第12話 決意
ドンドン。
ドンドン。
激しく扉を叩く音が響いていた。
「快斗! 快斗ー!」
母親の声。
「うわあああああっ!」
快斗はベッドから跳ね起きた。
快斗の頭の中には、夢世界での最後の光景が焼きついていた。
魔女が両手を掲げる。
白銀の吹雪が、快斗をのみ込む。
《GAME OVER》
そして。
『ありがとう』 と 『さようなら』
全身から、大粒の汗が噴き出している。
呼吸がうまくできない。
「はぁっ……はぁっ……!」
身体中が軋むように痛む。
皮膚の下へ氷を押し込まれているような痛み。
骨の奥まで冷えている。
扉が開き、母親が慌てて部屋に入ってきた。
「快斗!?」
母親の声が、遠く聞こえる。
「何……?」
「今、病院から連絡があって……」
快斗がゆっくりと顔を上げる。
母親の目に涙が浮かんでいた。
「希が……」
その先を、聞きたくなかった。
「希が、危篤だって……」
快斗の表情が凍りついた。
「……希が?」
母親は涙を堪えながら頷く。
快斗の脳裏に、月蝕の魔女の背後に浮かんでいた光の玉が蘇る。
五つ。
それが四つになり。
三つになり。
そのうち一つは、今にも消えそうなほど弱くなっていた。
(あの光の玉……)
あれは、魔力の残量ではなかった。
(希自身の……命だったのか……)
快斗は震える手で、ベッドのシーツを掴んだ。
希は、命懸けで夢世界へ来た。
兄に会うために。
もう一度、一緒に遊ぶために。
(それなのに。俺は……)
魔女の顔が浮かぶ。
苦痛に歪んだ表情。
どこか寂しそうな瞳。
昔、希がゲームで何度も使っていた遠距離攻撃。
(逃げた……)
枕元には、裏返しになった写真立てが置かれている。
快斗はそれを見る。
今まで見ないようにしてきた。
希に会いたくないのではない。
会えば、自分が何をしてきたのか思い知らされる。
寂しい思いをさせたことも。
何年も逃げ続けたことも。
すべて認めなければならなくなる。
だから、写真すら見られなかった。
(そして、……また、逃げた)
「希……」
掠れた声が漏れた。
快斗は歯を食いしばった。
ベッドから降りようとする。
足へ力を入れた瞬間、身体が崩れた。
「どうしたの!?」
母親が快斗の額へ手を当てる。
「熱い……」
母親の表情が強張る。
「あなた、熱があるんじゃ……」
快斗の青白い顔。
震える身体。
快斗は苦しそうに眉を寄せ、唇を震わせている。
母親はそれを見て息を呑んだ。
「快斗……」
快斗は答えられない。
立ち上がる。
「くっ……!」
「快斗!」
母親が慌てて身体を支える。
「駄目よ!」
快斗は母親へ掴まりながら、無理やり立ち上がる。
全身へ痛みが走った。
「あなたまで倒れたら……!」
「お母さん……」
荒い息を吐きながら、母親を見る。
「今から病院へ行こう」
「ええ。でも、その身体じゃ……」
快斗は壁へ手をつき、一歩を踏み出した。
身体が悲鳴を上げる。
それでも止まらない。
「俺の身体はどうでもいい!」
母親が目を見開く。
「今は、希のことだ!」
母親は快斗の背中を見つめた。
しばらくして、快斗の腕を自分の肩へ回す。
「分かったわ」
涙を拭い、力強く頷いた。
「お父さんに車を出してもらうから」
◇
夜の道路を、車が走る。
父親が運転席でハンドルを握り、母親は助手席で何度も病院からの連絡を確認していた。
後部座席。
快斗はシートへ身体を預けている。
顔色は悪い。
呼吸も荒い。
父親がバックミラー越しに快斗を見た。
「快斗」
返事はない。
「お前、本当に大丈夫なのか?」
快斗は窓の外を見つめたまま、考えていた。
希を助けるには、どうすればいい。
夢世界へ戻らなければならない。
再びあの場所へ行ける保証はない。
快斗は拳を握った。
その指には、《生命循環の指輪》がはめられている。
青白い石が、微かに光った。
「……?」
指輪から淡い光が広がり、腕を伝って胸元へ流れていく。
荒かった呼吸が、僅かに落ち着いた。
全身の痛みも、ほんの少しだけ和らぐ。
(指輪の効果……?)
夢の世界だけではない。
現実でも、力が残っている。
快斗は拳を握り直した。
「……大丈夫」
父親は何も言わず、前を向き、病院へ急いだ。
◇
病院の廊下。
快斗は父親に肩を貸してもらいながら、必死に歩いていた。
母親は少し先を急ぐように進んでいる。
「……早く」
「ゆっくりでいい」
父親の声にも、余裕はない。
それでも快斗の身体をしっかりと支えている。
「無理をするな」
快斗は答えなかった。
足を引きずりながら進む。
(希を助ける)
何をすればいいのかは分からない。
それでも。
(俺が、絶対に……)
希の個室の前には、看護師が立っていた。
「希は!?」
母親が駆け寄る。
「先生が診ています。ご家族の方ですね」
看護師が扉を開ける。
父親に支えられながら、快斗は病室へ入った。
◇
病室には、医師と二人の看護師がいた。
医療機器の電子音が、絶え間なく響いている。
ベッドには、希が横たわっていた。
顔色は白い。
目を閉じたまま、動かない。
酸素マスク。
細い腕に繋がれた点滴。
「現在、心拍と血圧は――」
医師が両親へ説明している。
だが、快斗の耳には入らなかった。
視界には、希しか映っていない。
「希……」
父親に支えられながら、ベッドの横まで進む。
父親がゆっくりと快斗の身体を離した。
快斗は希の手を取る。
(冷たい)
細く。
白く。
力の抜けた手。
最後に握ったのは、いつだっただろう。
「希……」
目に涙が浮かぶ。
その手を、両手で強く握った。
快斗の指にはめられた《生命循環の指輪》が、微かに光る。
「ごめん……」
今さら謝っても遅いかもしれない。
それでも。
「俺、もう逃げない」
快斗の視界が大きく歪んだ。
身体から力が抜ける。
「快斗!?」
「おい!」
母親と父親の声。
快斗は希の手を握ったまま、その場へ崩れ落ちた。
視界が、白い光に包まれる。
◇
白い光が、ゆっくりと晴れていく。
快斗は冷たい床へ片膝をついていた。
荒い呼吸。
全身の痛み。
目の前には、巨大な扉。
そして。
その扉の前に、ガイドが立っていた。
「……お戻りになられたのですね」
「ここは……」
「館の最深部です」
ガイドは快斗を静かに見つめる。
「先ほど、あなたが敗れた大広間の扉前でございます」
快斗は歯を食いしばった。
扉を見上げる。
向こう側にいる。
魔女。
希。
『ありがとう』
『さようなら』
「希……」
快斗は立ち上がろうとする。
しかし、足に力が入らない。
剣を杖に、何とか身体を支えた。
「快斗さん」
ガイドが一歩近づく。
「お身体は大丈夫ですか?」
「……大丈夫だ」
大丈夫なはずがない。
それでも、そう答えた。
左手を開き、ステータス画面を表示する。
《HP 837/4700》
「まだ……千も戻ってないのか」
最大HPは、いつの間にか大きく上がっている。
だが、今の残量では、一度でも攻撃を受ければ終わる。
快斗はステータス画面を閉じた。
それでも、扉へ向かって歩き出す。
ガイドが、その前へ立った。
「今のあなたでは、また負けます」
快斗は足を止める。
「体力も戻っておりません」
「……」
「まともに剣を振るうことさえ、難しいでしょう」
「これは」
快斗は顔を上げた。
「勝ち負けじゃないんだ」
ガイドの瞳が僅かに揺れる。
「俺は、希に会いたい」
それだけだった。
勝ちたいのではない。
魔女を倒したいのでもない。
会って。
話して。
謝りたい。
そして、もう一度手を握りたい。
ガイドは快斗を静かに見つめた。
何かを言いかける。
「それに……」
「『それに』?」
快斗は、その一言を聞き逃さなかった。
「それに、何だよ!」
ガイドは答えない。
僅かに、扉の向こうへ視線を向ける。
快斗はその動きを見逃さなかった。
快斗の脳裏に、魔女の周囲を漂っていた五つの灯火が浮かぶ。
五つが四つになり。
三つになった。
そのうち一つは、今にも消えそうなほど弱く明滅していた。
「やっぱり……」
快斗は拳を握る。
「あの玉は、希の命と関係があるんだな」
ガイドは沈黙している。
「俺があいつと戦えば、希の命が削られるのか?」
答えはない。
「だから、止めたいのか?」
長い沈黙のあと。
ガイドが静かに口を開く。
「快斗さん」
その声には、いつもの柔らかさがなかった。
「今進めば、再び敗れる可能性が高いでしょう」
「勝てるかなんて、どうでもいいっ!」
快斗はガイドを睨んだ。
「そこを、どいてくれないかっ!」
ガイドは退かない。
「何のために、そこまでして進まれるのですか?」
「希を助けたいんだ」
「助ける方法を、あなたはご存じなのですか?」
快斗は言葉に詰まった。
方法など知らない。
指輪が何を意味するのかも。
どうすれば希を救えるのかも。
何も分からない。
それでも。
快斗は扉をまっすぐ見つめた。
「そ、それでも……」
声が震える。
「希は、その扉の向こうで」
快斗は拳を握る。
「俺を待ってる」
ガイドは、しばらく快斗を見つめていた。
やがて、静かに目を閉じる。
「……そうですか」
一歩。
扉の前から退いた。
「かしこまりました」
ガイドが道を空ける。
「どうぞ、お進みください」
快斗は巨大な扉の前へ立った。
両手をかける。
「俺は……、希を、助ける!」
力を込める。
最深部の扉が、重い音を立てて開き始めた。
◇
静寂に包まれた大広間。
中央には、月蝕の魔女が静かに宙へ浮かんでいる。
背後には、三つの光の玉。
そのうち一つは、今にも消えそうなほど弱く明滅していた。
魔女がゆっくりと顔を上げる。
「……お……兄ちゃん……」
快斗は思わず一歩を踏み出した。
「希……!」
その瞬間。
魔女の瞳から、人間らしい光が消えた。
『《《蒼き氷よ》》』
冷気が渦を巻く。
『《《我が敵を貫け》》』
消えかけていた光の玉が、完全に消滅した。
残る二つの灯火。
その一つが、強く脈打つ。
魔女の前に、巨大な氷塊が生まれた。
鋭く伸び。
広間を埋め尽くすほどの氷槍へ変わっていく。
【クリスタル・ランス】
巨大な氷槍が、一直線に快斗へ放たれた。
先ほどは、全力を使ってようやく相殺した攻撃。
今のHPでは、爆風だけでも耐えられない。
快斗は静かに剣を構えた。
目を閉じる。
胸の奥で、心臓が強く脈打っている。
死ぬのは怖い。
寿命を失うのも怖い。
それでも。
もう逃げない。
【《《命喰らい》》】
ステータスを確認する。
《レベル MAX》
全身へ、これまで感じたことのない力が満ちていく。
同時に。
快斗の胸元から、黄金の光が抜け出していく。
それは命を燃料にするように、剣へと流れ込んだ。
剣から放たれた黄金の光が、大広間の床と柱を照らした。
身体の奥が冷えていく。
何か大切なものが削られていることが分かる。
快斗は目の前に、巨大な氷槍が迫っていた。
◇
快斗が剣を振り抜いた。
黄金の一閃。
そして。
快斗は、剣を納め、魔女の目の前へ立っていた。
「遅いよ」
快斗の背後の巨大な氷槍は、縦に真っ二つへ割れる。
魔女が目を見開く。
すぐに転移し、距離を取ろうとする。
しかし。
快斗は、その右手を掴んだ。
「ああああああぁぁぁ!」
魔女が叫ぶ。
黒い魔力と冷気が暴走した。
氷が快斗の腕を覆っていく。
皮膚を裂き。
肉へ食い込み。
腕全体を凍らせようとする。
それでも、離さなかった。
「希……」
強く。
もう二度と見失わないように。
「もう、離さない」
魔女は苦しみながら暴れる。
空いている手で快斗を押し返そうとする。
冷気が全身へ突き刺さる。
快斗は魔女の右手を握ったまま、右手に持っていてた《生命循環の指輪》を見る。
「迎えに来たよ。希」
静かに。
迷いなく。
魔女の右手を取る。
そして。
魔女の右手の薬指へ、指輪をはめた。
◇
指輪が希の指にはまった瞬間。
世界が止まった。
吹き荒れていた冷気も。
暴走していた黒い魔力も。
すべてが静止する。
魔女の背後に残っていた二つの光の玉が、柔らかな光へ変わった。
黒い霧が、少しずつ消えていく。
頭を覆っていた影が崩れ落ちた。
白い衣装が、光へ包まれていく。
青白かった肌へ、僅かに血色が戻る。
白い髪が。
苦痛に歪んでいた顔が。
快斗の知っている希へ変わっていった。
希は涙を浮かべ、快斗を見る。
「……お兄ちゃん」
「ああ」
声が震えた。
希は少し照れたように笑う。
「……来てくれたんだね」
快斗も涙を堪えながら笑った。
「遅くなって、ごめんな」
何年も。
ずっと。
待たせてしまった。
希は首を横に振る。
「ありがとう」
快斗は、希を優しく抱きしめた。
細い身体。
温かい。
確かに、ここにいる。
「ごめん……」
希の肩へ顔を埋める。
「本当に、ごめん」
希は何も責めなかった。
ただ。
快斗の服を、小さな手で握った。
◇
二人を中心に、眩しい白い光が広がっていく。
館の床。
壁。
柱。
天井。
世界そのものが、ゆっくりと光へ溶け始めた。
快斗は希の手を握ったまま、離さない。
希も、小さく握り返す。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「今度、また一緒にゲームしようね」
「ああ」
快斗は笑う。
「約束だ」
世界は真っ白な光に包まれた。
兄妹の姿も、ゆっくりと光へ溶けていく。
『願いは、確かに届きました』
どこかで。
ガイドの声が聞こえた気がした。




