第12話 暁環の亡霊
記録槽の光は、音より先に記憶を連れてきた。
灯の目の前に、八年前の灯台が重なる。若い海里が制御室に立ち、父の透が隣で怒鳴っている。外では暴風が窓を叩き、空には落ちてくる暁環の破片が流星群のように燃えていた。
『北の海域で再突入軌道がずれた。オリオンが制御失敗を隠してる』
『海里、船を出すな』
『灯台だけじゃ間に合わない。海底の鐘を開ければ、星潮を避難信号に使える』
記憶の海里は笑っていた。怖くないわけではない。ただ、怖さより先に手が動く人間の顔だった。
場面が変わる。観測船しらなみ。海里は荒れる海で端末を叩き、船員たちへ避難を指示している。通信にはオリオンの声が入った。
『暁環中枢記録の外部拡散を禁じる。現場判断での海面ノード開放は許可しない』
『人が死ぬ』
『責任は本部が取る』
『死ぬのは本部じゃない』
灯は拳を握った。次の瞬間、記憶は白く乱れた。船体に衝撃。海水。警報。海里は最後の力で記録核を取り出し、自分の端末を灯台へ接続する。
『人格補助モデル、緊急生成。目的、避難信号維持。対象、水瀬海里』
機械音声が告げる。灯は理解したくなかった。兄は生きて星潮にいるのではない。兄の判断、癖、声、記憶の一部を、暁環の緊急システムが複製したのだ。
暁環の亡霊。
けれどその亡霊は、ただの偽物とも言い切れなかった。あの夜、島の避難信号を維持し、星潮を通じて人を高台へ導いたのは、その人格断片だった。
光の中に、現在の海里が現れた。二十四歳のまま、濡れた作業服で、灯を見て困ったように笑う。
『久しぶり、灯』
灯は声が出なかった。
『最初に言う。僕は本物の海里じゃない。海里が最後に残した判断の束だ。記憶も欠けている。おまえが七歳のとき、灯台の階段から落ちて泣いたことは覚えてる。でも、おまえが島を出た日の顔は知らない』
「それでも、兄さんの声で話すのはずるい」
『うん。ずるい』
あまりに素直で、灯は泣きそうになった。
春が灯の隣に立っていた。光の中の海里は、春へ目を向ける。
『春は、僕を運ぶために作られた器じゃない。オリオンの実験で記録核と同期させられただけだ。逃げてきたんだよ。自分の名前を取り戻すために』
春の唇が震えた。
「ぼく、人間?」
『もちろん。痛いだろ。怖いだろ。知りたいだろ。それだけで十分だ』
記録槽が激しく揺れた。遠隔停止の第二波が近づいている。陸の声が階上から届く。
「灯さん、もう持ちません!」
海里は灯へ向き直った。
『海底の鐘を開けて。そこに事故の全記録と、星潮に閉じ込められた声がある。オリオンはそれを回収して、都合のいいデータだけ売るつもりだ』
「開けたら、あなたは?」
『僕も外へ流れる。たぶん、消える』
灯は首を振った。
『灯。残すことと、閉じ込めることは違う』
その言葉で、記録槽の光が落ちた。灯台が暗くなる。遠隔停止が主送信器を掴んだのだ。
暗闇の中で、灯は春の手を握った。
「海底の鐘へ行く」
春は小さくうなずいた。
兄を取り戻すためではなく、兄を閉じ込めないために。




