25話「朝靄と開戦準備」
――早朝
太鼓の音が響き渡り纏わりつく様な濃い朝靄に煙るリムリオは、それ以上に濃い緊迫感に包まれていた。
城壁の外は魔法で掘られた簡易の塹壕と堀が幾重にも繋がり、昨日まで黄金に輝いていた鈴穂平原はどこか煤けて見える。
魔人間、特にゴブリン達の天然の目隠しにもなりえる野生のムギは収穫時期を間近に控えていたため、刈り取るか否かで農業ギルドと土木ギルドの間で何度も相談が行われていた。
実はリムリオで消費されるムギ粉の5割以上が、鈴穂平原に自生しているムギから作られていた。
刈り取って放置しても2~3ヶ月後には元通りになる繁殖力の強いムギだが、戦闘の邪魔にならないようにするにはかなり広範囲に刈り取るか焼き払うかしないといけないため、その分のムギ粉生産量に懸念を抱いた農業ギルド長から待ったが掛かっていた。
「だ~か~ら~!鈴穂平原のムギを今広範囲に刈り取られたら、冬越しで生産する分のムギ粉が激減するだろうが!焼いて無くすなんてのも問題外だ!」
「だがムギの穂を何とかしなければ、背の低いゴブリン共の格好の目隠しになるだろうが!先の事を考えすぎて今を不利にするなど、愚かにも程がある!」
「バカヤロウ!今を切り抜けても先を越せなかったら意味がないだろうが!」
南門前に設営されたテントの中では、農業ギルド長と土木ギルド長が怒鳴り合っていた。
二人とも、目先の利益だけで言っている訳ではないので、一向に話は平行線のまま進まない。
《壁の魔像》のチェックから戻ったライオネルが、リエラと共にテントの中に入って来ても気づく事も無く怒鳴っている。
その内容に「やれやれ」と溜息を突いていると、リエラは父に耳打ちした。
「おお、なるほどな」と一言呟くと、怒鳴り合っている二人を制した。
「農業の。良い情報があるぞ。」
「なんだ!?」
大声で切り替えしてきた農業ギルド長へと、ライオネルはニヤリと笑って答える。
「高位の樹精霊との契約をした娘が、今リムリオに居るんだがどうする?」
「なっ!なんだと!」
農業ギルド長は「うぬぬ」と呻くと、しばし考え込む。
「――それなら、農地の復旧と作物の確保は今年中に何とか出来そうだな。」
「よし!ならばムギは刈り取る方向で行く!」
方針が決まったところで、ライオネルは「ただし!」と付け加える。
「刈り取るのは結界が破れてからだ!」
「なんだと?すぐにやらないのか?」
土木ギルド長の質問に、獰猛な笑いを浮かべるライオネル。
「考えがあるんだよ。」
そう言って細かい指示を出していった。
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「マスター・・・」
どろりとした靄の中、リムリオの南広場で救護所の設営を手伝っていた春のスカートを、じゃが君がくいっくいっと引っ張った。
「なぁに?」
「マスター、この靄なんか変・・・」
「うん・・・ぞわぞわする。」
春の頭の上に乗っていたポテちゃんも、ふるるっと身を震わせる。
横で木箱の中の薬品類をチェックしていたアンドルフ先生が、樹精霊達の言葉を聞いて頷く。
「確かにのぉ。この時期にこんなに濃い靄が出るのは、儂がこの街に住み始めてからいっぺんも見た事がないのぉ。」
「うーん?普通の靄じゃないんですか?」
乳白色の靄を見渡しながら、春は首を傾げる。
言われてみれば、元の世界で見た靄ともどこか違う気もする。
頭の上でくんくん匂いを嗅いでいたポテちゃんが、ハッとした後で春の頭をぺちぺちとしながら声をかけた。
「ご主人様!この靄、かすかに瘴気の臭いがする!」
「なんじゃとぉ!?」
ポテちゃんの言葉に、アンドルフ先生が珍しく声を荒げた。
「だとしたら不味い!予想よりも結界が破れるのが早いかもしれん!お嬢ちゃん!すまんが本部テントまでひとっ走りして、ライオネルかリエラに事の次第を伝えてきてくれんか?!」
「わっわかりましたぁ!」
春は持っていた箱を机の上に置き、立てかけてあった杖を手に踵を返して走り出す。
――なぜだろう、すごく嫌な予感がする。
樹精霊達を伴って瘴気の混ざった靄の中を走りながら、ふとそんな事を考えた。
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「――靄に瘴気・・・?」
本部テントに駈け込んで来た春の説明に苦い顔をしたリエラは、腕組みをしてどっかと椅子に座っているライオネルを見た。
「ふむ・・・、結界の亀裂から瘴気が漏れ始めているのか?・・・そういえばさっきから結界破りの太鼓の音が聞こえていないな。」
言われてみれば、確かにあれほど響いていた太鼓の音が今は聞こえない。
「予定より大分早いが、戦闘配備の通達を急げ!次の打撃音で結界が破られるはずだ!」
「わかりました。」
「それとだ、リエラ。お前はここに残れ。」
「え?」
そう言ってライオネルは胸のポケットから鍵を取り出して、リエラに渡した。
「俺は前線に出る。壁の魔像の最終調整が済んだらこの鍵を使って、リエラ、タイミングを見てお前が起動させろ。」
「っ!お父様!」
「次期ギルド長はお前だ!後は頼んだぞ!」
そう言ってライオネルは、立てかけてあった巨大な戦斧を手にテントから飛び出していった。
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急いで救護所のテントへ戻った春は、事の仔細をアンドルフ先生に告げた。
「やはりそうじゃったか。先程サンディがここに来たから、非戦闘の住人や避難民をリングホールへ行かせるように言ったが、正解だった様じゃな。この瘴気の靄は、体力が無い者や魔力の扱いが不十分な者には悪い影響が出そうじゃしの。」
「・・・それってわたしは大丈夫なんでしょうか。どっちも自信がないんですが・・・」
「お嬢ちゃんは大丈夫じゃろ。樹精霊達が居るからの。とにかく、こちらも準備を急がねば。」
いそいそと準備を再開すると、入口からレジィが2人の少年を連れ立って声を掛けて来た。
「アンドルフ爺ちゃん!ハル!居るか?!」
「あ、レジィ君。」
「俺達3人で、ここの警備をするように言われたんだ!よろしくな!」
「そうなんだっ。そちらの人達は?」
春が訊ねると、各自自己紹介を始めた。
「初めましてハルさん。僕は魔術師見習いのアントニー・フィリベールと申します。どうぞ良しなに。」
「オレはハンス・ショーバー。カシャ族の戦士。よろしく。」
「よろしくねっ」
アントニーと名乗った少年は、金髪の細面で木の杖とねずみ色のローブを羽織っている。
整った顔立ちと新品同様の装備を見る限り、結構育ちが良いお坊ちゃんな感じだ。
それに対してハンスと名乗った少年の方は、レジィより一回り大きい体格と褐色の肌に民族的な意匠の皮鎧を着て、手には短槍を携えている。
無骨な体格と装備に反して、水色の髪に童顔とどこか可愛らしい声が、背伸びをしている少年のような印象を受けた。
「もうすぐ結界が破れるってんで、みんな慌てて配置に付いてるよ。俺等もパーティーを組んで付近を哨戒中に呼び出されたんだ。」
「僕等なら前線に出ても大丈夫だと思いますがね。」
「ム。油断禁物。出来る仕事、やるだけ。」
どこか微笑ましい少年トリオに少し和みつつ、春は救護所の準備を進めていったのだった。
1章後半の始まりです。
ここから先はバトル要素が増える・・・はず?
いろいろと書き足りてない分は、設定等も含めて1章終了後に閑話という形で出そうと思っています。




