悪魔の誘惑
「悪魔」
『5年前と言えばわたしが生まれた年くらい』
「この街の名前を人々はこう言います。巨人の治める死者の街ヨトゥンヘイムと。その名の通り悪魔が巨人に乗ってこの地を治めています」
『ここでも巨人が……。ああ、そっか忘れてた。その巨人を取りに来たんだった』
「それじゃ、この娘や他の人がこのような状態でいるのは」
「はい、悪魔が街を襲い、この地では死が蔓延しているのです。巨人に乗った悪魔には誰も適いません。悪魔は力を得る為と毎日100人の生贄を求めています。
生贄を出さないと街で暴れ、それ以上の死者が出ます。私達は「生き人」ですから死にませんが、痛みは別です。自らが食べられることを受け入れる人はいません。
毎日100人の生贄など選べるはずもなく、巨人は町で破壊の限りを尽くし、こうして街の人々はこの5年で「待ち人」になって行きました……。
誰も頼れません。治療等もしてもらえません。お互いが生贄、いえ悪魔の餌になってくれることを祈っているのですから……」
「この娘も?」
話の最中、体力まで回復していないが楽になったのか、少女はわたしの腕の中で寝息を立てている。
「はい、この娘の場合魔力の質が良いらしく、悪魔は常にこの娘を狙っています。わたしがこの少女のことを知った時は、街の人がこの娘を身代わりに悪魔に命乞いをしているところでした」
どうやらこの少女はそうやって何度も街の人から悪魔に生贄として差し出されていたらしい。
何度も何度も……。
病気で死に掛けの少女を自らの命欲しさに差し出す外道も許せないが、この少女をそうやって貪り食らう悪魔はもう許せる境界などとっくの昔にぶっちぎりで越えてしまっている。
ナタテスは少女を哀れと思い、ここに匿っているらしい。
治療を施せる魔法等知らない彼は、少女がいつも目の前で病気で死ぬのをただ見ているだけ。
しかしそれでも悪魔に食われるよりは、眠るように死んでいくその姿の方が安らいでいると思い、そうしてきたのだと言う。
わたしは少女をベッドに寝かし、部屋を出る。
わたしの拳が震える。
『ああ、怒りでどうにかなりそうだ。もう我慢できない』
「わたし、これからその巨人のところに行ってきますね」
「え、いけません。巨人には人が太刀打ちできるものではありません。唯一巨人を倒せるのは勇者のみです」
「そういえば、ここに来た時から兄様のことを勇者とか言ってたわね。それって何なの?」
「私はお告げを受けました。夢に貴婦人のような天使様があらわれて、白と黒の戦士を連れた勇者が、もうじきこの地に外の世界より来て悪魔を打ち滅ぼす、と」
「貴婦人のような天使ね……叔母様かな?わたしはその天使の知り合いだから大丈夫。今度言っといてあげるわ。悪魔を倒すのは勇者じゃなくわたしだってね」
ナタテスに向かってウインク一つするとわたしは部屋から飛び出そうとする。
「お待ちください。実は私からも聞きたいことがあるのです」
「色々と教えてもらったし、かまわないけどわたしが知ってる限りのことしか教えられないわよ」
「ええ、かまいません。実は……」
――――――――――
「アムネジア様。待ってください」
「ニーか、しつこいぞ。大体いつになったら大いなる力とやらと戦わせてくれる」
「まだここに来てから1時間も経っていないではありませんか。もう少し情報を集めさしてくださいよ」
「ならん、もう待てん。あたしは滾ってるんだよ。早く何とかしないと爆発しそうだ」
アムネジアはそこで足を止める。
そして俺の方を見て上目遣いになる。
「いいこと思いついた。来て」
そう言って俺を人のいない狭い路地に連れ込む。
そこでマスクを取られ、突然に唇を重ねられる。
濃厚で肉厚なアムネジアの舌が口の中に入り込んできて、バラの様に甘い香りが鼻腔一杯に広がり、俺は一瞬思考が止まる。
「な、何を!?」
俺は後ずさるが、狭い路地では下がる場所がまったく無く、背に壁が当たる。
「言ったでしょう。あたしは滾っているって。あんたのそれであたしを慰めてよ」
『この悪魔が、姫の身体を使って勝手に何を言っている』
とは思ったが、再び重ねられる唇に抵抗できない。
こうして間近で見ると、どことなく姫の面影が見て取れる。
『姫、姫……』
理性の声(ヤバイよ俺、かなりきてるよ~目を覚ませ)
5年もの歳月を経て、やっと会えた俺の主人。
俺はこの5年連絡も取らずに世界を放浪し半分国を捨てた身だが、俺が使えるべき人は王国の王女であるアーネット姫、唯一人。
俺はゆっくりとアムネジアの胸に手をあて、優しく包み込むようにようにして揉み拉く。
理性の声(イカンイカン離れろ俺!何をしている!?)
「ンッ…アッ」
アムネジアの甘い声が俺の耳から全身を刺激する。
俺は堪らず、アムネジアの細く白い首筋に舌を這わせようと……。
理性の声(ダメダ~~~堤防決壊、R-15堤防決壊するよ~)
ドーーーン
(言っておくが堤防が決壊した音ではない)
どこからか凄まじい音と衝撃が、俺とアムネジアを襲う。
俺は咄嗟にアムネジアの頭を胸で庇い、二人そろって路地から、入ってきた方とは反対側の通りに転がり出る。
「イタタ、なんだ一体、いいところ……い、いやナイスツッコミをしたのは誰だ!」
ツッコミにしては威力が大きすぎるなとは思うが、気のせいか。(注1)
「何をしているのですか?ニー様。悪魔なんかと……」
そこには腰に魔剣フェルトを横刺しにして、手には神槍ロンギヌスを構えたリーンが背中から銀色の光の翼を生やして立っていた。
「え?あ、いやこれはその……」
『ていうか翼!?』
俺は胸元にアムネジアを抱いたままうろたえる。
「よく俺達の居場所が分かったな」
俺は聴きたいことがイロイロ在るが、とりあえず話をそらそうと努力する。
『あ、魔剣渡してたんだった。チッ、おしいところを邪魔しやがっ……いやいやナイスフォロー』
自分で質問しておきながら答えに気がつき、俺は頭をかきながらアムネジアと一緒に立ち上がる。
アムネジアはと言うと、
「アハッ」
まるで獲物を見つけた獣のようにその目と口元に喜びを浮かべ、俺のことなど既に眼中に無いようだ。
悪魔の本能のなせる技なのか、リーンの姿を見て、自らの天敵と悟ったのか、一応の下僕契約をした相手なのに問答無用で斬りかかっていく。
リーンは咄嗟に翼を羽ばたかせて空中に飛び上がる。
アムネジアは建物の壁を重力を無視したかのように走り登り、空中に飛び上がるリーンに斬りかかる。
間一髪でリーンの姿は転移でさらなる空中に飛び上がり事なきを得る。
リーンは落下するアムネジアに魔法攻撃展開する。
前に見たリーンのオリジナル魔法、の改良版。
【万の光鎌】
前に現れた数千度の熱を持った鎌が、今度はその数倍近く現れ、敵だけでなく自分の周りをも守るように展開する。
放った後、敵が転移しても良いように自分を守り、さらに倍以上の数の鎌が辺り一面をランダムに飛び回る。
これでは転移による奇襲もかけられないし、下手に見える場所に転移しても魔法の効果がある内は逃げ続けなけらばなら無い。
『考えたな、妹よ』
ゆっくりしている場合ではなかった。
空中にいるアムネジアはこの鎌を躱せるのか。
大事な大事な姫の身体がこのままではリーンの魔法の餌食になってしまう。
「おい!やめろ!殺す気か」
俺は叫ぶが、リーンは笑って念話で話しかけてくる。
『当たり前でしょう。こいつは悪魔なんだから』
リーンの魔法がアムネジアに襲い掛かる。
しかしその時、突然空を飛ぶリーンの背後に紫色の巨人が現れ、リーンを守る魔法ごと彼女を叩きのめす。
再び自分の魔法で死に掛けたリーンは何とか魔法の解除に間に合うが、襲い掛かる巨人の攻撃をまともに受けてしまう。
空中から地面に叩きつけられたリーンは大丈夫なのか。
俺は咄嗟のことだったがリーンに防御の呪文を掛けた。
それ程強力なものではないが、簡単な防御魔法ぐらいは俺でも唱えられる。
高位の戦闘では何の役にも立たないが、落下のダメージぐらいならなんとか防げていると思う。
受け止めに行ってやれよとは言わないように。
アムネジアがまだ空中にいるので、巨人の動向から目を離す訳には行かなかったのだ。
転移して咄嗟に抱きとめてしまえば、アムネジアが攻撃された時に再び転移して助けるという訳には行かなくなる可能性がある。
案の定リーンは叩きつけられて砕けた街の石畳の中から這い上がってくる。
自分自身でも防御の魔法を掛けたのだろうが、巨人の攻撃を受ける直前、自分の魔法の解除との刹那のタイミングで少しばかり遅くなって、巨人からのダメージはかなり受けているようだった。
腕は折れ曲がり、体中は傷だらけで、砕けないことで気に入っていた白い鎧もあちらこちらが破損している。
頭から血を流し、それでも立ち上がる様は賞賛に値するが……如何せんこの後の戦いには足手まとい。
アムネジアが近くにあった建物の壁を蹴り、ネコのように回転して着地したのを見るや、俺はリーンの側に転移して立ち、巨人からの次の攻撃を受けないようにカバーに入る。
「リーン。傷の治療に専念しろ!」
「兄様。すいません」
スッと紫の巨人の姿が見えなくなる。どうやら姿を消すことが出来るらしい。
俺は横からの目に見えない触手のようなもので殴り飛ばされ、建物の壁に激しく叩きつけられる。
「兄様!アッウ」
俺を気にして駆け寄ろうとした瞬間、リーンの身体に見えない触手のようなものがまきつき、その身体を拘束したまま空中に持ち上げる。
「クッ、悪魔め、こんなもの」
転移して逃れればいいものをわざわざ敵にダメージを与える為か、触手をちぎろうとするリーン。
姿を現し、目に見えてくる黒い触手。
千切ろうとした黒い触手から剣のようなものが生え、リーンを串刺しにする。
「リーン!」
俺は転移して闇から取り出した魔剣の一つで触手を斬って助ける。
なんとか息はある。
しかしかなりの重症で、身体強化による治癒と俺の治療魔法を発動するがしばらくかかりそうだ。
俺が取り出した魔剣は懐かしのヴァーミリオン。
長いのでもう暁でいいや。
俺は一旦リーンを抱いたまま後退し、リーンを俺の亜空間に閉じ込める。
そこで治療に専念してもらう為だ。
「アハハハハ、いたよ、いたよ。こいつが大いなる力って奴かい」
アムネジアがいつの間に登ったのか、三階建ての建物の上で姿を現した紫の巨人を睨んでいる。
「いいね、いいね~。これでこそ来たかいが有ったってもんだ」
彼女はそういうと、両手の平を目の前で合唱するかの様に叩き合わせる。
彼女を包むように赤い雷が展開し、巨大な紅の球体になる。
雷が弾け飛び、そこから現れたのは紅の巨人に乗ったアムネジア。
「さあ、あたしと殺ろうよ」
(注1)
リーンがここで使ったのは音と衝撃だけの風魔法で、殺傷能力はありません。




