其の六・悠久なる追及を
陽香は幼い頃から、勉強がよく出来た。
字も言葉も覚えるのが早かったし、教師や親の言う事をよく聞いて大人しくしていた。
だが、いつからだったか。
『陽香と違って、香月ときたら……!』
『あれは私達にとって、最大の汚点だな』
両親の言葉の意味が分かったのは。
姉が敬語を使う意味が、分かったのは。
だから陽香は、姉に強いた。
『妹のあたしにだけは、敬語を使わないで』
姉は、ただそれに従った。疑問さえも口にせずに。
――姉が、脳の障害にかかっているのではないか、と疑い始めたのは、あるテレビドラマのせいかもしれない。
その子供はただ純粋で、勉強が出来ず周りとの和も取れず、孤立し、いじめを受けていた。
姉の姿がその子供にかぶったのだ。
だから、陽香は必死で勉強を重ねた。
姉が本当に障害なのかを知る為に。それを両親に伝え、周りに伝え、姉が蔑まれるべき存在ではないのだと知らしめたくて。
だが、その夢は潰えてしまった。
姉は高校に落ち、両親から心無い暴力を浴びせられ、飛び出してそのまま、列車にはねられたのだから。
――姉が死んだと知ったのは、不思議な夢の中。
姉の伝言を届けに来たという、不思議な男からの、たった一言。
それからはずっと、陽香にとっては、空虚な日々が始まった。
『あたしね、お父さんもお母さんも、大嫌いだった』
陽香は呟くように言った。
『いつもお姉ちゃんの事をひどく言って、自分たちは悪くないって顔して。あたしね、お姉ちゃんの事、馬鹿だなんて思った事ないよ』
そんな事は知っている。だからこそ、一緒に居れたのだ。
『本当はすぐにあたしも死のうとしたんだよ。でも、お父さんとお母さんだけがずっと生きているなんて、それこそ許せない。本当に死ねば良かったのはあの二人なのに』
「だからって毒殺か。お前は本当に子供か?」
輝水が疑問に思いながら問うても、事実は変わらない。
『うん、中学一年だよ』
それも、近隣では有名な進学校に通う、だ。
普通の中学生とは違う。
「……それで、アナタはお姉ちゃんに狩られる覚悟はあるのぉ?妹の陽香チャン」
秋砂の冷たい問いに、陽香はあっさりと頷く。
『もちろんだよ。お姉ちゃんが嫌だって言ってもね』
「大した覚悟だ。そんなに姉が好きなら、何で追いかけて止めてやらなかったんだ?」
『それも、後悔してるの。何であの後、熱出しちゃったのかな。追いかけなかったのかな、って』
姉が飛び出した後、陽香はすぐに高熱を出した。
まるで姉の死を邪魔させないかのように、それは一晩で治ったのである。
『だけど、もういいんだ。こうしてお姉ちゃんに会えたから。お姉ちゃんの役に立てるなら、それで』
「アナタはもう、どこにも行けないわよ。消えてなくなるだけ。それでも?」
死神に狩られた魂の行き先は、消滅だ。
そうしなければ、魂が溢れかえり、転生さえもままならなくなるという。
死神は別名、掃除係とも言われているらしい。
そんな相手に消されるのが、本当にいいのかと秋砂は問うているのだ。目の前のまだ幼いとも言える少女に。
だが、少女はそれでも結論を変えなかった。
『いいよ。お姉ちゃん、ほら、その鎌であたしを狩って』
「……出来ない」
ふるふる、と香月は首を横に振って後ずさる。
『駄目だよ。あたしはその為にここに居るんだから』
「香月!同じことを言わせるな!お前がこいつを狩れないなら、オレがお前もこいつも狩る事になるんだ!」
輝水が怒鳴るが、それでも香月は嫌だと青ざめて首を振るばかり。
仕方ない、と秋砂も言い募った。
「駄目よ香月チャン。アナタは何があっても死神になると言ったでしょう?そして、そのコを狩らなくちゃいけないという話もしたはずだわ。それなのに今になって出来ないとは、アナタには言えないのよ」
「でも……でも、陽香は……私の一番大事な家族で……」
『お姉ちゃん。今お姉ちゃんがあたしを狩らなかったら、あたしはどうなるの?何の為に死んだの?』
「死んで欲しくなんか無かった!!」
香月が声を荒げる。
「何で死んだの!?あたしと違って、あなたは死ぬ必要なんか無かったじゃない!!生きていれば、皆に愛されて幸せになれたじゃない!!どうしてぇっ!!」
『…………お姉ちゃんの居ない毎日なんか、幸せじゃないよ』
悲しそうに、陽香がそれに静かに返した。
「……え?」
『どうしてお姉ちゃん、死んだの?お姉ちゃんに死んで欲しいなんて、あたしだって思ってなかったのに!!』
同じように怒鳴られて、香月もはっとする。
――死んで欲しくないのは、どちらも同じ。
『だから、お姉ちゃんは、あたしを狩るの。お姉ちゃんのせいで、あたしは自殺した。お父さんとお母さんを殺した!お姉ちゃんが生きてたら、あたしはそんなことをしなくて、幸せな毎日を送れたんだからね!!』
「……正論だな」
輝水がぼそりと呟く。
「おい、香月。もう分かっただろう。こいつはこいつの勝手で死んだんだ。お前にどうこう言う権利はない。分かったら狩れ。時間が無い」
言われて気づく。陽香の周囲に、黒い靄が漂い始めていた。
「…魔物が嗅ぎつけてきたわね。香月チャン。今すぐ妹チャンを狩りなさい。でなければ、そのコは魔物と同化して、もっと苦しい思いをするわよ」
それでもいいの?と問われ、香月はうろたえる。
『お姉ちゃん……早く……何だか、息苦しいの……』
「は、陽香……っ」
「やれ、香月。お前だけにしか出来ないんだ」
輝水の言葉が、やけに響く。
『うあ、あっ……!!おね、え、ちゃ……』
靄に絞めつけられ始めた妹を、これ以上見たくなくて。
「――――うわあああああああっっ……!!」
悲鳴と共に、香月は鎌を薙いだ。
ざしゅっ、と音がして、靄は霧散する。
『ありがとう、お姉ちゃん。大す――』
言葉は、最後まで聞こえなかった。
だけど、香月には分かる。
「…………き」
最後の一文字を、自分で呟いて、唇を噛みしめた。
それでも、涙は零れ落ちる。
「――っ」
もう、何もない。自分を傷つける者も、そして、愛する者も。
鎌を手放せば、何もない空中で、それはがらんと音を立てる。
次いで膝ががくりと力を失い、くずおれて。
――香月は、泣き伏した。
「うわああああああああん、陽香あああああああああっっっ…………!!!」
上り始めた月は、その悲鳴のように欠けて赤く滲んでいる。
それ以上をどうしようも出来ず、ただ、輝水と秋砂は見つめるのみだった。
他者の命を奪う事は、罪となる。
だが、自分の命を自分で奪う事は、それ以上の罪だ。
死んでしまえば、人間にはもはや、裁けないのだから。
香月は胸に付けられた正式な死神の証であるピンバッジを見て、顔をしかめる。
「…………私は、自分を殺すことで誰かを苦しめていたんですね」
――最終試験、合格。
事の顛末を見届けたらしき冥界の人間が来て、そう告げた事で、香月の哀しみは強制的にそこで終了となってしまった。
あれ以来、涙は零れない。
「人間なんて、傲慢なものよぉ。アナタにはまだ難しいかもしれないけどぉ」
認定と昇格の為に冥界の本部へ来ていた香月の元へ、秋砂が顔を出して呟きにそう返してくる。
「だから、これからが本格的な償いだと思いなさい。誰の為でもなく、自分の為でもない命への償いは、もっと重くなるわよ」
「……はい」
立ち止まる暇はない。歩いて行かなくては。
そこで、はたと思い出した香月が問う。
「あの、輝水さんは来ないんですか?」
「あらら?アナタ何も聞いてないのかしらぁ?」
だが秋砂がきょとんとしてそんな事を返して。
そこに扉が勢いよく放たれた。
「おいこら香月!いつまで準備してんだ!さっさと来い!」
「へ?」
噂をすれば何とやら。
当の輝水が、今までとは違う格好で入ってきた。
「準備が終わったらすぐに出てこいっつったろ!秋砂てめえ、迎えに行ったくせに何談笑してやがる!」
相変わらずの短気ぶりである。
しかし香月は、未だきょとんとして的外れな事を輝水に尋ねた。
「えー、輝水さん、どうしちゃったんですか?いきなりそんな死神らしくない服着て――あいたっ!?」
「上から押し付けられたんだよ。いいから来い、相方」
「押し付け……え、相方?誰がです?」
またしても殴られた頭を押さえて、香月は訳が分からないまま立ち上がる。
「お前だお前。詳しい話はこれからだが、何の因果か、オレはお前と組む事になったんだよ、香月」
そんな新しい相方に、イギリス紳士のような服を着た輝水がシルクハットを押さえながら苦い顔でそう答えた。
「えーっ!?また殴られたり怒鳴られたりするんですかあ!?」
途端に香月は不平を口にし、事情を知っていたらしい秋砂がにこやかにそれを宥める。
「もぉ、香月チャンってば。これからはやられたらやり返せるから大丈夫よぉ」
「え、そうなんですか!?良かったー!」
「良くねえ!!もう一回殴るぞ!?それと秋砂、てめえはいい加減にしろ!元男だって分かってるから気持ち悪いんだよ!!」
え、とその場の空気が一瞬凍った。
「……秋砂さん、男?」
香月のぽそっとした言葉でその空気は砕け。
「…………おいこら、輝水。てめぇ何バラしてんだぁっ!?」
ごすっ、と輝水の倍は重い音のするげんこつが、輝水の頭に響く。
「……人間の頃は男だったのよぉ。で、ちょーっとお願いしてぇ、死神になる時に女にしてもらっちゃった」
てへ、と可愛く笑って見せても、今見た凄みは消せるものではない。
香月はさすがに少々青い顔をして、「へ、へぇ……」とだけ返しておいた。
「で、たまにこうして地が出るわけだ。気を付けろよお前」
「何がですか?」
「他の奴らにバラしたら、今みたいに鉄拳制裁が下るからな。むしろ忘れろ」
「……い、言いません、絶対」
あんな痛そうなげんこつを食らったら、再起不能になりそうである。輝水はよく無事でいられるものだ。
香月はしっかりと、秋砂の過去を忘れる事にする。
「じゃあ、聞かなかった事にしますね!」
「それはそれで、何だか悲しいわねぇ……。ま、いいわ。ほらほら、時間押してるわよ。早く行きなさい」
言われてはっとする。ここで楽しく談笑するのは、後でも出来るのだ。
「やべっ!おい行くぞ香月!組んで早々罰則食らいたくねぇならな!」
「は、はいっ。じゃあ秋砂さん、行ってきます!」
秋砂に一礼した香月は輝水と部屋を飛び出していく。
そうして、着いたお偉い方の部屋で遅れた事について早々に説教を受け、次いで死神となった香月への講習が説かれた後、二人はようやく解放された。
一度部屋へ戻りながら、香月が問う。
「そういえば、輝水さん。あの時私が死んですぐに色々尋ねた人。あれは輝水さんだったんですか?」
「は?何を今さら。当たり前だろうが」
「えー、全然わかりませんでした。だからですね、輝水さん。今こそもう一度訊きたいんですが」
真剣な顔で、香月は輝水を見て、口を開いた。
「私が償わなきゃいけない理由を、教えてください」
「………………何だと?」
待てお前、と輝水はこめかみを押さえた。
何故今になってその問いだろうか。とっくに解決したはずの疑問ではないのか、という思考が輝水の頭をよぎる。
「自殺が悪いことも、そのせいで他の人を苦しめたことも分かりました。でも、それがどうして償いになるのか分からないんです」
「いやいや待て待て?だから償うんだろうが」
「分かりません」
――なるほど、と輝水は納得した。
「お前は本物の馬鹿だな。香月」
む、と香月がそこで顔をしかめる。
「だから何だって言うんですか」
「何故償わなきゃいけないのか。それはお前が馬鹿だからだ!」
「えええええっ!?どうしてそうなるんですか!!」
「何の為に試験受けたんだお前!?」
あの大事故や最後の家族狩りは、命の重み、その大事さと繋がりを知らしめるために設けられた特殊なシステムだ。
どうあっても、死神となる者はそれから逃れられない。
だから、香月はこれから知らなくてはならないのだ。その為にも。
「……まあいい、時間はいくらでもある。悠久の中で、いくら馬鹿なお前でも分かるように、このオレが、懇切丁寧にこれからも指導してやる!ありがたく思え!」
びしぃっ、と香月を指さして輝水は言い放った。
真新しい衣装である紳士服が、妙な違和感を醸し出している。
しばしそれを見つめた香月は、まっとうな事を次いで言い放った。
「輝水さん、人を指さしてはいけないんですよ」
「……その前に、お前は自分の発言を顧みろ――――っ!!!」
ごす、と、廊下でいい音が響き渡る。
その後、派手に喧嘩し始めた二人の騒がしさに苦情が寄せられ、彼らはあえなく外に放り出されたという。
この二人が歴史上稀に見る程の優秀な働きを見せて有名になるのは、まだまだ先の話。
―終―
これにて、完結です。まったり進めるつもりが、かなりハイペースになってました。
命の重さ、というと逆に軽々しく感じますが、その先にあるものを考えることで、言葉というのは重みを増すものではないでしょうか。
この話での誰かの言葉から、行動から、何か一つでも伝わればいいな、と思います。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
宮原桃那




