第18話 星潮灯台再起動
嵐は夜を待たずに島を呑んだ。
雨は横から降り、風は灯台の石壁を低く唸らせた。港のクレーンが軋み、海面は防波堤を越えて白く砕ける。星潮は暴れ、青い光の筋が空中まで舞い上がった。
主送信器は限界だった。湊の記録核で一時的に動かしているが、遠隔停止のロックと黒い潮の攪乱で出力が乱れる。避難航路は点いたり消えたりし、そのたび高台の無線から悲鳴に近い声が入った。
「再起動するには、レンズ室の手動同期盤を回す必要があります」
陸が叫んだ。
「ここからじゃ無理?」
「物理的に固着しています。上で回すしかない」
灯は階段を見上げた。レンズ室は灯台の最上部、風をまともに受ける場所だ。父が若い頃、台風の夜に手動盤を回していたという話を思い出す。灯は工具を腰に差した。
「行きます」
「僕も」
「陸さんは制御室」
「助言を聞く約束は?」
「命令じゃないなら、後で聞きます」
灯は螺旋階段を駆け上がった。塔の上へ行くほど風音が強くなる。レンズ室の扉を開けた瞬間、雨が顔を打った。黒い防護幕は裂け、古いレンズがむき出しになっている。灯は手動同期盤へ取りついた。
動かない。
錆びた歯車はびくともしない。灯は工具を差し込み、全体重をかけた。手のひらの皮が剥ける。風に煽られ、膝が床へぶつかる。
『灯、焦るな。押すんじゃない。半拍戻してから回せ』
海里の声が耳に届いた。灯は息を吸い、歯車をわずかに戻した。そこで引っかかりが外れる。同期盤が低い音を立てて動いた。
制御室から陸の声。
『同期、二十パーセント。もう少し』
灯は回した。腕が震え、雨で視界が白くなる。灯台の外で星潮が渦を巻き、黒い潮とぶつかっている。海は怒っているのではない。閉じ込められた声が、一斉に出口を探しているのだ。
階段の下から足音がした。
「灯さん!」
湊だった。奈津の上着を着て、必死に手すりを掴んでいる。
「戻って!」
「ぼく、鍵を持ってるだけじゃない。名前も持ってる」
湊はレンズ室の床に座り込み、記録核を胸に当てた。青い光が彼の体を包む。灯は叫んだが、海里の声が重なった。
『止めなくていい。支えてやれ』
灯は湊の背に手を置いた。湊は目を閉じ、震えながら言う。
「春田湊です。ぼくは、ここにいます」
その声に、星潮が応えた。記録核から伸びた光が同期盤へ流れ、灯の回す歯車が急に軽くなる。制御室で陸が叫んだ。
『同期、八十、九十、主送信器復帰!』
灯台が光った。
それは古い灯台の白い光ではなかった。レンズ室から放たれた信号が星潮へ落ち、海そのものを青く編み直していく。港から高台へ、北の岩礁から沖の避難船へ、沈んだ学校の上から海底の鐘へ。無数の細い航路が、闇の中に現れた。
オリオンの作業船が黒い潮の中で進路を失っていた。皮肉なことに、最初に星潮の道を必要としたのは彼らだった。
灯は送信範囲を広げた。助ける相手を選ぶ灯台など、父なら許さない。
青い航路が作業船まで伸びる。通信機から、梓のかすれた声が入った。
『誘導を、確認しました』
「従ってください。岩礁に当たります」
短い沈黙の後、梓は答えた。
『従います』
灯は同期盤を最後まで回しきった。湊が力を失い、灯の腕に倒れる。雨の向こうで、星潮灯台は八年ぶりに完全な航路を描いていた。
灯は湊を抱え、青く光る海へ向かって言った。
「見てる、兄さん」
『見てる』
返事は、風の中で確かに笑っていた。




