――第17話 子守歌――
依頼を受けた朔夜とミントはギルドを後にし、道中で今回の目標であるグラドについて情報を共有していた。
彼はハズレ山の奥に建つ一軒の小屋で一人暮らしをしているらしい。
もともとグラドは中央で大企業に勤める将来有望なエリートだった。
しかし、結界外調査に参加した際、汚染された大気にさらされたことで精神を蝕まれ、徐々に正気を失っていったという。
そして理性を失った末、最愛の恋人を自らの手で殺めてしまった。
その事件以降、彼の精神も肉体も大きく変貌し、現在はアビス討伐で得られる報酬と山での林業だけで細々と生計を立てているそうだ。
「今から行くのお?」ミントが朔夜の顔を覗き込むように尋ねた。
「いや、今日は宿に泊まる。移動だけでも結構疲れたし、この状態で戦闘は避けたい。フィアはしばらくはあのビルに籠もるらしいから、俺たちはもう休もう。」そう言って朔夜は事前にフィアから送られてきた宿の情報を思い出しながら歩き出した。
「ねえ、今日の宿って同じ部屋?」
「ああ。一応四人部屋をしばらく押さえてあるみたいだ。」朔夜は通信端末を取り出し、フィアから送られてきた部屋の写真をミントに見せる。
「よかったあ。私、一人じゃ眠れないんだよねえ。いつもみんなと一緒に寝てるからあ。」
安心したように笑うミントを見て、朔夜は呆れたように肩をすくめた。
「でも、ミント夜泣きするよな。あれ結構うるさくて寝られないんだけど。」
「あー、それはいけないんだあ。『大丈夫か? 俺が抱きしめてやる』って格好よく言わないとダメなんだよお。」ミントは両手を合わせ、期待するような目で朔夜を見上げる。
「なんでだよ。抱きしめようにも、その角が邪魔だろ。」
「ああーっ! またいけないこと言ったあ! あとでキャスに言いつけてやるう!」ぷくっと頬を膨らませるミント。
その様子を見ても朔夜は「はいはい」と適当に相槌を打つだけで、気にも留めず歩き続ける。
そんな他愛のないやり取りを交わしながら、二人は夕暮れの街を宿へと向かっていった。
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宿はギルドから歩いて十分ほどの場所にあった。
平屋造りの落ち着いた旅館で、木の香りが漂う和風の佇まいは、この世界に来てから見た建物の中でもどこか懐かしさを感じさせた。
「わあ、なんかいいねえ。こういうのお。」ミントが目を輝かせながら辺りを見回す。
「ああ。こういうの、落ち着くな。」朔夜も思わず頷いた。
東京の街並みもそうだったが、近代的なホテルはどうにも苦手だった。
カードキーにタッチパネル、機械でのチェックイン。
便利なのは分かるが、どこか無機質で落ち着かない。
その点、こうした昔ながらの旅館は木の温もりがあり、人の気配も感じられる。
朔夜はこちらの方が性に合っていた。
部屋へ案内されると、事前に送っておいた荷物はすでに運び込まれていた。
畳敷きの広々とした和室で、障子を開けると小さいながらも露天風呂が備え付けられている。
「見て見て、朔夜! あとで一緒に入ろーよお。」ミントは露天風呂を見つけるなり、子どものようにはしゃぎ始めた。
「ああ、いいな。こんな部屋だとは思ってなかった。」朔夜はそう答えながらも、癖のように露天風呂の周囲へ視線を巡らせる。
(罠はない……ただ、周囲は開けている。高所から狙撃される可能性はあるな。警戒だけはしておくか。)
朔夜は一通り安全を確認してようやく肩の力を抜いた。
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その夜は旅館の料理を堪能し、ミントと露天風呂に浸かって旅の疲れを癒やした。
湯上がりに部屋へ戻ると布団を並べ、照明を落とす。
こうして、技術連邦ネオスでの一日目は静かに幕を閉じていった。
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「……さん……。ぐすっ……」
夜中、朔夜はかすかな泣き声で目を覚ました。
胸元に何かが当たっている感覚がする。
薄暗い部屋の中で布団をめくると、そこには朔夜へしがみつくように眠るミントの姿があった。
「……かあさん……どうして……」
寝言だった。
「私は……いらない子……」小さな肩を震わせながら、ミントは涙を流している。
朔夜は、ミントたちと暮らし始めて一か月ほどになる。
その間に、彼女が眠るたび悪夢にうなされ、夜泣きをすることを知った。
普段はのんびりとしていて、どこか気だるそうに見える彼女だが、その原因の一つは慢性的な寝不足にある。
まともに眠れた日は、おそらくほとんどないのだろう。
もっとも、それ自体は仲間内では珍しいことではなかった。
リベルの子たちは、原罪種である人を殺すことが当たり前の環境で育ってきた。
そして社会に受け入れられようと、人として生きようとすればするほど、自分がこれまで積み重ねてきた罪の重さを理解してしまう。
精神がまともであればあるほど、その現実は残酷だった。
ミントもまた、その一人だった。
過去は何度も悪夢となって彼女を責め立て、そのたびに自分自身を責め続けている。
……その気持ちを、朔夜は理解できるとは思わなかった。
自分も親をその手で殺した。
それが世間では決して許されない行為であることは知っている。
それでも、後悔したことは一度もなかった。
だからこそ、安易に「分かる」と口にするつもりはない。
以前、ミントは朔夜たちにこう言っていた。
「気を遣われるのは嫌だー。 みんなには普通に接してほしいんだぁ。 ちゃんと働くからさぁ。」
だから朔夜も、その言葉を尊重していた。
同情もしない。
必要以上に優しくもしない。
思ったことは、そのまま口にする。
それが今の自分にできる、彼女への一番の接し方だと思っていた。
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朔夜は何も言わず、そっとミントの頭を自分の胸元へ引き寄せた。
その拍子にミントの角が頬をかすめる。
細く鋭く伸びた角は皮膚を浅く裂き、ぷつりと赤い雫が頬を伝った。
だが、朔夜は気にも留めない。
むしろ逃がさないように、さらに優しく腕へ力を込めた。
これは毎晩キャスがミントにしていたことだ。
眠れない夜も、悪夢にうなされる夜も、こうして抱き寄せてやれば落ち着くのだと以前教えられた。
(……これでいい。)朔夜は自分にそう言い聞かせる。
人は、こういう時に相手を抱きしめるものなのだろう。
なら、自分もそうすればいい。
そうすれば少しは、人の感情を持った普通の人間に近づけるかもしれない。
つうっと赤い液体が頬を伝い、そのままミントの白い角を赤く濡らしていく。
それでも朔夜は腕を緩めることはなかった。
胸元から伝わるミントの鼓動は、次第に落ち着きを取り戻していく。
どくん、どくん、と規則正しく響くその音を子守唄代わりに聞きながら、朔夜もゆっくりと瞼を閉じた。
この夜だけは、悪夢を見ることなく眠りにつけることを祈って。




