第52話 君だけだ
「殿下、またな!」
挨拶を礼に則りきっちりとした後、意味ありげにウィンクをするテオドール。
「ああ、またな」
公的な場ではないので、アレンの挨拶も礼儀が崩れている。
騎士たちの多くも、その場から去っていく。
「それでは。また会いましょう」
「ええ、ランベール侯爵殿。また後ほど」
ランベール侯爵も挨拶をして、その場を去っていく。
レイシアとアレン、それから護衛の騎士だけがその場に残った。
アレンがレイシアの方を見た。
レイシアもアレンのことを見つめ返す。
手はまだ震えていた。
けれど、月に照らされて、長いまつ毛に隠されたアレンの紫色の瞳を見ているうちに、少しずつ落ち着いてきた。
「……僕と結ばれるのは嫌かい?」
それは突然だった。
レイシアは息を呑んだ。
何も言えない。
居た堪れなくなって、俯いてしまう。
辺りは静かだ。風の音がやけにうるさく聞こえる。
「レイシア、僕は君のことが好きだ」
レイシアは顔を上げた。そこには泣きそうなアレンの顔があった。
「小さい時から好きだった。君が大切だ。何よりも」
レイシアの顔が熱くなる。
「でも、君に強制することはできない。もし王族に嫁ぐとなったら、それなりに色々と気を遣わなければならない場面も出てくる」
アレンはそこで月を見上げた。
「だから、決して無理に僕と付き合ってくれとは言えない」
再びレイシアの方を見る。
「だけど、僕は君と結ばれたい。わがままなのを承知で頼む。僕と一緒に生きていってほしい」
レイシアは思わず涙ぐんだ。
また涙が頬を伝っていくのに気がつき、慌てて拭った。
「どうしてあなたはそんなに優しいの?」
「こんなに優しくするのは、君だけだ」
嬉しさと申し訳なさで、レイシアは嗚咽を堪えられなくなった。
「……私はあなたを傷つけたわ。薬の影響を受けていたとはいえ、あなたを傷つけたのは事実よ」
アレンが息を呑む。
一瞬地面を見る。しかし次の瞬間、レイシアの方に顔をあげる。
「そうだね。確かに少し凹んだ。でもそのおかげで気がついたんだ。やっぱり僕には君しかいないって」
アレンが息を吸った。
「僕は決して諦めない。本当に僕のことを君が嫌わない限り、少しでも可能性があるなら、君のことを追いかけ続けるよ」
アレンが真剣な表情で見つめてくる。
「あなたの告白に、あなたの身分のことを知るまで答えられなかった」
「あれは僕が卑怯だった。身分で君の気を引こうとしてしまった。君が気を病むことはない」
風が優しく吹いたのをレイシアは感じた。
背中が押されている気がする。
「それに、結局身分の差も解消されないままじゃない。どうにかなるとは思えないわ」
「それについては、秘策がある。実は協力者がいるんだ。君が望むならなんとかなる」
涙で滲んでアレンの姿がうまく見えない。
「それに私、すぐに騙されるお人好しだし」
「素直なところも魅力的だよ」
「こうやって泣いてしまう面倒な女よ?」
「辛いことがあったら、いくらでも泣けばいい。僕はずっとそばにいる」
手がアレンの少し大きな手で包み込まれた。
温かい。
思わずアレンの手と顔を交互に見る。
アレンがにっこりと笑う。
「僕が君を幸せにしたいんだ。いや、幸せにすると誓うよ」
ぎゅっと抱きしめられる。
そこでレイシアは涙が堪えきれなくなった。
「ありがとう……私も……アレンと一緒にいたい」
レイシアもアレンのことをぎゅっと抱きしめた。アレンが自分を抱きしめる力が強くなったのがわかった。
「好き。大好き」
「ああ、僕も好きだよ」
気がつくと、アレンの匂いがした。
優しい、乾燥した木のような香り。
安心して、レイシアの体から力が抜けた。
アレンが体に込めた力を緩めた。
目と目が合う。
心臓が高鳴っていく。
うるさい。手が震える。
アレンの顔が近づいてくる。
レイシアは目を閉じた。
「殿下。そろそろ戻りませんと」
その時、騎士の一人が咳払いをして言った。
「そ、そうだな」
慌てて二人は離れる。
「フローリア子爵令嬢も、よければ会場にお戻りください」
「でも、私このままじゃいけないわ。植木の陰に連れて行かれた時に、ほつれてしまっているもの……着替えもないし」
困った顔をするレイシア。
「大丈夫。別れの前に君に贈ろうとしていたドレスがあるんだ。贈れなかったけど、ちょうど役に立ちそうだ」
そう言ってアレンがにっこりと笑った。




