第13話 待ってる
グランヴィル夫人の夜会の翌朝。
「信じられることは、弱さじゃなくて強さだ。君は強い人だ」
レイシアはアレンの言葉を思い出していた。
寝転んでいるベッドから天井が見える。
「……嘘つき」
レイシアは寝返りを打って体を横にした。
頬を雫が伝ったのがわかった。
けれど、拭うのも面倒だった。
「お嬢様。朝食ができておりますよ」
扉の向こうから侍女が呼ぶ声が聞こえる。
慌てて、頬を拭う。
行かなきゃ。
そう思っても、体が動かない。
体が鉛のように重たかった。
「お嬢様? 入りますよ?」
「……今、行くわ」
体をなんとか起こす。
何もやる気が起こらない。食欲も湧かない。
ノロノロと立ち上がって、朝食に行く準備を始める。
椅子に座って鏡を見る。
ひどい顔だ。目の下には隈ができており、髪はあちらこちらに乱れている。
無理やり笑おうとする。
鏡の中の自分が、ひきつった笑みを浮かべていた。
♦︎
味のしない朝食を食べると、すぐに足を引き摺るように学院に向かった。
行動を止めてしまったら、ずっと動けなくなる気がした。
行く途中、マティルダの「後日、正式に話を聞かせてちょうだい」という言葉がずっと頭の中をぐるぐるとしていた。
何を話せばいいんだろう。話すことなんてこれ以上ないのに。
そんなことを考えながら教室の扉を開けると、一斉に視線が集まり、さっきまで聞こえていた話し声が消えた。
ごくり。唾を飲み込む。
何も気がつかないふりをして、席に座ろうと歩いていく。
ここまでクロエに会わなかった。その事実にホッとする。
「そうだ、今度一緒に王都の評判のケーキ屋に行きませんか?」
ふと、クロエの声が蘇った。
心臓が握られたような感覚になる。
私はなんて返したっけ。
「ええっ! いいわね! 私チーズケーキ好きなの。ぜひ一緒に行きましょう!」
無邪気に答えたものだ。
思わず笑ってしまいそうになった。
なんて幼かったのだろうか。
人を無邪気に信じる、愚かな女。それが私、レイシア・フローリアだ。
笑顔で二人話していたはずなのに、もうクロエの笑顔は浮かんでこない。
代わりに浮かぶのは、夜会で目を逸らした時の顔だけだ。
その時。
「よく平気な顔で来られますわね」
ボソッとしたつぶやきだった。
けれど教室中に不思議と響いた。
足が止まった。思わず俯く。
くすくすとした笑い声が聞こえる。
以前の私なら言い返していた。けど、言い返す言葉は浮かばない。
それに聞こえないふりをして、席まで歩いた。
「レイシア!」
その時、アレンが教室に駆け込んできた。
「……何」
レイシアは無表情で聞き返す。
アレンは膝に手をつき、肩で息をして、レイシアの方を向いた。
「……噂を聞いて、いても立ってもいられなくて。レイシア、少し話せるかい?」
「……心配ならいらないわ。平気よ」
「……平気には見えない」
アレンが困ったような顔をする。
その顔を見ると、なぜか指に力が入る。
「信じられることは、弱さじゃなくて強さだ」
アレンの言葉が頭に蘇った瞬間、気がつくとレイシアは叫んでいた。
「しつこい! 平気って言ってるでしょ」
教室中が静かになり、二人に視線が集まる。
やってしまった。けど、もうどうでもいい。
「……ごめんなさい。でも大丈夫なの」
「レイシア!」
レイシアは振り返って席に歩いていく。
アレンは黙って、レイシアの後ろ姿を見ていた。
口を開いて何か言いかける。
しかし、レイシアが振り返らず席につくのを見て、そのまま戻って行った。
♦︎
授業が終わった夕暮れ。
レイシアは急いで荷物をまとめていた。
早く帰りたい。誰もいない場所に行きたい。
考えていることはそれだけだった。
「レイシア」
気がつくと、後ろにアレンが立っていた。
手が思わず止まる。
振り返ろうとして、やめた。
そのまま手を動かして、荷物をまとめ続ける。
「……レイシア、今は辛いと思う」
手が止まる。
「……あなたに何がわかるの? わかったようなふりしないで」
レイシアは吐き捨てるように言った。
アレンの表情は見えない。けど、気配で困った顔をしたのがわかった。
「……そうだね。ごめん」
息が止まる。
八つ当たりだと自分でもわかっている。
でも、謝ることはできなかった。
「君が怒るのも当然だ。しばらく話しかけるのをやめるよ」
違う。そんなこと言いたいわけじゃない。
レイシアは唇を震わせた。けど、言葉はうまく出てこない。
「じゃあね」
待って。そう言いたかった。
けれど、喉元まで来た言葉は音にならない。
振り向かなくても、アレンが歩いていくのがわかった。
陽が暗くなり、気温がさらに下がった気がした。
指が震える。
取り返しのつかないことをしてしまったんじゃないか。
「アレン!」
気がつくと、振り向いてアレンを呼び止めていた。
「……なんだい?」
弱々しく笑うアレン。
ごめんなさい。
そんなことが言いたかった。
けど、言葉がうまく出てこなかった。
レイシアは俯いてしまう。
「レイシア」
気がつくと、アレンが目の前まで来ていた。
「明日から、毎日放課後三十分、庭園のはずれにあるチューリップの花壇の前にいるよ。話したいと思ったら、来てほしい」
アレンはにっこりと笑った。
「今すぐに答えなくて大丈夫。ずっと、ずっと待ってるから」
そう言って、レイシアの手をとり、優しく握った。
アレンの手は、細い指なのにゴツゴツとしていた。
そして、なぜかとても温かかった。
レイシアは、アレンにすぐ返事はできなかった。
けどアレンはそんなレイシアを見て、優しく笑った。そして帰った。
そんなアレンを見送って、レイシアは廊下を一人で歩いていた。
廊下の角を曲がったその瞬間。
「レイシア。少し話がしたい」
顔を上げると、そこにはルシアンがいた。




