17
「ボクを叩き直すって、おにーさんは何を言っているの?」
暗殺者の少女は、本気で困ったような顔をしている。
「おにーさんのせいで、ボクはこんな生き方をしなくちゃいけなくなったんじゃないかっ」
左手を己の胸に当てて、感情を込めてそう言った。
「そうかもしれない」
「自分を悪だと、認めるんだね」
「それを今から確かめるんだよ。オレちゃんとお前さんの二人でな」
「まだそんなことを言うつもりなんだ――もっと苦しまないと思い出せないのかな、もっと痛めつけないと認めてくれないのかな?」
ニナが再び敵意を宿したことを感じると、ザッツは波状槌を水平に持って構える。
「まずは――お前さんの頼りにしてる目を潰してやんよ」
「はっ、できるものならやってみなよっ」
ザッツはサカナに目で合図を送る。
先ほどの話で唖然としていた少女は、その意味を理解した。
ニナはナイフの構え方を変えた。
短剣ではどこか不格好であるが、それを両手で握るように持つと――大上段に振りかざしたまま、一気に間合いを詰めようと踏み込んでくる。
「次は痛いだけじゃすまないよっ」
ザッツは波状槌に魔力を送る。
それに呼応して、打撃部が脈動している。
「上等だぜこの野郎。…行くぞオラァッ」
突撃してきたニナに向かって波状槌を振り下ろす。
が、少し早すぎるのか――ザッツの一撃はニナに触れることなく、空を切っていく。
「あはっ、おにーさん早すぎだよぉ」
「そうかな?」
サカナは耳をふさぐ。
あれは、ケイブバットの群れを無力化したときとまったく同じ。
聴覚で空間を認識している相手に対して、絶大な効果を誇る音響攻撃。
「食らえっ」
湿った地下水道の床に波状槌が叩きつけられた瞬間――キィィィンと乾いた音がダンジョンの中に広がっていく。
「ッ」
その爆音は盲目のニナが頼りにしている、エコーロケーションという名の目を潰すことになる。
はずだった。
「ちょっとおにーさんの声が聞こえにくくなっちゃったけど――そんな大きな音じゃ、ボクを怯ませることはできないよ」
「なにっ」
ニナは動きを止めることなく、勢いを落とさずに跳躍した。
「『狡知』の勇者ヘルメスよ――御身の名の元に、秘された真実を曝け出せ」
その術式の詠唱文には、サカナも聞き覚えがあった。
一通りの魔術を修めているザッツはもちろん知っている。
それはヘルメスの解呪式といい――既に掛けられた魔術的効果を打ち消す術式だった。
「これがボクのナイフの、本当の姿なのさ」
ニナの両手で握られたナイフが、七色に光ると――みるみるうちに、刀身が大きくなっていき、立派な大剣へと姿を変えていた。
「てやっ」
ザッツは右に転がって、ニナの振り下ろした刃を回避する。
大剣はそのまま地面を抉って、強い衝撃音と床の破片を撒き散らす。
「それがお前の、本当の武器っていうわけか」
「強いて言えば戦闘用のねっ、暗殺なんかだと当然向かないしさ」
大剣にもともと掛けられていた術式は、荷物の重量を減らすために使用されるものだろう。まさか不意を打つために使われるとは――魔術式とは、使い方次第なのだとザッツは思う。
「どんどん行くよっ」
先ほどの一撃に続いて、二度三度と大きく大剣を振り回す。
ザッツはそれに対応して波状槌で打ち払うが、自分よりも小柄な少女に力負けしてしまう。七年間という重みは非力な子供でさえ、立派な戦士へと変貌させてしまうのか。
「もったいねえな、子供らしく過ごせた時間を犠牲にしてそれか」
「んふふ、悲しんでくれるの?」
「できれば、元のレールに戻してやりてえし、つーかそうすることに決めたわ」
「できるわけないでしょ」
波状槌を大剣で払って防御を崩すと、ニナは懐からナイフを取り出して――ガラ空きのザッツの腹部に向けて投げつける。
「がっ……!」
「ボクにはもう、こういう生き方しかできないしさ。…そもそもおにーさんがそういう人生のレールに引き込んだんでしょ」
ニナは大剣を床に突き刺して、それを軸に跳躍するとザッツの上半身を思いっきり蹴りつけた。そのまま仰向けに倒れたザッツの上に乗ると、ブーツで彼に刺さっているナイフの柄を踏みつける。
「ぐわああっ!」
「そういう要求を通したいなら、まずおにーさんはボクに勝たなきゃねっ。ボクに命令したいなら、まずは生殺与奪の権利を得なきゃ――こんなふうにね」
こんなふうにね、とニナは踏みつける力を強くした。
ザッツの絶叫と共にその腹部からは血の花を咲かせた。
そんな無慈悲な光景に、サカナは見ていられなくて目をつぶってしまう。
「どうかな。…そろそろ自分の悪行を認めて、謝罪してくれる気になったかな?」
「真実から目を背け続けて、都合のいい復讐を成し遂げようとしてるやつに命令される筋合いなんてねーよ」
「まだそんなこと言ってる。真実から目を背けてるのはお――」
「それによ! 命令させてやらせることなんて、納得できねーだろ」
ザッツは語気を荒げながら体を転がし、ニナを腹の上から引きずり下ろした。
「止まった過去を確かめるためには、きちんと真実を見据えなきゃ駄目だ」
ゆっくり立ち上がると腹のナイフを引き抜いて、適当に投げ捨てる。
「お前の閉じた目でよ、オレちゃんをしっかり見てから判断するんだ――それが本当にイーギルってやつだったのかどうか、確かめねえ限りは絶対に謝らねーし、罪を認めねーぞ!」
「ふ、ふざけないで」
大剣を床から引き抜いたニナは、ふたたび両手でそれを構える。
「ボクの目はもう使いものにならないんだっ」
「そう思ってるだけなんだろ。傷一つねえ綺麗な顔しやがってよ。…もしかして怖いのかよ」
「怖くなんかないっ、そうする必要がないだけさ!」
「だったら目を開けてみろやっ、オレちゃんの高身長高収入イケメンのお姿をしかとその目に焼きつけてみろい!」
「うるさいっ、そんなこと言って自分の罪から逃げようったって、ボクは許さないからねっ」
ニナは構えた大剣に、魔力を送り続けている。
アンフィリテが見せたものと同様、それは『法技』の一種であるに違いない。
「ボク本当はこんなことしたくないんだよ、だからお兄さんそろそろ認めてよ――自分が村を滅茶苦茶にしたって、そしてそれを謝ってよ」
「結局はよ」
大剣は風属性を帯びて、刀身を中心に竜巻が発生している。
「さっき言ってたお偉いさんと同じで――権力や武力で自分に都合のいい世界を回したいだけなんだろ」
ザッツは満身創痍の体で波状槌を拾いなおすと、
「オレちゃんだって、実は怖いんだよ」
ヘッドの部分をニナへと向けた。
「お前さんが怖いってわけじゃない。真実と向き合うこととだ。もしかしたらお前さんをそんな風にしちまったのは、オレちゃんのせいかもしれねーってな。だからさっき覚悟を決めた」
でもな、とザッツは続ける。
「そうやって真実にたどり着こうと――お前さんを理解してやろうとしてやがるのに、さっきからオレちゃんが悪いって一点張りじゃねーかっ、気に入らねえっ、自分が偉いと思ってるやつの典型的パターンじゃねーかくそっ、ちゃんとその二つの目でオレちゃんを見やがれってんだよ!」
ザッツも自分が偉いと思ってるやつじゃん、とサカナは思った。
しかし、言っていることは滅茶苦茶だが、分からなくもない。
なぜなら、今のニナは一方的だから。言い分も聞かずに、ずっと自分の正当性だけを見つめて物語っているから。
その根幹にあるものは力だ。
生き残ったもの、勝利者が正しいと言えば――それが正しいことになる。
そういう世界で育った暗殺者の少女は、それ以外の道理を知らない。
だから、主張を通すなら――ザッツはまず、彼女に勝たなくてはいけなかった。
「というわけでオレちゃん、武力行使に移りたいとおもいます――お前さんの頼りにしている今の目を奪ってやる、必ずだ」
「そうやって強がってるけどさ、おにーさんもうぼろぼろだよ? それで何ができるのか楽しみだねっ」
ニナが動く。
「『涼風』の勇者ゼピュロスよ――御身の名の元に、荒れ狂う嵐を以て彼の敵を穿て」
大剣を渦巻く風がより一層強まっていく。
ザッツは波状槌をそれに向かって投げつけると、大剣の振りを一瞬だけ遅れさせた。
「疾風怒濤の大剣技――ドラゴンズ・ブレス!」
ドンッ! と振り下ろされた大剣から、凄まじい威力の突風が放たれる。
ザッツの真横を走っていったそれは、地下水道の壁を抉り、砕きながら直進していく。
風が収まると、そこには『法技』によって掘られた横穴が空いていた。人間が生身で喰らえばひとたまりもないだろう。
「あ、なに、これ」
衝撃で尻餅をついていたサカナはそう言った。
もはやこれは突風ではなく――名前のとおり、竜の息吹を想像させた。
ニナは大剣を振り上げ、そのまま背中にかつぐ。
「無駄なあがきをするねおにーさん。…次は外さないから覚悟してよね」
「よし」
覚悟を決めたザッツは、
「逃げっか」
地下水道の奥に向かって走り出した。
それを見たサカナは唖然とした表情を浮かべるものの、左へ右へとよろめきながら走る姿は、彼にはもう逃げるしか手はないのだと感じていた。
「追いかけっこなら、ボクの得意分野なんだけどなあ――しかもそっち、出口じゃないのにさっ」
大剣の重量をものともせずに、ニナはザッツを追跡しようと走り出そうとするが、
「だ、だめ」
サカナがその前に立って、進路を妨害する。
「これ以上やったら、ザッツが死んじゃうよ」
「んん、元からそういうつもりだったけど――かわいそうになっちゃった?」
「だ、だから、きちんと話し合ってからでも」
「サカナちゃんだって、おにーさんは死んだほうがいい人間だって分かってるでしょ。街での態度を思い出しなよ?」
「で、でも」
「ね、すぐに終わるからさ――ちょっとどいててくれないかなっ」
「きゃあっ」
サカナの真横を一陣の風が通り過ぎる。
ニナにとって武芸に縁のない少女を抜くことは、大剣を持っていても容易かった。
「おにーさん、どっこかなあ」
"頼りにしている目"を使って、索敵を始める。
どうやら角を曲がったすぐのところで、ザッツが待ち構えていることが分かった。
「それで不意打ちするつもりかな――だったら甘いよ」
足音で接近が分からないように、曲がり角の少し手前から跳躍する。
そしてそのまま目の前にある壁に着地すると、三角飛びの容量でザッツに飛びかかっていく。
「不意打ちっていうのはこうやるんだよっ」
あとはそれを振り下ろすだけで、ザッツは血を吹き出して倒れる。
が、それをザッツは読んでいたようで。
「たっぷりと浴びな、スライムのシャワーをよ」
道中で見かけていたスライムが、なぜかザッツの手に握られていて――それをニナに向かって思いっきり投げつけた。
「なっ――」
反射的にニナはそれを斬ってしまい、スライムの肉片を全身で浴びることになる。
「ぺっぺっ、おにーさんひどいな」
口に入ってしまったスライムを吐き出して、
「こんなことして済むと思ってるのかな、おにーさ……」
大剣を握り直した、その時だった。
「え、」
いない。
ザッツの存在がどこにもいない。
「な、なんで、」
それどころか、周辺の地形が読み取れなくなっている。
何も、見えない。
「なんでなんでなんでなんで!?」
ニナはスライムの肉片を浴びただけだ。
それだけなのに、どうしてこんなことになっているのか。
「『狡知』の勇者ヘルメスは、ダンジョン内部の構造探知に長けていてな」
ザッツの声が聞こえてくる。
先の波状槌の轟音のせいで、聴覚ですらその方向が分からない。
「うわああっ、うわあああああっ」
「一歩踏み込むだけで、その構造の全てが分かったんだと。…でもそんな勇者でも、唯一苦手としたモンスターがあったんだ」
闇雲に振り回しても、大剣がザッツを捉えることはない。
気持ち悪いものがまとわりつく感覚が続くだけ。
「そう――それがスライムなんだよな」
ニナの目は、使いものにならなくなっていた。




