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死刑執行後に目覚めたら滅びかけた異世界だった ~終焉種を討伐するまで帰れない~  作者: れさ


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――第5話 底知れぬ少年――

「はー、食った食った」


朔夜は満足げに腹をさすった。

空っぽだった胃が満たされ、全身に力が戻ってくる感覚がある。


だが、それと同時に違和感も覚えていた。


「それにしても、エネルギー効率が悪くなった気がするな……」朔夜は首を傾げる。


以前、訓練で三日三晩飲まず食わずという無茶な状況に置かれたことがある。

しかしその時ですら、ここまで極端な空腹を感じた記憶はなかった。


終焉領域を歩き続けたとはいえ、何かがおかしい。

身体そのものが変化しているような、そんな漠然とした違和感が胸の奥に残っていた。


その時だった。


ピキッ。

小さな音が響く。


朔夜は視線を上げた。目の前の壁に一本の亀裂が走っている。


「?」


不思議そうに見つめていると、その亀裂はみるみるうちに広がり始めた。


びきっ。びきびきびきっ――。


蜘蛛の巣のように壁全体へひびが広がったかと思うと、次の瞬間、爆発にも似た轟音が食堂を揺らした。


バガァァァァンッ!!


壁面が内側へ吹き飛び、無数の瓦礫と粉塵が雪崩れ込んでくる。

食堂に並んでいた机や椅子が弾き飛ばされ、窓ガラスが激しく震えた。

濃い砂煙が一帯を覆い、視界はほとんど失われる。


だが朔夜は立ち上がらなかった。

ただ椅子に座ったまま、目の前を見据えていた。


粉塵の向こうに何かいる。


巨大な影だった。

やがて砂煙が少しずつ晴れていく。


現れたのは人型の化け物だった。


派手なピエロのような装束を身にまとっているが、滑稽さなど微塵もない。

身長は四メートルを超えているだろうか。

異様に長い手足と不自然に膨れ上がった筋肉が威圧感を放っている。


そして何より目を引くのは全身から突き出した刃物だった。

指先から伸びる刃は皮膚を突き破って飛び出しており、それだけではない。


腕、肩、胸、背中、脚。

身体の至るところから鋭利な刃が生え、まるで全身が凶器そのものになっていた。

見ているだけで痛みを想像してしまうような姿だが、その化け物はまるで気にしていない。


充血した目がぎょろりと動く。

口元には耳元まで裂けそうなほど大きな笑み。


歯は乱雑に並び、血に濡れていた。

人間の笑顔という感情だけを歪ませ、狂気へ変えたような表情だった。


その異形と対峙している人物がいた。

赤い軍服を身にまとった女性だ。


肩まで伸びた金髪は戦闘の余波で揺れている。

整った顔立ちは思わず見惚れてしまうほど美しいが、その青い瞳には鋭い戦意が宿っていた。


彼女は剣を銃のように構え、化け物へ切っ先を向けている。


次の瞬間、両者が同時に動いた。

床が砕けるほどの勢いで踏み込み、二つの影が正面から激突する。


ピエロの化け物が無数の刃を振り回した。

それは剣術などと呼べる代物ではない。

ただ力任せに暴れているだけだ。


だが、その速度が異常だった。

人間の目では追い切れないほど速い。


技術ではなく圧倒的な身体能力によって成立している攻撃だった。

刃が空気を裂くたびに衝撃波が生まれ、周囲の壁や床を切り刻んでいく。


対する女軍人は紙一重で回避を続けていた。


首を狙った刃を身を反らして避ける。

腹部を狙った一撃を横へ跳んでかわす。


髪の毛が数本宙を舞うほどの距離だった。

普通ならとっくに肉片になっているだろう。


しかし彼女は冷静だった。

わずかな隙を見つけると剣を突き出す。

だがその剣は刺突を目的としていなかった。


剣先が眩く輝く。


「……光弾レイ!」


次の瞬間、閃光が放たれた。


カッ――!


白熱した光の奔流が一直線に化け物の腹部へ命中する。

凄まじい熱量だった。

直撃した周囲の建物がどろどろに溶け落ち、赤熱した壁面が音を立てて崩れていく。


だが。

化け物は笑っていた。


腹部が焼け焦げているにもかかわらず、その醜悪な笑みは崩れない。

むしろ楽しそうですらあった。


「エレナ! 一人じゃ無理だ!」後方から兵士の声が飛ぶ。


「災禍種だぞ! 増援が来るまで数で押すしかない!」


しかしエレナと呼ばれた女軍人は振り返らない。

視線を化け物から外すことなく答えた。


「増援を待っている時間などない! 私が時間を稼ぐ! その間に市民の避難を急げ!」


その言葉には覚悟があった。

自分が死ぬ可能性を理解した上で前に立っている者の声だった。


そして、その時になって初めてエレナは食堂の奥にいる朔夜へ気付いた。

彼女の表情が険しくなる。


「そこのお前! 死にたいのか! 早く逃げろ!」鋭い声が飛ぶ。


だが朔夜は動かなかった。

逃げる理由が分からなかったからだ。


フィアから説明は受けている。災禍種が危険だということは頭では理解していた。


しかし。


目の前の化け物を見ても、終焉領域で遭遇した原罪種を見た時と大差ないように感じてしまう。


確かに強い。

危険なのも分かる。

だが、それだけだ。


朔夜にとっては、目の前の災禍種も、先ほどの原罪種も、どちらも「人間ではない化け物」という認識でしかなかったのだ。


「っく……!」


エレナは迫り来る刃を紙一重でかわした。

しかし回避がわずかに遅れる。

朔夜へ意識を向けたほんの一瞬、その隙を災禍種は見逃さなかった。


鋭い刃先が頬をかすめ、白い肌に細い赤線が走る。

つうっと血が流れ落ち、顎先へ伝った。


「よそ見をしている場合ではないのは分かっているが……!」エレナは小さく舌打ちした。


あの少年は恐怖で身体が動かなくなっているのだろう。

避難しろと叫んでも反応がない。

ならば自分がこの災禍種をここから引き離すしかない。


そう判断した、その瞬間だった。


ピエロの充血した目がぎょろりと動く。

その視線の先にいるのは朔夜だった。


「……っ! まさか!」エレナの表情が強張る。


理性を失い〈アビス〉へ堕ちた個体は殺戮そのものを好む。

強敵を倒すことよりも、弱者を蹂躙し命を奪うことに執着するのだ。


だから厄介だった。

目の前に自分という敵がいるにもかかわらず、より殺しやすそうな獲物を見つければ迷わずそちらへ向かう。そして今、ピエロはエレナではなく、ぼんやりと座っている朔夜を獲物として認識した。


「ぎ、ぎぎゃあああああっ!!」狂気じみた絶叫が響く。


獲物だ。餌だ。殺せば力になる。

そんな単純な本能だけを剥き出しにしたまま、ピエロは床を砕きながら一直線に朔夜へ突っ込んだ。


だが、その瞬間だった。


朔夜の中で何かが切り替わる。


先ほどまで食後の満足感に浸っていた朔夜の気配が消える。

感情が沈み、思考が研ぎ澄まされ、長年叩き込まれた戦闘技術と生存本能だけが表面へ浮かび上がる。


朔夜にとって戦闘とは怒りや興奮で行うものではない。

ただ生き残るための作業だ。


だからその目には恐怖も躊躇もない。

ただ目の前の対象をどう殺すかだけを考える冷たい光が宿っていた。


そして次の瞬間、朔夜の姿が消えた。

少なくともピエロにはそう見えた。


「?」ピエロが首を傾げる。


目の前にいたはずの少年が忽然と消失していた。


「……な……」エレナもまた言葉を失う。


視線で追うことすらできなかった。

ただ一瞬だった。

そして、その一瞬の後には結果だけが残されていた。


さくり、と肉を裂く音が響く。


気付けばピエロの首元にはエレナの剣が深々と突き刺さっていた。


「ぎゃああああああっ!」ピエロが絶叫しながら暴れる。


エレナは目を見開いたまま固まっていた。


理解できない。

つい今しがたまで自分の手で握っていた魔法剣だ。


それがいつ奪われたのかすら分からない。

投げたわけでもない。

魔法を使った気配もない。


それなのに剣は災禍種の首元へ正確に突き立てられている。


「う、嘘でしょ……私の魔法剣をどうやって……」困惑の声が漏れる。


理解できない現象を前に、エレナの思考は完全に停止していた。


「刺すだけじゃ駄目か。人間とは違うな」いつの間にかピエロの傍へ立っていた朔夜が静かに呟く。


その目は冷たかった。

暗く沈んだ瞳には感情らしい感情が存在しない。


ただ目の前の対象をどう処理するか、それだけを考える捕食者の冷静さだけがあった。

戦闘のスイッチが完全に入っている。


ピエロもまた本能的な危険を察したのだろう。

充血した目が朔夜を捉えると、狂ったように腕を振り回した。


全身から突き出した刃が暴風のように周囲を切り裂き、コンクリートの壁をまるで豆腐のように細切れにしていく。


柱には深い傷が刻まれ、天井からは瓦礫が降り注ぐ。

建物全体が悲鳴を上げるように軋み、今にも崩れ落ちそうだった。


しかし、その猛攻は一度として朔夜を捉えられない。


朔夜は最小限の動きだけで全てをかわしていた。

まるで攻撃が来る場所を最初から知っているかのようだった。


やがてピエロは腕による攻撃を諦めたのか、大きく口を開いた。

その口内には二重に並んだサメのような牙がぎっしりと並んでいる。


そしてさらに奥、喉の深い場所から青白い光が溢れ始めた。

周囲の空気が震え、空間そのものが軋む。

膨大なエネルギーが一点へ収束していくのが肌で分かるほどだった。


「ま、まずい……!」エレナは瞬時に状況を理解した。


災禍種の砲撃。

あれをまともに受ければ、この施設ごと吹き飛ぶ。


ここは終焉領域と人類領域の間の重要な“砦”だ。

失われればどれほどの被害が出るか想像もできない。


止めなければならない。

何としてでも。

たとえ自分の命を犠牲にすることになったとしても。




「――――これで終わりっと」




静かな声だった。


戦闘の終わりを告げるにはあまりにも気の抜けた声音だったが、その一言によってエレナは閉じていた目をゆっくりと開く。

目の前に広がっていた光景を理解するまで数秒かかった。


ピエロの身体はその場に立っていた。

だが、その首だけが不自然に傾いている。


ずるり。

まるで重力を思い出したかのように首が滑り落ちた。


鈍い音を立てて床へ転がる。

切断面はあまりにも滑らかだった。

それほどまでに鋭利な一撃だったのだろう。


身体の方は首を失ったことにすら気付いていないように数秒間その場に立ち尽くしていたが、やがて現実を思い出したかのように切断面から血が噴き出した。


どばっ、と。


赤黒い液体が噴水のように天井近くまで吹き上がる。

凄まじい勢いだった。

食堂の壁や床を真っ赤に染めながら降り注ぐ血の雨。


その中心で、朔夜だけが平然と立っていた。


いや、正確には平然と立ちながら血を避けていた。


どこから拾ったのか、近くに転がっていた机を片手で持ち上げ、それを傘のように頭上へ掲げている。

ぱたぱたと血液が机の裏側へ当たる音が響く。

まるで突然の雨を避けているかのような気軽さだった。


そして、その右手には何かが握られている。

ピエロの右腕だった。

肘から先が無理やり引きちぎられたように失われている。


エレナはそこでようやく理解する。

首を切断したのは剣ではない。


朔夜が握っているその腕。

正確には、その指先から生えていた刃物だ。


朔夜は一瞬のうちに腕を奪い、そのままピエロ自身の刃を利用して首を切断したのである。


意味が分からなかった。

そもそも災禍種の動きに反応できること自体がおかしい。


魔法を使った気配がない。

身体強化をしている様子もない。


それなのに結果だけが目の前に存在している。

災禍種は死んでいた。


人類を脅かす怪物が。

街を滅ぼしかねない化け物が。


まるで虫でも潰すかのように処理されていた。

朔夜は血の雨が収まったのを確認すると、邪魔になった机を脇へ放り投げる。


そして握っていた腕を見下ろしながら、


「便利だな、これ」とでも言いたげに軽く振ってみせた。


その姿にエレナは言葉を失う。

災禍種が恐ろしい?

そんなものは今となってはどうでもよかった。


自分はつい先ほどまで災禍種を相手に命懸けで戦っていたはずだ。

しかし今、目の前にいる少年を見ていると、その災禍種ですらかわいく思えてしまう。


理解できない。

理解してはいけない。

そんな本能的な警鐘が頭の奥で鳴り続けていた。


エレナ・ローゼン。

人類領域でも指折りの実力者として知られ、『天才魔法剣士』の異名を持つ彼女は、この日初めて純粋な恐怖を覚えていた。


それは災禍種に対する恐怖ではない。

終焉領域から現れた名も知らぬ少年。

影山朔夜という存在そのものに対する恐怖だった。

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