第17話 すべての窓を開ける
事故記録を公開するには、灯台だけでは足りなかった。
霞庁の広域回線はすでに遮断され、オリオン海洋の作業船は黒い潮で星潮帯域を濁らせている。島内無線だけでは本土へ届かない。美汐は役場の非常端末を叩き、陸は制御室で汗だくになって回線図を組み替えた。
「窓を全部開ける必要があります」
陸が言った。
「窓?」
「灯台、漁協無線、診療所の衛星回線、学校跡の防災ビーコン、個人船の古い通信機。閉じた窓を全部開けて、同じデータを少しずつ外へ出す」
「違法?」
「いくつかは」
「褒めてます」
「僕も少し慣れてきました」
灯は笑い、すぐに端末へ向かった。海底の鐘から持ち帰った核を分割し、事故ログ、避難航路、星潮濃度、音声記録へ整理する。死者の声を見世物にしないため、個人の最後の言葉は本人確認ができる家族だけに届くよう封をする。公開するのは、隠された判断と、命を救うための情報だ。
海里の断片は隣で見守っていた。
『灯、上手くなったな』
「沿岸データ局で鍛えられたので」
『嫌な場所だった?』
「嫌いじゃなかった。数字で人を助けられると思ってた。たぶん、今も思ってる」
『じゃあ戻った意味があった』
灯は手を止めなかった。泣くのは後でいい。
奈津から通信が入る。高台の避難所は満員。低地の最後の一家がまだ港の南に取り残されている。新型ブイ網の避難ルートは水没した道を示したまま更新されていない。
「灯台の手動航路を出せますか」
美汐の声が震えていた。
灯は父の地図を開いた。赤い水没路、緑の避難路、黒い点。南の一家は、小さな子を連れている。高台まで歩けば十五分。だが星潮嵐の風が来れば、五分で道が沈む。
「出す」
陸が主送信器のロック解除を試みる。正規鍵はない。海里の裏口回路は遠隔停止で半分焼けている。春田湊が立ち上がり、記録核を胸から外した。
「ぼくのを使って」
奈津が止めようとしたが、湊は首を振った。
「これ、ぼくを縛るために使われた。でも今は、ぼくが使う」
灯は膝をつき、湊の目を見る。
「痛かったらすぐ言って」
「言う。約束する」
記録核を送信器へ接続すると、湊の体がびくりと震えた。奈津が支える。海里の断片がそっと手を伸ばし、触れられないまま湊の肩に重ねた。
『大丈夫。君は扉じゃない。鍵を持っている人だ』
灯は送信を開始した。
灯台の外で、星潮が応えた。黒い潮の中に細い青の線が走り、港の南から高台へ向かう道を照らす。通信越しに美汐の叫びが聞こえた。
『見えた! 誘導します!』
同時に、事故記録の分割送信が始まった。漁協無線から、診療所回線から、個人船の古いアンテナから、島中の小さな窓が一斉に外へ開く。オリオンの遮断は、一つの大きな扉を塞ぐためのものだった。無数の窓までは塞げない。
端末に受信確認が灯る。本土の新聞社、独立研究者、沿岸データ局の旧同僚、匿名の市民アーカイブ。データは海を越え始めた。
瀬名梓から緊急通信が入る。
『即時停止してください。未検証データの拡散は』
「検証は開いてからやります」
『あなたは何をしているか分かっているのですか』
灯は窓の外を見た。星潮の道を、取り残された家族が走っている。美汐が子どもを抱き上げ、奈津が高台から手を振っている。
「灯台守です」
通信を切ると、嵐の風がレンズ室を叩いた。
すべての窓は開いた。あとは灯を消さないことだけだった。




