第九話 開いていく心
後日。学院の空き教室にて。
「レイシア様。ショールをお返ししますね」
二人しかいない教室。
レイシアの目の前には、にっこりと笑うクロエがいた。
クロエの手には、丁寧に手入れしたショールがあった。
受け取りながら言う。
「役に立ってよかったわ。ドレスのシミは落ちましたか?」
「それが、ダメみたいで……けれど、あのワインをかけた方に弁償していただくことになりましたの。私の家はあまり裕福ではないので、正直ほっとしています」
そう言ってクロエは力無く笑った。
ドレスは決して安くない。男爵家としては、新しいドレスを買う負担が減ってありがたいというのが正直なところだろう。
「……では、行きますね」
そう言って、クロエが振り向いて歩き出そうとした時。
「……あの! もうちょっとだけ話しませんか?」
レイシアは自分から出た言葉に、自分でも驚いていた。
クロエの方を見てみると、クロエも目を大きく開いて驚いている。
レイシアは目を白黒させながら言った。
「あの、一緒に課題とかやりませんか?」
「はい!」
クロエがにっこりと笑った。
♦︎
レイシアとクロエは図書室に移動していた。
奥から二番目の、夕陽が優しく差し込む長机の席。
横並びのベンチに、二人は横に並んで座っていた。
「レイシア様。ここ、どうやって解くのですか?」
「ああ、ここはね。王国流じゃなくて帝国流の経済理論を使うと、簡単に解けるわよ」
「なるほど!」
羊皮紙にペンを走らせる音が響く。
「実は私もここは苦戦した場所なの。難しいわよね」
「そうなのですね! 教えてもらって良かったです」
そう言って笑うクロエ。
「……本当に庇ってくださってありがとう」
レイシアがポツリと呟く。
クロエは曖昧に微笑む。
「いえ大丈夫ですわ。本当にレイシア様はまっすぐな方なのですね。仲良くなれて本当に良かった」
「ええ、突然どうしたのです? 嬉しいのですが、照れます……」
突然素直に好意を伝えられてレイシアは赤面する。
クロエは、ポツポツと呟く。
「実はバルト男爵家はモンフォール伯爵家から支援を色々と受けているんです。なので私はヴィオレッタ様に逆らえる立場ではなくて……」
クロエは息を浅く吐く。
「お二人が仲直りしてくださったことで、レイシア様と仲良くなれたんです。せっかくの機会なので、素直に思いは伝えようと思って」
クロエはそう言うと微笑んだ。
クロエの真っ直ぐな目を見て、レイシアはタジタジになる。
「もう……照れるじゃない」
レイシアはぷいと、横を向いた。
その頬が赤く染まっているのが、クロエにもわかった。
夕陽が優しく二人を照らしていた。
♦︎
クロエに一通り勉強について教えた後。
日が暗くなり、気温も少し下がった頃、レイシアは自宅に帰ろうと、クロエと別れて廊下を一人歩いていた。
「レイシア!」
振り向くと、そこにはアレンがいた。
「アレン!」
にっこりと笑うアレン。
「調子はどうだい?」
「……ぼちぼちよ。嘘。実はかなりいいわ」
そう言ってレイシアはおずおずと笑った。
「そっか、良かった」
「新しい友達もできたの」
アレンが目を大きく開いた。
「そうなんだ! どうやって出会ったんだい?」
レイシアは、簡単にアレンに経緯を話した。
「そうなのか! 本当に良かったね! 正直言うと、少し不安だったんだ。レイシアが心を閉ざしてしまうんじゃないかって」
そう言ってアレンは微笑む。
「だから、本当に良かった」
ずきり。なぜか胸が痛い。
自分はちゃんとクロエのことを信じられているのだろうか。
けどその瞬間身を挺して自分を庇ってくれたクロエが脳裏に浮かんだ。
そうよね。あそこまでしてくれたんだもの。信じないと。
「ええ、もう大丈夫よ」
そう言ってレイシアは微笑んだ。
アレンはそれを見てニコニコしている。
レイシアは口を開いた。
本当はアレンにも、色々と言いたいことがあった。
本当はずっと孤独を感じていて辛かったこと。
クロエを疑っている部分もあること。
アレンの優しさに、どこか救われていたこと。
けど、言葉は出てこなかった。
出てきたのは、たった一言だった。
「……じゃあね」
「ああ、じゃあね」
そう言ってアレンは去っていった。
新しい相手なら、失う過去が少ない。だから簡単に近づくことができる。
けどアレンは違う。
「信じられることは強さだ」
そう言ってくれたアレンの言葉が蘇る。
いつも優しく自分のことを見守ってくれるアレン。
けど、私はそんなアレンを今、心の底から信じられていない。
アレンのことも、心の底から信じて、素直に内心を伝えられる日は来るのだろうか。
レイシアはポツンと廊下の先を見つめていた。




