第八話 染み
深緑色のドレスを着ているレイシアは、赤いシミが白いドレスに広がっていく様を呆然と見ていた。
周囲のざわめきもいつの間にか消えていた。
視線がレイシア達に集まっている。
白いドレス。
ワインが浴びせられたのは、レイシアではなくクロエだった。
「な、何しているのよ! クロエ!」
令嬢が思わず叫ぶ。
ワインが浴びせられる直前、不穏な空気を察したクロエが令嬢とレイシアの間に割って入っていたのだ。
「何って……不穏な空気を察したので仲裁しようとしただけです。まさかワインを浴びせられるとは思いませんでしたが……」
クロエは淡々と返す。
レイシアから、その表情は見えない。
「クロエ! 余計なことをして! 何をしたか分かっているのでしょうね」
「ええ、分かっていますわ」
そう言ってレイシアの方を振り返る。
「フローリア様。大丈夫でしたか?」
「ええ」
レイシアを気遣うクロエの姿に、胸が思わず熱くなる。
その時だった。
「何をしているのです!?」
異様な空気を察知した、モンフォール伯爵夫人がやってきた。
ワインをかけた令嬢の顔が真っ青になった。
今更、とんでもないことをした自覚が出てきたらしい。
「こちらの令嬢が私にワインをかけようとして、バルト男爵令嬢がそれを庇ってくださり、ワインをかけられてしまったのです」
「……なんてことを!」
レイシアの説明に、モンフォール伯爵夫人が冷たい仮面をまとったように雰囲気が変わる。
「すぐにバルト男爵令嬢を控え室に」
そう言うと、モンフォール伯爵夫人は、ワインを浴びせた令嬢の方を向く。
彼女がごくりと唾を飲み込むのが、レイシアには分かった。
「事情がどうあれ、当家の客人にワインを浴びせる行為は見過ごせません。申し訳ないですが、本日はお帰りください。ご家族には、当家からお話しします」
わなわなと震える令嬢。
しかし、すぐにがっくりと俯くと、モンフォール伯爵夫人に一礼し、その場から立ち去った。
♦︎
モンフォール邸の控室にて。
クロエ・バルト男爵令嬢は侍女から染み抜きの処置を受けていた。
「これ、お気に入りだったんだけどな……」
「……頑張って元に戻しますので、少々お待ちを」
「ごめんなさい、そんなつもりで言ったわけじゃないの」
そう言ってクロエは申し訳なさそうに微笑む。
侍女は手を止め、そんなクロエをチラリと見た。そしてすぐに染み抜きを始めた。
その時、扉を叩く音が鳴った。
「すみません、バルト男爵令嬢はいらっしゃいますか?」
「ええ。入って大丈夫ですわ」
そこにはレイシアがいた。
「フローリア様。どうされたのですか」
クロエが軽い驚きと共に聞く。
レイシアは少し考えるそぶりを見せた後、クロエに向かって頭を下げた。
「すみません。私のせいでワインを被ることになってしまって。ドレスは弁償させていただきます」
「いえ、大丈夫ですわ。それに弁償をなさるとしても、フローリア様がすべきことではないですもの」
そう言ってクロエは曖昧に微笑んだ。
それをみて、申し訳なさそうな顔をするレイシア。
「でも……何かしら私にできることがあれば、させてください」
「……じゃあ」
クロエの答えを待つレイシアの顔が、クロエに見える。
「……レイシア様と呼んでも良いでしょうか?」
レイシアが驚くのが分かった。
口を少し開け、ぽかんとしている。
「……ダメでしょうか?」
クロエはおずおずと聞く。
「……ダメではないけど」
レイシアが考え込む。
クロエは悲しそうな表情で呟くように言った。
「今まで、ヴィオレッタ様の取り巻きの中にいましたが、このような問題を起こしては今までと同じように取り巻きの一員として関わることは難しいですもの」
レイシアが申し訳なさそうな顔になる。
「それに、元々憧れていたのです。身分の差があっても、毅然と立ち向かう姿。かっこいいと思っていたのです。なので、ぜひ少しでもフローリア様と距離が縮まればいいなと思って」
レイシアが口を開きかけ、閉じたのが分かった。
クロエがごくりと唾を飲み込んだ時。
「……わかったわ。身をもって庇っていただきましたし、レイシアと呼んで大丈夫よ。私もクロエと呼んでも?」
レイシアの表情にクロエを疑う気持ちが少し混ざっているのがわかった。けれど、しょうがない。
クロエはほっと息を吐き出す。
「はい、大丈夫です! レイシア様、とっても嬉しいです!」
そう言ってクロエはにっこりと笑った。
釣られて、レイシアもぎこちなく笑う。
その時、レイシアが思い出したような顔をする。
「ああ、そうだ。このままだと、お帰りになるの大変でしょう。これを使ってください」
そう言って差し出されたのはショールだった。
「……お借りして良いのですか?」
「ええ、大丈夫よ。けど、お気に入りなの。返してくれると嬉しいわ」
レイシアはにっこりと笑った。そこには、先ほどまでのぎこちなさは薄れていた。
それからいくつか会話のやり取りをした後。
扉の音が鳴った。
「クロエ。いいかしら?」
レイシアが固まるのがわかった。
レイシアの方にクロエは軽く頷く。
「……ええ、大丈夫です」
ゆっくりと低い声で返事をする。
扉からヴィオレッタが入ってきた。
「……それでは、私はこれでいくわ。また学院で。失礼します」
レイシアがヴィオレッタとクロエに一礼して、部屋を出る。
扉が閉じた。
足音が遠ざかるのを確認して、ヴィオレッタがクロエの方を振り向いた。
「上手くやったわね」
「はい、ヴィオレッタ様」
そこには口元を歪めて笑うヴィオレッタと仮面のような笑みを浮かべたクロエがいた。
「本当に馬鹿な子……クロエ、この調子でやりなさい」
「承知しました」
クロエの返事を聞いて満足そうに頷くと、ヴィオレッタは扉を開けて出ていった。
クロエはレイシアから渡されたショールを見た。
なぜかレイシアの笑顔が、頭から離れない。
首を横に振り、ショールを優しく握る。
白いドレスについたシミは落ち切っていなかった。




