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ビヨンド・プレイヤー 〜夢でつながる剣と魔法〜  作者: kooy
プロローグ ―― 願い

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11/13

第11話 願い

 夕日に染まった病室で、私は一人、窓の外を眺めていた。


 窓際に置かれたベッド。

 白いシーツ。

 壁際に並ぶ医療機器。

 毎日変わらない風景の向こうを、制服姿の高校生たちが歩いていく。

 友人と肩を並べ、笑いながら帰っていく少女。

 私と同じくらいの年齢。

 背中に鞄を揺らし、何かを楽しそうに話している。

 その姿が小さくなり、やがて窓の外から見えなくなった。


 私はベッド脇のテーブルを見た。

 読みかけの小説が伏せて置かれている。

 その隣に、家族四人で撮った写真立てがあった。

 まだ幼いお兄ちゃんと私。

 父と母の前で、兄妹が並んで笑っている。

 私は写真立てを手に取った。


 そして。

 お兄ちゃんの顔を指先で触る。

 写真の中のお兄ちゃんは、屈託なく笑っていた。


 いつも自分より少し前を歩き。

 転びそうになれば、優しく手を伸ばしてくれた。

 ゲームの中でも、必ず自分の前へ立ってくれた。


(お兄ちゃん……)


 そのとき。

 病室の外から、足音が聞こえた。

 写真を持つ手に力が入った。

 病室の扉が勢いよく開く。


「希ちゃーん。ママだよ」


 母が大きな紙袋を抱え、明るい声で入ってくる。

 私は母を見て、いつものように笑った。


「……いつもありがとう、お母さん」

「今日は着替えと、それから本も持ってきたわよ。前に読みたいって言ってたでしょう?」

「うん。ありがとう」


 母は紙袋をテーブルへ置き、中身を一つずつ取り出していく。

 私はその様子を横目に、窓の外を見た。

 男子高校生たちが、楽しそうな友人たちと肩を並べ歩く。


「お兄ちゃんも、今頃あんな感じなのかな」


 母の手が、わずかに止まった。


「友達もいっぱいできて」

 私は、窓の外を見たまま続けた。

「部活も頑張ってて」


 お兄ちゃんは何年も前から病室へ来なくなった。

 きっと学校も、毎日の生活も充実しているんだと思う。


「もしかしたら、彼女とかもできてたりして……」


 母が笑った。

「どうかしらね」


「でも、お兄ちゃん、そういうの鈍そうだね」

「そうね。それは否定できないわね」

 二人で小さく笑った。


(私の大好きな。お兄ちゃん……)


 こんな私に会いたくないのかもしれない。


 ……だけど、本当は会いたい。

 そのひと言が、お兄ちゃんの重荷になる。

 だから、言えない。


 母はしばらく私の顔を見ていた。そして、何かを思い出したように口を開いた。

「そうだ、快斗がね――」


 私は、母の言葉を遮った。

「あ、お母さん……。そう……。いつか、チーズケーキを作ってみたいな」

「チーズケーキ?」

「うん」

 私は少し恥ずかしくなった。

「お兄ちゃん、大好きだったでしょ?」


 母は何かを言いかけて、口を閉じた。

 その目には僅かに涙が浮かんでいた。

 私は申し訳なくなり、俯いた。


「あ……、ごめんなさい」

「どうして謝るの?」

「何となく……」

「謝ることなんてないのよ」


 母は私の髪を優しく撫でてくれた。

 その手のとても温かかった。


          ◇


「また来るね」

 母は扉の前で手を振った。


「うん、またね」

 私も小さく手を振る。

 扉が静かに閉まった。

 廊下を歩く母の足音が、少しずつ遠ざかっていく。

 やがて、何も聞こえなくなった。


 「……」


 私は、閉じた扉を見つめた。

 そして、ベッドへ深くもたれた。


 母が言おうとしていたこと。

 お兄ちゃんが、今どうしているのか。

 今、何を考えているのか。


 知りたい。

 けれど――。


(本当は……、本当のことを聞きたくないだけ)


 母から、お兄ちゃんの話を聞くのが怖かった。

 お兄ちゃんは元気にしている。

 学校へ通っている。

 毎日を普通に過ごしている。


 そして。

 その毎日の中に、私はいない。


(お兄ちゃんは、来られないんじゃない)


 来ようと思えば、来られる。

 病院は、家から遠くない。

 学校の帰りに寄ることだってできる。


(来たくないんだよ)

(お兄ちゃんは、私を……避けている)


 私は布団を口元まで引き上げた。


(こんな私に、会いたくないんだよ)


 だから。


(頑張っているお兄ちゃんを、邪魔しちゃいけない)


 学校がある。

 友達もいる。

 進路のことだって忙しい。

 お兄ちゃんには、お兄ちゃんの人生がある。


 私なんかのために、時間を使わせてはいけない。


 そう思えば、少しだけ楽になれると思った。


 一筋の涙が頬を伝った。


 慌てて拭おうとしたが、次の涙がすぐに溢れてくる。


          ◇


 消灯後。

 窓から差し込む月明かりが、ベッドを薄く照らしていた。

 私は横になり、白い天井を見つめていた。

 鏡を見なくてもわかる。昼間の笑顔なんて、もうどこにも残っていない。


(嘘)

 胸の奥から、声が漏れる。

(嘘嘘嘘嘘嘘嘘、嘘……!)


 自分へ言い聞かせてきた言葉が、一つずつ崩れていく。

 お兄ちゃんを邪魔したくない。

 お兄ちゃんには楽しく暮らしていてほしい。

 会えなくても仕方がない。

 全部、本心ではあった。



 頭の中に遠い記憶が蘇った。



          ◇


 鏑木家のリビング。


 幼い快斗と希が、テレビの前へ並んで座っている。

 二人の手には、ゲームのコントローラー。

 画面の中では、剣士と魔法使いが巨大な魔物と戦っていた。


「お兄ちゃん、来た!」

「下がってろ!」

「でも、お兄ちゃんの体力が――」

「大丈夫!」


 快斗が操作する剣士が、希の魔法使いの前へ立つ。


「《《俺が守るから》》!」


 剣士が魔物の攻撃を受け止める。

 体力ゲージが大きく減った。

 その隙に、希の操作する魔法使いが背後から大技の魔法を放つ。

 眩しい光が画面いっぱいに広がった。

 魔物が倒れる。


《BOSS CLEAR》


「やった!」

「余裕だろ!」

「お兄ちゃん、体力あと少しだったよ」

「勝てばいいんだよ、勝てば」


 二人は顔を見合わせ、笑った。


          ◇


 あの頃は。

 お兄ちゃんの隣にいられることが、当たり前だと思っていた。


(もう一度、ゲームがしたいな)


 私は静かな病室で目を開けた。

 頬に残った涙を、袖で拭う。


 お兄ちゃんと並んで歩いた道。

 お兄ちゃんの手を握っていた、小さな私の手。

 家族四人で囲んだ食卓。

 知らない人に話しかけられ、お兄ちゃんの背中へ隠れたこと。


 思い出の中には、いつもお兄ちゃんがいた。


(……大好きな、お兄ちゃん……)


 私は胸元で、両手を強く握った。


 何もいらない。

 元気な身体にならなくてもいい。

 病院から出られなくてもいい。


 ただ。

 もう一度だけ。

 一緒に遊びたい。


 ゆっくりと上半身を起こした。

 ベッド脇には、小さな御守りが置かれている。

 両親が、病気の回復を願って用意してくれたもの。

 私はその御守りを手に取り。

 両方の掌で包み、目を閉じた。


「神様」


 声が震える。


「お願いします」


 叶うはずがない。

 そんなことは分かっている。

 それでも。


「もう一度だけ……」


 涙が、御守りを握る手へ落ちた。


「お兄ちゃんと《《遊びたい》》」


 声にした途端、胸の奥に押し込めていた思いが溢れた。


「もう一度だけで、いいから……」


 その瞬間。


 掌の中から、淡い光が漏れ出した。


「……え?」


 光は少しずつ強くなり、病室全体へ広がっていく。

 カーテン。

 壁。

 天井。

 医療機器。

 すべてが、白い光に包まれていった。


 私は眩しさに目を細めた。


 ベッドの前に。

 光の中から、一人の女性が姿を現した。

 腰まで届く金色の髪。

 金糸の装飾が施された、純白の長衣。

 左右対称に整った顔立ち。

 瞳には、淡い光が宿っている。


「こんばんは。希さん」

 その女性は優しく微笑んだ。


 あまりの光景に言葉を失った。

「あなたは……誰ですか?」

 私は声を震わせ、女性を見つめた。


「私は、《《あなたの願いを》》聞き届ける者です」


「願いを……?」


「はい」

 女性は柔らかな微笑みを崩さない。

「あなたは、その病気のことを気にせず、お兄さまとお会いになれます」


 今、自分が願ったこと。

 目の前の女性は、それを知っている。


「でも……」


 私は、布団の端を強く握った。


「お兄ちゃんは、きっと学校が忙しいし……」


 喉の奥が苦しくなる。


「毎日、頑張ってるから……」


 私は少し笑った。

 自分でも、それが不自然な笑顔だと分かっている。


 女性は私を見つめる。

「わたくしは、一つの世界をご用意いたします」


 白い光の中へ、幻想的な景色が浮かび上がった。

 どこまでも続く草原。

 深い森。

 その奥に建つ、巨大な館。


「その名は――『Beyond Prayer』」


 私が知っているゲームの世界。

 お兄ちゃんと遊んだ、思い出の世界。


「あなたたちが、よくご存じの世界です」

「ビヨプレ……」

「お兄さんは夢の中で、この世界に現れます。」

「夢の中で……」


 女性は、優しい声のまま続けた。

「ですが。願いには、代償がございます」

「……代償?」


 女性が私の胸に手を差し伸べた。

 それと同時に、私の胸元から五つの小さな光の玉がゆっくりと浮かび上がった。


「何……これ……」


 私は驚き、思わず光へ手を伸ばした。

 五つの光は、私のまわりを静かに漂い始める。


「その五つの灯火は、あなたの残りの命です」


 全身の血が引いていく感覚とともに、指先が固まった。


「そして、あなたが夢世界に存在できる時間を表しております」

 女性は漂う光を見つめる。

「灯火が一つ消えるたび、あなたの命も削られていきます」


 私は何も言えなかった。


「すべての灯火が消えたとき、――あなたの命も尽きます」

 女性は私を見つめている。

「それでも、あなたはお兄さんと《《遊びたい》》ですか?」


 病室が静まり返った。

 私は、五つの灯火を見た。

 五つの灯火は、生死という言葉には似つかわしくないほど、柔らかな光を放っている。

 怖くないわけではない。

 死にたくもない。

 もっと生きたい。


 いつか制服を着て、学校へ通ってみたい。

 友達と笑いながら、あの窓の向こうを歩いてみたい。

 家に帰って、家族四人で同じ食卓を囲みたい。

 そんな「いつか」を、私は何度も思い描いてきた。


 けれど。

 いつか会えると信じているうちに。

 もう一度話せると願っているうちに。

 私はいなくなってしまうかもしれない。


 それなら。

 何も叶わないまま、ただ命が減っていくのなら。


 少しの沈黙。


「お兄ちゃんと遊べるなら……」

 声は震えていた。

 笑おうとしても、唇がうまく動かない。


「私……」

 胸元で御守りを握り直す。

「このまま、お兄ちゃんに会えないままなのは嫌なんです」


 声が掠れた。

「忘れられたまま、終わるのは……嫌なんです」


 それは責める言葉ではない。

 ただ、ずっと胸の奥へ隠していた本音だった。


「もう一度だけでいいんです」

 涙が頬を伝う。

「もう一度、お兄ちゃんと遊びたい」


 ゲームをして。

 名前を呼んでもらって。

 昔のように笑いたい。

 たとえ、それが命と引き換えでも。


「だから……よろしくお願いします」


 女性は静かに手を差し伸べた。

 私はその手を見つめる。

 怖い。

 それでも。

 小さく微笑み、手を伸ばした。


 二人の指先が触れる。

 白い光が、病室を包んでいく。


「《《契約成立》》です」


 そして、白い光がゆっくりと晴れていく。


 私は目を開いた。

 どこまでも続く青空。

 草原を吹き抜ける風。

 遠くには薄暗い森が広がり、そのさらに奥に大きな館が見える。


(夢の中の世界……)


「……こ、ここが」


 女性は隣で微笑んだ。

「お兄さまとお会いになれる世界でございます」


 私は驚きながら周囲を見回す。


(本当に……ゲームの世界なんだ……)


 私は自分の身体を見る。

 病衣ではない。

 白い衣装。

 足も動く。

 呼吸をしても、胸が苦しくない。


 でも、言葉はうまく話せなかった。

 声を出そうとしても、喉の奥が重く絞めつけられたように声帯が震えない。自分の声ではないような、低く静かな響きしか出なかった。

 「……こ、言葉が……」

 

 女性は私を見つめて言った。

「それは《魔女》としての器を得たゆえの制約です。あなたは、その世界を守る者――《月蝕の魔女》として、お兄さまと対峙していただきます」


「わ、私が……?」


 女性が静かに歩き出す。

 そのあとを追った。

 自分の足で歩ける。

 走ることだってできそうだった。


 私の背後には、五つの灯火が静かに浮かんでいる。


          ◇


 薄暗い森の中を、二人は歩いた。

 先ほどまでの喜びが薄れ、疑問が浮かんだ。


「わ、私は……ずっと、ここに……?」


 女性は首を横に振った。

「いいえ。目を覚ませば、現実世界へ戻られます」


 私は少し安心する。


「そして、お眠りになれば、再びこの世界へ来ることができます」


 女性は森の奥にある館へ視線を向けた。

「お兄さまがあの館へたどり着かれたとき、あなたもあの場所へ導かれます」


 私は胸元の御守りを強く握った。

 遠くに見える館。

 ここで、お兄ちゃんに会える。


「……わ、分かり、ました」

 館を見つめる。


「……お、お兄ちゃん……」

 その声は、森の中へ消えていく。


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