第三話 侯爵家とルシアン
大舞踏会の後日。
ランベール邸では、ルシアンが父の執務室に呼ばれていた。
扉の前で深呼吸をするルシアン。
ざわつく胸を抑え、扉を開けて入る。
そこには、大量の書類を次から次へと処理するランベール侯爵がいた。
ランベール侯爵はルシアンのことをチラリと見ると、すぐに手元の書類に視線を戻した。
「何のご用でしょうか? 父上」
「ルシアン、以前から進めていた伯爵家とのお前の縁談だが、全て白紙になった。把握しておけ。以上だ」
「なっ。なぜですか」
一歩前に詰め寄るルシアン。
喉がカラカラだった。
なぜ。
「向こうの家から、申し出があった。我が家と婚姻することを、賭けの対象にされては叶わないとのことだった」
賭け。その一言がルシアンの耳で響いていた。
ただの冗談ではないか。そうルシアンが言い返そうとした時だった。
「結婚できないものに後継者の資格はない。お前の後継者資格は凍結する」
視界が真っ暗になった気がした。
喉がかわく。指が震えていた。
「なっ。なぜそこまで! たかが遊びではないですか!」
机の上の書類が、机が叩かれた衝撃で舞った。
「そんなことも分からないから、お前の後継者資格を凍結したのだ。いいか、たかが遊びと言って一線を越えるような馬鹿には、家を継ぐ資格はない。一緒になって遊んだお前の友人も、同じように罰を受けているだろう」
父の剣幕にルシアンは何も言えなかった。
「……わかったらさっさとこの部屋から出て行け。学院以外は、しばらく謹慎しろ」
「……承知しました」
唇を噛み締め、なんとか声を絞り出すルシアン。
握りしめた拳からは、血が出そうだった。
何とか後ろを振り向くと、扉から出て行こうとした。
「忘れていた。お前が夜会で“男爵風情”と侮辱した相手だがな」
なんだ。ただの男爵家の令息について、知っておくべきことなんてあるのか?
ルシアンは怪訝な顔をする。
「アレン・ウィンフィールド卿は、やんごとなき血筋の方だ。事情があって男爵家に籍を置いているが、高貴な血を引いている。お前ごときが、侮辱して良い相手ではない」
「……は?」
「以上だ。ではさっさと出て行け」
ランベール侯爵は最後まで顔を上げなかった。
執事によって扉が閉められた後も、ルシアンはしばらくそのまま、呆然と立っていた。
学院にて。
授業が終わり、帰り支度をする頃。
「レイシア!」
レイシアは自分を呼ぶその声に、思わず顔をしかめた。
声のする方を見ると、焦ったように立つルシアンがいた。
「……何でしょうか。ランベール侯爵令息様」
そういうと、すぐに手元の荷物に視線を戻した。
荷物をまとめなければ。
「君からも、説明してくれ! これがただの冗談だってことを!」
レイシアは一瞬、荷物をまとめる手を止めた。
そしてまた、動かし始めた。
「嫌です」
「なんでだ! 君と僕の仲じゃないか! 頼む!」
「嫌ですと申し上げました」
教室中が静かになっていた。
荷物をまとめる手は止まらない。
「頼む……レイシア」
よし、まとめ終わった。あとは帰るだけだ。
「このままじゃ後継者資格も剥奪されてしまう! レイシア、君だけが頼りなんだ」
君だけが頼り。
少し前だったら、舞い踊るほど喜んでいただろう。
でも、今は何も感じない。
胸の鼓動は大きくならないし。顔も熱くならない。声が上ずることもない。
レイシアはゆっくりと深呼吸をして、ルシアンの方を見た。
「レイシア……」
「わかりました」
「レイシア!」
そこには目を輝かせるルシアンがいた。
「わかってくれると信じていたよ。君なら……」
「何を勘違いしているのか分かりませんが、私がわかったと言ったのは、あなたに何を言っても無駄だと理解した、という意味です。」
ルシアンの顔が絶望に染まる。
「正式に侯爵家に抗議します。あなたに付き纏われて迷惑だと」
「なっ。頼む。それだけはしないでくれ! これ以上父上に見放されたくないんだ。俺の事情も察してくれ!」
必死な形相で、頼み込むルシアン。
それを見て、レイシアはにっこりと笑った。
「それなら、私の気持ちも察するべきでしたね」
ルシアンは思わず手を伸ばした。
しかし、その手は悲しく空を切るだけだった。
「どいてくれないかい?」
ルシアンが振り向くと、そこにはアレンがいた。
「アレン!」
「レイシア、迎えに来たよ」
アレンの元に駆け寄るレイシア。
「じゃあ帰りましょう」
「待て! 話は終わっていないだろう?」
「終わりですわ。それとも、これも誰かと賭けているのですか?」
ルシアンは今度こそ何も言えなくなった。
その様子を見て、レイシアは歩き出した。
慌てて、アレンが後を追う。
ルシアンはそれをただ、黙って見ていた。
「いいの、助けなくて?」
「……ええ。もう、私が追いかけることはないわ」
「そっか」
二人は並んで歩いていく。
その様子を見つめる視線があったことに、二人は気がつかない。
「……侯爵令息を追い落としても、いつもと変わらないのね。身分を弁えて欲しいものだわ」
サラサラのストレートの赤髪に、湖のように透き通った水色の瞳をした一人の令嬢が呟く。
彼女の取り巻きの子女達が次々に賛同する。
「その通りですね。たかが子爵家のくせに。身の程知らずですわ」
「本当に、ヴィオレッタ様の言う通りですわ」
ヴィオレッタがゆっくりと扇子を広げる。
「……彼女には弁えてもらいましょう。貴族として、当然の嗜みを」




