――第7話 ふるふる――
「それで? この車はどこに向かっているのかしら。」頬杖をつきながら、フィアは不機嫌そうに目の前のエレナへ問いかけた。
朔夜たちを迎えに来たのは黒塗りのリムジンだった。
ただし、朔夜の知る車とは少し違う。
車輪がなく、車体そのものがわずかに浮遊している。
もっとも、それがこの世界の一般的な乗り物というわけではないらしい。
窓の外を走る車の多くには普通にタイヤが付いていた。
車内は広く、ちょっとした応接室のような造りになっている。
中央にはテーブルが置かれ、その両側に向かい合う形でソファが備え付けられていた。
朔夜はエレナと対面する位置に腰を下ろし、その隣にはフィアが座っている。
テーブルの上にはワイングラスとボトルが置かれていた。
もっとも中身は酒ではない。
朔夜に合わせたのだろう、グラスにはぶどうジュースが注がれていた。
リムジンは驚くほど静かだった。
振動はほとんどなく、動いている感覚すらない。
窓の外の景色だけが流れていく様子は、まるで大型のモニターに映像を映しているかのようだった。
「朔夜、お前の活躍について上層部へ報告したところだな、とんでもない方からお呼びがかかったのだ。」エレナは隠しきれない興奮を滲ませながら言う。
「へえ。あ、これうま。」朔夜はぶどうジュースを一口飲みながら感想を言う。
「いやな予感しかしないんだけど……」フィアは露骨に眉をひそめた。
「なんとエレジア様だ!」
「……誰?」朔夜が首を傾げる。
すると、隣に座るフィアは額に手を当て、だはー、とこれ以上ないほど大きなため息をついた。
その反応だけで、どうやら相当フィアのお眼鏡にかなわない人物らしいということだけは伝わってくる。
「おまえ……エレジア様も知らんのか……?」エレナが信じられないものを見るような目で朔夜を見る。
「この子については本当に何も知らないと思ってもらった方がいいわ。生まれたての赤ん坊に説明するように話さないとだめよ。」フィアがひどい助言をする。
その発言にエレナは困ったように眉を下げた。
「エレジア……本名をルシア・フェルンハイト。神代の時代に生きていた六英雄の一人よ。今は絶望の終焉種〈エレジア〉。六体の終焉種のうち唯一、人類の味方をしている終焉種よ。」フィアは腕を組みながら淡々と説明する。
終焉種。
それは人類最大の敵として語られる存在のはずだ。
その終焉種が人類の味方だというだけでも理解が追い付かないのに、絶望などという不吉極まりない名前まで付いている。
会ったこともない相手だというのに、朔夜の中ではすでに危険人物という印象が出来上がりつつあった。
「じゃあ、他の終焉種もそのエレジアが倒しちゃえばいいんじゃないの?」朔夜は率直な疑問を口にした。
終焉種がそれほど強大な存在なら、そのうちの一体が人類の味方をしているだけで戦況は大きく変わるはずだ。
少なくとも先ほど遭遇した災禍種程度なら問題にもならないように思える。
「それは無理よ。」フィアは即座に否定した。
「エレジアはこの世界樹の管理をしているの。世界樹はもう汚染の終焉種〈レヴィア〉の権能によって腐り、倒されてしまった。でもエレジアの権能によってなんとか今の形を保っているの。そのレヴィアの権能に対抗するためにエレジアは力の大半を使っちゃってるわけ。」そう言いながらフィアは窓の外へ視線を向ける。
流れていく街並みの向こうには、巨大な世界樹の壁が見えていた。
初めて見た時も十分異様だったが、あれがすでに腐っていると言われるとまた違った見え方をする。
「そしてこの世界樹が完全になくなってしまえば、終焉領域と人類領域を隔てる壁が無くなってしまう。そうなれば終焉領域の化け物たちが一気に流れ込んでくる。人類はおしまーい。ってわけ。」フィアは両手を上げて説明を締めくくった。
「なるほどねえ。」朔夜は素直に頷いた。
つまりエレジアは戦わないのではなく戦えないのだ。
人類という種そのものを存続させるために、世界樹を支え続けなければならない。
その役目を放棄した瞬間、人類領域は終焉領域に飲み込まれる。
「でもそんなに重要な人物なら、得体の知れない俺と会うのは危険なんじゃないの? 暗殺とか考えないわけ?」朔夜の言葉にエレナは一瞬きょとんとした顔をした。
どうやらこの世界の人間にとっては、あまり一般的な発想ではないらしい。
対してフィアはどこか納得したように小さく頷く。
「暗殺……ね。そうね。あなたの世界の価値観ならそれもあるかもね。でもこの世界ではそれはほぼありえないの。」そこでフィアは言葉を止めた。
いつもならあっさり説明を続けるはずなのに、珍しく言葉を選ぶような間が生まれる。
やがてフィアは窓の外から視線を戻し、まっすぐ朔夜を見た。
「殺しは“罪”だから。」
「罪?」朔夜は一瞬、何を言われたのかわからなかった。
殺しは罪だ。
そんなことは当たり前ではないか。
朔夜が生きていた世界でも人を殺せば罰せられるし、それが悪いことだという認識くらいは持っている。
わざわざ改めて口にするほどのことではない。
しかし、フィアの言葉にはまだ何か別の意味が含まれているような気がした。
「まあ、この世界で暮らしていれば嫌でもすぐ理解できるわ。」フィアはそれ以上説明するつもりはないらしく、あっさりと話を打ち切ると、小さく息を吐いた。
「それよりもエレジアよ。あの女は嫌い。」そう言って腕を組み直し、指先で自分の腕をトントンと叩く。
その仕草には隠しきれない苛立ちが滲んでいた。
「なんでそんなに嫌いなんだ? 聞いてる感じだといい人のように思えるけど?」朔夜が率直な疑問を口にすると、フィアは呆れたように鼻を鳴らした。
「ばかね。人類の味方は人の味方じゃないわ。」その言葉には妙な重みがあった。
「それに……あの女は……」そこまで言ったところでフィアの言葉が止まる。
珍しく歯切れが悪い。
いつもなら思ったことをそのまま口にする彼女が言葉を濁している。
朔夜が不思議そうに見つめていると、フィアはじろりと睨み返した。その直後、ぶるりと小さく肩を震わせる。怒っているというより、嫌な記憶を思い出した時の反応に近かった。
「ううう……。」低いうなり声のようなものを漏らしながら、フィアはますます不機嫌そうに眉を寄せる。
「なんだよ。」
「会いたくない。」即答だった。
そのあまりにも率直な答えに、朔夜は思わず苦笑する。どうやら英雄だとか終焉種だとかいう以前に、フィア個人として本気で苦手な相手らしい。
窓の外へ視線を逸らしたフィアは、そのまま腕を組み直して口を閉ざした。
まるでこれ以上その話題には触れたくないと言わんばかりで、その様子は親に叱られる前の子供にも見える。
よほど会いたくない人物らしかった。
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朔夜たちを乗せたリムジンは都市の中心部へ向かって滑るように走り続けていた。
窓の外には近代的な高層建築が立ち並び、人々が行き交っている。
終焉領域との最前線に位置する都市とは思えないほど活気に満ちており、夜が近づいているにもかかわらず街の明かりは衰える気配を見せなかった。
「着いたぞ。」エレナの声にはわずかな緊張が混じっていた。
その声に朔夜は窓の外へ視線を向ける。
そこに建っていたのは洋館だった。
豪華絢爛という言葉とは程遠い。
黒ずんだ石造りの外壁に、尖った屋根、細長い窓。建物自体は大きいのだが、どこか陰鬱な雰囲気を漂わせている。
その姿は貴族の屋敷というより、古い怪談に登場する館や、お化け屋敷の会場として使われていても違和感がないような建物だった。
周囲には背の高い木々が植えられ、その枝葉が館を覆い隠すように伸びているため、昼間だというのに薄暗い。
街の中心にあるはずなのに喧騒は驚くほど遠く、まるでこの場所だけが都市から切り離され、別の時間の流れの中に存在しているかのようだった。
「相変わらず陰湿よね。気分が暗くなるわ。」フィアは窓に両手を押し当てながら露骨に顔をしかめる。
朔夜は苦笑した。
確かに不気味な雰囲気はあるが、自分からすれば十分立派な建物だ。
少なくとも雨風をしのぐだけの施設しか知らなかった過去を考えれば、こんな館に住めるだけで羨ましいとさえ思う。
やがてリムジンは正面玄関前で静かに停止した。
車を降りるとひんやりとした風が頬を撫でる。
周囲には警備兵らしき人影が何人も配置されていたが、誰も威圧的な様子は見せていない。
ただ無駄な動きを一切せず、静かに周囲へ警戒の目を向けていた。
ほどなくして使用人らしき女性が現れ、朔夜たちは館の中へ案内された。
館内も外観と同じく全体的に暗い印象だった。
床や壁は丁寧に手入れされているものの、豪華な装飾品はほとんど見当たらない。
長い廊下には古い絵画が数点飾られているだけで、余計な調度品は一切置かれていなかった。
照明も必要最低限で、淡い光が静かに廊下を照らしている。
そのため館全体にどこか張り詰めた静寂が漂っていたが、不思議と居心地は悪くなかった。
むしろ無駄なものを削ぎ落とした空間だからこそ落ち着くような感覚がある。
「こちらで少々お待ちください。」しばらく廊下を進むと、案内役の女性が一つの扉の前で立ち止まった。
中は待合室のようだった。落ち着いた色合いのソファと木製のテーブルが置かれただけの簡素な部屋で、窓からは手入れの行き届いた庭が見える。
応接室というより、来客を待たせるためだけに用意された実用的な空間という印象だった。
朔夜たちは促されるまま室内へ入り、それぞれ席へ腰を下ろした。
「エレジアってどんな人なの?」待合室に案内されてからしばらく経つが、呼ばれる気配はない。
手持ち無沙汰になった朔夜は向かいのソファに座るエレナへそう尋ねた。
「エレジア“様”だ。」エレナは即座に訂正する。
「このアークラインの最高責任者であり、中央連邦評議会の最高幹部の一人でもある方だ。まあ、おまえに礼儀など説いても無駄だと思うが、あまり失礼な態度は取らないようにな。」
口調は厳しいが、聞けばきちんと答えてくれる。
少なくとも理不尽に怒鳴り散らすような人間ではないらしい。
朔夜はそんなことを考えながら「善処するよ」と適当に返した。
「いいのよ、サクヤ。適当で。」すると隣でフィアが呆れたように口を挟む。
「エレジアは一言で言うと変人よ。それに……。」そこまで言ったところでフィアが言葉に詰まった。
「ん? どうしたのフィア?」朔夜が不思議そうに顔を覗き込むと、フィアはゆっくりと顔を上げた。
その表情はまるで死刑宣告でも受けたかのように絶望に満ちている。
「“異常性癖”を持っているの……!」悲痛な叫びだった。
しかしフィアが最後まで言い切るより早く、
「きゃあ!!」今度はフィア自身の悲鳴が待合室に響き渡った。
「なっ!?」朔夜は反射的に立ち上がる。
いつの間に現れたのか、フィアの背後には一人の女性が立っていた。
薄い緑色の髪を肩まで伸ばし、頭には大きな兎のような耳が生えている。
年齢は20代前半ほどに見えるが、その整った容姿よりも行動の方が圧倒的に目を引いた。
女性はフィアの頭に生えた白い角へ頬をすり寄せていた。
それは親しい友人へのスキンシップを超えたもののように朔夜は見えた。
「んにゃ~……このひんやりした立派な角……真っ白な鱗……。」女性は恍惚とした表情を浮かべながら、うっとりと角へ頬を擦りつける。
「味わっと。」そう言うなり、ぺろりとフィアの角を舐めた。
「きやああああ! なにすんのよ!」フィアが文字通り飛び上がるように女性から距離を取る。
角を両手で押さえながら涙目になっている姿は、いつもの余裕あるフィアからは想像もできない。
その一方で朔夜の警戒心は一瞬で最大まで引き上げられていた。
―――いつの間に現れた?
気配は。殺気は。足音は?
何一つ感じなかった。
戦闘能力の高さだけではない。
目の前の女からは何か根本的に危険なものを感じる。
朔夜の本能が警鐘を鳴らしていた。
この女は――やばい。
理屈ではない。
本能が全力でそう叫んでいる。
すると次の瞬間、エレジアの姿がふっと視界から消えた。
「――っ。」朔夜が反応するより早く、エレジアはすでに目の前に立っていた。
「君が影山朔夜くん……だね。」薄緑色の瞳が興味深そうに朔夜を見つめる。
「私はルシア・フェルンハイト。絶望の終焉種〈エレジア〉と呼ばれている。どうかよろしくね。お人形さん。」エレジアはそう言うと、悪戯っぽくウインクをした。
そのまま朔夜が何か言うより早く手を取り、勝手に握手を始めた。




