表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
8/10

祠と鐘

# 第8話「祠と鐘」


## 前半(森の奥・祠への到着)


二日目の夜が明けた。


三日目の朝、6人と二台の馬車はまた東に向かって進み始めた。

ロインの父・カイルが先頭の馬車を引き、ガレンが二台目の馬車を引いた。シルヴァは今日も歩いていた。リーサとヴェルはそれぞれの馬車に分かれて乗っていた。


街道はもう、ほとんど街道ではなくなっていた。

轍は薄く、草が道の真ん中まで生えている場所もあった。人が通らなくなって長い道だった。

両側の森もフェルニ村の周りの森とは違う種類の木が多くなっていた。葉の形が少し違う。幹の色も濃かった。


ロインは馬車の客席から外を見ていた。

父は御者席で前を見ている。横顔の表情はいつもと同じだった。けれど目だけが少しだけ、いつもよりも遠くを見ていた。


「お父さん」

ロインが声をかけた。

「ん?」

「今日、着く?」

「そうだ」

父は短く答えた。

「夕方には着く」

「祠?」

「祠だ」


ロインは「祠」

という言葉を初めて、父の口から聞いた。

昨日の夜、シルヴァが「目的地は古い祠らしい」

と話していた。それを父が確認した形になった。

祠、というのは何かを祀る場所だ、とマイアが前に話していた。マイアの母は祠に詳しい。

東の森の奥に祠がある、ということ自体がロインには不思議だった。


──


午後、馬車が止まった。

これ以上は馬車では進めない、と父が告げた。

道がなくなっていた。


ガレンが先に降りて、地面を見た。

「ここから歩く」

低い声だった。

リーサとヴェルも馬車を降り、それぞれの背中に道具を背負った。

シルヴァは元々歩いていたから休む間もなく、ガレンの隣に立っていた。


ロインは父に続いて馬車から降りた。

腰のナイフに手を当てた。父が冬に作ってくれたナイフがいつもの場所にあった。

布袋を肩にかけ直した。中で三つの石が互いに触れる音がした。


「ロイン」

ガレンが呼んだ。

「ん?」

「俺の後ろを歩け」

「そう」

「離れるな」

「そう」


ガレンの声は村のはずれの老人を少しだけ思い出させた。

意味は違うけれど、声の重さが似ていた。


──


森の中を6人で歩いた。


先頭はガレン。父はガレンのすぐ後ろ。ロインは父のさらに後ろ。リーサとヴェルとシルヴァがロインの後ろを続いた。

道はない。

ガレンは木と木の間を選びながら、ゆっくり、確実に進んだ。トルムが村の森で見せていた動きと似ていた。違うのはガレンの方がもっと慎重だったことだ。


歩き始めて、しばらく経った。


「気配がおかしい」

ガレンが急に立ち止まった。

全員が止まった。

父がガレンの隣に並んで同じ方角を見た。

「鳥がいない」

父が小さく言った。

「そうだ」

ガレンが応じた。


ロインも耳を澄ました。

確かに鳥の声がしない。

夏の森なのに虫の声もほとんどない。

風の音だけが上の枝の間でゆっくり流れていた。


「進むか」

父が聞いた。

「進む」

ガレンが答えた。

「ただし、足元、よく見ろ。何が出るかわからん」


ロインは夏のフェルニ村の森でトルムが鉈を抜いた時のことを思い出した。

あの時の野犬の唸り声。

今の森には唸り声はない。

代わりに何もない。

何もない、というのが何かがある、よりもずっと不安だった。


セラの「お守り」

の石をロインはポケットの上から軽く握った。

布袋越しに石の硬さが指に伝わった。


──


さらに一時間ほど歩いた。


森の木がふと少なくなった。

地面が開けていた。

そして、その開けた場所の真ん中にそれがあった。


石造りの建物。


ロインの背丈の、何倍も高い。

全体が灰色の石で出来ていた。表面には苔とそれより古そうな緑黒い汚れが層になって付いていた。

屋根は半分崩れていた。けれど、中の暗闇はまだ残っていた。

入口は石の柱が二本、立っているだけの簡素なものだった。

柱の上には模様のようなものが刻まれていた。遠目には、ただの傷にも見えた。


6人でしばらく、その建物を見ていた。


「祠」

リーサが最初に口を開いた。

「ええ。聞いていた通りね」

「規模は思っていたより大きいな」

ヴェルが続けた。

ヴェルの顔はいつもより少し、緊張していた。


シルヴァはずっと祠の入口を見ていた。

目の動きがいつもの「夢を見るような目」

とは違っていた。

何かに強く、引かれている目、というのが近かった。


──


「子供は入るな」

ガレンがロインにはっきり告げた。

「そう」

ロインは素直に目を伏せた。

祠の中に入りたい気持ちは最初からなかった。

中の暗闇が外から見ても深すぎた。


「リーサ、記録を頼む」

カイルが指示した。

「わかったわ」

リーサは背中の袋から革表紙の手帳を取り出した。

中の紙はロインのマレンの手帳と似た色の紙だった。

ロインはそれを横目で見た。母もこうやって、手帳を持って記録する人なのだ、と、改めて気づいた。


ヴェルは祠の周りをゆっくり歩き始めた。外周の点検だった。

父とガレンは入口の前で何か低い声で話していた。

シルヴァはまだ、入口の暗闇を見ていた。


ロインは祠から少し離れた木の下に座らせられた。

布袋を膝の上に置き、6人の動きを目で追っていた。


──


## 中盤(祠の中の鐘・村の鐘との類似)


しばらくして、父とガレンが祠の中に入った。

リーサが続いた。ヴェルは外周の点検を続けていた。

シルヴァは入口の手前でためらっていた。


ガレンが中からシルヴァを呼んだ。

「入っていいぞ」

「はい」

シルヴァは小さく返事をして、ようやく中に入った。


ロインは木の下から4人が祠に入っていくのを見ていた。

中の暗闇が4人を順番に飲み込んだ。


風がロインの頬に当たった。

祠の方からこちら向きに流れてくる風だった。

夏の風のはずなのにわずかに冷たい。

そして、覚えのない匂いが混じっていた。


土とも苔とも木とも違う。

鉄、に近い気がした。けれど、鉄でもない。

ロインはその匂いを知らなかった。


匂いの方向にロインは目を向けた。

祠の入口。

父たちが入っていった暗闇。

匂いはそこから流れてきていた。


──


どれくらいの時間が経ったか、ロインにはわからなかった。

ロインは、ただ、木の下で待っていた。


最初に出てきたのはシルヴァだった。

顔が白かった。

昨日の夜の、夢を見るような目とは別の何かを目に宿していた。


「シルヴァさん、大丈夫?」

ロインが小さく聞いた。

シルヴァはしばらく、ロインを見ていた。

「……うん」

それから答えた。

「ちょっと空気を吸いに来たんだ」

「中、暗い?」

「暗い。それと変な、匂いがする」

「私もここでその匂い、感じてる」

「そうか」


シルヴァはロインの近くの、別の木に座った。

水筒を取り出して、水を飲んだ。

それからしばらく、空を見上げていた。


ロインはシルヴァの横顔を見ていた。

昨日のシルヴァは東に行きたい、という夢を目に宿していた。

今のシルヴァは何か違うものを目に宿していた。

何かはロインにはまだ、わからなかった。

ただ、覚えておこう、と思った。


──


次にリーサが出てきた。

手帳をまだ手に持っていた。

表情はリーサにしては少し硬かった。


ロインの近くを通って、リーサも別の木の下に座った。

水筒を取り出して、水を飲んだ。シルヴァと同じ動きだった。


「ロイン君」

リーサが声をかけた。

「はい」

「中の鐘、見たいかしら」

「鐘?」

「祠の中央に鐘があるの」

「あります」


ロインの息が一瞬、止まった。

鐘。

村の森の奥にあった、あの鐘と同じものか?


「リーサさん、その鐘、どんな形ですか?」

ロインが聞いた。

リーサは少し驚いた顔をした。

「形? 普通の、鐘の形よ。釣鐘型の」

「大きさは?」

「人の背丈の、二倍くらい、かしら」

「鉄?」

「鉄、らしいわね。錆びてはいるけれど」

「真ん中に棒、ありますか?」

「振り子のことね。あるわよ」

「側面に文字、ありますか?」


リーサの動きが止まった。


しばらく、リーサはロインを見ていた。

それからゆっくり、聞き返した。

「ロイン君、その質問はどこから来てるの?」


ロインは少し迷った。

村の森の鐘のことをリーサに話していいか、わからなかった。

6人で約束したわけではない。けれど、なんとなく、村の外の人には話していなかった。


「……俺の村にも似たような鐘がある」

ロインは結局、答えた。


リーサは長く、息を吐いた。

「カイルに伝えていい?」

「お父さんに?」

「ええ」

「いいです」


リーサはすぐに祠の中に戻った。

シルヴァが木の下からロインを見ていた。

シルヴァは何も言わなかった。

ただ、目にまた、別の色を宿していた。


──


しばらくして、父とガレンが祠から出てきた。

リーサも一緒だった。手帳をまだ、開いて見ていた。


父はロインの前に来て、しゃがんだ。

父の目の高さがロインの目の高さに近くなった。

父がしゃがむのをロインはめったに見ない。

今日の父はしゃがんだ。


「ロイン」

父が呼んだ。

「ん?」

「お前の村に鐘があった、と聞いた」

「そう」

「いつ、見つけた?」

「2年前。6歳の、夏」

「6人で?」

「そう」

「鳴らしたか?」

「鳴らしてない」


父は長く、目を閉じた。

それからゆっくり、目を開けた。

「ロイン、村の鐘の話をもう少し、詳しく、聞かせてくれ」

「そう」


ロインは村の森の奥の鐘のことを父に話した。

6人で見つけたこと。鐘の側面に6つの文字が刻まれていたこと。母の本の文字と同じような形だったこと。村の老人が「鳴らしてはいけない」

と言ったこと。

「鐘の音を聞いても振り向くな」

と言ったこと。

2年前から3度、6人で訪れたこと。

最後の訪問の時、セラが振り子に手を伸ばしかけたこと。ロインが止めたこと。


父は最後まで黙って聞いていた。

ガレンもリーサもヴェルもシルヴァもいつの間にか、ロインの近くに集まって、黙って、聞いていた。


ロインが話し終えると父はしばらく動かなかった。

それからガレンを横目で見た。


「カイル」

ガレンが言った。

「俺は知らなかった」

「俺もだ」

父が答えた。


二人が何の話をしているのか、ロインにはわからなかった。

ただ、二人の声の重さで何か大事なことが二人の間で起きている、というのはわかった。


「お前の母さんは知っていたかもしれない」

父がロインに言った。

「お母さんが?」

「今度、戻ったら、聞いてみる」

「そう」


父は立ち上がった。

ロインも立ち上がった。


「今日はこれで終わりにする」

父が全員に告げた。

「シルヴァ、ヴェル、外周の調査だけ、明日続けてくれ。中の本格調査はもう一日、考えてからにする」

「わかりました」

シルヴァが答えた。

ヴェルも目を伏せて応じた。


リーサだけが何か言いたそうな顔をしていた。

けれど、結局、何も言わなかった。


──


## 後半(夜の野営・覚えのない匂い)


夜、6人は祠から少し離れた場所に野営の準備をした。

火を起こしたのはいつものガレン。

食事の準備はリーサ。

馬の世話はヴェル。

シルヴァは薪集めに行った。父はガレンと低い声で地図を見ていた。


ロインは火の近くに座っていた。

布袋の中の三つの石をもう一度、手のひらに出して、並べていた。

火の光に石の青みがかった灰色が夜の中で少しだけ、光って見えた。


「ロイン君、それ、なに?」

シルヴァが薪を抱えて、戻ってきた。

ロインの隣に薪を置いて、座った。

「お守り」

ロインが答えた。

「お守り?」

「セラがくれた。3つ」

「セラ?」

「俺の村の、幼馴染」

「綺麗な色だね」

「そう」


シルヴァは石の一つを指先で軽く触った。

すぐ、引っ込めた。

「冷たい」

シルヴァがつぶやいた。

「いつも冷たい」

「夏の夜なのに?」

「そう」


シルヴァはしばらく、石を見ていた。

それから自分の水筒を持ち上げて、飲んだ。

火の音が二人の間で規則的に跳ねていた。


「ロイン君」

シルヴァがまた、呼んだ。

「ん?」

「俺、東に来てよかった、と思ってた」

「そう」

「昨日までは」

「今は?」

「わからなくなった」

「なんで?」

「あの鐘を見てから」

「ふん」

「中で見たんだ」

「そう」

「お前のお父さんが見るな、って言ったからすぐ、外に出た」

「お父さんが見るな、って?」

「俺だけに言った気がする」

「なんでシルヴァさんだけに?」

「わからない」


シルヴァはしばらく、火を見ていた。

それから小さく言った。

「俺、明日、もう一度、中を見たい気がする」

「鐘?」

「そう」

「ガレンさんに許可、取らないと」

「そうだね」

シルヴァはそう答えた。けれど、目はまだ、火を見たままだった。


ロインはその目を覚えておこう、と思った。

シルヴァの目には夢を見るような色とも不安そうな色とも別の、もう一つの色があった。

何かに引かれている、ような色。

村の森のセラが振り子に手を伸ばしかけた時の目と少しだけ、似ている気がした。


──


夜が深くなった。

ガレンが火の番に残った。他の4人と父は寝具に入った。

ロインも自分の寝具に入った。


寝具の上でロインは目を開けたままだった。

眠れなかった。


風がまだ、祠の方向からこちらに流れてきていた。

夏の夜の風のはずなのに冷たかった。

そして、あの覚えのない匂いがまだ、混じっていた。

鉄ではなく、土でもなく、木でもない、何かの匂い。

ロインの中の、どの記憶にも当てはまらない匂いだった。


ロインは寝具の中で布袋を胸に抱えた。

三つの石が布袋の中で互いに触れている感覚があった。

セラのお守り。

セラの母が家の裏で見つけた石。


セラは今、何をしているだろう、とロインは思った。

村はここから馬車で何日も離れている。

セラの琥珀色の瞳をもう一度、思い出した。

セラの息が白かったこと。

セラの手が夏なのに冷たかったこと。

セラが「絶対、帰ってきてね」

と言ったこと。

ロインが「絶対、帰ってくる」

と答えたこと。


「絶対」

と、ロインは口の中だけでもう一度、繰り返した。

誰にも聞こえない声で。


──


ロインは寝具の中で身体を起こした。

火の方向を見た。

ガレンがまだ、火の番をしていた。

ガレンの背中が火の光に半分照らされていた。


ロインは寝具をそっと抜け出した。

火の近くまで歩いた。

ガレンが振り向かずに口を開いた。

「眠れないか」

「そう」

「座れ」


ロインはガレンの隣に座った。

火の温度が夜の冷気をゆっくり、押し戻した。


「ガレン」

ロインが呼んだ。

「ん?」

「あの鐘、何?」

ガレンはしばらく、答えなかった。

火の中の木がまた一本、爆ぜた。

「わからない」

ガレンがようやく答えた。

「明日、もう少し、調べてから話す」

「父も知らない?」

「あいつもわからない、と言っている」

「俺の村の鐘もこういう祠の中にあったのかな」

「それも明日、考えよう」

「そう」


ガレンは火にもう一本、薪を足した。

火が少し、大きくなった。


「ロイン」

ガレンが続けた。

「ん?」

「今夜は火の近くで寝てもいい」

「火の近く?」

「寝具をこっちに引いてこい」

「そう」


ロインは寝具を火の近くまで引っ張ってきた。

ガレンの座っている場所の、少し離れたところに敷いた。

寝具に入ると火の温度が布団越しに感じられた。

夜の冷気と覚えのない匂いが少しだけ、遠くなった気がした。


──


ロインは布団の中で目を閉じた。

眠れるかどうかはわからなかった。

ただ、ガレンの背中がすぐそこにあった。

ガレンの背中は父の背中ほどではないがロインを守ってくれる形をしていた。


風はまだ、祠の方向から流れてきていた。

覚えのない匂いもまだ、わずかに混じっていた。

けれど、火の煙の匂いがそれを少しだけ、薄めてくれていた。


ロインは最後にもう一度、セラのことを思い出した。

セラが振り子に手を伸ばしかけた、あの時の顔。

ロインが「やめろ」

と言って、止めた、あの瞬間。

セラが「……うん」

と答えて、手を引っ込めた、あの瞬間。


明日、シルヴァがもう一度、鐘の中を見たい、と言っていた。

シルヴァを誰か、止めなければ、とロインは思った。

理由はわからない。

ただ、止めなければ、と思った。


その思いを胸の中に残したまま、ロインはゆっくり、眠りに落ちた。


──


風は明け方まで祠の方から流れ続けた。

覚えのない匂いも夜の間、消えなかった。


ロインの三つの石は布袋の中で夜の冷気をまた、吸い込んでいた。


──


(第8話本文終わり)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ