第14話 黒い潮
夜明け前、海が黒く光った。
青いはずの星潮が、港の外で煤を溶かしたような色に変わっている。光はあるのに澄んでいない。春が桟橋で胸を押さえ、苦しそうに膝をついた。
「記録核が、変な音を出してる」
灯が支えると、春の体が熱かった。奈津が駆け寄り、すぐに診療所へ戻るよう言う。だが春は首を振った。
「海底の鐘が閉じられる。今行かないと、声が潰れる」
陸が調査艇の端末を確認した。
「星潮帯域に強い攪乱信号が出ています。自然現象じゃない」
源三が沖を指した。灰色の朝霧の向こうに、白い作業船が浮かんでいる。船体のロゴはオリオン海洋。そこから海へ黒い筒が降ろされていた。
「回収装置だな。星潮ごと吸い上げとる」
美汐が怒りで顔を赤くする。
「投票の翌日にこれ? どこまで人の島を」
通信機が鳴った。瀬名梓の声が入る。
『危険濃度の星潮を回収しています。島民は港へ近づかないでください』
「危険にしたのはそっちでしょう」
灯の言葉に、梓は淡々と答えた。
『未確認の記録拡散は広域通信を混乱させます。あなた方の感傷で、復興計画全体を危険に晒すことはできません』
「感傷?」
『死者の声に意味を与えることです』
灯の中で何かが冷えた。怒りが熱を失うと、刃物のように澄むのだと初めて知った。
「死者の声を商品にする人に言われたくありません」
通信を切ると、港の空気が張り詰めた。嵐は近い。黒い潮は広がっている。海底の鐘へ向かう航路は危険になった。
奈津は春の額に手を当てた。
「この子を連れていくのは反対」
「でも、春くんの記録核が鍵になる」
「鍵でも子どもです」
灯は春を見た。春は苦しそうでも、目をそらさない。
「ぼくが決めたい」
奈津は唇を噛んだ。医師として止めたい。けれど島の投票で、本人が選ぶことを大切にすると決めたばかりだった。
「船には乗せる。でも潜らせない。異常が出たら即帰港」
春はうなずいた。
調査艇が出ると、黒い潮は船腹にまとわりついた。青い星潮より粘りがあり、ライトを当てると内側に赤いノイズが走る。陸が眉をひそめる。
「攪乱信号で記録を圧縮している。声も映像も、全部ひとまとめにして回収する気だ」
「人の記憶を網で掬うみたいに」
「それより雑です」
沖の作業船から警告音が鳴った。こちらを認識したのだ。まもなく進路上へ無人艇が出てくる。源三は舵を握り直し、楽しそうに口の端を上げた。
「昔の漁師を舐めとるな」
調査艇は黒い潮の筋を避け、岩礁すれすれを抜けた。無人艇が追うが、源三は潮目を読み、星潮の残った青い筋へ船を滑り込ませる。春の記録核が光り、黒い潮の一部が弾けた。
灯の耳に、無数の声が流れ込む。
助けて。
ここにいる。
忘れないで。
灯は歯を食いしばった。海底の鐘は、ただの記録保管庫ではない。閉じ込められた声の避難所だった。
その入口が、黒い潮に飲まれようとしていた。




