――第16話 技術連邦ネオス――
世界樹都市アークラインを出発してから、装甲車は半日ほど荒野を走り続けた。
窓の外に広がる景色はどこまでも灰色で、乾いた大地にはひび割れが走り、遠くには朽ちた建造物が点々と残っているだけだった。
しかし、その景色はある地点を境に一変した。
荒れ果てた大地は次第に緑を取り戻し、背の低い草花が風に揺れる草原が広がっていく。木々もまばらに姿を現し、澄んだ風が装甲車の隙間から流れ込んできた。
「結界内に入ったわ。これでもうマスクを外しても大丈夫よ、サクヤ。」フィアはそう言って自分のマスクを外した。
朔夜もマスクを外し、ゆっくりと息を吸い込む。
荒野とは比べ物にならないほど空気は澄んでおり、草木の青い香りが鼻をくすぐった。
「……全然違うな。」
「当然よ。ここは結界で汚染を遮断しているもの。」
それからさらに一時間ほど走ると、装甲車は緩やかな山道へ入った。
坂を登り切った瞬間、視界が大きく開ける。
眼下には一つの巨大な都市が広がっていた。
中央には周囲を圧倒する超高層ビルがそびえ立ち、その周囲を取り囲むように無数の工場や研究施設、住宅街が整然と並んでいる。
幹線道路には車が絶えず行き交い、遠くには煙突から白い蒸気が立ち昇っていた。
「……すごいな。」朔夜は思わず息を呑む。
「あれが技術連邦ネオス。一時は《疫病》の終焉種によって滅びかけたけれど、そこから復興して、今では人類領域で最も発展している工業都市よ。」フィアは窓を覗き込む朔夜の横へ顔を寄せ、どこか誇らしげにそう言った。
「ふーん。」朔夜は感心したようなしないような、曖昧な返事をする。
「興味なさそうね。」
「いや、すごいとは思ってるよ。ただ、俺には高いビルも工場もあんまり違いが分からなくて。」
「……そういうところ、あなたらしいわ。」フィアは小さく笑った。
やがて装甲車は都市の外壁へと到着する。
巨大な門の前では武装した兵士たちが検問を行っていたが、運転手が書類を提出すると、兵士たちは敬礼だけを返し、門はすぐに開かれた。
「……アークラインにフィアと一緒に入った時とはえらい違いだね。」朔夜は苦笑しながら呟く。
「やっぱり事前の準備って大事なんだな。」
「それ、私への皮肉かしら?」フィアはじろりと朔夜を睨んだ。
「あの時は急いでいたの。まさかあなたと出会うなんて思ってもいなかったんだから。いろいろ仕方なかったのよ。」少しだけ頬を膨らませ、不機嫌そうに視線を逸らす。
「それで? 今からどこへ行くんだ?」朔夜は向かいに座るミントへ視線を向けた。
「ギルドよぉ。ギルドは『レクイエム』を管理している組織なのぉ。ま、私の古巣ってところねぇ。」ミントは両膝を抱え、ゆらゆらと体を揺らしながら答える。
「そこでグラトについて話を聞くわけか。」
「そういうことぉ。今回の事件も最初に依頼を受けたのはギルドだから、現場の情報はあそこが一番詳しいのよぉ。」
「なるほど。」朔夜は素直に頷く。
「あなた、本当によくそれで前の世界で任務をこなせていたわね。」その様子を見たフィアが、小さくため息をついた。
「いやぁ、俺は過程なんて考えたことなかったからさ。」朔夜は悪びれる様子もなく笑う。
「『どこどこへ行け』『誰それを捕らえろ』『あいつを殺せ』って命令されれば、それをやるだけだったし。」
「……いかにも施設育ちね。」フィアは呆れ半分、納得半分といった表情で肩をすくめる。
「まあ、朔夜の仕事はアビスを倒すことだものぉ。それ以外は知らなくても困らないっちゃ困らないけどねぇ。」ミントがくすくすと笑う。
「だからミントを連れてきたのよ。」フィアは真面目な顔に戻った。
「サクヤのサポートはお願い。ギルドに着いたら私は別行動になるから。」
「やっぱりぃ。」ミントは頬を膨らませた。
「だったらヨーゴも連れてくればよかったのにぃ。あいつの方が説明するの上手だしぃ。」
「ヨーゴは店が忙しいのよ。それに、あなた一人で十分でしょう?」
「えぇ~? 私は戦う方が得意なんだけどなぁ。」口では不満そうに言いながらも、ミントはどこか楽しそうに笑う。
▼▼▼▼▼
やがて装甲車は街の中心部へ到着した。
中央にそびえ立つ超高層ビルを少し手前にした場所で速度を落とし、一棟の赤レンガ造りの建物の前で停車する。
周囲の近代的なガラス張りの建物とは対照的に、その建物だけはどこか歴史を感じさせる重厚な造りだった。
「着いたわ。」
車体が軽く揺れ、装甲車の後部ハッチが開く。
朔夜とミントは車から降り立った。
「ここから先は任せるわ。」フィアは窓を開けると、ミントへ視線を向けた。
「私はあの中央のビルに用事があるから。ミント、お願いね。」
「はぁーい。」ミントは両手をひらひらと振り、気の抜けた返事をする。
「サクヤ。」フィアはその様子に苦笑すると、今度は朔夜へ真っ直ぐ視線を向けた。
「ん?」
「気を付けて。あなたも"人間"なの。混沌の呪いの影響下にあるわ。だから慎重に行動なさい。」その口調はどこか子どもを送り出す母親のようだった。
「分かってるよ。」朔夜は苦笑しながら頭を掻く。
「エレジアの時みたいなことはしない……多分。」最後だけ少し声が小さくなる。
あれはほとんど無意識だった。
理屈ではなく、本能が先に動いてしまっただけなのだから、自分でも完全に制御できる自信はなかった。
「……。」フィアは小さく息を吐く。
「あなたを信じているわ。」それだけ言うと、静かに窓を閉めた。
装甲車は低いエンジン音を響かせながら発進し、中央の超高層ビルへ向かって走り去っていく。
その姿が見えなくなると、ミントが大きく伸びをした。
「よーし、じゃあ殴り込みじゃあ。」
「殴り込みじゃないだろ。」朔夜がすかさず突っ込む。
「えへへぇ。」ミントは悪びれもせず笑うと、ぶんぶんと腕を振りながら赤い建物へ向かって歩き始めた。
その背中からは、古巣へ戻る者特有の緊張や気まずさはまるで感じられない。
まるで近所へ遊びに来たかのような気軽さで、迷いなく建物の扉へ手を掛けた。
「邪魔するぜぇ。」ミントはわざと男らしい口調を真似しながら建物の中へ入っていった。
中は思っていたよりも普通だった。
広いロビーには受付カウンターがあり、その奥では数人の職員が慌ただしく書類を運んでいる。
壁には依頼書らしき紙が何枚も貼られており、酒場のような喧騒はなく、役所にも似た落ち着いた雰囲気だった。
ミントは受付の女性の前まで歩いていく。
「エレジアの使いでぇす。依頼の件で来ましたぁ。担当はぁ?」
「あ、はい。お待ちしておりました。」受付の女性は慣れた様子で微笑む。
「二階の応接室へどうぞ。すぐ局長をお呼びいたします。」そう言うと内線電話を取り、どこかへ連絡を入れ始めた。
朔夜とミントは階段を上がり、二階の応接室へ案内される。
部屋には革張りのソファと大きなテーブルが置かれているだけで、装飾はほとんどない。
二人は隣り合うように腰を下ろした。
「局長だって。大げさだね。」朔夜は隣に座るミントへ目を向ける。
「会ったことあるの?」
「あるよぉ。」ミントはソファへ深くもたれながら頷く。
「すっごく大きい人ぉ。昔は前線で戦ってたんだけどぉ、崩壊種のアビスとの戦いで左目をどこかに落っことしちゃってぇ。それで引退したのぉ。今は義眼なんだってぇ。」
そう言いながら、自分の目を指差し、「ぽろっ」と落ちる仕草をしてみせる。
崩壊種。
災禍種のさらに上位。
その言葉を聞くだけで、朔夜には想像もつかない存在だと思った。
そんな相手と戦って生き残った人間が、このギルドの局長なのか。
考え込んでいると、不意に応接室の扉が勢いよく開いた。
「おうおうおう! ミント! 久しぶりじゃねぇか!」低く響く豪快な声とともに、二メートル近い、赤毛の巨漢が姿を現す。
扉の上枠に頭をぶつけないよう身をかがめながら部屋へ入ってくる姿は、まるで熊そのものだった。
「そっちが朔夜か?」
「うぃー。」ミントはソファに座ったまま片手をひらひらと振るだけだった。
「ど、どうも。」朔夜は立ち上がり、軽く頭を下げる。
「よろしくな!」男は豪快に笑いながら右手を差し出した。
「俺はガルド・ヴァイスだ。断罪局の局長をやってる。それと、ギルド直属の特務執行隊『レクイエム』の監察官も任されてる。ま、堅い肩書きはそのくらいだ。」握手を交わすと、その手は岩のように硬く、分厚かった。
「エレジアから話は聞いてるぜ。災禍種を単独でぶっ倒したんだってな? とんでもねぇ新人が来たもんだ。」
「おら、座れ座れ。」
ガルドの勢いに押されるように、朔夜はソファへ腰を下ろした。
もっとも、ミントは最初から立ち上がる気などなかったらしく、だらしなく背もたれにもたれたまま欠伸を噛み殺している。
「いやぁ、はるばるここまで来るのも大変だったろう。まずは礼を言う。」ガルドは豪快に笑ったが、その笑みはすぐに消えた。
「ただ、俺も暇じゃねぇ。本題に入らせてもらう。」
部屋の空気が一変する。
「エレジアから大体の話は聞いてると思うが、今回の事件では若い女ばかりが連続で殺されている。被害者は現在十人。全員、内臓を根こそぎ抜き取られた状態で発見された。」
朔夜は黙って耳を傾ける。
「容疑者はグラト。特別監察対象の一人だ。ただし――」ガルドは指を一本立てた。
「決定的な証拠がない。」
「それでぇ? どうしてグラトが犯人だって判断してるのお? 現場の状況からそう推測してるだけぇ?」ミントがわずかに身を起こす。
「その通りだ。」ガルドは即答した。
「被害者は全員、その場で内臓を調理された形跡がある。調理器具も残されていた。食われた痕跡まで一致してる。」
「犯人の毛髪や体液はぁ?」
「検出されていない。理由は不明だ。」
「グラトを監視してたんでしょお? 怪しい行動は?」
「ない。」
「犯行時刻のアリバイは?」
「監察員の報告では、少なくとも異常は確認されていない。」
「目撃者はぁ?」
「なし。」
「悲鳴は?」
「聞いた者はいない。」
「人体を調理した臭いはぁ?」
「死体が発見されるまで誰も異臭を感じていない。」
「……。」ミントは目を閉じ、小さく息を吐いた。
そのやり取りを聞いていただけの朔夜にも分かる。
事件そのものよりも、「どうやって犯行が行われたのか」が不可解すぎる。
監視されている容疑者。
証拠はゼロ。
目撃者もゼロ。
それなのに、犠牲者だけは増え続けている。
「……んで?」ミントがゆっくりと目を開く。
先ほどまでの気の抜けた雰囲気は消え失せ、その瞳だけが鋭くガルドを射抜いていた。
「なんで私たちを呼んだのお? まさか警察ごっこをさせるためじゃないんでしょう?」
「ああ、そうだ。お前たちに頼みたいことがある。」ガルドは腕を組み、ゆっくりと口を開いた。
「今回の事件は、犠牲者全員が同じ手口で殺されている。同一犯と見てまず間違いねぇ。」
「容疑者はグラトぉ?」ミントが尋ねる。
「そうだ。ただ、まだ証拠はない。だが、仮にグラトじゃなかったとしても、犯人は罪を罪として認識していない"特異個体"だ。」ガルドは朔夜を見据える。
「そういう奴は、自分の行いを初めて"罪"だと自覚した瞬間、一気にアビスへ堕ちる可能性が高い。そして、この事件の規模を考えれば、災禍種級になるのは間違いねぇ。」ガルドは朔夜を指差した。
「そこでだ。対象に直接接触しろ。そして罪を自覚させ、アビス化したところを撃破してほしい。」
「……なんか複雑だな。」朔夜は頭を掻いた。
「罪を自覚させるって言っても、どうやるんだ?」
「そこは任せる。問い詰めてもいい。事件の話を持ち出してもいい。グラトはおそらく、人を殺したことを罪だと思っていない異常者だ。接触すれば、どこかで必ず綻びを見せる。」
「そんな簡単に綻びが出るなら、もっと早く追い詰めてアビス化させ、討伐すればよかったんじゃないのか。」朔夜は納得できないように眉をひそめた。
「そこが今回の厄介なところなんだ。」ガルドは苦々しく息を吐く。
「俺はさっき連続殺人と言ったが、正確には違う。十人の遺体は、すべて同じ日に発見された。」
「同じ日に?」
「ああ。死亡推定時刻は全員バラバラだ。数日前に殺された者もいれば、一週間以上前の者もいる。つまり、俺たちが事件を把握した時には、犯人はすでに何人も殺した後だった。」
部屋の空気が重くなる。
「気付いた頃には、災禍種へ堕ちる危険性を抱えた特異個体が出来上がっていた。こうなると、アビス化に備えて討伐隊を編成しなきゃならねぇ。だが、その準備をしている時間もない。」ガルドは朔夜を真っ直ぐ見つめた。
「そんな時にエレジアから、お前の話を聞いた。」
「災禍種を単独で撃破した男。」
「だから、この任務をお前に任せたい。」
ガルドはそう言って、朔夜の前へ力強く拳を突き出した。




