其の二・魂の狩り方
――香月は、幼い頃より頭が良くなかった。
成績は下の下。いつでもお情けで進級させられるような生徒であり、だが両親はそんな彼女の事を心配どころか疫病神のように扱ったのである。
『またこんな成績……!一体どうしてこんな馬鹿な子が生まれたのかしら!』
『お前はうちの恥だ。陽香を見ろ。いつもクラスでトップ、何でも気が付き、誰にでも平等に接する態度で先生からも同級生からも羨望の的だというのに……』
いつも妹と比べられた。それでも、妹を恨む事は、香月には出来なかった。
『お姉ちゃん、お姉ちゃん、アイス一緒に食べよう!』
他の子達は、「あいつと一緒に居ると馬鹿がうつる」と言って触れもしない。
『今日はね、帰り道で面白い看板を見つけたの!お姉ちゃん明日、一緒に帰ろう!』
こうして、他愛のない話もしてくれない。馬鹿だから、きっと分からないからと。
確かに分からない。約束もすぐに忘れる。だが。
『――お姉ちゃん、もうっ。一緒に帰ろうって言ったでしょ?ほら、こっちこっち!昨日言ってた看板、見せてあげる!』
妹はそれでも、約束を覚えて、それを怒らずに、そして遂行までしてくれるのだ。いつも、いつも。
『私と一緒に居たら、陽香まで怒られるよ』
『何で姉妹仲良くして怒られるの?それっておかしいじゃない。あたし、お姉ちゃんのこと、大好き。お姉ちゃんと一緒に居ると、何も難しい事知らなくていいんだもん』
『何それ?』
『皆、あたしに難しい事ばっかり教えるの。すーがくのこーしきとか、こぶんのなんとか、みたいなの。中学に入るのに必要なんだって』
香月には、覚えたくても覚えられなかったものだ。
数学の公式、古文の活用形。そういうものは、どうしても頭に入らなかったのである。
そうして楽しく話しながら家に帰ると、だが幸せはすぐに壊された。
『また陽香に面倒かけて!姉のくせに一人で帰れないの!?』
『違うよ、あたしが一緒に帰りたかったから……』
『まあ陽香!携帯を買ってあげたじゃない。迎えが欲しいなら呼んで、って』
自分にはそんなものなど扱えないと言って、与えられなかった。
今時誰もが持っているそれさえも、香月にとっては手の届かない物。
『……お姉ちゃん、行こう』
それでも、それを使わずに陽香はぎゅっと香月の手を握って、二階の部屋へ行くのだ。
そんな日が、毎日続いた。
だが、それが悪化するなんて、思ってもみなかったのである。
――香月は、目の前が真っ暗になるかと思った。
自分の番号が、無い。どこを見ても。
『……落ちた』
呟いた現実が、絶望を与える。
県内の、一番ランクの低い学校。それでさえも、受かれなかったなんて。
家に帰れない。どうすれば。
その時、肩が叩かれた。
『香月じゃーん?どしたのよー』
同じくらい馬鹿であろうはずの彼女は、にやにや笑って受験票を振って見せる。
『あたしでも受かったんだから、いくらなんでも、香月だって――』
だが、香月の顔色に、からかいを止めた。
『え?嘘?あんたマジで……』
『どこ、見ても……無かったんです。私の、番号が』
陽香以外には敬語を使う香月を、誰もが不思議に思わなかった。そういうものだと。
そして、それは当然だと思ってもいた。
『ま、マジ!?マジ!?ちょっ……どんだけ出来てなかったのー!?』
げらげら笑う彼女にはきっと、分かるまい。
香月は蹴り落とされたのだ、彼女に。
笑い転げる彼女をそのままに、香月は帰る。帰りたくもない、家へと。
当然、両親が黙っているわけがなかった。
『このっ……恥知らずが!』
ぱん!と父親からは平手を受け、母親からは冷笑を浴びせられる。
『本当に、信じられない。あなたはきっと間違って生まれたのね』
『ごめん……なさい』
唇の端が切れて痛い。鉄の臭いと味がした。
そこに割って入ったのは、出来の良い妹。
『やめて!お姉ちゃんをこれ以上傷つけないで!』
『庇うことなんて無いのよ、陽香。その子は要らない子なんだから』
『そうだぞ、陽香。…香月、この家から追い出されないだけ感謝することだな』
唇の端が痛むのも構わず、香月は唇を噛む。
もううんざりだ。何もかもが。そう思って――家を出た。
『…………死んでやる』
吐き捨てるように、そう呟いて。
「―――!!」
はっ、と香月は我に返った。
「……嫌なもの、見ちゃった」
「居眠りしてんじゃねえ。目の前の現実を見ろ」
隣で声がして目を瞬かせる。そう、今の香月はもう人間ではない。
その証拠に、たった今事故があったばかりの光景が見えていて、光を纏った魂がゆっくりとこちらへ上がってくるところだったのだから。
『あれー?何ここー。あたし何でここにいんのー?』
その姿を見た香月は目を丸くした。
「…………加奈子さん?」
自分を蹴落として、高校に受かったはずの元・クラスメイトが何故ここに居るのか、意味が分からない。
だがそれを見て、ぼそりと輝水が耳打ちする。
「……そいつを狩れ、香月」
「へっ?」
みれば、額には奇妙な模様が浮いている。
「忘れたのか。あの模様がある奴は、無条件で狩っていいんだ」
放っていても魔界行きになる魂だと輝水は以前言っていた。
つまり、彼女はそうされる何かをしたということで。
つと、その彼女がこちらを見て――瞠目した。
『え……うっそ、香月?香月じゃん?』
ふわりとこちらへ来て、驚き笑いながら声を掛けてくる。
『何してんのあんた、そんなもん持って。え、なに、死んだ後も何か色々やらされてるわけ!?』
ぎゃはははは、と下品な笑い声を立てる加奈子を見て、輝水が眉をひそめる。
「……お前以上に馬鹿そうな女だな」
「成績なら、ほとんど同じでした」
そんなやり取りも聞こえてないのか、加奈子はけらけらとまだ笑いながら言った。
『いやほんと、あんた居なくなってから皆退屈でさー。何しろイジメる相手消えちゃったじゃん?でさー、あたしにそれがきてー、もーマジ迷惑って感じ?やってらんなくてクスリに手ぇ出したら、色々どーでもよくなってー、んで誰かの車勝手に乗って、気付いたらここに居たんだけど、何、あたしもう死んだ?』
「……死にました。前方のトラックと正面衝突を起こして」
トラックの運転手はかろうじて生きているようだった。だが、ここは人通りの少ない道路。見つからなければ、いずれ死ぬだろう。
下を示されて見下ろした加奈子は、少しの間黙り、ややしてまたけらけらと笑った。
『あっははは、あんたが自殺した意味、何か分かったかもー。嫌んなるよねぇ。人が人を見下して、誰かの上に立たなきゃまともにも生きてられないんだよ?たまたま、あんたがあたしの踏み台になっただけで、そのあんたが死んだ今、あたしが誰かの踏み台になったわけでー?もー、バッカじゃないって思うんだよねー』
「……そろそろうるさいから狩れ。でないと魔物に持ってかれるぞ」
だが、香月はぎゅっと鎌を握り締め、問いかけていた。
「私を…踏み台にしてたんですか?あなたは……」
俯き加減のその表情からは、何も見えない。
加奈子はきょとんとして、次いでまたげらげらと笑い出した。
『あたしー、援交してたヤツが居て―、コネであそこの高校入れてもらったんだー。ごめんねぇー』
それだけのことで、自分は死んだのだ。死を選ばされたのだ。
香月は、鎌を持つ手の震えを押さえながら、声を絞り出す。
「あなたが居なければ……良かったんですね」
『ま、それはこっちもだったしー、お互い様って感じー?あ、そろそろあたし天国行っていい?』
もう十分だろう。輝水は香月に再度、囁いた。
「やれ、香月」
――今度は、踏み台にする番だ。
「行けるわけないから、あなたはここに居るんですよ」
ようやく顔を上げた香月を見て、ようやく加奈子は笑いを止めた。
『うっわ、うざー……本気で怒るなら、生きてる時にそうすりゃ良かったじゃん、馬鹿だねー』
「ええ、馬鹿です。そして、逃げないあなたも、馬鹿ですよ。加奈子さん」
――ザンッ!
香月は鎌を片手で横に薙ぎ、加奈子の魂を胴から真っ二つにする。
『…………な、んで?』
「あなたはどこにも行けません。さよなら」
しゅうう、と煙のように加奈子は消えた。
同時に、ふわりと浮かび上がるのは、知らない男の魂。
『な、何だここ――うわっ、お前ら誰だ!?』
だが香月は、何も言わずに今度は彼の魂も狩ってしまう。
『…………なんだよ、これ……オレが、何をしたってんだ……』
「わりいな、おっさん。こいつが切れてる時に出くわしたのが、運のツキだ」
彼はそれ以上何を言う暇もなく、消えてしまった。
「…………ほら、さっさと次行くぞ、香月」
黙り込んだ香月の頭をポンと叩く輝水の言葉に、小さく彼女は頷く。
「お前はその切れた状態だと、オレ以上に無慈悲になれるんだ。…だからこれまでも、数々の試験をギリギリで突破出来た。それを忘れなきゃいい」
「好きで、こうなってません」
「だが必要なんだ。……あと何個だ?」
問われて、ポケットに入れていたデジタルの小さな機械を、香月は取り出して輝水に見せた。
そこには「残・189」とある。
「……まだまだだな。病院でも行くか。あそこは魂も多い」
「はい……」
香月は、切れた後はしばらく落ち込む。
今回においても、それは例外ではないのであった。




