第5話 都市から来た技師
久遠陸は、撤去に来た人間にしては灯台を壊す手つきが下手だった。
昼過ぎ、彼は制御室の床へ膝をつき、古い配線を一本ずつ確かめていた。腐食した端子を見つけるたび眉間に皺を寄せ、使える部品には小さな保護キャップをかぶせる。撤去業者なら切って捨てる箇所を、彼は迷うように撫でた。
「あなた、壊すの嫌いでしょ」
「壊すために構造を知る必要があります」
「便利な答えですね」
「霞庁の研修で覚えました」
灯は少しだけ笑いそうになり、慌てて表情を戻した。敵を笑ってはいけない。
陸は港側の窓へ目をやった。春が奈津に付き添われ、診療所の庭を歩いている。足取りはまだ頼りないが、海を見る顔は子どもらしく好奇心に満ちていた。
「あの子を庁へ報告すれば、保護は早い」
「保護という名の隔離ですか」
「否定はしません」
正直すぎる返事に、灯は言葉を詰まらせた。
「僕は霞庁の職員ではありません。委託技師です。元は軌道設備の保守をしていました。暁環の事故後、部署ごと解体されて、いまはこういう仕事を」
「事故に関わっていた?」
「直接ではない。けれど事故後の復旧データを見ました。欠けたログが多すぎる」
陸は端末へ座標列を呼び出した。海里の記録核が示した位置は、公式沈没地点より三キロ北にずれている。そこには現在、立入禁止の浮標が並んでいた。
「オリオン海洋の調査海域です」
「なぜ兄の船がそこに」
「それを知るには海へ出るしかない」
灯は即答しようとして、できなかった。海へ出る。八年前から避け続けた言葉だった。兄の捜索が打ち切られた日、父は灯へ「おまえまで海に取られるな」と言った。その声が、足首に鎖のように絡んでいる。
陸は灯の沈黙を見て、話題を変えた。
「星潮灯台は、公式には役目を終えています。新型ブイ網のほうが範囲も広い」
「でも父は灯台を止めなかった」
「新型ブイ網が星潮の濃い夜に遅延するからです。島民の避難経路だけは、旧灯台のほうが早く出せる」
「知っていて撤去する?」
「命令書は、遅延を仕様内の誤差として扱っています」
灯は端末を睨んだ。数字の中で「誤差」と呼ばれたものが、人の足の速さや船の進路を決める。自分もかつて、その言葉を使っていた。
下から春の声がした。
「灯さん! 海が光った!」
窓辺へ寄ると、診療所の庭で春が笑っていた。昼なのに、港の一角だけ青い筋が浮かんでいる。灯台の停止した送信器に反応したのかもしれない。
灯は陸へ向き直った。
「あなたが撤去技師でも、灯台の仕組みを知っているなら手伝ってください。兄の船の場所へ行く」
「危険です」
「知っています」
「僕に協力する義務はありません」
「ならお願いの形で言います」
陸は疲れたように笑った。
「明日の未明なら、調査艇を出せます。僕の仕事は設備確認ですから、海底設備を確認する必要があります」
「便利な答えですね」
「霞庁の研修で覚えました」
その夜、灯は父の古い航海服を出した。袖を通すと、油と潮と煙草をやめた後の苦い飴の匂いがした。
海へ戻る準備は、逃げてきた年月を一枚ずつ畳み直す作業に似ていた。




