其の五・最後の難関へ突き進め
『お前が陽香か?』
『そうだけど……あなた誰?』
『……お前の姉からの伝言だ。――「ごめんね」だと』
『…………そっか。わかりました。ありがとうございます』
ほんのちょっぴり、悲しそうに、だけど嬉しそうに。
目の前の少女は輝水の伝言にそう返したのを、輝水はまだ覚えている。
あれから数日。集める魂はあと三つとなっていた。
「よし、あと少しだな。ほら、行くぞ」
「…………ちょっと待った、輝水」
珍しく真面目な声音で、秋砂が不意に輝水を呼ぶ。
「何だ」
「……残り三つ。あの子の家族も三人。……覚悟を決めてもらわなきゃならないわ」
「あ、ああ……そういえばそうだったな」
残りわずかまで魂を集めれば、最後に待ち受けているのは、ある種最大の難関。
「アンタ忘れてたの!?信じらんなぁい!」
むっとして秋砂が声を荒げると、そこでようやく気付いたのか、香月が振り向いて怪訝そうな顔をした。
「ど、どうしたんですか?秋砂さん」
「ん?あ、あー、ちょっとねぇ。……あのさ、香月チャン。今一度確かめてもいいかしら」
「はい?」
何だろう、と思っている香月に、秋砂は問う。
「アナタ、本当に死神になろうと思ってる?」
「え?」
「何があっても、死神になること、出来る?」
それを何故、今尋ねるのだろうか。
香月は分からないままに、頷いていた。
「…だって、他に道はないですし」
「そういうことじゃないのよぉ。…うーん、輝水クンも何か言ってやって」
「結局呼び方戻すのかよ。…あのな香月。お前がこれから狩るのは――」
輝水が後を次いで説明しようとした時だった。
『一体これはどういうことなの!?』
びくん、と香月は身を震わせる。
その声は、自分を縛る鎖。傷つける茨。
「……あ……」
遅かったか、と二人は苦い顔で成り行きを見守る事にした。
「おか、あ、さん」
気づけば、香月の目の前には、母親の魂が居たのである。
『か、香月……?何……しているの、あなた。死んだはずでしょう!?』
「あー、母親だな。こいつは死神になった。で」
死んだばかりの魂。その額に刻まれた印を見やって、輝水は笑ってみせると、告げた。
「お前は今から、自分の娘に魂を狩られる」
それに驚いたのは、香月。
「い、いいんですか?」
『ふざけないでちょうだいっ!!』
「アナタに拒否権は無いのよぉ、おかーさま?その額の印と態度じゃあ、どのみちアナタは救われないわ」
『何なんですかあなた達!人の娘をおかしな道に引きずり込んで!!大体死神なんて……馬鹿馬鹿しい!!』
ヒステリックに叫ぶ母親を、香月は冷たい目で見やった。
相変わらずだ。その性格も、神経も。
「……どうして死んだんですか?殺しても死にそうになかったのに」
生きて居る時はあれ程願ったものだ。大きな病気になりはしないか、何か事故に巻き込まれて動けない怪我でもしないかと。
だが、そんな事は起こらないまま、香月は死んだ。
それが今、こうして彼女も死んでいる。
しかしその事にも納得がいっていないらしく、母親はまたしても怒りをそのまま彼らにぶつけた。
『冗談じゃないわ!私がどうして死んだかなんて、私が訊きたいくらいよ!お茶を飲んだら、急に胸が苦しくなって……ああ、きっと心臓発作ね!よくあることだもの!』
「型にはめた思考能力の典型だな」
呆れるほどに自分が正しいと思っている発言。それが香月は大嫌いだった。
「さ、香月チャン。やりなさい。あなたが死神になる為に、これは必要な事なのよ」
秋砂が促す。しかしそれを聞いた母親が、またしてもキッと三人を睨みつける。
『そんな子が死神になんてなれるものですか!まともな人間にもなれなかったくせに!私達にとって、要らないものばかり持って生まれて、よくそこに居られるわね!!』
「親馬鹿ならぬ馬鹿親か」
「そこまで要らないって決めつけて捨てた物を拾われて大事にされている気分はどうかしらぁ?おかーさま」
くすくすとからかうように笑う秋砂。
「自分の娘に踏み台にされる屈辱を知るのよ、アナタはね」
『香月!お母さんの言う事が聞けないの!?どこかへ消えてちょうだい!!』
――ざしゅっ!!
目にも留まらぬ速さで、香月は目の前の母親だった魂を切り捨てた。
俯き加減のその顔からは、何も分からない。
だが、零れた言葉は普段の何倍も冷たかった。
「消えるのは、あなたです」
『か……げつ……』
驚いたような表情と、声。
それきり、魂は消えてしまう。
静寂が戻り、輝水がふっと息を吐いた。
「あと二人…だな」
「……先に言っておくわ。この二人が誰かは、もう決まっているの」
秋砂の言葉に、香月の顔が上がる。
出来たら聞きたくないというそんな表情を見ても尚、秋砂は続けた。
「アナタの父親と、妹よ」
母親は簡単だった。
父親も、きっと同じくらい簡単にいくのだろう。
もううんざりだと、陽香は思っていた。
誰かの為に勉強を続けるのも、言いなりになるのも。
所詮は何も出来ない子供だと侮られているのさえも。
「……お姉ちゃん、待っててね」
ぎゅっと白い粉の詰まった小瓶を握り締め、陽香は呟く。
もうすぐだ。もうすぐ、全てが終わりになる。
そうしたら、自分も楽になれるのだ。
時計の針は、夜の7時になろうとしている。
母親の体はとうに冷たくなり、陽香は台所に転がっていたそれを、どうにか普段使わない部屋へ押し込めて、戸を閉めておく。
そろそろ父親が帰る頃だ。その為にお湯を沸かして、準備をしておこう。
嫌だ、と香月は喚いた。
「何で陽香まで!?そんなの絶対嫌です!!」
「だけど決まっているの。これは逆らえないし、どうしても決まっている事なのよ、香月チャン」
なだめようとする秋砂だが、これまでとは違う香月の反発ぶりにさすがに手を焼いている。
「お父さんはいいんです。でも、陽香だけは……っ!!」
「いい加減にしろ、つーか黙れ」
がんっ、と容赦のないげんこつが、輝水から下された。
「痛いじゃないですか!!」
負けじと香月も輝水をひっぱたく。
「うわっ、香月チャン!?」
何て事を、と秋砂が目を丸くしているが、二人は睨み合ったまま、動かない。
「……だったらお前、今からオレに狩られるか?死神になるのを、手の届く寸前で諦めるのか?」
問いに、香月の瞳は揺らぐ。
「は、陽香以外の人なら構いません!」
「そうはいかねえんだよ。オレも秋砂も他の奴らも、同じ場面通ってきてんだ。お前一人だけ免れられるとか甘い夢見てんじゃねえ」
「……そうよ、香月チャン。何だって一緒よ。自分の手を汚さずに、何も手には入らないわ」
人が人を踏み台にするのと同じだと、彼らは言う。
だが、どうしても香月には納得出来なかった。
そもそも、どうして今日、一家全員が死ななければならないのか、それさえも分からないのに。そう香月が言えば、輝水は苛立たしげに短く返し。
「んなもん知るか。そう決まってるんだよ。この間の大事故と同じくな」
「決まってる?陽香はまだ死んじゃいけないんです!あの子は私と違って頭が良くて、何でも出来る子なんです!必要とされてるんです!」
「それでも死ぬのよ。……何でかは分からないけどね」
辺りはすっかり暗くなっていた。父親も帰ってきたのを見ている。それでもまだ、死ぬなんて思えなかった。
「何なら見に行くか?どうして死ぬのかを」
香月の家を見下ろし、輝水が問う。
そして、香月は頷き――知る事になる。
この悲しみは、誰が生み出したものなのかを。
さら、と僅かに粉がコーヒーに混じっていく。
心臓を止めるなら、この量で充分だ。
学校からこっそり持ってきた、劇薬の一種。誰にも気づかれず、誰にも不審がられず、確実に陽香の手に入った物。
「どうぞ、お父さん」
コトン、とマグカップが置かれて、父親は嬉しそうに陽香を見る。
「ありがとう、陽香。お前は優しい、いい子だよ、本当に」
そう言って早速一口飲み――その顔は見る間に色を変えた。
「っ……!ぐ……ぅ……ッ」
カップを置いた父親は、苦しげに床にくずおれる。
陽香がそれをただ見ていたのに気付いて、同時に知った。
――自分を死に至らしめる、その存在を。
「は、るか……なぜ、っ」
「さよなら、お父さん。大嫌い」
にこりと、いつものような微笑みを浮かべて、陽香は母親の時と同じように告げる。
それが最期に見た、父親の光景。
倒れて動かなくなった体から、ぼんやりと光る珠が浮いていく。
それを見ていた香月は、もうどうしたらいいのか分からなかった。
「……陽香……」
妹が、両親を殺したのだ。あの毒で。
輝水も秋砂も、まさかと思っていた事に唖然としている。
そんな中、声が響いた。
『なっ……何だ、ここは!?空の上!?』
それは、気が付いたのか、慌てふためく父親で。
『…………香月!!』
やはり彼もまた、娘の姿を見て驚いていた。
『お前何をしているんだ!いや、そもそもこれは一体なんだ!?私は夢を見ているのか!?』
「現実を見なさいよ、おとーさま。アナタはたった今、自分が溺愛していた娘に殺されたのよ」
秋砂が歯に衣着せぬ物言いで父親へ告げると、彼は愕然とした顔になり。
『そ、そうだ……私は陽香に……いや、何かの間違いだ!そうだ、お前が何かしたんだな、香月!?お前が死んでも尚、陽香を唆したりするから、陽香はあんなことを……!!』
次いで紡いだのは、何故かとうに死んだはずの香月へ対する、断罪の言葉だった。
さすがに輝水も呆れた顔になる。
「馬鹿なヤツだな。死神が生きた人間に出来ることなんて、たかが知れてる」
「そうよぉ。大体香月チャンみたいな良いコが大事な妹にあんな真似させるわけないでしょぉ?」
『何だね君たちは!君たちが香月に余計な事を教えたのか!?』
「何も教えなかったヤツよりマシだね」
どうやら父親も父親で大概らしい。額の印を見ても、それはうかがえることだった。
「大体お前ら、こいつを何も出来ない馬鹿だって言ってただろ。何も出来ない馬鹿が何かすると思ってんのか」
呆れた物言いになる輝水に、父親は腹立たしくなったらしい。攻撃対象を輝水に絞ってきた。
『顔も見せないような男に言われる筋合いはない!大体何だね、その恰好は!娘にこんな格好をさせて、一体何様のつもりだ!?人の娘を好き勝手使わないでもらおうか!』
「それこそアンタ、何様のつもりかしらぁ?今まで散々娘じゃないって言い張っておいて、都合のいい時だけ娘扱いなんて、もぉ虫唾が走るわぁ」
あぁやだやだ、などと秋砂が横から口を出す。
「……陽香が、こんなこと、するわけない……どうして……」
だが、香月だけがまだ、目の前で妹が人殺しをしたショックに落ち込んでいたのを見て、さすがにまずいと思い始める。
「ちょっと香月チャン、アナタ父親見えてる?今アナタが狩らなきゃならないのは、父親よ」
「香月、さっさとやれ。うっとうしい」
輝水も相手に苛立っていたのだろう、ぞんざいになる。
「……あなたが、何かしたんですか」
不意に香月が父親へ意識を向けた。
「あなたが、陽香がこんなことをするようなことを……したんですか?お父さん」
『な……私がだと!?ふざけるな!!何も出来ない無能者だったお前に、何が分かると言うんだ!!』
父親は娘の言葉で、瞬時に態度を切り替える。
『大体、お前は小さい頃から何も出来なかった。何をさせても、駄目だった。私達の期待を裏切り続けた!そんなお前を育ててやった恩も忘れて、陽香に何をした、だと!?ふざけるのも大概にしろ!』
「――ふざけてんのはどっちだ、おい」
輝水が怒りを込めてそこに口を挟んだ。
「自分の娘は都合のいい道具か?ペットか?そんな考えだから下の娘が殺意抱いたんだろうがよ」
「ま、アタシでも殺したくなるかもねぇ、こんな両親じゃ」
うんうんと頷いて、秋砂も同意する。
「…………陽香は大嫌いって言ってました。だから」
ぎゅ、と香月は鎌を握る、そして、振り上げる。
「私もあなたが大嫌いです。お父さん」
――ザンッ!
仇を討つかのように、袈裟切りをする香月。
父親は瞠目し、最後に呟いた。
『ふざけるな……私たちが……どれだけ……』
そして、言葉は紡がれ終わる前に魂と共に消える。
「よし、静かになった」
一つ頷いて、輝水がすっきりしたように呟いた。
「残るは、お前の妹だが――」
どうなったのかなど、訊く暇も無かった。
『お姉ちゃんっ!!』
魂の姿で飛びついてきたのは、世界で唯一大好きだった、妹。
「陽、香」
『会いたかった!こうして会えるなんて、嬉しい!!』
涙さえ浮かべて、陽香は香月にしがみつく。
「……おい、妹。お前どうやって死んだんだ」
だが、輝水が厳しい顔で問いかけ、そこでようやく香月もはっとなる。
『あっ、いつかのお兄さん。あの時はありがとう』
陽香がそこで顔を上げて。
香月はそうして、見たくないものを見てしまった。
『あたし?残った毒で、死んだよ』
――妹の額に浮かぶ、両親と同じ印を。




