52マス目 弱者と狂者
木漏れ日が目にしみる。
俺はとなりに置いてある鞄に手を伸ばした。
ゆっくりとタバコに火をつけて、深く煙を染み込ませる。
「二人とも生かす……か。
でもどうする?」
二人が捕まった時点で、こっちに勝ち目はない。
でも逆に言えば、二人を上手く隠すことができれば勝機が生まれるかもしれない。
何か方法があるはずだ。
頭を回転させながら、水路を流れる水を見つめていると、ふとした拍子に、風に揺られる木の枝の一部分へ、視線が吸い寄せられる。
「……蜘蛛? この世界には魔物以外にも普通の昆虫がいるんだな」
風に揺られる蜘蛛の巣に、バッタのような大きめの虫が捕らえられていた。
別にそれだけならば珍しくはない。
だが、その透き通った巣の上では、小さな命が互いを喰いあっていた。
蜘蛛はエサの息の根を止めようと、バッタは何とか逃れようと。
どちらも譲らず、お互いの体に噛み付き合っている。
「……まてよ!」
つい口が開き、ベンチの上に吸い殻が落下する。
それは小さな思い付きだった。
でももし上手くいけば、この戦い勝てるかもしれない。
俺は小さく拳を握りしめ、自分に言い聞かせるように呟く。
「そうだ、やってやるさ。
シランもフラウトも死なせない、俺だって死ぬ気はない。
今度こそ……、今度こそ二人を助けて見せる」
フィルターギリギリまで吸った吸殻を、携帯灰皿に突っ込むと、俺は静かに腰を上げて商店街へ歩いて行った。
「考え事ですの? 随分な顔をしていますわよ」
エリザベートの声で、ふと我に返る。
「ああいや、大丈夫だ。
さすがに相手がアレなんで、緊張してるだけだ」
あのあとは、いつもどおりにネストと接触。
映像をエリザベートに見せて、現在は馬車でユキちゃんの家へ移動中。
しかし問題はここから。
今までネストを楽に倒せたことなど一度もない。
多分何度やり直しても、ここが楽になることはないだろう。
「オーホッホッホッホッホ、緊張なんてするだけ無駄ですわ。
このわたくしがいるんですもの、大船に乗った気でいなさい」
さすがの自信だ。
でもそれを裏付ける実力がある。
きっとエリザベートが協力してくれれば、シランもフラウトも簡単に助けられるだろう。
本当にあのタイミングで会合が無ければ……。
そう考えだした俺の頭に何かが引っかかる。
どうにもタイミングが悪すぎる気がした。
「まさか、まだ敵がいるのか?
裏で動く誰かが……」
「ん、何のことですの?」
エリザベートがスッと顔を覗き込ませてくる。
「……いや、何でもない。
こっちの話だ」
これ以上考えるのは後だ。
今はネストの事だけに集中しよう。
実は少しだけ策を考えている。
成功する可能性は低いが、もともとネストに完勝できたことなどないのだ。
いろいろ試す価値はあるだろう。
「あ、そこを右に行ってくれ」
「わかりました」
テンダーの操作で、二匹の馬が綺麗なカーブを描く。
腕時計に視線を移すと、11時を少し過ぎたころ。
今までと違って少々早めに着きそうだ。
「このあたりで止めてくれ」
住宅街の一角で馬車が停車する。
ここで張っていれば、間違いなくネストは来る。
まだ幾ばくかの時間的余裕があることを確認すると、俺は馬車を下りた。
「どこに行きますの?
あまりウロウロしない方がよろしいんではなくて?」
「すぐそこの家が狙われてるんだ。
民間人を避難させてくる」
たとえネストに勝ったとしても、ユキちゃんたちが巻き込まれたら意味がない。
今のうちに逃げてもらった方が良いだろう。
「それならわたくしも行きますわ。
その方が手っ取り早いんではなくて?」
「ああ、助かる」
「テンダーは敵が来ないか見張りをお願いいたしますわ」
「わかりました!」
とにかくのんびりはできない。
俺は急かすように、玄関のドアを強めに叩く。
「すいませーん、どなたかいらっしゃいませんか?」
「あー、はい、今出ます」
すぐに扉が開いたので近くにいたのだろう。
そしてこの声には聞き覚えがある。
「えっと、どなたでしょ……、エリザベートさん!?」
扉から顔を出したのは、ユキちゃんだった。
しかし彼女を助けた事実も記憶も、もうどこにも存在しない。
俺は腰を落とし、目線を合わせながらユキちゃんに話しかけた。
「悪いけど、親御さんはいる?
大事な話があるんだ」
「あ、はい、今呼んできます!」
すぐに背を向けて奥の扉へかけていく。
「お父さん」と呼びに行く声が、とても平和を感じさせる。
「悪いけど、説明任せていいか?」
「良いですわよ、その方が納得してくれますでしょう?」
「そうだな、それじゃ、頼む」
その場をエリザベートに任せて、俺は馬車の近くで手帳にペンを走らせる。
書き終わった時には、エリザベートは事情を伝え終えていた。
窓から見えるユキちゃんたちは、急いで家を出る準備をしている。
「エリザベート様!」
テンダーが少し声を抑え気味に、しかし少し焦った声で名を呼んだ。
その様子を見て、俺もエリザベートも理解した。
奴が来たのだ、……ネストが。
「来ましたわね、わたくしが時間を稼ぎますわ。
テンダーはその間に、その馬車であの家族を逃がしなさい」
「俺も行こう。 一人じゃ荷が重いだろ」
実際は足手まといにしかならない。
それは俺が一番分かっている。
だが、エリザベート一人では危ないことも、何度も繰り返した世界で見てきた。
「言ってくれますわね。
でも、レディーに気を使うのは関心ですわよ」
そう言ってエリザベートは、正面から突っ込もうと走り出す。
俺はそんなエリザベートをすぐに呼び止める。
「おい、ちょっと待て!」
「っと、何ですの?
あまり話していると、向こうも気づきますわよ」
遠くに見えるネスト達は、まだ戦闘態勢を取っていない。
気づいていないのか余裕なのかはわからないが、話している時間が無いのは確かだ。
しかしそんな状況で俺は、エリザベートに一つの指示を出す。
「両脇の雑魚を片付けてもらっていいか?」
「……どういう意味ですの?」
俺は息を深く吸って、強い決意を持って言い放った。
「ネストは、……俺がやる」
「よくわかりませんけれど、この状況でそれを言い出すなんて。
余程の勝算があるとお見受けしますわ。
……でも、無理は禁物ですわよ」
「もちろん、だからあの雑魚共を近づけないでくれよ」
エリザベートは軽く笑った。
「誰に言ってますの?
わたくしはベヨネッタ家の長女、エリザベート・ベヨネッタ!
あの程度の相手など、虫けらと変わりないですわ!
オーッホッホッホッホッホ!」
甲高い笑い声と共に、エリザベートは走り出す。
弾丸のように直線的に突き進み、一瞬で接敵する。
ネストはいち早く切り返す態勢に入るが、エリザベートはネストに目を向けはしない。
僅かな跳躍と共に前方へ傘を投げつけ、ネストの刃を体を回して受け流す。
「あなたの相手は、わたくしではありませんわ」
ネストは崩すような笑みで目を見開く。
それが興奮か威嚇かはわからない。
ネストの狂気の笑顔を潜り抜け、脇にいた細身の男に一撃!
「うぶぅぉっ!」
腹部に深くめり込む肘鉄は、耐えるすべを与えない。
それと同時に、投げた傘が太った男の顔面に当たる。
二人は全く同時に後方へ吹き飛んだ。
肘を打ち込んだエリザベートの隙を突き、ネストが剣を振りかぶる。
その攻撃を予想していたように、エリザベートは高く飛び上がる。
建物の屋根に着地すると、そのまま後方に飛んだ二人を追った。
ネストは剣を構え直し、エリザベートを追おうと足を踏み出す。
「あんたの相手は、俺だ」
ネストの足が止まった。
フードの隙間からこちらを見据える目は、敵意に満ちている。
「あなたが私の相手なのぉ? うふふっ。
武器も持たずにいい度胸ねぇ」
この状況でエリザベートを呼んでも助けてはもらえない。
たった一人で、罠も張っていないこの場所で、俺はもう一度ネストに立ち向かう。




