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「おにーさん、ひどいよ」
「ひどいも何もねーよっ、奴隷になるかもしれないリスク背負ってまで試合に出るこたねえ――さっさと帰るぞ」
ザッツが、ニナの手を引いて踵を返そうとする。
しかし、
「駄目だよ」
ザッツの首筋に、冷たい感触が当てられた。
ニナが腿のホルスターから引き抜いた、ナイフの腹を押し付けている。
サカナは未だに慣れないのか腰を抜かしていた。
「あのなあ」
ザッツは彼女特有の暗殺コミュニケーションを責めようと思ったが、
「ここで引き返したら、おにーさんとサカナちゃんも危険な目に遭うかもしれない」
「……そうだな」
ニナの、皆の身を案じている表情に、ザッツは強く言えなくなっていた。
「分かった分かった。…今回はお前の好きにやってみるといい」
「それって、頼りにしてくれてるってこと?」
「ま、無理しない範囲で頑張れよ」
ニナは微笑みながら、ザッツに押し当てたナイフをホルスターにしまう。
「うんっ、おにーさんの期待に応えられるように、頑張るよっ」
彼女はくるりと半回転して、先にあるドアに走っていき、ドアノブに手をかけた。
「ここがリーヴァルトの地下闘技場――『鮮血注ぐ黄金の湖』だよ」
扉を解き放つと、眩い光と歓声が、三人の居る通路いっぱいに広がった。
「すごい」
部屋に入ると、そこは別の世界だった。
まず目に飛び込んでくるのは、中央にある特設リング。円形でロープなど何も張られていないその上で、二人の人間が戦いを繰り広げている。
周りを見渡してみれば、そこはおよそ百メートル四方の空間で、壁際は観覧用の席が配されていた。試合を観戦している人たちを観察すると、只者ではない雰囲気が漂っていて、きっとこの場所は控え室も兼ねているのだろう。先の通路と同じく上の階と吹き抜けになっていて、そちらは暗がりになっていたが――人の気配はするので、『オーナーのお友達』の観覧席だろうとザッツは察した。
「さっそくエントリーしてくるから、おにーさんたちは適当なところに座って観戦でもしてて。きちんと三人座れるところを取っておいてくれると嬉しいなっ」
ニナは部屋の角にある、受付らしきところへ行ってしまった。
受付嬢はバニースーツの女性だった。きっとオーナーの趣味なのだろう。
「サカナもあれ、付けてみればいいんじゃないか」
ザッツは女性のウサギ耳を指さした。
「や、やだよっ、あんな恥ずかしいの」
「今の格好だって、往来じゃ見てる方が恥ずかしいって言ったろ」
「ぜんぜん違うのっ」
何が違うのかよくわからなかったが、ザッツとサカナは観客席の方に移動することにした。そこまで混んでいるわけでもなかったので、連続して三つの席が空いている場所を陣取った。都合よく試合を真横から眺められる場所だ。
「しかし、どういうルールなのか試合を見てるだけじゃ分かんねーな。どこかに書いてないもんか」
そんな声を耳聡く聞きつけた従業員のバニーさんが、丸めた羊皮紙を持ってザッツに近づいてきた。
「パンフレットです、おひとつ銀一枚でいかがでしょうか♪」
「さすが商魂たくましいリーヴァルト人だ、取れるところで取ってくる」
「褒め言葉として受け取っておきますわ♥」
結局、そのパンフレットという名の紙切れを銀硬貨一枚で買ってしまった。
「どんなことが書いてあるの?」
ザッツがパンフレットを広げると、サカナがそれを覗き込んでくる。
「ん、見かけに反してけっこうな情報量があるな」
羊皮紙の上を、魔法文字が次々と光りながら浮かび上がってくる。
『鮮血注ぐ黄金の湖』へようこそ
★☆★ ご覧になられたいページを選択してください ★☆★
1、登録者リスト(名前・ランク・賭け金・賞金を記載)
2、闘技場のルール
3、試合のルール
4、商品リストと基本スペック
「気になる項目もあるが、まずは闘技場のルールだな」
ザッツが『2、闘技場のルール』の文字列に指を滑らせると、全ての文字が消えて新しい文章が表示されていく。
★☆★ 2、闘技場のルール ★☆★
■ 入場者は個人・団体に限らず番号が割り当てられます。割り当てられた番号から一人以上は必ず登録してください。これを破った場合罰則が適用されます。
■ (1)登録なされた場合、番号ごとにランクが割り当てられます。『S』から始まり『A』『B』『C』『D』『E』の六段階に分けられ、最初は『E』ランクになります。(2)ランクに応じて、闘技場の退出時にファイトマネーとは別に日当が支払われます。(3)『格上に勝つ・負ける』ことや、『勝率』などから総合的に判断し、ランクの移動をジャッジが決めさせて頂きます。
■ 登録者リストの中で、自分と同ランク以上の相手を自由に選び『挑戦』することができます。闘技場に入場した場合は必ず一試合は『挑戦』してください。これを破った場合罰則が適用されます。
■ 『挑戦』を受ける側は、それを断ることができません。
■ ………
■ ……
■ …
「あれ、おにーさん、パンフレット買ってたんだね」
全てを読み終わる前に、エントリーを終えたニナがやってきた。
「そんなもの買わなくても、ボクが説明してあげたのにさ」
「きちんと説明できるのか?」
「あんまり自信はないかな」
「それならよし、銀一枚払った甲斐はあったわけだ」
「おにーさん、相変わらずひどいなあ。…それよりサカナちゃん」
「ん、どうしたの」
「ちょっと近すぎない? それともおにーさんをおっぱいで誘惑してるのかなっ」
「!?」
サカナははっとなって、ザッツから離れる。
パンフレットを覗き込むために、かなり密着していたようだ。
「こ、これは違うのっ」
「んふふ、分かってるって。…鈍感なおにーさんを刺激するなら、時には大胆さも必要だもんねっ?」
「誰が鈍感だよ!」
「オトコの人って、おっきなバストに目がない――って、セクハラに困ってた先輩が言ってたんだけど」
もしかして、とニナは続ける。
「おにーさんって、男の人が好きとかそういう」
「変な妄想してるんじゃねえっ」
そんなやり取りをしているとき、客席の歓声がひときわ大きくなった。
先程から行われていた試合が終わったらしい。
三人の目線の先は、自然とリングの上へと移った。
「あれ、一人だけしか舞台に居ないよ?」
サカナがきょろきょろと周囲を見渡している。
「場外に飛ばされたんだな、リングアウトってやつだ」
「ふうん、そんな決着もあるんだ」
「そうそう、だからボクの風の『法技』でばーんってやっちゃえば終わりだよっ」
「あれ死人出そうなくらい威力あったぞ。…ちょっと確認してみるか」
ザッツは先ほどの羊皮紙を広げ、上に指を滑らせると初期ページへと戻った。
そして『3、試合のルール』を選択した。
「ええと、これか」
必要な情報が記された項目を読んでみる。
■ 下記の三項目により勝敗を決定します。(1)戦闘不能――ジャッジにより試合の続行が不可能と判断された対戦者は敗北とします。(2)場外――リングから落ちた時点で敗北とします。(3)降参――対戦者のいずれかが試合放棄を宣言したとき、ジャッジがこれを認めることで敗北とします。
■ 対戦相手を殺めることは禁止です。罰則の適用となります。
「ニナ」
「うん」
「殺しはやめような?」
「そのルールは分かってるって、大丈夫だよ信頼してよっ」
ピンポーン、とチャイム音が会場内に響く。
そしてアナウンスの声がした。
「えー、今晩お越しくださっている名簿登録者で、対戦を行っていない割り当て番号の試合順繰り上げを行います。割り当て番号『E27』番チーム、『挑戦者』の一人は至急リング上へとお願いします。繰り返します――」
数字に覚えのあるザッツは、手元の番号札を見る。
『E27』番だった。
「うん、ボクの出番みたい。…行ってくるね、おにーさんっ」
「おう、白星あげたら焼き肉奢ってくれよな」
ニナは素早い動きでリングへと上がっていく。
『挑戦者』の位置はザッツたちから向かって右側、入り口方面で立つらしい。
「そういえば『挑戦者』として呼ばれてたね。…いったい誰に挑むつもりなんだろう?」
「なんか、嫌な予感がするのはオレちゃんだけか」
「ううん、わたしも」
ニナは満面の笑顔でザッツたちに手を振っていた。
反射的にとりあえず返すが、他の観客に奇異な目で見られている。
「お待たせ致しましたッ! 只今より水馬ノ月/二十八日、第三十二試合――挑戦者『E27』ニーニャ・ドラゴンタベターさんの賭け試合を始めますッッ!」
「ドラゴン…なんだって?」
男性の実況が読み上げた名前――きっとニナが咄嗟につけたファイトネームだろう――にザッツは脱力してしまう。
「ニナちゃんって、本当はああいう名前だったの?」
「偽名だ、気にするな」
「そうなの? センスあるねっ」
「『ドラゴンステーキ食べた』って言いたいなら『ドラゴンイーター』でいいだろ。…サカナが好きそうな路線でいくなら、『ドラゴスキー』とかがしっくり来るかもしれねーが」
「『ドラゴスキー』? わたしはそっちのほうがひどいと思うよ」
サカナの謎の感性を嘆きながら、ザッツは目線をリング上へと戻した。
実況がニナに近寄り、声を周囲に拡散する術式を刻んだ杖――アースアルムではそれをマイクといっていた――でやり取りをはじめた。
「それでは挑戦者ランク『E』のニーニャさんッ、賭け金は自らの命でよろしいのですねッッ?」
「うんうん、へーきだよっ」
それを聞いたサカナが、慌てた様子になる
「い、いのちって」
「落ち着けよ、さっきニナが言ってた、負けたら『奴隷になる』ってことだろ」
「そ、そっか」
実況とニナのやり取りは続く。
「それで――対戦相手は先ほど申告した相手でいいんですねッッ?」
「ぜんぜん、おっけー」
「後戻りはできませんよ?」
「うん」
「分かりました――それでは登場して頂きましょう。割り当て番号『A8』ッッ」
『A8』?
「試合回数208戦にして全勝――ランク『A』、氷の貴公子ジュール・アイスエッジッッッ」
「は?」
嫌な予感は当たってしまった。
よりにもよって、そんな高ランクの人物を対戦相手に選ぶとは。
「ね、ねえ、ザッツ、これって勝てるの?」
「無理だろ」
「う……」
「い、いや――ニナのことだから、なにか勝ち目があって選んだに違いない」
希望的観測。
先ほど買ったパンフレットを開き、選手リストから情報を閲覧する。
■ No.7 ザジ・ブラックバンド(本日不在) ランク『A』
賭け金:14.5 賞金:43.5
■ No.8 ジュール・アイスエッジ ランク『A』
賭け金:55.42 賞金:166.26
■ No.9 グリューネ・スターレイン(本日不在) ランク『A』
賭け金:12.1 賞金:36.3
ザッツは頭を抱えてしまった。
ジュールという人物は圧倒的に高レートであり、しかも情報など書いていない。
賭け金:55.42――挑戦するだけで金貨がおよそ55枚も必要な相手とは、どれだけ強いのか想像もつかない。
「大丈夫だっておにーさんっ、ボクを信じてよ」
ザッツの様子を心配してか、ニナは遠くから胸を張ってそう言った。
どうしてこんなにも勝ちを信じて疑わないのか。それがザッツには不思議でならなかった。
だが今は、
「今は――ニナを信じるしか、ないよな」
「うん」
サカナは両手を組んで祈っている。
「それでは、入場してくださいッッッ!」
その実況の一言と同時に――ジュール・アイスエッジは降ってきた。
上の階から"降ってきた"。
「え」
リング上へ華麗に着地すると、周囲に氷の花びらが散った。
それは彼の魔力が形作った演出か、一瞬でそれは空気にとけ、消えた。
「う、上から来たってことは」
サカナが声をあげる。
「ああ――『オーナーのお友達』枠なのかもしれねーぞ」
ジュールは姿勢を正し、戦いを挑んできた者を見据える。
彼は輝くような金髪を携え、その顔はバタフライマスクで隠していた。
赤を基調にした煌びやかな衣装を身に纏い、一振りの突剣を腰に差している。
「『命』をチップにして賭け金を踏み倒し、私に戦いを挑んできた者は初めてかもしれません」
ジュールは喋る。
「多少は腕が立つということでしょうか――それともお金の入り用で仕方なく?」
「大丈夫だよ、心配してくれなくてもっ」
ニナはナイフをホルスターから引き抜いて、くるりと一回転させ逆手に持つと、
「この勝負、ボクが勝つんだから!」
と、高らかに宣言した。




