第9話 星見祭の約束
潮ノ島の星見祭は、空ではなく海を見る祭りだった。
暁環事故の前から、夏の大潮の夜には港へ提灯を並べ、灯台の光と星潮の流れを合わせて航路の無事を祈った。事故の後は慰霊の意味が加わり、笑っていいのか泣いていいのか分からないまま、それでも島民は毎年集まってきた。
今年は中止になるはずだった。灯台の廃止、低地の移転、父の入院。理由はいくらでもあった。
だが美汐は言った。
「最後かもしれないから、やるんじゃない。来年もやるつもりで、今年やる」
その言葉に押され、港は昼から慌ただしくなった。漁協の倉庫から古い提灯が出され、奈津は救護所を組み、源三は文句を言いながら焼きそば用の鉄板を磨いた。春は美汐に連れられて、紙灯籠へ名前を書く係を任された。
「名前、春だけでいい?」
少年は筆を持ったまま灯へ聞いた。
「いま分かっている名前でいいよ」
「分かったら、足せる?」
「足せる。紙は思ったより寛容」
春は少し笑い、ゆっくりと「春」と書いた。字は幼いが、筆先は迷っていなかった。
夕方、陸が灯台から港へ降りてきた。作業服の袖をまくり、手には修理した小型送信器を持っている。
「祭り用の星潮同期装置です。古いものですが、点くはずです」
「撤去対象の備品を勝手に修理していいんですか」
「設備確認の一環です」
陸の便利な答えに、灯は今度こそ笑った。
夜になると、港の水面が青く光り始めた。提灯の橙色と星潮の青が混ざり、桟橋はこの世とあの世の境目のように揺れた。島民たちは紙灯籠を流す。そこには亡くなった人の名前だけでなく、本土へ移った家族、廃業した船、沈んだ通学路の名前もあった。
灯は「水瀬海里」と書いた灯籠を手にしていた。八年間、墓にも海にも置けなかった名前だ。
「流さないの?」
春が隣へ来た。
「流したら、さよならになる気がして」
「さよならって、悪いこと?」
灯は答えられなかった。春は自分の灯籠を水へ置く。そこには「春」と、その下に小さく「知りたい」と書かれていた。
「ぼくは、知りたい。怖いけど、知りたい」
灯は兄の灯籠を見た。さよならを避けるために、記憶を抱えているつもりだった。けれど実際には、兄が何を選んだのか知ることから逃げていた。
灯籠を水面へ置くと、星潮がその周りに集まった。青い粒が紙の底を支え、ゆっくり沖へ運んでいく。
その瞬間、灯のインプラントが短く鳴った。
『今年も下手な字だな、灯』
兄の声。からかうようで、泣きそうで。
灯は涙をこらえず、笑った。
「うるさい」
春が驚いて灯を見る。陸も、奈津も、美汐も気づいたようだった。けれど誰も何も言わない。港の全員が、それぞれの灯籠を見送っていた。
祭りの最後、灯台の上から修理した送信器が淡い信号を放った。星潮が港の外へ一本の道を描く。細く、頼りなく、それでも確かに続く道。
灯はその道を見つめ、海底の鐘へ行くと決めた。




