67マス目 手負いの虎と錆びた鉄
「……少し、無理をしすぎたか」
ロネットの両腕が震えている。
ネストの魔法障壁を突き破るために、魔力を拳に込め過ぎていた。
ロネットは両腕をだらりと垂らすと、瓦礫が崩れ落ちる音を聞きながら膝をついた。
「うふふっ」
ほんの小さな笑い声。
その声が、閉じかけていたロネットの両目を一気に開かせた。
ロネットは素早く周りに視線を走らせる。
「うふふふふっ、あははははははははははははははははははは!!」
突如、瓦礫の一部が竜巻のように舞い上がる。
瓦礫の山を砂糖菓子のように打ち砕いて現れる人影。
「…………化け物が」
「よかったわぁ、最高だった、うふふふふっ」
瓦礫の山の上で、ネストは笑う。
頭からはひどく出血し、片目は血が入り込んで見えていない。
肩口からの出血もひどいようで、常に手で押さえている。
だがそれでも、指先から真っ赤な雫がポタポタと滴り落ちる。
出血量から見ても、止血無しでは長くはもたない。
「あれだけの攻撃でなぜ生きている!?」
ロネットの問いに、ネストは心底嬉しそうに笑う。
「死ねるわけないじゃない。
楽しいもの、ふふふっ、楽しいのに寝られないわぁ。
もっともっと楽しませて」
答えになってない言葉を綴るネストを、ロネットは無言で睨み付ける。
ネストは抑えていた傷口から手を放すと、小さく呪文を唱えた。
胸元が淡い緑色に光り、流れていた血がピタリと止まった。
「……回復魔法か」
ロネットは悔しがるように唇をかみしめる。
だがネストは首を横に振った。
「違うわぁ、ただ筋肉を増量しただけ。
私は昔から魔法が下手だったのよぉ。
だからこんな魔法しか使えない。
できる事と言えば、止血と、少し体を丈夫にすることかしらぁ?」
ネストは瓦礫の山から飛び降りて、ロネットの目の前へ降り立った。
「さぁ、踊りましょう?」
手を広げて微笑むネストの表情は、あまりに邪悪で、
どこまでも楽しそうな狂人の顔。
だがロネットも、ここで寝ているわけにはいかなかった。
「いいさ、乗ってやろう。
来い、ネストォォォオォ!!!!」
ロネットの怒号に触発されるように、ネストは地面を蹴る。
手負いとは思えない速度でロネットの前に立つと、
脇腹に重い一撃を与えた。
ロネットは歯が欠けるほど食いしばり持ちこたえると、
ネストの両肩を掴んで、膝で顔面を蹴り上げる。
鼻血を飛ばしながら大きく仰け反るネストは、
そのまま両手を地面につき、逆立ちのまま一瞬動きを止める。
そして腕の力だけで飛び、両足がロネットの顔にめり込んだ。
ロネットはダメージを受けつつ後方に飛び、鼻血を拭う。
「公爵様、待っていてください。
すぐにこの女を片付けますから!」
「うふふっ、さぁダンスを続けましょう!」
お互い、もうフェイントなど入れようともしない。
ただ直線的にぶつかり合っていく。
拳が顔に当たっても顔を背けもしない。
骨がぶつかり合い、皮が裂ける音がする。
しかしどちらも引く気はない。
「ぬうおぉぉぉぉ、龍命虎硬!!」
ロネットはネストの右拳を肘で受け、
ガードするために固めた腕を、そのままネストの頭にたたき落とす。
その衝撃で、ネストの上体がわずかに下へ傾いた。
このチャンスに、ロネットは渾身の力を込める。
肘鉄を大きく振り上げ、同時に膝で、落ちた顔面を蹴り上げる。
「潰れろおおぉぉぉぉぉ!!」
打ち下ろす肘と、強靭な膝蹴りが、同時にネストの頭に叩き込まれた。
ネストの鼻からは、水鉄砲のように勢いよく鼻血が噴き出した。
それでもネストは、まだ倒れずに持ちこたえる。
血管回りの筋肉量を操作しているのか、ネストの鼻血は一瞬で止まる。
「……お返しよぉ」
ネストは体勢を低くして、両拳を固く握る。
ロネットの放つ右ストレートを躱し、みぞおちに三発の打撃を打ち込む。
その衝撃で少し下がった顎を打ち抜くと、ロネットの髪を掴み頭上へ飛び上がる。
掴みかかろうとするロネットの手を蹴り上げて、さらに高く飛び上がると、
ネストは全身を丸めて右足だけ伸ばし、縦に回転する。
高速回転で突き出されたかかとは、電動ノコギリのように高い殺傷力を帯びた。
ロネットは頭上で腕をクロスさせこれを受け止めるが、
衝撃に耐えきれずに両腕が弾かれ、後方に倒れこむ。
ネストは落下の勢いを殺さずに、心臓めがけて拳を叩き下ろした。
ロネットは大きく口を開け悶絶する。
だがロネットはこれでもまだ怯まない。
殴られた瞬間にネストの腕を掴んでいた。
ネストは素早く振りほどこうとするが、硬化した手は絶対に放すことは無い。
まるで人形のように振り回され、ネストは激しく地面に叩き付ける。
しかし、叩きつけられた瞬間、ネストは地面に両足を着けて体勢を立て直す。
そのまま、逆にロネットを瓦礫の山めがけて勢いよく投げつけた。
投げ飛ばされたロネットは、砂埃を舞い散らせながら瓦礫の山へ全身を突っ込んだ。
「おのれ、…………おのれぇぇぇぇ!!!!!」
ロネットは雄たけびを上げるが、既に満身創痍。
立つのもやっとの状態だ。
「まだだ、まだ死ぬわけにはいかん!
公爵様への恩を、まだ私は返しきれていない!!」
「同じよぉ、みんな同じ。
戦う理由に悪も正義もないの。
より純粋な者、より意思が強い者、
強者は大抵、そういう人間だと思うわぁ」
お互いに肩で息をしている。
これ以上の攻防は無理だろう。
二人ともわかっていた。
……次の一撃で決まる。
ネストは首のスカーフを右の拳に巻き付ける。
ロネットは右拳に最後の魔力を込め、今までで最も硬く硬化させた。
「ぬああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「あははははははははははははははははは!!!」
二人が蹴りだした地面が大きく抉れ、会場全体に暴風が吹き荒れる。
中央で足を止めた二人が放つ一撃。
ネストは魔道具の力で、スカーフに強い電流が流れる。
ロネットは最後の力を振り絞り、最硬の鉄拳を打ち放つ。
「エレクトリア・ボルティアード!!!」
「正六文字鉄拳掌!!!」
二人の拳は互いに交差し合い、お互いの顔面に爆撃のような衝撃を与えた。
その衝撃は源竜会の建物を大きく揺らす。
数秒間とどろく地鳴りが収まったころ、地面に倒れこむ小さな音が響いた。
全身の打撲痕と、おびただしい流血が、その戦いのすさまじさを物語る。
「……うふふふっ、楽しかったわぁ。
あなたの事はよく覚えておくわねぇ」
勝者は笑う。
冷たくなっていくその体に向けて。
この日、ロネット・マークスはその短い生涯を終えた。




