訳ございません」
ガイドは頬へ指を添え、わずかに首を傾けた。
その表情には、申し訳なさがまるで感じられない。
「絶対、悪いと思ってないだろ」
「いいえ」
「即答かよ!?」
快斗は思わず声を裏返した。
見た目だけなら、絵画から抜け出してきた女神のようだった。
だが、話してみると恐ろしいほど調子が狂う。
何を考えているのか、まったく分からない。
「……分かった」
快斗は大きく息を吐く。
「朝になれば帰れるんだな?」
「はい」
「だったら、今夜だけ我慢すれば――」
「今夜だけではありません」
快斗の動きが止まった。
「……え?」
「快斗さんは今後、眠るたびにこの世界を訪れます」
「毎日!?」
「正確には、睡眠を取るたびです」
「昼寝も!?」
「はい」
「昼寝まで強制参加なのかよ!」
快斗は両手で頭を抱えた。
朝まで帰れない。
しかも、眠るたびにこの世界へ来る。
冗談ではない。
「待てよ」
快斗は顔を上げ、ガイドへ詰め寄った。
「それが、さっきの契約なのか?」
「はい」
「俺、そんな契約に同意してないからな!」
「手を取ってくださいました」
「あれは立たせてもらっただけだ!」
「そして、わたくしは快斗さんの手を取りました」
「言い方を変えても駄目だからな!」
快斗が指を突きつけても、ガイドは穏やかに微笑んでいる。
「この契約は、願いを叶えるために必要なものです」
「願い?」
「はい」
快斗は眉を寄せた。
「何だよ、それ」
「それは、いずれお分かりになります」
「そこは教えないのかよ!」
「今、お伝えしても、快斗さんにはご理解いただけませんので」
「それ、遠回しに馬鹿にしてる?」
「そのようなつもりはございません」
「本当か?」
「はい」
即答されると、かえって信用できない。
快斗は疑いの目を向けたが、ガイドはやはり微笑んでいるだけだった。
それ以上問い詰めても、まともな答えは返ってこない気がする。
快斗は諦め、改めて自分の身体へ視線を落とした。
見覚えのある防具。
腰に下げた剣。
手袋も、ブーツも、ゲームで使っていたものと同じだった。
ただし、身体はゲームのキャラクターそのものではない。
自分の手。
自分の腕。
少しだけ筋肉がついているように見えるが、基本的には現実の身体と変わらなかった。
そこで、快斗の頭に一つの考えが浮かんだ。
「待てよ」
もしここがゲームの世界で。
自分がゲームのキャラクターになっているのなら。
ひょっとすると、顔もゲームらしく格好よくなっているのではないか。
快斗は前髪を整え、少しだけ顎を上げた。
「ガイドさん」
「はい。いかがしましたか?」
「俺のキャラメイクって、どんな感じですか?」
「キャラメイク、ですか?」
「顔とか身長とか。ゲームの中の俺が、どうなってるかってこと」
「なるほど」
ガイドが右手を軽く振る。
空中へ淡い光が集まり始めた。
光は縦長に伸び、やがて一枚の大きな鏡へと形を変える。
「こちらでご確認ください」
「おお……」
快斗は期待に胸を膨らませながら鏡へ近づいた。
無意識に髪を整える。
しかし。
鏡の中に映っていたのは、見慣れた自分の顔だった。
髪形も。
目も。
鼻も。
身長も。
ほとんど現実と変わっていない。
違いがあるとすれば、腕や胸元に少し筋肉がついている程度だった。
「えーっ!」
快斗は鏡へ顔を近づけた。
頬を引っ張る。
横を向く。
もう一度、正面を見る。
どう見ても、自分だった。
「ちょっとガタイが良くなっただけで、ほとんどそのまま俺じゃん!」
「はい」
「ゲームなんだから、もう少し盛ってくれてもいいだろ!」
「盛る、ですか?」
「目を大きくするとか、鼻を高くするとか!」
「快斗さんは、快斗さんですので」
「そこは現実的なんだな!」
「ふふ」
ガイドは口元へ手を添え、小さく笑った。
快斗は不満そうに鏡を睨む。
だが、改めて見ると、まったく変化がないわけではなかった。
現実よりも少し逞しくなった身体。
腰に下げた剣。
防具を身につけた自分。
快斗は鏡の前で、ゆっくりと剣を抜いた。
先ほどスライムを斬ったときと同じように構える。
鏡の中の自分は、思っていたよりも様になっていた。
少なくとも、パソコンの前に座り続けている普段の自分よりは、ずっと格好よく見える。
「……まあ」
口元がわずかに緩む。
「悪くないけど」
ガイドは何も言わず、その姿を見つめていた。
穏やかな微笑みが、ほんの少しだけ柔らかくなったように見えた。
そのとき。
鏡の表面が水面のように揺れた。
「ん?」
同時に、周囲の景色から少しずつ色が失われていく。
青かった空が白く霞み、緑の草原が淡い光へと溶けていく。
快斗の身体からも、小さな光の粒が浮かび上がった。
「何だ、これ?」
「お目覚めの時間です」
「もう朝?」
「はい」
快斗は光に包まれた両腕を見下ろす。
指先が透け始めていた。
「待て!」
快斗はガイドへ手を伸ばす。
「まだ聞きたいことが――」
「続きは、また今夜」
ガイドが柔らかく微笑む。
「今夜って――」
言葉を最後まで口にする前に、白い光が視界を覆った。
◇
――ジリリリリリリッ!
けたたましい音が鳴り響いていた。
「うわっ!」
快斗はベッドから飛び起きた。
荒い呼吸を繰り返しながら、周囲を見回す。
見慣れた自分の部屋。
机。
本棚。
閉じられたカーテン。
枕元では、目覚まし時計が鳴り続けている。
時刻は午前七時三十分。
快斗は目覚ましを止め、自分の両手を見た。
いつもの手だった。
防具もない。
剣もない。
何度か手のひらを返し、右手を強く握ってみる。
そこにはまだ、剣の柄を握っていた感触が残っている気がした。
「……夢?」
そう呟いてから、枕元へ視線を向ける。
小さな写真立ては、昨夜と同じように伏せられたままだった。




