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買い物中の和やかな雰囲気から一転して、ピリピリとした緊張感が場を支配していた。街で出会った黒髪の少女――ニナは、ザッツを復讐の対象だと主張するが、彼はそれを認めようとしない。いざこざに巻き込まれてしまったサカナは、どうしていいか分からずに、二人の様子を眺めている。
「おにーさん、喧嘩を買ってくれるの、くれないの?」
返答次第で争いを回避できるのか、といえばそれは無いとザッツは思う。
地下水道に連れ込まれた時点で逃げ場はなく、やろうと思えばサカナも人質に取れるはずだ。
それなら、この買い物に乗るしかない。
そして、精算しなければいけない問題だってある。
「いいだろう、約束はしたからな――その喧嘩、オレちゃんが買ってやるよ」
「それって、おにーさんが罪を認めてくれるってことだねっ」
「身に覚えのない罪を、認めさせることができたらな」
「ふん、まだそうやってシラを切るつもりなんだ? ちょっとは痛い目見ないと分かんないかな」
ニナは笑顔を浮かべたまま、ゆっくりとザッツに向かって歩きだした。
その手に武器らしきものは何も握られていない。
「素手で戦うようには、見えねえけどな」
隙がありすぎる。
その不自然さが、逆にザッツの警戒を強めたが。
「遅いよ」
波状槌を握り直す前に、ザッツの左肩から血が吹き出した。
ニナは初動を悟られることなく、いつの間にか右手に握られていたナイフでそこを正確に刺し貫いたのだ。黒髪の少女はそれを引き抜くと、ぺろりと刃についた赤を舐めた。
「ザ、ザッツ!」
「来んじゃねえよ」
ザッツは思わず駆け寄ろうとしてきたサカナを言葉で制止する。
「なるほどな――"ヘルメスの不可視衣"か」
「ご名答」
ヘルメスの不可視衣。
特殊な魔力の膜を被せることで、包んだ物体を透明にする――すなわち見えなくしてしまうマジックアイテムのひとつだ。
「そいつでナイフを覆って、丸腰に見せかけたってことか」
「でもおにーさん、ちっとも油断しないんだもの。…ま、でも刃が通ったなら、こんな小細工要らなかったかもしれないねっ」
すると、ニナは『透明な何か』を地面に放り投げた。
どしゃっ、という音と共に中身が散乱する。
それは先刻、食堂でザッツが食べきることのできなかった、ドラゴンステーキやオムライスなどの残り物だった。
「た、食べてなかったの」
「そうだよサカナちゃん、ボクは食べる方だと思ってはいるけど、あんな量をなんとかできるわけないじゃん」
散らばった残飯を、ニナはぐちゃぐちゃと踏みつける。
「そんなパフォーマンスで、食べ物を粗末にしてんじゃねーよ」
「命を冒涜している、とか言いたいのかなっ」
「自覚があるなら、なおさらだ」
「そんなこと言われてもね、ボクのお仕事っていうのは」
黒髪の少女はナイフを持った手で、自分の首を掻ききるような仕草をして、
「人を殺すお仕事なんだよっ」
悪びれる様子もなく、そう言った。
「ひ、ひとをころすって」
「ボクはギルドで働いているって言ったよねっ、でもギルドっていうのは冒険者ギルドだけじゃないんだよ?」
やっぱりか、とザッツは確信を持ったような言葉を呟く。
「暗殺者ギルドだな」
「詳しいねおにーさん、やっぱり裏社会の事情は詳しいのかな?」
暗殺者ギルドと聞いて、サカナが思い当たらないこともなかった。
金さえ払えば、罪のない人でも、要人だろうと、誰であっても殺してしまうという闇の組織の噂を、酒場を訪れた冒険者たちから聞いていた。
それを少女が口にすると、ニナは笑いながらそれを否定する。
「それは誤解だよ。暗殺者ギルドは正義の味方なんだ。…生きてたら世の中の為にならない人間っていっぱいいるでしょ。でも偉い人じゃ表立って解決できない問題のときにボクたちが動くんだ。だから存在は黙認されているの。平和な世界を作るために必要な歯車なんだからね」
「世の中の為にならない人間なんて、誰が決めるんだよ」
「そんなの偉い人に決まってるでしょ、偉い人が頑張ってるから世界はこんなにも平和なんだから。…まあ、ボクが言いたいのはね、誰彼構わずに殺すようなギルドじゃないってこと。それは分かって欲しいな」
「だったら、オレちゃんを殺すのも偉い人とやらが決めたのか」
ニナは首を横に振った。
「ううん、これはボクの私闘だよ。復讐とお仕事が被っちゃったら、優先しなきゃいけないのはお仕事なんだもん――これが偉い人の命令だったなら、あのレストランに入る前に首を落としてたに決まってるでしょ」
それができるだけの実力を、確かにこの暗殺者の少女は備えている。
目が見えていないのにも関わらず、狙いをつけての動きは全て命中させていたし、意識に生じる隙や他者の一瞬の死角を突いての体捌きは――どれだけの場数を踏んでいようと、動きを捉えることが難しいだろう。
「その技術は、全て暗殺者ギルドで学んだものか」
「そだよ? おにーさんを殺すために、ずっとずっとお仕事を通して磨いてきたものなんだ」
ニナがおもむろに、サカナの方へ体を向けると、
「よせっ、サカナは関係ないだろっ」
手に持っていたナイフを、そちらに向かって投げつけようとしている。
ザッツはすぐに防御に入ろうと体を動かそうとした――その時に。
「うんっ、そうだね」
投げられたナイフに目を奪われていたザッツは、脇腹に大きな衝撃が走ったことに気づいた――ゆっくりとそこに視線を移すと、ニナが手にしていたもうひとつのナイフによって風穴をあけられていた。
「が、ハ」
膝を折って床に両手をつくと、口元から赤い血がどっと吐き出される。
深手を負ったザッツから軽快なステップでニナは離れると、指先でナイフの背を弾いて楽しそうに、
「おにーさんっ、よそ見は危険だよっ」
と言った。
「こ、こんなのって」
ニナに投げられた方のナイフは、サカナの足元に刺さっていた。
意識を逸らすためのブラフだったらしい。
「こんなの喧嘩ですら――決闘ですらないじゃないっ」
「そうだよ? さっきから言ってるじゃないか、これはボクの復讐だってさ」
暗殺者の少女は、くすりと笑って四つん這いになっているザッツの髪を左手で掴んで持ち上げた。ニナが彼の顔を覗き込むように見下ろしている。
「見えないのが残念なんだよ。…おにーさん、今どんな表情してるのか気になるから教えて?」
「オレちゃんは…、いつでもイケメンだぜ」
「痩せ我慢なんてしなくていいよ。痛くてどうしようもないくせにさ。…そろそろ、思い出してくれたかなあ」
見るに耐えられなくなった、サカナが口を挟みにいく。
「ザ、ザッツ…、もう謝っちゃえばいいじゃない。きちんと心をこめて謝れば、許してくれるかもしれないでしょっ」
「お前までオレちゃんを疑ってんのか!」
「だ、だって、人にここまでさせるって、なかなかないしっ」
「あははっ、サカナちゃんは優しいね。…もしおにーさんがボクを満足させるような謝罪をしてくれるなら、命は取らないであげるやり方も、考えてあげてもいいかな」
「それは無理だ」
ザッツの即答した。
「なぜならオレちゃんは、お前さんの復讐の相手じゃねーからだ」
「まだそんなこと言ってっ、もっと痛めつけないと分からないのかな?」
「なら、お前の"あの日のこと"を語ってみろやっ、そうじゃないとこっちも納得いかねーんだよ。オレちゃんは人違いなんかで殺される気はさらさらねーからな」
ナイフを今一度突き立てようとする少女より先に、ザッツはそれをするだけの正当性を求める。
「わたしも知りたいよ。…どうして、ニナちゃんがそういうことするのか、そんなことになっちゃったのか」
「……」
ニナはしばらく無言のままでいたが、やがてナイフを下ろして口を開く。
「だったら話してあげる、おにーさんが何をやったのか」
黒髪の少女は静かに過去を語り始める。
「大陸の北西に、キルドライグ領っていう城塞国家があるのは知ってる?」
「堅牢な守りが自慢の城塞国家だったか」
「わたしはドラゴンがたくさん生息してるっていうのは聞いたことあるよ」
「ボクはその領内にある、小さな村で暮らしてたのさ。まだ小さかった頃の話だよ。みなしごだったから本当のお父さんとお母さんは知らない。村の人とは肌の色が違ったから、遠くの方から捨てられてきたんだとボクは思ってる。…でも、ボクを育ててくれたお父さんとお母さんは優しかった。実の子どものように愛情をこめて成長を見守ってくれた。でも八年前の"あの日"に悲劇は起こったんだ」
そこでひと呼吸置いて、話を続ける。
「あの日。ボクは村のはずれで一人遊んでいた。そこは入り組んでて誰も知らない秘密の遊び場だったんだ。でも、そこに見知らぬ男の人がいた。ボクと同じ肌の色をしてたから、外の人間だと思ったんだ。で、物珍しさに話しかけたらイーギルって名乗った。つまりおにーさんのことだよ」
「……」
「こんなところで遊ぶと危ないから村に帰ったほうがいいよって言われた。でも安全な場所だと分かってたからボクは退かなかった。根負けしたおにーさんは去っていったけど、追わなかったのがボクの失態だったんだ――遊び疲れて眠っていたボクは、門限の時間になっていたことに気づいてすぐに村に戻ろうとした。でも、近くにたどり着いたところで、様子がおかしいことに気がついたんだ。焦げ臭い匂いとか、誰かの叫び声とか――嫌な予感がしたボクは、村を一望できる高いところから様子を覗こうとした、すると」
ニナから放たれる憎悪に、二人の表情は凍りつく。
「おにーさんが、村を焼き払っていた。片っ端から村の人たちを剣で切り裂いていた。よくしてくれたおばさんも、無口で頑固なおじさんも、罪のないボクと同じくらいのこどもも、そしてボクを育ててくれたお父さんとお母さんも――みんなみんな、殺されてしまった」
少女は自らの目を両手で覆い、言葉を紡ぐ。
「おにーさんが動くたびに人が殺される。おにーさんが動くたびに命が失われる。…他人の命なんて、なんとも思ってないように――無表情で剣を振るい続けてた。この世にこんなにひどいやつが居るとは思わなかった。救いようがない悪そのものだった! 帰る場所もなくなって、大切なものを失ってボクは、ボクは――目を開けることができなくなっていた!」
そこまで言い切って、深呼吸をひとつした。
「それからボクがどうやって生き延びたのかは覚えてない。目でみる力の代わりに、世界を感じ取るための他の感覚が敏感になって――あの日から一年後には、その力を買われて暗殺者ギルドに入っていた。それから毎日は本当に大変だった。おにーさんを探すこと、殺すことを考えながら、自分を鍛えて、正義のお仕事をこなしていった。…そして時が過ぎて、偶然にもこうしておにーさんと出会うことができた」
くるりとナイフを回転させて、ニナは再び戦う姿勢を取った。
「ううん、偶然なんかじゃないよね。これはきっと運命なんだ。…ボクの長い時間をかけて培ってきた努力が、実を結ぶ瞬間なんだよっ」
「ニナちゃん……」
サカナは、言葉をかけることができなかった。
自分と同じくらいの年齢の少女が、そんな壮絶な人生を過ごしてきただなんて。
考えただけで押しつぶされそうだった。
「だから、おにーさん、悪であることを自覚して――惨たらしく殺されて欲しいな」
「なるほど、お前さんのことは十分分かった」
ザッツは波状槌を握り直すと、ニナの方をしっかりと見据える。
少女の語る過去には、いろいろとまだ気になる点がある。
それに、"あいつがそんなことをする"とは到底思えなかった。
「やーっぱり納得いかねえわ。てめーの話に出てくるイーギルってやつも、てめーの生き方もな。…オレちゃんムラムラしてきちまったから、やっちゃっていいよな」
ザッツは決心した。
過去のことも、これからのことも、何もかもに勝ちにいくのだと。
「叩き直してやるよ、お前さんの全てをな」




