19
「ち、ちょっと待って」
サカナが会話に割って入ってくる。
「わたしのことを思ってくれるのは嬉しいけど、ザッツについていくって決めたのはわたしの方だし――ニナちゃん、落ち着いてっ」
「もちろん、落ち着いてるよ? 殺すっていうのは言い過ぎたかもしれないけど――王都を目指してるだけなら、エスコート役はおにーさんじゃなくても務まるよね?」
「それは――」
「大丈夫だよっ、ボクが責任持って連れて行ってあげるから」
サカナの手を取って、ニナは連れて行こうとする。
そこにザッツは待ったをかける。
「その荷物はオレちゃんの戦利品だぜ、勝手に連れていくんじゃねえよ!」
じろり、とニナは険しい目つきをザッツに向けた。
「サカナちゃんは道具じゃないんだよ。…奴隷みたいな扱いしないでよ」
「不当な扱いをした覚えはないんだがな」
「無自覚な悪だってことだよ。だからボクは――サカナちゃんを助けるために、おにーさんを討たなきゃいけないんだっ」
ニナは大剣を握り直すと、ふたたび敵愾心を抱いている。
「これだから、背伸びしたがる子供は嫌いなんだ。…そうやって、人を簡単に殺そうとするのは、お前さんの中で無自覚な悪に分類されないのか?」
「一人の悪を殺して、救われる人がいるのなら――それは人を殺すに足る十分な理由になると思うよ」
「その悪は、誰かに判断できるものなのかって訊いてんだよっ」
「ボクはできるよ。だってボクはこの道七年のプロなんだから――さ」
「は、話にならねえ――げほっ」
ザッツは先ほどのダメージで、既に戦えるような状態ではなかった。
赤黒い血を吐いて、手の甲で口元を拭う。
「『涼風』の勇者ゼピュロスよ――御身の名の元に、荒れ狂う嵐を以て彼の敵を穿て」
だというのに、ニナに容赦など微塵もなかった。
堅牢な地下水道の壁を容易く削り、抉りとった先程の『法技』――名をドラゴンズ・ブレスと言ったか――ためらいもなくそれを放とうというのか。
「さようならおにーさん。…サカナちゃんの面倒はちゃんと見るから、安心して逝ってね?」
「くそっ」
やるしかないのか、とザッツは思う。
幸いなことに、この場所はダンジョンだったから――"この状況を切り抜ける方法は、視えていた"。
スライムという種族は、とても燃えやすいという特性を備えている。それをザッツは知っている。
そう、全身にスライムの破片を浴びているニナに対し、大剣が振るわれるよりも先にヘパイストスの種火――それは空気に触れるだけで着火してしまう――を投げ込んでやれば、一瞬で火だるまになってのたうち回るはずだ。
そしてそれは、ニナに深刻なダメージを与えることになるだろう。
(許せよ、悪いのはお前だからな)
誰かを傷つける、誰かを殺すというのは――自分も傷つき、死ぬ覚悟がある者だけがやっていい行為だから。一方的に人を殺め続けた暗殺者は、それを分かっているのだろうか。
「死んじゃえ――ドラゴ…」
大剣が振り下ろされようとしていた。
ザッツは道具袋から、瞬時にヘパイストスの種火を取り出す。
そして、
ニナにとって予想外の――ザッツにとっても予想外なことが起きた。
「ば、ばか」
「な、なん――」
立っていた。
サカナが目の前に立っていた。
「――で」
二人の間に割って入ったサカナは、両手を広げてニナの前に立っていた。
ザッツを守るかのように――その小さな体じゃ、守れるわけないのに。
このままでは、彼女を巻き込んでしまう。
だが、
「う、」
術式の発動を、途中で辞めることはできない。
大剣の切っ先は上方に向けられたまま、吹き荒れる暴風は天井に突き刺さると――みるみるうちに天井は削られ、抉り取られていき、
そして、
「うわああああッ」
がらがらがらがら、と凄まじい音がした。
崩れた天井が瓦礫となって、サカナたちの目の前に降り注いでいる。
ザッツは息を飲んだ。
「ニ、ナ、ちゃ……」
やがて瓦礫の雨が降りやむと、サカナは膝から崩れ落ちた。
顔面蒼白のまま、目の前の残骸の山を見つめている。
降り注いだ瓦礫は――ニナの体を、すっかり見えなくしてしまっていた。
「やべえっ、さっさと掘り出すぞ」
呆気に取られている暇などなかった。
あれだけの瓦礫にニナは押し潰されてしまったのだ。下手をすれば命に関わる。
二人は素手で瓦礫をどかしては、ニナの姿を探している。
「くそっ、威力が高い分、瓦礫の数が多すぎる」
地下水道そのものが崩れなかっただけ、不幸中の幸いだった。
「ニナちゃん、ニナちゃん、ニナちゃん……!」
サカナは泣きそうな顔で、瓦礫の除去作業を続けている。
わたしのせいだ――と少女は思った。
あそこで飛び込んだから、ニナは自滅するはめになったのだと。
しかし、
ザッツにも死んで欲しくはなかった。
ニナの言うとおり――口は悪いし、性格は最低だと分かっているが、
だけど、ただ悪いだけではないのだと、サカナは感じている。
そんな複雑な感情を抱きながら、積み重なった残骸をどかしていく。
「見えたぞ」
ザッツが声をあげる。
血のついた瓦礫をどかしながら、ニナの姿を確認する。
夥しい量の血液が、地面を真っ赤に染め上げていた。
「ニナ、ちゃん……」
ニナの変わり果てた姿を見て、サカナは涙を零している。
ところどころから出血し、肌の見える場所は大部分が青黒く変色している。骨が折れているのか、右腕がありえない方向に曲がっていた。
呼吸も弱い。
「や…、おにーさん……」
ニナは死期を悟ったのか、どこか穏やかな顔を浮かべて――蚊の鳴くような声で、震える口を開いた。
「殺そうとしたボクを……、どうして、助けてくれたのか…、分からないけど……」
「少し黙ってろ、なんとかしてやる」
「サカナちゃん…、こんな…、いい子なのにさ……、いじめないであげてよ……」
「……」
ニナはあまりにも不器用すぎた。
ザッツはあまりにも捻くれ者すぎた。
サカナに優しくしてあげて欲しい――ただそれを伝えたかっただけなのに。
暗殺者として育った少女は、殺意だけがザッツに伝える唯一の方法だった。
「サカナちゃん」
ザッツの返事を待たずに、ニナはサカナの方にゆっくりと顔を向ける。
「サカナちゃん…、ありがと……、こんなボクに温もりを教えてくれて……」
「や、やめてよ、これから死んじゃうようなこと言わないでよっ」
サカナはザッツに向かって言う。
「ザッツ、ニナちゃん死んじゃうの?」
「体中のダメージで生命力がなくなってる、このままじゃ死ぬ」
「はやく『テセウスの蜘蛛糸』で脱出して、病院に行こうっ」
「あれは本人が使えないと駄目だ――二人いっぺんだと脱出できない」
「入り口までおぶって運ぶのは」
「ここからじゃ遠すぎる、格下モンスターにも目をつけられるかもしれねえ」
「何か、何かないのっ」
「お、おい、道具袋を勝手に漁るな――」
サカナは薬草や飲み薬がないか、ザッツの荷物袋の中に手を入れてまさぐっている。
すると、
「え――これは」
道具袋の中から偶然取り出したもの。
それは夕方の買い物で、サカナが魔法道具屋でずっと眺めていたもの。
三日月の形をしたヘアピンだった。
「おい、今はそんなものどうだっていいだろっ」
ザッツはさっさとそれを奪って、荷物袋の中にしまっていた。
それを眺めていたニナは小さな声で笑っている。
「あはは…、おにーさん……、結局買ってあげてたんじゃん……」
「お前はちょっと口を閉じてろ、寿命縮んじまうぞ」
「なんだ……、ボクが心配すること…、なかったんじゃないか……」
ニナはあまりにも不器用すぎた。
ザッツはあまりにも捻くれ者すぎた。
愛想がない態度を取っていても――男はきちんと仲間のことを考えてくれている。
暗殺者として育った少女は、初めてそういうタイプの人間がいることを知った。
「サカナちゃん…、おにーさんのこと……、悪く言ってごめんね」
ニナは、そう言って――ゆっくりと、まぶたを閉じた。
「ニナちゃん? ニナちゃん! ああ、ザッツ、ニナちゃんが、ニナちゃんが!」
「落ち着けよ、気を失ってるだけだ」
「でもっ、でもっ」
「決めた」
「え?」
「ここまで来たら仕方ねえよな――これからダンジョンコアを破壊する」
ダンジョンコアを破壊する。
そう言ったザッツは、ニナを横抱きすると早足でダンジョンの奥に向かっていく。
「ど、どういうこと」
それを追いかけながら、サカナはザッツに問いかけた。
「ダンジョンコアってのは、空気中のテラを吸って成長するのは前に話したよな?」
「うん」
ダンジョン内に必ず存在するコアは、テラを外部から吸収することで沈降し、迷宮の規模を広げる――ザッツが語っていたことを思い出す。
「だから、コアの中には大量にそれが詰まってる」
「まさか」
「そういうことだ――ダンジョンコアは破壊されると大量のテラをばらまくんだ」
だが、とザッツは続ける。
「その大量に溜め込まれたテラは、普通の人間にとっては有害だ。…前に召喚式を扱うためにボスモンスターの生命力から情報を取り込むって話をしたろ」
人間には個人差はあるが、テラを貯蔵できる容量が決まっている。
そして、それを越える量を取ってしまうと、様々な病気を引き起こす。
全部ザッツが言っていたことだ。
「コアはボスの比じゃない。その膨大な生命力の奔流は、ニナの傷ぐらいなら全て治してしまうが――後遺症がどうなるか分からないんだ」
「そ、それでも」
サカナは力強く言った。
「ニナちゃんが助かるならっ」
「分かってる。…さあ着いたぜ」
地下水道の最奥にて。
冒険者たちがきちんと整備しているのだろう。
これ以上沈降しないように、魔法石の台座に据えられた――青いダンジョンコアが、不気味な光を放って鎮座している。
「街の冒険者には悪いけどな。…よし、命脈経路はオーケーだ」
ザッツはゴーグルを掛けると、コアの近くにニナを寝かせる。
少女の心音はとても小さい――今にも命の灯火が消えてしまいそうだ。
「さっさとやらねえと。…サカナ、目閉じてろよ」
「ん」
言われたとおりに、サカナは目を閉じる。
ザッツは深呼吸をひとつする。
「行くぜ――これより行うは、ダンジョン殺しの秘儀」
波状槌を握ると、自分の出せる全ての魔力をザッツは解き放ち、
「『破壊』の勇者アレスよ――御身の名の元に、我これよりひとつの命終わらせたり」
渾身の力を込めて、
「ぶっ潰れろおおおおおおお!」
万物を破砕するその一撃を――ダンジョンコア向けて放たれた。




