57話「操られる者」
『《――ブラン ライブ スィーン レヴェルーヤ スル リィンルヤ ルーヤ》』
「《――新緑の息吹は西へ吹き抜け、清浄の気を届けよ。 瘴疫、病疫、ことごとく退け、幸い成る芽吹きをもたらせ。》」
テレホンから聞こえるナンネの詠唱に合わせ、目を閉じて自分の内から湧き出る魔句を紡ぐ春。
すでに十節近く唱えられている詠唱は、扉を浸食している瘴気がどれほど強いのかを表していた。
実際、浄化も無しに扉に触れるものなら一瞬で生気を吸われ、魂をも取り込まれてしまうだろう。
《開錠》をする為の魔力経路を繋げられるかどうかは、2人の浄化魔法の成功にかかっていた。
だが、そうすんなりと浄化されるのを待つ相手でもなく――
「――リーヤ! 聖炎でハルちゃんの周りを囲って! こいつらを近づけさせないようにして!」
「はいっ! おじ様!」
春の詠唱を妨害しようとしているのか、それとも扉の防衛機構なのか、表面をうねりながら魔素体が大量に染み出してきていた。
幸い、フィリアが遭遇したような魔力喰い型、或いはリーヤの聖炎が何故か効かなかった死霊の様な物ではないため、ふぁーちゃんに敷いて貰った聖炎の囲いに触れた魔素体はじゅうじゅうと音を立てて焼け崩れていた。
リエラとナンネの方も、前もって敷いていた聖属性の結界が効いているようだ。
時折聖炎を突き抜けてくる魔素体の断片も、タイガーの気を込めた拳撃で叩き落とされている。
テレホンの向こう側から聞こえるナンネの声に混じる激しい戟音は、リエラが先程の仮面の少女と戦っているのだろう。
と、魔素体を踏み潰したタイガーの視線の先――通路の向こう側からシェルが風の障壁を張りながら走ってきた。
その障壁を無造作に斬り裂きながら仮面の少女もまた走ってくる。
振り向き様に左手の剣を振るったシェルだったが、交差したショーテルに阻まれて激しい金属音を響かせる。
とても少女とは思えない力でシェルの剣を押し返し、くるりと刃先を変えたショーテルを蟷螂の様な動作で脳天に突き刺そうとする。
が、ギリギリで見切ったシェルはそのままバックステップでタイガーの隣まで退避した。
無論、障壁を貼りながらだ。
「――すまん。 もう少し時間を稼ぎたかったが・・・」
「しょうがないわよ。 呪剣の事を差し引いても、尋常じゃない相手だわ。」
くすくすと嗤いながらシェルが張り巡らせた障壁を斬り裂いていく少女だったが、先程までと違い中々破れない。
よくよく見ると風の障壁と氷の障壁が幾重にも重なり合い、斬撃の威力を殺していた。
更に破られた部分を即座に廃棄し、内側から盛り上がる様に修復もされている。
過去に大賢者オジーと共に考案した魔法技術、『複合障壁』だ。
「――こいつは余り使いたくなかったんだがな・・・」
そう言いながら更なる魔力を障壁に注ぐべく、シェルは聖剣セレスを持った右腕を前に突き出した。
途端、その右腕に青白く光る模様が浮かび上がると同時に張られた障壁を更に堅牢な物にしていく。
体内に貯蔵していた魔力をぐいぐいと汲み上げられる感覚に、シェルの額に汗が滲む。
『聖骸の鞘』
右腕を失い命の灯が消えかけたシェルに、聖女セレスがその身を捧げて加護を分け与えた証。
その輝く腕から発せられている光の粒子こそが《聖剣セレス》であり、聖女セレスの亡骸なのだ。
通常は別の空間に隠されているこの腕は、云わば強力な『魔力加速器』であり、シェルが大魔導師並の魔法を行使出来るのもこの腕のお蔭であった。
尤も、この腕と聖剣を扱う為には莫大な魔力が必要であり、シェルはその体内に魔力の貯蔵や吸収をする為の繭の霊石を埋め込まなければならなかったのだが。
先の広場での戦いの折に空間を満たす程の魔力を放出していたが、それでも貯蔵魔力の一割も使っていなかった。
それを今、三割程も削って障壁へと注ぎ込んでいるのだ。
これから起きるであろう、曼荼羅の主、若しくは《冒涜》との戦いの前に、なるべく魔力は温存しておきたかった。
「これで少しは持つだろう。 リエラの方はどうだ?」
『――こちらも何とか・・・! リーヤ! カウント!』
魔法待機状態まで詠唱を終えたナンネの合図で、テレホン越しにリエラから指示が飛ぶ。
それを聞いたリーヤが確認をするように春へ振り向くと、目を瞑って詠唱を続けながらではあるが、しっかりと頷いた。
「カウント開始します! 3・・・2・・・1・・・0!」
『《リィン ムゥラ ラ フォルーヤ!》』
「《光は巡り、命は還る。 彷徨いし魂達よ、聖なる樹の導きで母なる地へと祝福を持ちて還れ!》」
詠唱を終えると手に持った《精霊の贈り物》に光が収束し、それに合わせて温かく穏やかな風が春の周りにそよそよと吹き始める。
春は《精霊の贈り物》を頭上に高く掲げると、力一杯扉へ叩きつけた。
青白い波紋と共に微かに震えた異形の扉は、一瞬の間を置いた後激しい閃光を放つ。
「きゃっ!」
「ぐお!」
閃光を直視してしまったのか、リーヤの可愛い悲鳴とタイガーの野太い悲鳴が重なって響く。
光が収まると、そこには先程までの禍々しい意匠の扉は無く、至って普通の扉があるだけだった。
だが、
「拙い。 内側からまた浸食されてきているな。 急いで作業に取り掛かろう。」
見れば扉の蝶番や隙間から、じわりじわりと黒く変色してきていた。
「魔石をセットしました!」
『こちらも終わったよ。 エチゼンヤ!』
『はいなぁ! 後は任せときぃ!』
丸眼鏡を一度くいっと動かしたエチゼンヤは、オーブに手を添えて精神を集中する。
既に《開錠》に必要な魔力は練り終っている。
「ほな、気張りまひょかぁ!」
掛け声と共にオーブに魔力を注ぎ始めると、モニターに映し出された光点へと二本の線が伸び始める。
点から点へ。
光点が表すのは、春やリエラ達が魔石を設置しながら通ってきた道だ。
慎重に一定量の魔力を通し、繋げる作業。
やがてモニターに描かれ始めたのは二重の円だった。
春達が通った道は右回り。
リエラ達が通ったのは左回り。
少しずつ中心へと向かって渦を巻く。
二周目の円を描いたあたりから変化が現れ始めた。
歩いた本人たちが気づかない程の角度だったのか、それとも空間の歪みによるものなのか、なだらかに傾斜が付き始めたのだ。
更にエチゼンヤは魔力を通す。
二本のラインはお互いに干渉することも無く、中心へ向けて曲線を描く。
「――よっしゃぁ! 繋がった!」
エチゼンヤは声を上げてモニターを見上げる。
そこに描かれていたのは、螺旋。
二重の螺旋が曼荼羅に描かれていた。
「さあ、ここからが本番でっせ!」
エチゼンヤは唇をひと舐めすると、真剣な面持ちで繋げた魔力の操作を開始する。
細く、強く、集中させた魔力は、彼の精神と体力をガリガリと削り取っていく。
曼荼羅を構築している力が、中枢への侵入を防ぐ為に浄化された扉を再び浸食しているのだ。
当然その負荷は魔力経路を通して繋がっているエチゼンヤにも強大な負荷となって襲い掛かっている。
「ぶっ」
明滅する視界と共に、エチゼンヤの鼻から血が吹き出す。
だがこの程度。
緋国の城で『鍵番』の役目を担っていた時に比べたら、どうということは無い。
「――後は・・・よろしくたのんまっせぇ!」
最後の力をオーブに注いだエチゼンヤの目からも血が噴き出し、叫び声を上げながらその場に倒れ込んだ。
「――エチゼンヤ!」
タイガーはテレホンに向かって呼びかけるが、エチゼンヤからの返答は無い。
その背後でゆっくりと、扉が開いていった。
曼荼羅中枢への扉は、開かれた。
「エチゼンヤさん・・・大丈夫でしょうか?」
「わからん・・・。 だがあいつの事だ。 俺達が仕事を終えて戻れば、ウザいぐらいに絡んでくるだろ。」
「そう・・・ですね」
そう言って春は、開いた扉の先を見る。
中は濃密な瘴気に覆われ、赤黒い靄が立ち込めて内部の全貌が全く見えない。
「――けふっ・・・ごほっ」
「リーヤちゃん?」
咳き込み始めたリーヤに不安を覚えた春は、鞄の中からしょうが湯入りのポットを出す。
余りに濃い瘴気に、リーヤの瘴気浸食反応症の発作が再び現れ始めているのだ。
急いで木のカップにしょうが湯を注いでリーヤに飲ませようとする。
だが、
「・・・! なにこれ!」
カップに注がれたしょうが湯はみるみるうちにどす黒く変色していき、木のカップごと腐ってしまった。
「これは酷いわね・・・。 こんな濃度の瘴気は初めてだわ。 リーヤはここで待ってた方がいいわね。」
「そんな! ・・・けふっ 嫌です! わたしもハルさんと一緒に行きます! ・・・ごほっ」
タイガーに懇願するリーヤ。
折角少しは動けるようになったのに、また一人で待たなければならない。
その事に言い様の無い不安を感じているのだ。
しかし、さらに濃い瘴気の中へ入ってリーヤの病状が重症化してしまったら。
そう思ってリーヤに言い聞かせようとしたタイガーを静止したのは、シェルだった。
「リーヤは連れて行く。」
「どうして!? この中に入ったらリーヤは!」
「・・・あいつがまだ残ってる。」
そう言ってシェルが指さした通路には、仮面の少女がいた。
シェルが張った障壁の向こうで、こちらを観察しながらくすくすと嗤っている。
先程までは障壁を破る勢いで攻撃してきていたのだが、扉が開くとその手を止め、覗き込む仕草でずっと笑っているのだ。
「そう簡単に破られる障壁じゃないんだが、あいつが本気を出したら簡単に破られる。 そんな気がするんだ。」
「でも!」
「お前がリーヤを心配するのは判る。 だが此処に残していく方がより危険度が高い。 そう言う事だ。」
そう言ってタイガーの肩を叩いたシェルは春の方へ向き直り、視線を交わす。
「ハル、あの神薬まだあるか?」
「《ネクタードロップ》ですか? はい、あと10個くらい残ってます。」
「ならそれをリーヤに一粒与えてくれないか?」
「え? でもまだ効果は残っているんですが・・・」
曼荼羅突入前に食べた《神々の雫》の効果は、まだ体に残っているのを感じている。
もう一個食べさせたとして、リーヤに効果があるのだろうか?
その疑問に答えたのはじゃが君だった。
「――確かに。 リーヤ様は酷く衰弱していましたのでマスター達程の効果が出ていないように見受けました。 もう一個摂取すれば或いは・・・」
「そうなの?」
頷くじゃが君を見た春は、鞄から《神々の雫》を取り出し、咳き込むリーヤの手に、ころん、と一粒落とした。
手の中に落とされた飴玉と春を交互に見つめたリーヤは、意を決してそれを口に含む。
すると、今まで咳き込む程に力が抜けて行っていた体が、すっと軽くなったのを感じた。
「――! 大丈夫みたいですっ!」
「本当っ? よかったぁ・・・」
ほっと安堵する一同は気を取り直して頷き合うと、扉の向こうへと足を進めた。
赤黒く粘つく瘴気。
全員が《神々の雫》によって耐性を得ているとは言え、絡みついてくる瘴気のせいか気分まで陰鬱になってくる。
少し視界が開け、部屋の内部の全貌が露わになってきた。
円形の広いホールの中央には台座が置かれ、その上に血の様に赤い杭状の宝石が浮かんでいた。
脈を打つ様に赤黒い閃光を走らせるそれこそが、目指していた『禍津碑』なのであろう。
「・・・あれか。」
剣を握り直し禍津碑に向かって歩き出そうとした横で、春が声を上げた。
「待ってください! あれ!」
春が指を刺した禍津碑の台座。
その袂に誰かが倒れていた。
松明のアップリケが縫われたエプロンを付けた長い金髪の女性。
いつも春に笑いかけてくれた人。
泣きそうな春を抱いてくれた人。
優しい言葉で力づけてくれた人。
「サンディさん!!」
春は声を上げながら中央へ向かう階段を慌てて駆け下りる。
倒れているサンディの元まで来た春は助け起こそうと手を伸ばした。
その時、
「――駄目だ! ハル!」
サンディに届きかけた手は空振り、背後からの腕で引き倒されてしまった。
背中から倒れた春は、ちょっと頭を打ったのかくらくらする意識を引き留めて、何事が起ったのか確かめようと見上げた。
「――――――――――――え?」
春の目に映ったのは、
歪に嗤うサンディと、
そのサンディが握った剣が、
シェルの心臓を貫いている光景だった。
ぽたりぽたりと、シェルの背中まで突き通された剣先から血が零れ、春の頬に生暖かい感触と共に落ちてくる。
「――え・・・なんで・・・」
その問い掛けに応える者は居ない。
歯を食いしばって痛みに耐えるシェルは、右手に持った聖剣セレスをサンディに向ける。
「があぁぁぁ!」
シェルの猛りと共に、聖剣セレスはサンディの胸へと突き立てられた。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
春の悲壮な絶叫が、瘴気の渦巻くホール内に響いた。




