第10話 ありがとう
病室。
ベッドの上で、まだ幼い希が携帯ゲーム機を握っている。
隣の椅子には、小学生の快斗。
二人の画面に映っているのは、初代『Beyond Prayer』。
「お兄ちゃん、前お願い!」
「まかせろ!」
快斗のキャラクターが、敵の群れへ突っ込んでいく。
その後方から、希の魔法が次々と飛んだ。
「いけー!」
「ちょっ、俺にも当たるって!」
希が楽しそうに笑っていた。
◇
大広間。
魔女の周囲に、再び無数の氷の矢が生まれる。
快斗は小さく笑った。
「そうだったな……」
ゲームでも。
希はいつも、自分の後ろから魔法を撃っていた。
魔女の瞳が、僅かに揺れる。
【アイスアロー】
氷の矢が放たれた。
快斗は走り出す。
「変わってないな、希!」
迫る矢をかわしながら、魔女へ向かって加速する。
「今度は、たどり着く!」
魔女が再び姿を消す。
「また転移か!」
背後に現れる。
だが、今度は快斗も即座に振り返った。
剣を振り抜く。
魔女は身体を反らし、刃をかわす。
切っ先が白いドレスの胸元をかすめ、布が裂けた。
魔女の瞳が大きく見開かれる。
「今度は読めたぞ!」
その瞬間。
魔女の周囲に、青白い魔法陣が二つ同時に展開した。
「スキルの同時発動……!?」
魔女の背後で、先ほど薄くなった光の玉が激しく明滅する。
【アイスアロー】
正面から、無数の氷の矢。
同時に、快斗の足元から氷の棘が突き出した。
「うわっ!」
快斗は弾き飛ばされ、宙を舞う。
氷の棘が上着の裾を裂いた。
空中で逃げ場のない快斗へ、氷の矢が迫る。
剣を構え、何本かを弾く。
だが、一本が脇腹へ突き刺さった。
「ぐあっ!」
体勢を崩した快斗の身体が床へ叩きつけられる。
そのまま肩から転がり、床の上を激しく滑っていく。
快斗は滑りながら剣を床へ突き立てた。
刃が氷を削り、 数メートル進んだところで、ようやく身体が止まった。
脇腹に刺さった氷の矢は消えたが、傷だけが残っている。
《HP 1950 → 1550》
「はぁ……はぁ……」
薄くなっていた光の玉が、一瞬、強く輝いた。
そして。
音もなく消えた。
そして、魔女は苦しそうに胸元を押さえた。
快斗はその背後を見た。
先ほどまで五つあった光の玉が、四つに減った。
「今、光の玉が……消えた?」
魔女は答えない。
魔法を使うたびに、光が薄くなっていた。
魔力の残量なのか。
あるいは、何か別のものなのか。
「あ、そ、ぼぅ……」
「希……」
声をかけても、魔女は答えない。
そして再び魔女の周囲に、冷気が集まり始める。
快斗は床へ手をつき、立ち上がろうとした。
《生命循環の指輪》
《HP 1550 → 1600》
指輪が自動回復を続けている。
だが、このままでは回復が追いつかない。
魔女が両手を広げた。
広間の床に、青白い光が走る。
「何だ……?」
次の瞬間。
床全体が一気に凍りついた。
快斗の両脚が氷に覆われ、その場へ固定された。
「なっ……!」
足を動かそうとしても、びくともしない。
「動けない……!」
《継続ダメージ》
《HP 1600 → 1550》
魔女の背後。
残る四つの光の玉の一つが脈打った。
そして、急速に薄くなっていく。
巨大な魔法陣が強く発光した。
魔女が両手を前へ向ける。
『《《蒼き氷よ》》』
手元に、巨大な氷塊が生まれ始めた。
同時に。
薄くなった光の玉から、青白い光が引き出されていく。
その光が、魔女の身体へ流れ込んだ。
「光の玉は……エネルギー供給なのか?」
氷塊が鋭く伸びていく。
『《《我が敵を貫け》》』
一本の巨大な氷槍へ姿を変えた。
快斗の身長をはるかに超える大きさ。
放たれる冷気だけで、周囲の柱へ亀裂が走る。
「この技……!」
ゲームで見たことがある。
まともに受ければ終わる。
快斗は足元の氷へ剣を叩きつけた。
亀裂が僅かに入る。
しかし、脚は抜けない。
魔女の前で、巨大な氷槍が完成する。
透き通った槍の内部を、青白い光が走った。
魔女の髪と白いドレスが、膨大な魔力にあおられる。
苦痛に歪んだ唇が、ゆっくりと動いた。
「あ、そ、ぼぅ……」
快斗の目が見開かれる。
剣を握る手から、一瞬だけ力が抜けた。
だが、魔女の両手は巨大な氷槍へ向けられたまま。
【クリスタル・ランス】
巨大な氷槍が放たれる。
同時に、薄くなっていた光の玉が、完全に光を失い消えた。
(また一つ……消えた)
その意味を考えるより早く、凄まじい冷気が快斗へ襲いかかる。
巨大な氷槍が床を削りながら、ゆっくりと一直線に迫って来た。
「クッ……!避けられない」
快斗は足元の氷から剣を引き抜く。
柄を両手で握り、身体の前へ構えた。
剣身へ赤い魔力が集まり、小さな炎が生まれる。
「打ち消すしかないな!」
迫る巨大な氷槍を見据える。
『《《我が魔力を糧に》》――』
剣を包む炎が、激しく燃え上がった。
氷槍が床を削りながら迫る。
『《《飢えたる牙を赤く染めよ》》!』
炎が剣身を伝い、赤く輝く牙の形を作っていく。
凍りついた床が、槍の衝撃だけで次々と砕けた。
猛烈な冷気が、快斗の髪と服を激しくなびかせる。
足元を覆う氷に、亀裂が走り、炎の熱で、一気に砕け散った。
自由になった両足を踏みしめる。
快斗は全身を使い、剣を振り抜いた。
【爆炎刃!!】
《MP 4200 → 1900》
巨大な炎の斬撃が放たれる。
赤い炎。
青白い氷。
二つの大技が、大広間の中央へ向かって突き進んだ。
正面から激突する。
炎が氷槍へ食らいついた。
氷の表面が一瞬で溶け、凄まじい蒸気が噴き出す。
相反する二つの魔力が、中央でせめぎ合った。
「うおおおおおおっ!!」
快斗が叫ぶ。
魔女も両手を前へ突き出している。
苦痛に顔を歪めながら、声を上げた。
「ああああああっ!!」
二人の叫びが重なる。
炎と氷の境界に、白い光が生まれた。
光が急激に膨れ上がる。
「……っ!」
魔女の目が見開かれた。
次の瞬間。
超高熱の炎と冷気が相容れず、破滅的な水蒸気爆発を引き起こした。
膨張した衝撃波がすべてをのみ込んでいく。
周囲に立ち並ぶ巨大な石柱が、衝撃に耐えかねて次々と折れていく。
床の氷が砕け、壁へ大きな亀裂が走った。
快斗の身体も、衝撃波に吹き飛ばされた。
「ぐああああっ!」
魔女も爆風の中へ消える。
快斗は床を激しく転がり、崩れた柱へ背中からぶつかった。
「かはっ……!」
肺から空気が抜ける。
剣が手を離れ、遠くへ滑っていった。
細かな氷片が、雨のように降り注ぐ。
快斗は震える腕で身体を起こそうとした。
しかし、力が入らない。
《HP 1550 → 450》
HP表示が赤く点滅し、警告音が鳴り始める。
「はぁ……はぁ……」
相殺はできた。
直撃は避けた。
だが、身体は限界に近い。
蒸気が少しずつ晴れていく。
広間の中央。
月蝕の魔女は、まだ宙に浮かんでいた。
白いドレスは裂け、身体には火傷のような傷が残っている。
その背後には。
三つの光の玉が浮かんでいた。
「あと……三つ」
やはり、魔力の残量を示しているのか。
魔女が、ゆっくりと顔を上げる。
苦痛に歪んだ顔に、かすかな笑みが浮かんでいた。
「……どうして、笑ってるんだよ」
魔女の周囲へ、再び冷気が集まり始める。
残る三つの光の玉の一つが、強く脈打った。
「冗談だろ……」
快斗は立ち上がろうとする。
だが、力が入らず、再び片膝をついた。
身体が震える。
《生命循環の指輪》
《HP 450 → 500》
身体強化は、まだ切れていない。
指輪も回復を続けている。
それなのに、身体が動かない。
警告音が鳴り続ける。
ピッ。
ピッ。
ピッ。
その音が。
別の記憶と重なった。
◇
病室。
心拍計の音。
ピッ。
ピッ。
ピッ。
ベッドには、希が横たわっている。
顔色は悪く、目を閉じていた。
高校一年生だった快斗は、ベッド脇の椅子へ座り、スマートフォンを見ている。
やがて、希が目を開けた。
「お兄ちゃん……」
「ん?」
「今日、ゲームしないの?」
「ああ……」
快斗はスマートフォンへ視線を落としたまま答える。
「今日はちょっと、疲れてるから」
「……そっか」
希は寂しそうに笑った。
快斗の顔が、苦しげに歪む。
最初は、毎日通っていた。
学校が終われば病院へ行った。
休日も、希と一緒に過ごした。
二人でゲームをした。
本を読んだ。
たわいもない話をした。
でも。
病院の廊下。
妹の病室の前まで来た快斗のスマートフォンに、友人からのメッセージが表示される。
『今日、みんなで遊びに行かない?』
快斗は扉の取っ手へ手を伸ばした。
指先が触れる直前で止まる。
一日くらいならいいと思った。
また明日、会いに行けばいい。
そうして。
快斗は病院へ行かないことに、少しずつ慣れていった。
◇
魔女が右手を上げる。
無数の氷の結晶が生まれ、快斗へ狙いを定める。
◇
妹に会うと、何を話せばいいのか分からなかった。
自室。
快斗はパソコンの前で『Beyond Prayer II』を遊んでいる。
机の上には、母親から預かった病院への届け物。
手をつけられないまま、何日も置かれている。
元気な自分の話は、全部自慢に聞こえる気がした。
学校の話も。
友達の話も。
遊びに行った話も。
病室から出られない希には、残酷な話に思えた。
何も変わらない病室にいることが、苦しかった。
だから。
気づけば、まともに希と話さなくなって、三年が過ぎていた。
◇
快斗の目に涙が滲んだ。
「違う……」
魔女の瞳が、わずかに揺れる。
「忙しかったんじゃない」
快斗は拳を握る。
「俺は……」
声が震えた。
「希から逃げたんだ」
そのとき。
目の前に、新たな表示が現れる。
《ユニークスキル》
【命喰らい《ライフフォース・ドレイン》】
《使用しますか?》
《YES/NO》
快斗は表示を見つめた。
これを使えば。
レベルを最大まで上げられる。
魔女を倒せるかもしれない。
希を救えるかもしれない。
指が、《YES》へ近づく。
あと少し。
触れれば、力が手に入る。
だが。
指先が止まった。
「寿命……」
自分の胸へ手を当てる。
心臓が激しく脈打っている。
何年失うのか分からない。
一年なのか。
十年なのか。
それとも。
使った瞬間に、現実の自分が死ぬのか。
◇
最深部の扉の前。
ガイドが一人で立っていた。
閉ざされた扉の向こうから、快斗の声が僅かに聞こえる。
「無理だ……」
ガイドは目を閉じた。
身体の前で重ねた指先が、僅かに震えていた。
◇
快斗の指は、《YES》を押せない。
「怖い……」
認めたくなかった。
格好悪くても。
情けなくても。
それが本心だった。
「死にたくない……!」
残る三つの光の玉の一つが、再び強く脈打つ。
魔女の周囲へ、無数の氷の結晶が広がる。
氷の結晶が、一斉に快斗へ向いた。
【ダイヤモンドダスト】
残る三つの光の玉の一つが、激しく明滅した。
その光は急速に弱まり、今にも消えそうな僅かな輝きだけが残る。
氷の結晶が放たれる直前。
魔女の瞳に、一瞬だけ人間らしい光が戻った。
寄っていた眉がほどける。
魔女と希の顔が重なる。
口元に、希の穏やかな笑みが浮かんだ。
「お……兄ちゃん……。お兄ちゃん……」
快斗が顔を上げる。
魔女が小さく微笑んだ。
「……ありがとう」
一筋の涙が、魔女の頬をゆっくりと伝った。
「さようなら……」
快斗の目が見開かれる。
(さようなら?)
その言葉の意味を理解したくなかった。
「ま、待て……」
身体を起こそうとする。
「希――!」
白い氷の嵐が、快斗をのみ込んだ。
何も見えない。
音もない。
身体の感覚すら消えている。
「俺は……」
暗闇の中に、自分の声だけが響いた。
「また、逃げた」
やがて。
暗闇の中央に、赤い文字が浮かび上がる。
《GAME OVER》
赤い文字だけが、何度も明滅する。
そして。
《GAME OVER》の文字が消える。
暗闇の中へ、現実世界の病室が一瞬だけ映し出された。
明かりの落とされた、静かな病室。
ベッドに横たわる希の顔は、青白い。
心拍計の数値が、不安定に上下している。
ピッ。
ピッ。
ピッ。
希の手元には、古い携帯ゲーム機があった。
画面に映っているのは、初代『Beyond Prayer』のタイトル画面。
ゲーム機を握っていた希の指が、僅かに緩む。
次の瞬間。
心拍計の警告音が、激しく鳴り始めた。
ピピピピピッ――!
病室が、暗闇へ沈んだ。




