――第14話 罪の意識――
世界樹の中にある都市アークラインへ朔夜とフィアがたどり着いてから、一か月が経過した。
その間、朔夜はフィアが営む食堂"フィーネ・デレテルノ"を手伝いながら、この世界の文化や常識を少しずつ学んでいった。
ヨーゴ、シン、キャス、ミントの四人は住み込みで店を手伝っており、毎日忙しそうに働いている。
最初は彼らだけだと思っていたが、店に出入りする他の子どもたちも毎日のように顔を見せ、掃除や配膳、買い出しなど、それぞれができる仕事を進んで手伝っていた。
ここへ集まる子どもたちは、世間からは"原罪種"と一括りにされている。
しかし、その呼び方にはあまりにも強い偏見が含まれているため、フィアは彼らを"リベル"と呼んでいた。
『自由』を意味するその名前には、「罪に縛られず、自由に生きてほしい」というフィアの願いが込められている。
そんな生活を続けるうちに、朔夜は一つのことに気付く。
この店では、誰からも料理代を受け取っていないのだ。
"フィーネ・デレテルノ"は、利益を得るための店ではなかった。
リベルたちは国から依頼されるアビス討伐に参加し、その報酬で生活を支えていた。
ただし、その報酬は命を懸ける仕事に見合うものとは到底言えず、最低限生きていける程度の額しか支払われていない。
それでも彼らは不満を口にすることなく、与えられた仕事を黙々とこなしていた。
だからこそフィアは、せめて食事の時間だけは笑顔で過ごしてほしいという願いから、この食堂"フィーネ・デレテルノ"を開いたのだという。
だからこそ朔夜には、この場所がただ食事を提供するための食堂ではなく、行き場を失った子どもたちが心から笑い、自分らしく過ごせる"居場所"なのだと、少しずつ分かり始めていた。
「朔夜は、その施設でなにをしてたのお?」店の休憩室で一緒になったミントが声をかけてきた。
二人しかいないというのに、わざわざ朔夜の正面ではなく隣へ腰を下ろす。
ミントは誰かと話すとき、決して向かい合おうとはしない。
隣が空いていれば、必ずそこへ座る癖があった。
「人を殺す訓練……かな。そのために人体構造とか、体の動かし方とか、化学や物理の勉強なんかを延々とやってたよ」朔夜は何でもないことのように答えた。
「私もお。『レクイエム』では、とにかく対象の原罪種を見つけたら殺せって教えられたの。泣いても、謝っても、手を止めるな。止めたら殺されるぞ。それに見逃しても、今度は俺がお前を殺すって」ミントはくすくすと笑った。
その笑顔とは裏腹に、語られる内容はあまりにも重い。
「へえ。俺と似てるね」
「うん。似てる」ミントはそう呟くと、朔夜の横顔をじっと見つめた。
「朔夜は違う世界から来たんでしょお? なのに同じ境遇なんて、運命かもねえ」
額から伸びたミントの長い角が、朔夜のこめかみをつんつんと突く。
「痛いって。なんだよ」朔夜は苦笑しながら、その角を指で押し返した。
「朔夜は、人を殺したことあるのお?」
その一言で、朔夜の動きが止まる。
人を殺したことがあるか。
普通なら決して口にしない質問だ。
『みんな六度、原罪種を殺したり、傷つけたりしている』
ふと、フィアの言葉が脳裏をよぎる。
ミントもまた、誰かを殺してきたのだろうか。
それを悔やんでいるのか、それとも何も感じなくなってしまったのか。
それは朔夜には分からなかった。
「……一人だけ。あるよ」朔夜は表情一つ変えずに答えた。
「だれえ?」ミントは興味本位というより、ごく当たり前のことを尋ねるような口調だった。
この場所では、人を殺したことがあるという事実は珍しくない。
その価値観のずれが、朔夜にはむしろ心地よかった。
「顔も知らない。親……だった人だよ」朔夜は天井を見上げる。
もう何年も前の光景なのに、今でも鮮明に思い出せた。
「施設では、引き取られた子どもの身元が特定されないように、子どものことを知っている親や親族は"消す"決まりだった。そして、それが俺の最初の任務で……最後の任務だった」朔夜は言い終えて隣を見る。
ミントは下を向いたまま、静かに話を聞いていた。
しばらく沈黙が流れる。
やがてミントは、小さく口を開いた。
「……そうなんだあ」その声には先ほどまでの軽さはなかった。
「罪の意識とかは、あるのお?」
「……ないよ」朔夜は即答した。
罪悪感など、抱いたことは一度もない。
「俺は任務を遂行しただけだ。それは俺の意思とは関係ない。人を殺して罪に問われるのは、自分の意思で人を殺し、その行為を望んだ人間だ」朔夜はそこでミントを見る。
「俺も。……それに、ミントたちもそうだ」
「私たちも?」ミントは小さく笑う。
その笑みはどこか寂しげだった。
「それはありえないかなあ。私たち、原罪種とはいえ、たくさんの人を殺してるんだよお?」膝を抱え、ゆっくりと言葉を続ける。
「泣いても、謝っても、命乞いをしても、その声を最後まで聞かずに首を落とす。それが私たちのお仕事だった。そんな私たちが、罪はありませんなんて言えないよお」その横顔には、後悔の色が滲んでいた。
第七区域へ送られてきた子どもたちは、ここで初めて普通の生活を知る。
人としての常識を学び直し、命の重さを知る。
だからこそ、自分たちが積み重ねてきた行いに苦しみ始めるのだと、フィアは言っていた。
「俺は今でも命令があれば人を殺すよ」朔夜は静かに言う。
「自分の命が危険にさらされるなら、なおさらだ。迷わない。それが生き残る方法だと知ってるから」
少し間を置いて続けた。
「だから、ミントは考えすぎなんだと思う」
「……」
「それに」朔夜は苦笑する。
「俺は、命令があった方が生きやすい…」その言葉だけは、自分でも驚くほど素直に口から出た。
今の生活は嫌いじゃない。
店で働き、みんなと食事をして、笑う。
そんな毎日は初めてで、むしろ楽しい。
それでも、誰からも命令されないこの生活には、どこか落ち着かなさがあった。
自分が何をするべきなのか分からない。
宙ぶらりんな感覚が、どうしても消えない。
「じゃあ、私が命令してあげるう」ミントがふっと笑った。
「なに?」
「私がアビスになったら、朔夜が殺して」
朔夜の視線が止まる。
「……他の人じゃ嫌。朔夜がいい」その瞳は冗談を言っている人間のものではなかった。
「なんで俺なんだ?」
「わかんない」ミントは困ったように笑う。
「でも、朔夜に殺されるなら……最後に『私の人生も悪くなかったなあ』って思える気がするのお」ミントは自分の膝を指先でくるくると撫でながら、小さく尋ねる。
「……だめえ?」
「それを聞いてる時点で、命令じゃなくなってるだろ」朔夜は思わず笑ってしまった。
「あっ……ほんとだねえ」ミントもつられて笑う。
休憩室に、穏やかな空気が流れた。
「約束する」朔夜はミントを真っ直ぐ見た。
「ミントだけじゃない。ヨーゴも、シンも、キャスも……誰でもいい。もしアビスになったら、俺が終わらせる」
ミントは静かに頷く。
「でも」朔夜は続けた。
「助ける方法があるなら、俺は絶対に諦めない。みんなが死ぬのは嫌だからさ」
ミントは少しだけ目を丸くした。
それから、いつものようにふわりと笑う。
「……多分、そんな方法はないと思うよお」
「でも、ありがとお」
その笑顔は、これまで見たどんな笑顔よりも穏やかで、どこか救われたような表情をしていた。
———少しの間、休憩室に静かな沈黙が流れた。
ガチャ。
不意に扉が開く。
「サクヤ、エレジアから特命よ」部屋へ入ってきたのはフィアだった。
いつもの柔らかな笑みはない。
その表情は真剣そのもので、部屋の空気が一瞬で張り詰める。
「私とあなたに任務が下りたわ。今からエレジアの屋敷へ向かう。すぐ準備しなさい」
「任務?」朔夜は立ち上がる。
フィアは壁にもたれながら説明を始めた。
「“技術連邦ネオス”で連続猟奇殺人事件が発生しているの。犯人はまだ特定されていないけど、証拠が揃いつつあるそうよ」
そこで一度言葉を切る。
「問題は、その犯人。罪が確定した瞬間、災禍種級のアビスへ変貌する可能性が極めて高いんですって」
「災禍種級……」ミントが眉間に皺を寄せる。
「だからそうなったときの為に、保険としてエレジアはあなたの力を借りたいそうよ」
「技術連邦ネオス?」朔夜は首を傾げる。
聞き覚えはある。
だが、どこだったか思い出せない。
フィアは大きくため息をついた。
「この前、地理を教えたでしょう。まったく……」呆れたように額へ手を当てる。
「このアークラインを出て北へ向かった先にある、科学技術が発達した国よ」そう言うと、小さく肩をすくめた。
「私も向こうで用事があるから、ちょうどよかったわ。だから承諾しておいた」
「いやいや」朔夜は思わず声を上げる。
「俺の意思は?」
「ちょうどよかったじゃーん」隣でミントがくすくす笑う。
「命令があった方が生きやすいって言ってたでしょお? いってらっしゃーい」
朔夜は苦笑する。
「あなたも行くのよ、ミント」フィアは当然のように言った。
「……ええ?」ミントの目が丸くなる。
「な、なんでえ?」
「どうせ暇を持て余してるんでしょう。少しは働きなさい」
「ひどぉい……」
「ほら、行くわよ」フィアは返事も待たずにミントの腕を掴む。
「ちょ、ちょっとぉ!」
抵抗するミントを半ば引きずるようにして部屋を出ていく。
朔夜はそんな二人を見て苦笑すると、小さく息を吐いた。
「……命令、か」朔夜は小さく呟いた。
その瞬間、胸の奥が熱を帯びる。
身体が自然と引き締まり、意識が研ぎ澄まされていく。
まるで血そのものが、その一言を待ち望んでいたかのようだった。
任務。命令。
その言葉だけで、眠っていた自分が目を覚ます。
「……っ」朔夜は無意識に握り締めていた拳へ視線を落とした。
この高揚感は何だ。
人を助けるための任務だからではない。
任務が与えられたことに、心が喜んでしまっている。
それが、たまらなく不謹慎に思えた。
「俺は……普通だ」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。
「普通になったんだ」
まるで、自分自身へ言い聞かせるように。




