梅雨、曇り空、紫陽花
ゴールデンウィークが終わり、なんとなくだらけた空気感が漂うクラスなのだが、そうも言っていられないのが高校生の現実。
中間テストである。
連休明け二週間後に開催されるそれは休み中遊びや部活で何も対策をしていない生徒たちを苦しめる。
自分もその一人だ。隣の家に住む相沢姉妹の頼みでネモフィラの花畑が広がる公園に行ってからというもの、家にいるのもなんとなく退屈で外出ばかりしていた。
連休最終日の前日は部活動のために学校へ赴き、部員たちと休日の成果を見せ合った。
家族旅行での写真、友人たちと遊びに行った時の写真。中には大型のコスプレイベントに参加してコスプレイヤーを大量に撮ってきた人もいればなんと海外に行って写真を撮ってきたという部員までいて驚いたものだ。
自分もネモフィラの写真も見せはしたが、なんと部員たちに一番評判が良かった写真は明里が撮った地面スレスレからの花を見上げる写真だった。
発想の違いというか、子供ならではの地面との距離感なのか、部員たちに感嘆の息を漏らさせた明里の一枚は部室に大量にあるアルバムの中に保存されることとなった。
我が部には伝統として部員たちが認めた写真を蓄えていくアルバムがある。そこには何十年という写真部の歴史と当時のカメラマンたちが撮り続けてきたその時の感性が詰まっている。学校での日常的な写真から毎年同じ場所で同じ日に撮られることによって変わりゆく風景を残していくものもある。
それによって創立当初の学校の様子や周辺の街が記録として残っているのだ。自分も入部した当初は過去の先輩方の写真を眺めて楽しませてもらった。
まさかそこに幼馴染の妹の写真が保存されるとは思わなかったが、この写真を何十年後かに見ることになるであろう後輩たちには是非とも「マジかよ」と言って欲しいものだ。
というのも保存される写真には年代、名前、学年が記載される。だからこのネモフィラの写真の名前は『○○年、相沢明里、小一』となるわけだ。小一の写真があることと同時に、その写真のクオリティに驚くがいい。ふふふ。
「で、その隣の幼馴染って何なんだ?」
しまった。そういえば高校生にこの手の話題を提供するととんでもない目に合うのは明白だった。
部員たちからの執拗な質問攻めにあった挙句、隣に住む幼馴染の話をすることになり、関係が高校生になっても続く家が隣の幼馴染と何もないはずがないと一様に攻められた。失敗したな。
彼女と自分はどのような関係性なのか、考えれば考えるほどに複雑な心境になってしまう。
幼い頃から親同士の親交があり、仕事で不在がちだった両親が自分をよく預けていたので、そこに住む同じ年の子と友人にならないのもおかしい。
通う学校が変わったいまも関わりがあるのは、隣の家に住んでいるからだ。
なるべくしてなった関係。きっと特別なものではない。
たぶん彼女じゃなくても、同じポジションにいる人なら同じ関係になっていたのだろう。
ついそう、思ってしまう。
テストが近づくにつれてクラスメイト達もまじめな雰囲気になってきた。テスト前週は部活動も停止となる。
我が校の一学期中間テストは、一日三教科のテストが四日間行われる。
基本的に午前で帰宅できるが居残りで勉強していくことも可能だ。必ず帰れという学校もあるらしいがそうでなくてよかった。どうしても家だと誘惑も多く集中できない。
だんだんと雨の日が増えてきて生活の不快指数も上昇してきた。今年は気温も平年よりやや高く、日によっては朝から二十度近く気温がある日もあった。
翌週に中間テストを控えた土曜日。
今日も雨だ。
天気予報で昼前には一度雨が止み午後には少しばかりの晴れ間が見えると言っていた。
その隙間を狙い紫陽花を取りに行こうと思っている。
中間テストについては連休明けの授業が軒並みテスト対策であったし、放課後はほぼ毎日図書室か解放されている自習用の教室で勉強をしていた。
だから少しばかり気晴らしに散歩がてら写真を撮りたい衝動が自分の中で暴れまわっている。
天気が悪いとどうしても暗い。
それは気分だけの話ではなく、太陽光が分厚い雲に遮られているせいで日中でも薄暗いのだ。
現に自分の部屋も、普段なら日が差し込むので電気をつける必要はないのにここ数日は常にシーリングライトがつけっぱなしになっている。
十時を過ぎたあたりで雨が止んだ。相変わらず薄暗くはあるがそれでもここ数日の陰鬱とした気持ちが気圧とともに少しだけ上昇した気がした。
家を出ると雨上がりのむわっとした空気を感じることができた。室内でもなかなか不快だが外は格別である。
気温は二十度以上あるのに湿度のせいで余計に暑く感じる。太陽が出ていなくてもべたつきと無風のせいで不快感は高い。毎年のことだがこのまま夏になったらどうなってしまうのだろう。暑いのは嫌い。
今日行こうとしているのは紫陽花が多く植えられているお寺。
寺といっても紫陽花があるのは寺周辺の公園のような敷地で、お参りついでに見物へ来る人も多くいる場所だ。
「小一時間ってところかな」
最寄駅から電車で三十分、そこからバスで十分歩いて十分ほどの距離。雨が降っていると途端に面倒くさくなる距離だが、続いた雨が上がったタイミングならむしろ喜んで行きたくなる。
「なんてこった、やらかしたな」
到着して気づいた。紫陽花が咲いていない。
違う場所では紫陽花が咲いていることは知っていた。でもこの寺の紫陽花が咲いているのかは調べていなかった。品種だろうか。これはリサーチ不足による失敗だ。
とはいえ来てしまったものは仕方ないのであたりの風景や、寺の写真を何枚か撮ってみたものの。
「帰るか……」
微妙な天気、目的のものが撮れなかったこと、自分のミス等々で嫌な気持ちになってしまった。不貞腐れたのだ。
完全に自分のせいなのにイライラを抱えて帰路につく。仕方がないので帰りの電車へこれまで撮ってきた写真を見返す。
去年から撮った写真は千枚以上ある。かなり撮った方だと思う。そういえばコスプレを撮りにいった彼は二五六ギガのメモリーカードが満杯になったと言っていたっけ。とんでもない量を撮っているんだな。
写真を始めた当初よりは、多少上手くなっただろうか。
被写体に対してのアプローチの仕方をプロカメラマンのインタビューで読んだことがある。
写真を撮る。それの意味とは『瞬間を切りとり、空間を保存する』ということ。
それはただの記録でもあり、素晴らしい芸術でもある。
昔はそれが絵画で、それが近代は写真となり手軽に保存できるようになった。
だからこその芸術としての写真は感性へ訴えかけるものでなければならない。スマホで友人に送るような写真は許されないのだ。
その記事を読んで、感銘を受けたと同時にプレッシャーを感じた。
これから写真部は夏の全国高校写真コンテストに向けて活動していく。
もちろん全員が本気で参加するわけではないけれど、自分はこの部活を初めてきっかけがこの大会の写真だったため部内でも思い入れが強いように感じる。
中学生の時だった。
たまたま親に連れられて出かけた先にて、地元の高校生たちの写真が展示されていた。
その時は大会がどうだなんて考えていなかったけれど、そこで見た写真が忘れられない。
夕暮れのサッカー部。屋上から見える山。桜並木とそれを見上げる老夫婦。
自分とそう大差ない年齢の高校生の撮った写真がそこには飾られていた。
感動、そして関心。自分にもできるだろうか。それまであまりやりたいことを言ってこなかった自分が初めて自らやりたいことを発言したと後から母に言われた。
それから写真部のある高校を探して今の学校を見つけ、無事に入ることができた。
一年生の時は先生や先輩にいろいろ教わりながらコンテストを目指した作品を作った。結果は何も得られなかったけれど。
夏休みに自分のカメラが欲しくてがむしゃらにアルバイトをして買うこともできた。
それからもたくさんの写真を撮って、二年生になった。
今年の目標はコンテスト県大会入選。
誰かに認められたいという欲があるわけではないけれど、自分の写真が巨大なパネル印刷にされて飾られるのを想像すると、きっと気持ちいいのだろうなと思う。あの展示に自分の写真を飾りたい。
そのために必要な要素を探りながら日々ファインダーを覗く。
今日は目的こそ達成できなかったけれど、目標を再認識することができたから、きっとこの一日は無駄じゃなかったんだと思う。
最寄駅に着いて、家までもうあと数十歩というタイミングだった。
「おーい」
門越しに聞こえた声の主は隣の家に住む幼馴染の相沢笑里だった。
「写真撮りに行ってたの?」
「あーうん、まぁね」
「ん? なんかあった?」
自分の煮え切らない返事に、彼女は異変を感じ取ったのか心配そうな表情を向けてきた。
「いや、なんでもないんだけど。撮りたかったのが撮れなくて」
「もしかして紫陽花?」
「え?」
「この間言ってたじゃん。次は紫陽花かなって。まだ早くない?」
「うん、咲いてなかった」
「だと思った〜」
彼女はけらけらと笑っている。でも馬鹿にされているようには感じなくて、むしろ安心したかのようだった。
「でもよくわかったね」
この間ネモフィラの花畑を見に行った帰り、話をしたことは覚えている。でも撮れなかったことと咲いていないことまで把握しているとは思わなかった。
「だって、ほら」
彼女は庭の方を指差す。
その方を覗くとそこには咲いている花があった。
「なにそれ?」
「これも紫陽花だよ。早く咲くやつなんだって」
「え、それ紫陽花だったの!?」
彼女の家には何度も行ったことがあるので、庭にもなんとなく覚えがあるが、まさか紫陽花が植えてあるとは思わなかった。
「いわゆるザ・紫陽花! じゃないんだけど、お母さんこの品種が好きで昔植えたんだってさ」
そこに咲く花はブーケのように咲き誇るそれではなく、中央につぶつぶがたくさんあり、それを囲うように花が咲いているものだった。ヤマアジサイと呼ぶらしい。
「今年はあったかいから咲くの少し早いの。それでこれが咲き始めたばっかりだから他は咲いてないのかなって」
「なるほどだから」
「ふふーん。探偵みたいでしょ」
胸を張ってドヤ顔でこちらを見てくる。確かにヒントをもとに答えへたどり着くそれはまるで探偵のようだ。
「そういえば庭で何してるの?」
「勉強疲れたから息抜き」
彼女は肩をすくめて言う。自分と一緒。一生懸命やるにも休息が必要になるのだ。
「やっぱり大変?」
彼女の通う進学校はかなり頭が良い。それこそ自分が行こうと思ったら高校を浪人するんじゃなかというくらいに差がある。
「うーん。でも目標があると意外と頑張れるよ」
国立大学。彼女が目指しているそれがいかに大変ですごいことか。
「そういうもんか、いや、そうだよね。わかるよ」
「ん? なにそれ意味深な」
「カメラ始めてから目標って初めて持ったからさ」
「コンテスト?」
「うん今年は入選できたらなって」
彼女に比べたら大した目標じゃないのかもしれない。
部活動はそれこそプロを目指している人が行く強豪校以外、将来を考えると必要性は低いように思う。
それでもやるのは好きだからで、ちょっとした目標があるからで、なにより楽しいから。
「へぇ、じゃあほら練習! 練習!」
突然そういうと彼女は門を開ける。
「紫陽花、撮ってきなよ」
この提案は素直に嬉しい。
「ありがとう」
彼女は「へへへ」と笑いながら庭に入れてくれた。
改めてこの紫陽花を見ると、普段思い浮かべるそれではなく、なんとなく優しくて朗らかなイメージを持つことができる印象だった。
彼女の家、相沢家にぴったりだとそう思えた。
カメラを構えて写真を撮っていく。
少し引きで、画角を変えつつ。
この間の明里の写真を参考にあおりで撮ってみたりもした。
近くで撮ったりボケ感を強くしてみたり。
少し集中してしまって、ふいに後ろへ下がった時笑里とぶつかってしまった。
「きゃ」
「あ! ごめん!」
思わず少しよろけた彼女に手を伸ばした。
転ぶほどの勢いではなかったけれど、彼女は自分の手を取った。
「ありがとね、大丈夫」
すぐに手は離れた。でもその一瞬を脳が切り取ってしまった。
「ごめん。集中しちゃって」
「平気平気。いいの撮れた?」
「あ、うん。たぶん」
カメラの画面に撮った紫陽花を表示させる。
「どれどれ」
彼女は後ろに回り込み、肩越しにカメラを覗き込む。近い。
さっき手を握った時から騒がしくなる心臓に、静かにしろと言い聞かせながら写真を見ていく。
「いいねぇ」
何枚か写真を見ていく。我ながらいい写真だと思いたいがそれどころじゃない自分がいる。
「あ,それ好き」
なんか変な汗が出てきた。まずい、この間部員たちからいろいろなことを言われたせいで完全に意識してしまっている。
どうしよう。
「ちょ、ち、近い……かも」
かなり不自然な喋り方になってしまった。しかもこれじゃあ近づいてほしくないみたいだ。
「え?……そりゃ!!」
掛け声と同時に彼女が首に腕を回してきた。スリーパーホールドってやつだ。ってそれどころじゃない!絞まって息ができない。
「ギブ? ギブね?」
彼女の腕を必死でタップすると技を解いてくれた。今度は腕を組んでこちらを睨んでいる。
「はぁ……はぁ。何、急に」
「なんかむかついた」
「なにそれひどい」
「だってなんか拒否られたみたいだったんだもん」
事実、さっきの一瞬はそういう感じになってしまった。
「ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど」
素直に謝ろう。
「べっつにー。いいんだけどさ。絞めたし」
確かに絞められた。しかも結構強めに。
「なかなか強かったよ」
「もっかいいっとく?」
「大丈夫です!」
笑里はなかなか強気な笑顔でこちらに微笑みかけてくる。
「――――おねぇちゃーーーん」
相沢家の中から明里の声が聞こえた。どうやら姉の笑里を呼んでいるようだ。
「ん、なんか呼んでる。じゃあ入るね」
「うん、紫陽花ありがとう。あと、なんかごめんね」
「んーん。いいよ」
「じゃあ」
そうして門を出てすぐ隣の自宅へ入る。
駆け足で自室に戻って荷物を放り投げ、ベッドに倒れこむ。
……………………。
…………。
……。
また心臓が騒ぎだした。
身体は横になって落ち着いているのにその速度は上昇していく。
絞められた時は考える余裕なんてなくてタップしてしまった。それでも脳裏に焼きついた背中の感覚。腕の柔らかさやシャンプーの香り。それら咄嗟には苦しくて整理されなかった情報が残っていた。
鼻に残った香りが今襲ってくる。
これは本格的にまずい。
意識すればするほどに、自分ながら困惑する。
逸らせば逸らすほど、むしろ目立って注視してしまう。
きっとこれは、少なからず嘘なんかじゃない。
錯覚でも幻覚でもない。
勘弁してくれ。
――――彼女、相沢笑里のことが好きだ。
そう、諦めることにした。
気持ちを表に出すのは得意じゃない
蓋をするのは得意なほうだった
抑えつけるのも無視をするのも何度もやってきた
だから
抑えきれない感情に向き合うのはひどく疲れる
疲れるものを目の前にしてどうしろというのか
だから
そうするしかなった




